11歳の僕と17歳の俺【前編】
夕暮れの河川敷。
川向こうに沈んでいく太陽が、あたりをオレンジ色に染める。
「俺、おまえのこと好きだからっ」
緊張のせいか、なんだか怒ってるみたいになってしまう。
「……知ってる。それで?」
幼なじみの少女は、きょとんとした表情で小さく首をかしげた。
本当に好きなら、本人に言えよ。
友だちにそうけしかけられて、思い切って言ってはみたものの、その後のことなんて考えていなかった。
「別に、今までと同じでいいんだよね?」
「あ、ああ。うん、いいけど」
「じゃあ、また明日ね。私、これから習い事だから」
「そっか。じゃ、またな」
走っていく背中で、使い古された赤いランドセルがゆれる。
いつのまにか、日は暮れていた。
それは11歳の秋。
好きという言葉の向こうへ行くには、まだ2人とも幼かった。
そして17歳の秋。
彼女は、いつの間にか遠い存在になっていた。
※
「おい、
静かな早朝の教室に、
神聖なる朝の睡眠時間をなんだと思っているんだ。
机から顔をあげると、俺は友人に向けて大きなため息をついた。
「聞け。いいから聞け。実にすばらしい話がある」
菅谷は、俺のひややかな態度をスルーして、ニヤリと笑ってみせる。
サッカー部の朝練を終えたばかりで、ちょうど眠気のピークだ。
今のうちに少しでも寝ておかないと、午前中は睡魔との戦いになるというのに。
いったい、何の話だろうか。
「今度の学園祭、なんと桜川女子から6名ゲットだぜ!」
菅谷は大声を張りあげ、わざとらしいガッツポーズをしてみせる。
早くから登校してくる女子のグループが、さっそくこちらを見てひそひそ話をはじめるのが見えた。
「桜川女子? 寝言は寝てから言え」
このあたりの高校生で、その名前を知らない者はいない、県内でも名の知れた私立の女子校だ。親には進学率の高さで、俺たちの間では美人が多いという理由で有名だが、ガードが堅いことでも有名である。
「ウソじゃねーって。すでに話はついてる。最終日の午後1時に正門前だ!」
「さすが菅谷だ。見直したよ。じゃ、おやすみ」
「なんだよ、
「頼むから寝かせてくれよ。朝練で疲れてるんだ」
「つれないヤツなぁ。まさか、サッカー部のマネージャとできてるって噂は、本当なのか?」
「ばあか。それはデマだって、前に言ったろ」
「ってことは、あっち系? 俺って貞操の危機!?」
「なわけあるか」
「だったら、もうちょっと喜べよ。あの桜川なんだぞ! うちの学校の……」
言いかけて、さすがに菅谷も気づいて口ごもる。
うちの学校の女子とはレベルが違う、とでも言うつもりだったのだろう。
そんなセリフが女子の耳に入ったら、菅谷もただじゃすまない。ギリギリながら賢明な判断であった。
「亮平もメンツに入れてあるんだぞ。サッカー部がいると、女子も喜ぶからな」
「悪りぃけど、パス。最終日の午後は、部活の招待試合なんだ」
「じゃあ、終わったら合流しろよ。後夜祭は出ないで、みんなで駅前のカラオケに行く予定なんだ」
しつこく食い下がる菅谷に、俺もさすがに断り切れなくなる。
だが、次の一言で一気に目が覚めた。
「そういえば、1人すっげぇ美人がいるんだぜ。井上さんって言ったかな。どっかのモデル事務所に、スカウトされたことがあるんだって」
井上という名字は珍しくない。
でも、桜川女子の2年生で、モデル事務所にスカウトされたことがある、すっげぇ美人の井上さんが、何人もいるとは思えない。
井上
近くて遠い、幼なじみの女の子。
心の中で、ざわざわと何かが動き出すのがわかった。
※
「ラスト3本!」
夕方のグラウンドに、コーチの声が響く。
大きく前に蹴りだされたボールを追って、右サイドを駆け上がる。しかし、あと一歩でボールに追いつけず、そのまま体勢を崩して転ぶ。
「こらぁ、荒川! しっかりしろぉ! できるまで終わらないぞ!」
監督の声に、立ち上がる。
いつになく集中してない自分がいた。
ボールを追いながら、頭はさっきから違うことばかりを考えている。
河川敷でボールを蹴っていた頃、いつもそばに美沙がいた。
家が近所で、親同士の仲もよくて、幼い頃から一緒に遊ぶのが当たり前の、いわゆる幼なじみという存在だ。
美沙は、いわゆるおてんばな女の子だった。
長く伸ばした髪をのぞけば、いつも男の子のような格好をして、俺たちと一緒にサッカーや三角ベースをしては、服を泥だらけにして親に怒られていた。
しかも負けず嫌いで、男子が相手でも平気で取っ組み合いのケンカをする。でも、何があっても逃げたりしないし、優しくて面倒見もよくて、何より頼りになる存在だった。
美沙には、何でも話せた。
俺の、一番の親友だった。
小学校も高学年になると、そんな仲のいい俺たちをからかう奴もあらわれたけど、それでも関係は変わらなかった。
さすがに、美沙に直接ケンカを売る度胸はなかったのだろう。俺を取り囲んで、好きなら告白しろとけしかけてきたヤツらもいて、訳も分からないまま告白したのは苦い思い出だ。
今思えば、あの頃の「好き」は、恋愛感情と友情を足して2で割ったような、ひどくあいまいなものだった。事実、告白した先のことなんて、何ひとつ考えていなかったのだから。
でも皮肉なことに、その「好き」が本当の意味で「好き」になった頃から、俺たちの距離は次第に離れていくことになる。
はじまりは、中学に入学する日。
初めて見る制服姿の美沙は、まるで別人のようだった。
丁寧にまとめた長い髪も、制服のスカートも白い靴下も、何もかもが新鮮だった。似合っているようで、似合ってないようにも見えた。
そして、俺はその姿に自分の中にある感情に気づいたのだ。
しかし、美沙は吹奏楽、俺はサッカーに熱中し、それぞれに友達も増えていく。しかも、どんどん女の子らしくなっていく美沙を意識して、せっかく会っても何を話していいのかわからない。
俺たちの間に、具体的な何かがあったわけじゃない。
小さな積み重ねが、2人の接点をどんどん失くしていったのだ。
やがて、美沙は私立の女子高に、俺はサッカーの強い学校へ進学する。
学校が違えば、通学時間帯も違う。
会わないのが当たり前になって、いつしか美沙への気持ちは、子どもの頃の懐かしい思い出として、胸の奥にしまいこむようになっていた。
だけど。
菅谷の話を聞いてから、ずっと美沙のことが頭から離れない。
ようするに、何も終わっちゃいなかったのだ。
俺の初恋は、決着がつかないまま、ずっと延長戦を続けている。
そして、どちらかに決定的なゴールが決まるまで、この試合は終わらない。
「ぼーっとするな! ラスト1本! 決めるまで終わらないぞ!」
監督の声に走り出す。
今度は、蹴りだされたボールになんとか追いつく。足元でボールを落ち着けると、そのままゴールに向かってミドルシュート。
ボールは、ゴールバーのはるか上を越えていった。
「先輩、まだ帰らないんですか?」
着替えて部室を出ると、1年生マネージャーの高尾桃子がいた。
「今帰るよ。ちょっと部室でのんびりし過ぎた」
美沙のことを考えていたら、ずいぶん遅い時間になっていたらしい。
あたりも薄暗く、残って練習している部員の姿もない。
「あ、もしかして俺が出てくるの待ってた?」
「はい。あ、でも洗濯もしてたので、別に大丈夫です」
高尾は誰もいないことを確かめ、部室のカギをしめる。
「他のマネージャーは?」
「もう帰りました。私で最後です」
「そっか。なんか、悪りぃな」
「いいえ。でも、よかったら、ちょっとつきあってもらえませんか?」
「え?」
「これから、用務員さんのところにカギを返しにいくんですけど。ちょっと夜の学校って暗くて」
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます!」
高尾は1年生マネージャーの中でも、一番の働き者だ。
誰よりも率先して動き回り、部員の誰にでも明るく接する。そんな彼女の性格に、部員や他のマネージャーたちの評価も高い。
「先輩、サッカーをはじめたキッカケはなんですか?」
カギを返すと、そのまま一緒に学校を出る。
駅への道すがら、高尾はそう尋ねてきた。
「なんだっけな。子どもの頃から、いつもボール蹴ってたからな」
「あ、私もボール蹴るの好きでした! 小学生の低学年くらいまで、本気でサッカー選手になる気でいたんですよ」
「そっか。ここにもいたか」
「え?」
「いや、俺の幼なじみもそうだったなぁって。男の子みたいでさ、いつも一緒に河川敷でサッカーやってた」
サッカーボールを買ってもらったと、美沙が自慢しに来た時のことを思い出す。
「サッカーをはじめたのは、その子がキッカケだったのかもな」
「もしかして、先輩の初恋の相手ですか?」
「あ、えっと、ノーコメントってことで」
「先輩。それって、ほとんどイエスって言ってるのと同じですよ」
いきなり核心を突かれてあわてる俺に、高尾はくすりと笑った。
「そ、そうだ。フットサルでもやれば面白いんじゃないか? あれなら、女の子でも楽しめるだろ」
「あ、いいですね。楽しそうです」
無理に話題を変えると、高尾もそれ以上は追求してこなかった。
その後は、無難な会話が続いた。
駅に着いて、帰宅ラッシュで混雑する改札を通る。すると、少し前を歩いていた高尾がくるりと振り返って言った。
「あと3人くらいなら、すぐ集まりますよ」
「なんの話?」
「フットサルです。1チーム5人でしたよね」
「そうだけど。なんで3人?」
「えっと、私と先輩は確定ってことで。いろいろ教えてください」
「教えるのはいいけど。部活があるんだから、参加するのは無理だって」
「引退してからでいいですよ。待ってますから。……じゃ先輩、私はこっちなんで失礼します!」
高尾は笑顔で頭を下げ、返事を待たず隣のホームへと駆け出していく。
その背中を見ながら、あの笑顔の意味について考えるのはやめようと思った。
※
各駅停車が、轟音とともに鉄橋を渡る。
車窓には、川岸に並ぶ街灯と、川幅ぶんの細長い闇。夏休みが終わって、暗くなるのが早くなった。もう、秋なのだ。
改札口を出ると、駅前は家路を急ぐ人たちで賑わっていた。
実家が八百屋をやっているせいか、にぎやか過ぎるくらいの方が、かえって落ち着く。特に、夕方から夜にかけての活気が好きだ。
「あ、亮平……」
名前を呼ばれて立ち止まる。
ほんの数歩先に美沙がいた。
細めのジーンズに、白と紺のボーダーシャツ。細いリボンでたばねた長い髪先が、風に揺れている。
「久しぶり、だな」
かあっと頭に血がのぼるのがわかる。
顔が赤くなってないか、気になった。
「学校の帰り?」
「ああ。部活で遅くなった」
「私は、買い物の帰り」
手に持っていた小さなビニール袋を持ち上げてみせる。
「そこまで、一緒に帰ろっか?」
「ああ」
美沙の隣に並ぶ。
少し見上げる感じになった。
その目線の感覚に、懐かしさを覚える。
昔から、美沙は俺よりも背が少し高かった。
俺の身長は中学で止まっているが、美沙は前に会った時よりも伸びているように見えた。女の子にしては、平均より少し高い方だろうが、それが美沙のイメージにはあっている。
ついでに、別のところにも目がいく。
そっちの方は、平均より控え目な気がした。
「サッカー部、頑張ってる?」
「ん、まあな」
「私も吹奏楽、続けてるよ」
「そっか」
それっきり、会話が続かない。
何を話せばいいのか、さっぱりわからない。
自分から動かなかったら、状況は変わらないぞ。赤ん坊じゃないんだ。何かしてもらうのを待ってて、試合に勝てるわけないだろう。
監督の口癖が脳裏に浮かぶ。
「そういえば、今度うちの文化祭に来るんだって?」
「うん。よく知ってるね」
「話つけたのが、うちのクラスの奴でさ」
「そうなんだ。今朝、友だちにどうしても来てほしいって誘われたよ」
「で、来るのか?」
「迷ってる」
「俺、部活でいないから」
「なんだ。そうなんだ」
言葉が足りなかったことに気づいて、急いで言い足す。
「午後から、サッカー部の招待試合なんだ。よかったら、ついでに試合も見てってくれよ」
「亮平、試合でるの?」
「おう。一応、これでもレギュラーだぜ」
「へえ、すごいね」
文房具店の前で、自然と立ち止まる。
部屋の間取りまで知ってる、美沙の実家だ。
「グラウンドで、キックオフは2時だから」
「うん、わかった。応援しに行くよ」
久しぶりに見た美沙の笑顔に、くらっとした。
「試合が終わったら、どうするの?」
「軽くミーティングやったら解散。でも時間的に、文化祭も終わる頃かもな」
「少しくらい時間ないの?」
「あるとは思うけど。後夜祭もあるし」
「せっかくなんだから、5分でも案内して」
「わかった」
「試合が終わったら、グラウンドで待ってるから」
「了解。じゃ、またな」
「うん、またね」
小さく手をふると、美沙は背を向ける。その姿が店の奥に消えるのを見送った。
俺の家は、向かい側の3軒隣にある八百屋。こんなに近くにいながら、どれだけ遠い存在になってしまったんだろう。
でも。
やっぱり。
俺は、美沙のことが好きだ。
すっかり大人っぽくなって、男の子相手にケンカしてた姿なんて想像もつかない。びっくりするほどキレイになっていて、隣を歩くだけでも緊張してしまう。
だけど。
たとえ、どんな結末になろうと。
ずっと続いている延長戦に、今度こそ決着をつけなくちゃいけない。
それだけは確かだ。
後編つづく
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