11歳の僕と17歳の俺【後編】



 学園祭は、2日目に突入した。


 桜川女子の井上さんは伝説の美少女として祭り上げられ、男子の間でひそかな盛り上がりを見せていた。


 もちろん女子は、そのへんの事情を察知していて、かくして、クラス内には微妙な緊張感が漂っていた。


 そんな中、俺はまったく別の意味で緊張している。


 美沙との関係に決着をつけよう。

 そう決意したはいいが、どうやって美沙と2人きりになればいいのか、いい案が浮かばないまま、試合時間になってしまったのだ。


 グラウンドに出ると、空は気持ちよく晴れ、風も心地いい。

 観客席代わりの石段にも、たくさんのお客さんが集まっていた。


 対戦相手とは、定期的に練習試合をしている間柄だ。お互い、相手の手の内はよくわかっていて、実力もほぼ互角。1点を争うゲームになるだろう。


 学園祭の招待試合とはいえ、変な試合はできない。

 下手なプレーでもすれば、虎視眈々とレギュラーの座を狙う後輩たちに、ポジションを奪われかねないのだ。


「ねらえるときは、いつでもゴールをねらえ」

 監督の一言に背を押され、試合がはじまった。


 しかし、前半開始5分。

 相手チームにいきなりゴールをおびやかされ、後手にまわりつづける。


 右サイドバックで出場した俺は、防戦一方で攻撃に参加できない。それでも、なんとかゴールは守りきって、両者無得点のまま前半終了。


 そして後半、疲れの見えてきた相手の隙をついて攻勢にでる。


 ところが、俺がゴール前へ運ぶボールは、ことごとく相手にクリアされ、なかなか味方に届かない。なんとか届いても、味方のシュートはゴールの外。

 会場は歓声とため息を交互に繰り返した。


 そして0対0のまま迎えた、終了間際。

 ゴールキーパーからのボールが俺の足元へ届き、全力で駆け上がる。

 これが最後の攻撃になるだろう。歓声があがる。


 しかし、味方の動きは、疲れて動きが鈍い。

 高めのボールで空中戦か、低く足元を狙って放り込むか。

 迷う俺の耳に、聞きなれた声が届く。


「亮平!」

 視線の端に、幼なじみの存在をとらえる。

 美沙は、怒ったような表情で、何度もこぶしをふりあげている。


 そうだよな。

 ここで怖がってちゃ、勝負になんねえ!

 クロスをあげるフリをして敵をかわし、低い弾道でするどくボールを蹴った。


 ミドルシュート。

 予想していなかったのか、キーパーの反応が遅れる。ボールはディフェンダーが伸ばした足の先を抜け、思い描いたとおりの軌跡を描いた。


 歓声が消える。

 そして次の瞬間、キーパーの指先がボールを弾いた。


 しかし、予想外の方向へ転がったボールを味方がシュート。

 歓声があがる。

 それが決勝点になった。




 部室へとひきあげていく部員の列から、俺はそっと抜け出す。あたりの様子を見ながら、美沙の元へと向かった。


「あれ? 1人なのか?」

 美沙は、段差に腰かけて俺を待っていた。


「うん。そうだけど?」

「他のみんなは?」

「そっちは断った」

 事情が飲み込めない俺を、美沙はかるくにらむ。


「私は、亮平が誘ってくれたから、試合を応援しに来たの」

「そ、そっか」

「誘ったの誰よ」

「いや、悪りぃ」


「だから大丈夫。私がここにいること、誰も知らないから」

「そっか」

「でも、あんまり待たせると帰っちゃうからね」

「了解」


 ほっと胸をなでおろす。

 そういうことなら、安心して決行できる。


「せんぱーい。ミーティング、はじまっちゃいますよー!」

 その声に振り向くと、高尾と目があった。

「15分くらいで戻る」

 美沙にそう言い残して、部室へと走った。


 今日の試合では、ゴールを決めることができなかったけど。

 ずっと続いている、この延長戦のゴールは決めたい。

 あらためて、そう決意した。


 ミーティングが終わると、汗とほこりの匂いが混じった更衣室へ駆け込む。

 デートか?とひやかす声に適当な返事をしながら、乱暴にシャワーを浴び、大急ぎで着替えを済ませた。


「あれ、亮平? おまえ帰ったんじゃないの?」

 意気込んで部室を出ようとする俺に、部員の1人が不思議そうな顔で言った。


「いや、ここでシャワー浴びてたけど」

「おかしいな。さっき高尾が、おまえはもう帰ったって。なんか部室の前で、どえらい美人の子と、おまえのこと話してたけど……」


 すーっと後頭部の血が引いていく。

 状況を理解した俺は、部室を出ると高尾の姿を探した。


「高尾!」

 部室棟の脇に並ぶベンチに、高尾の姿があった。

 呼びかけると、小さな肩がびくんとはねる。


「先輩。後夜祭、私と一緒に参加してください!」

 高尾は、俺に先んじて叫ぶようにそう言った。いつもの高尾からは想像つかない態度に、気勢をそがれる。


「その前に、俺の質問に答えてくれないか」

「あの人が先輩の幼なじみさん、なんですか?」

 高尾の瞳が、かすかに潤んでいる。

 思わず目をそらした。


「すっごいキレイな人ですよね。彼女さんですか?」

「関係ないだろ」

「関係あります。私は先輩のことが好きです。私とつきあってください。お願いします」

 とうとう俺を見つめる瞳から、涙があふれだした。


「ごめん」

「そうですよね。あの人、すっごいキレイですもんね。私なんて、全然勝てっこないですよね」

 キレイだからとか、そんな理由じゃない。

 そう言いかけて、やめる。


「いいです。ごめんなさい。今の全部、忘れてください」

 高尾は背を向ける。


「それより早く追いかけた方がいいですよ。先輩は、用事ができて先に帰ったって。そう伝言するように先輩に頼まれたって、嘘つきましたから。最悪ですよね。ほんと、ごめんなさい」


 俺は何も言わず、じっと動かない高尾を残して正門へと走った。




 生徒たちの影が、地面に長く伸びる。

 後夜祭の準備が進むグラウンドを、秋の西日がオレンジ色に染めていた。


 膝に手を突いて乱れた息を整える。

 駅までの道を往復して探し回ったが、美沙を見つけることはできなかった。


 携帯の番号くらい、聞いておくんだった。

 ベンチに座って、俺は頭を抱える。


 特設ステージで、誰かがギターのチューニングをはじめる。

 後夜祭は先生バンドのライブと、恒例のフォークダンスが予定されている。


 後夜祭は自主参加。

 今ごろ菅谷たちも、女の子を連れてカラオケボックスで騒いでいる頃だろう。


 もしかしたら、美沙もそっちに合流しているのかもしれない。

 菅谷に連絡をとってみよう。

 携帯を取り出す俺の前に、誰かが立った。


「どれだけ待たせるつもり?」

 美沙が、両手を腰にあてて立っていた。


 動転していたとはいえ、考えの浅い自分にうんざりした。

 高尾が何を言おうと、俺が美沙を置いて帰るわけがない。約束どおり、ちゃんとグラウンドで待っていてくれたのだ。


「ごめん」

 言い訳無用。美沙に向き直って素直に頭を下げる。

 理由はなんであれ、1時間近く待たせてしまったのだ。


 美沙はそっぽを向いたまま、黙っている。

 しばらくして、ちらっと俺を見ると「しょうがない、許してあげる」とつぶやき、俺の隣に座った。


「試合、勝ててよかったね」

「ギリギリだったけどな」

「亮平のシュート、惜しかったね。もう、見ててじれったかったよ。亮平が、がんばってるのに、みんなシュートはずしちゃうんだもん」

 子どもみたいな言い方で、不満そうに顔をしかめてみせた。


「最後は、美沙のおかげだ」

「聞こえた?」

「ああ。イライラしてるのも、わかった」

「どうせなら、そこでシュート打っちゃえ!って思った」

「それが正解だよ。パスを出す相手、いなかったからな」


 シュートを打てば、何かが動く。

 現状を変えるには、動いてみるしかないのだ。


「ちゃんとまわりが見えてるんだね」

「そうか?」

「河川敷で遊んでた頃から、そうだった。誰かが危ないことしてないか、ケガしてないか、泣いてないか……ちゃんと見てた」


 風が、なつかしい枯葉の匂いを運んでくる。

 大きく息を吐くと、もやもやとしていた何かが外に溶け出ていくようだった。


 グラウンドに照明が灯る。

 ドラムがリズムを刻み始め、先生バンドの演奏がグラウンドに響きはじめる。


「私、ずっと考えてた。どこで間違えちゃったんだろうって」

 美沙が、ゆっくりと俺を見る。風が冷たいのか、頬のあたりがほんのり紅く染まっている。


「間違えた?」

「私たち、ケンカしたわけでもないのに。ずっと、ぎこちなかったよね」


 同じように感じていてくれたんだ。

 それが嬉しくて、だからこそ、もっと早く行動していればと後悔する。

 過ぎてしまった時間が、惜しい。


「覚えてるか? 中学の入学式のこと」

「うん。でも、何かあったっけ?」

 あたりに流れる空気がすっかり変わっていた。

 今なら何でも話せそうだった。


「たぶん、あれがキッカケだったんだ。今だから言うけど、美沙のスカート姿に、正直ドキッとしたよ」

 核心へ近づく俺の言葉。

 美沙は黙って言葉の続きを待っている。


 あの日、俺ははじめて恋をした。

 あの瞬間、俺の中で「好き」の意味がすっかり変わったのだ。


「そういえば、あの日ずっと不機嫌だったな」

「それは、スカートが嫌だったからよ」

 美沙は、照れくさそうに視線をそらす。


「スカートって、足もとスースーして頼りないし、重くて動きにくいの。なのに、まわりは好き勝手に、可愛いとか似あってるとか言って、わかってくれないし。だから、不機嫌だったの」


「なんだ、そういうことか」

「あの頃の私にとっては、重大なことだったのよ」

「おてんばだったもんなぁ」


「私にとっては普通のことなのに、まわりからは女の子らしくないって嫌味を言われるから、男の子がうらやましかった」

 そう言って笑う美沙に、あの頃の美沙を見つける。


「今は、女の子でよかったって思うよ。スカートは、やっぱり好きになれないけどね。卒業までの我慢」


 もし、美沙が男の子でも、俺たちは親友になっていただろう。

 それはそれで面白い想像だけど、やっぱり美沙が女の子でよかったと思う。


 気づくと、日はすっかり暮れていた。

 キャンプファイアーに火がつけられ、おなじみの曲とともに、炎を囲む輪がゆっくりと動きだす。


「フォークダンス、参加するか?」

「いいよ。知らない男の子と踊ったって、面白くない」

 秘められた言葉の意味に気づいて、俺は小さく息を吸う。

 そろそろ延長戦に、決着をつけよう。


「亮平こそいいの? あのマネージャの女の子、きっと亮平のこと探してるよ。先輩、一緒にフォークダンスしませんかって」

 口調こそからかうようだったけど、美沙の目は笑っていない。


「さっき、告白されたよ。でも、ちゃんと断った」

「なんで? 結構かわいい子だったじゃない」


 どういうつもりでそんなことを言いだしたのか。

 俺にはすぐにわかる。

 美沙は、結構やきもち焼きなのだ。


「やっぱり美沙だよなあ」

「どういう意味よ?」

「あの頃と変わってない、ってこと」


「でも、美人になったでしょ?」

「そういうこと、よくさらっと言えるよ」

「場所と相手は、選んで言ってるつもりだけど」

 美沙はいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「変わってないと言えば」

 俺は小さく深呼吸をした。

「ん?」

「変わってない。俺の気持ちも」


 美沙は、何も言わない。

 急に喉が渇いてくる。


「そこまで言ったら、最後まで言ってよ」

 しばらくして、美沙が不満そうに言う。


「昔は、頼まなくったって言ってくれたじゃない」

「そのわりに、なんか相手にされてなかった気がするけどな」

「そりゃそうよ。私、そんな簡単な女の子じゃないもの」


 2人の笑い声が重なる。

 ふっと肩の力が抜けた。


「ねえ、いつまで待たせる気?」

「……美沙」

「なあに?」

「いいか、よく聞け」

「ぷっ。ちょっと、ふざけないで」


「俺はな、もうずっとずっと前から、おまえのことが好きなんだよ!」

 勢いあまって、怒ってるみたいな言い方になってしまう。


「うん。知ってるよ」

 あの日の、あの夕暮れの土手。走り去っていく背中、赤いランドセル。

 でも、そのあとに続く言葉はあの時と違った。


「私も。あの頃からずっと、亮平が、好き」

 美沙はベンチに片手をつくと、顔を近づけてそう言った。


 視界が、ぐっと狭くなる。

 周囲の音が消えて、激しい鼓動だけが耳の奥で響く。


 かさなる息。

 甘いリップの香りと、頼りない感触。

 そして離した後に残る、かすかなしびれ。


 フォークダンスは終わっていた。

 文化祭も終わりだ。


「さあ、カラオケに合流しましょう。あなたのクラスメイトさんが、私の友達に変なことしてないか心配で」

 意味ありげな笑みを浮かべ、美沙が立ち上がる。


「この際だから、私たちの関係について、はっきり宣言してね」

「マジで?」

「こういうことは、ハッキリさせておいた方がいいのよ」


 立ち上がった俺の手に、ひんやりとした手がすべりこんでくる。

 さらさらとなめらかな感触のそれを、俺は何も言わずにきゅっと握る。


 17歳の俺の中に、あの頃の俺も生きている。

 もちろん17歳の美沙に、あの頃の美沙を見つけるのだって簡単だ。


 大人になっても、俺は俺でいたい。

 美沙にも、美沙のままでいてほしい。


 どこで何をしていても。

 見た目が変わってしまっても。

 俺はサッカーが好きで、美沙が好きでいたい。


 いろんなものが変わってしまうけど。

 変わってしまっても、変わらずにいたい。


「よし、言ってやるぜ。美沙が好きだ、好きだ好きだ好きだーってな!」

 俺の中にいる、小学生の俺がそう叫ぶ。


「はいはい。好きなだけ叫んでなさい」

 つないだ手。

 あの頃と同じように。

 あの頃とは違う意味で。


 オレたちは、歩きはじめる。


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青春恋愛短編集【青春編】 あいはらまひろ @mahiro_aihara

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