たからさがし

熊野 豪太郎

第1話

最近、よく昔のことを思い出す。ジャングルジムの下に何か自分の大切なもの

を隠して、「たからのちず」を描いていた。なぞなぞの答えにヒントを書いて、少しずつ「たからのありか」がわかるようになっていく仕組みだ。よく、友達のけんちゃんとやって、最後にたからを掲げて、喜んだものだ。

会社を定年で退職してから、隠居生活を送っている私にとって、昔の記憶というものは、まさしく光り輝く「たから」だ。

きっかけは多分、小学校の同窓会の誘いの手紙がきたからだ。その手紙には、明日の二時に、とある駅に集合と書いてあった。

しかし、そこに私はいないだろう。

目の前には、丁度頭がすっぽり入る位の縄が、天井にくくりつけてあった。世の中に絶望したとか、生きていてもつまらない。とかいう真っ当な理由ではない。

最近、よく昔のことを思い出す。これはきっと、長い走馬灯だと、私は思った。

「生きるための理由」が、最近の私にはよくわからなかった。考え始めたのは、隠居生活に入って間もなくの事だった。孤独死、という言葉が、今の私に最も当てはまるのだろう。

結婚もしていなければ、親い友人も、私の周りにはいなかった。だから、私が住む家は、ほこりやごみの巣窟だった。しかし、身辺の整理を始め、様々なことに決着をつけ始めた。遺書も書いたし、思い残すことはもう私にはない。

くくりつけた輪っかを首に被るように持っていくと、そのまま乗っていた椅子から足を降ろす。その瞬間だった。

一件、電話がかかってきたのだ。最期くらい静かにしてほしいと思ったが、この私に電話をかけてくるような人などいただろうか。誰だろうと思って、一旦その電話に出てみることにした。

「よお!ロクゾー!」

元気な声が、受話器を震わせる。けんちゃんだ。ロクゾーは、私の名前の「碌次郎」からきている。とても懐かしい響きだった。そしてその声を聞いた時、ぽたり、と雫が零れ落ちる。私は、なんてばかなことをしようとしていたのだろう。

「ごめん。ごめんなけんちゃん。」そう言って、私は久しぶりに泣いた。けんちゃんは、少し驚きながらも、昔と全く同じ口調で

「いいよ。ロクゾー。許すよ。」と言った。昔、ケンカをして、私が先に謝った時にいつも言っていたセリフだ。私は泣きながら、けんちゃんといろいろな話をした。昔の記憶が、頭を通って、身体を循環する。懐かしい。というより、愛しい。という気持ちが私の中を駆け巡る。それは、生きる気力だった。

次の日、とある駅に行くと、けんちゃんを始め、懐かしくて、愛しい顔たちがたくさん居た。私はそこでも泣いてしまって、みんなを笑わせた。

死ぬことは、明日目が覚めないだけだと思っていた。それは「たからさがし」を諦めることなのだ。記憶や思い出が「たから」なら、それらをこれから作っていけばいいのだ。

そして本当に終わる時、そのたからを隠して、次の人に「たからのちず」を描いて、渡す。生命は、何にも変えられない、大きな「たから」なのだ。


今を生きるのではない。次へ次へと、「これから」を生きるのだ。それが自分の「たから」になるように。


「たからさがし」の本番は、これからだ。

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たからさがし 熊野 豪太郎 @kumakuma914

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