5.(Fin)
5.
わかっているのだ、このオートマトンがいかなる仕打ちを受けるか。
わかっているのだ、このオートマトンに待ち受ける宿命を、結末を。
◆
日が明ける。
日が暮れる。
それでも、べつに、なにもない。
◆
ルーメンス・ライヴシフトが、狂ったように古びた暗渠のようなレンタル・ガレージの端で、がちゃがちゃと騒々しい音を鳴らしながら、自らのハンドメイド・オートマトンの白い腹を開き、その内部機構ををいじくりまわしている。
彼は、それが、とても好きなはずなのに。
煤と油と培養触媒に穢れた、その面持ちは。
何故か、嘆かわしいような、何故か、困っているような、何故か――己が人生における致命的な過ちを、それが言わば浮遊するガスであるにもかかわらず、耐熱グローブに包まれた両手で、掴み取ろうとして、当然のごとくの失敗を繰り返しているような――奇怪なる悲嘆に満ち満ちていた。
彼は、それが、とても好きなはずなのに。
好きだったはずなのに。
◆
朝。
白の擬似漆喰の壁に囲まれた、ひとつの部屋。
サンライト・ベージュのカーテンが揺らぎ、乾いた陽光が、ダイニング・テーブルの椅子に腰掛けたルーメンス・ライヴシフトの姿を照らし出す。
ルーメンス・ライヴシフトは動かない。
不自然に斜めに傾いだ姿勢、生気の失せた表情、意思の光など欠片もない瞳。
テーブルの上には、食べかけの合成食物と食器と雑用品とその残骸が散らばっている。床も同様だった。外の他の部屋も同様。
だから、どうしたというのだ。
ライヴシフトは、幸せの最中にあった。
ライヴシフトは、無制の幻たちに取り囲まれていた。
彼は、既にそれを解き放っていた。封は、とても単純で脆いものだった。破るのは信じがたいほどに簡単だった。
幻たち――それらは、視覚的実像に限りなく近い意識的虚像であり、それらは壁なき壁に反響する音であり、また優しく語りかける声でもあった。それらは現実を超えた現実的イデアであると同一時間に、非現実的な異世界からこの世に現出した産物たちでもあった。それらは食せば味があり、嗅げば香りがあり、触れれば温度や高度や痛みを感じ取れるものだった。それは、ライブシフトの認知する全空間を支配し、全時間を嚥下していた。
ルーメンス・ライヴシフトの周囲にて。
幻たちは、耳元に、囁いた――玉露の声音で。
――もう、いいんだよ。
と。
幻たちは、煌めき、瞬き、分離して、密度を無際限に増大させていった。
幻たちは、その不定形の触肢たちを優しく動かして――ライヴシフトを抱擁した。
幻たちは、直にライヴシフトへと触れて、その皮膚を遠慮無くまさぐり、肉体の何もかもを、秩序めいた混沌たる内部へと取り込もうとする。組み込もうとする。
もはや、ライヴシフトは抵抗などしない。
一切の動きも声も表情もなく、すべてを幻に委ねて、埋もれてゆく。
埋没して、ゆく。
ルーメンス・ライヴシフトは、動かない。動くはずもない。
彼は、幸せの最中にあるのだから。
ふと。
無限にさえ思える幻たちの隙間、その僅かな現実の視覚領域において――床の隅に捨てられた、ひとつの耐熱性グローブを彼は認識する。
そのグローブは、ルーメンス・ライヴシフトが、ハンドメイド・オートマトン構築において長年愛用してきたものだった。暗い焦痕と、落とせない穢れと、無数の細かい傷と、彼の感情に覆われていた、それを。
彼は、まったく認識できなかった。
夢想の大海が、知覚と記憶のすべてを、跡形もなく拭い去っていった。
◆
朝。
白の擬似漆喰の壁に囲まれた、ひとつの部屋。
サンライト・ベージュのカーテンが揺らぎ、登りつつある陽光が、ダイニング・テーブルの椅子に腰掛けた男の姿を照らし出している。
◆
ルーメンス・ライヴシフトは、いま、幻たちとともにある。
【完】
ライヴシフト・トランスレイション ムノニアJ @mnonyaj
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