道に迷った2人の選択


「あーあ、なにやってるんだろ」

 倉庫と工場ばかりが建ち並ぶ埋立地の片隅で、俺は本格的に道に迷っていた。


 季節はとっくに春だというのに、かすかに潮の匂いが混じった夜風は驚くほど冷たい。風通しのいい安物のスーツでは、寒さもしのげない。


 残業代わりにと任されたのは、夜9時までに埋立地の突端にある運送会社へ荷物を届けるという仕事だった。


 最終便に間に合わないと、出張先の上司が取引先で赤っ恥をかくらしい。いつも怒られてばかりのダメダメ新入社員としては、汚名返上のチャンス。大いにはりきったのは言うまでもない。


 電車を乗り継ぎ、駅からタクシーを急がせ、運送会社についたのはタイムリミットの5分前。まさに間一髪で、俺は与えられた任務を見事達成した。


 と、そこまではよかったのだが。

 会社の外に出たところで、帰り道がわからないことに気づいたのだ。

 今思えば、その時点で運送会社に戻って、帰り道を聞くなりタクシーを呼ぶなりすればよかったのだが、そこで俺の悪い癖がでた。


 ま、なんとかなろうだろう。

 そんな軽い気持ちで、つい歩きはじめてしまったのだ。


 何か1つ上手くいくと、調子に乗って、つまらないところで失敗する。

 つまり、無敵になった途端にダッシュして、落とし穴に落ちるという例のパターンは、昔っから俺の得意技だった。


 冷静に考えれば、夜の埋立地なんてタクシーも流して走らない場所だ。

 実際、オレンジ色の街灯が照らす2車線の道路には、車の1台も通らなければ、人の姿もない。


 さらに悪いことに、コンビニもなければ、スマホの電波まで圏外だ。

 山奥の温泉でさえ電波が届く時代に、まさかこんな場所があるとは驚きである。


 そして、運を頼りに歩くこと15分。

 俺はようやく、こちらへ向かって歩いてくる女性を発見した。


 だが、時間と場所を考えると、あらぬ誤解をされそうで怖い。しかし、このチャンスを逃すわけにもいかない。

 迷った末に、意を決して顔をあげると、俺は自分の目を疑った。道端の自販機の明かりに照らされたその姿は、制服姿の女の子だったのだ。


 そして、その女の子は、戸惑う俺の前で立ち止まり、こう言った。

「あの、すいません。駅って、どこですか?」




「俺も、それが知りたいんだ」

 照れ隠しに、遠まわしな答えを吐く俺。

 暗がりでも目立つほどの濃いギャルメイクをした彼女は、茶色の髪先をうっとおしそうにかきあげて、軽く眉をしかめた。


「まぁ、つまり、あれだ。俺も道に迷ってる」

 多少の気恥ずかしさを感じつつ、俺は白状した。


「マジっすか?」

 その瞳が落胆の色に染まる。

 がっくりと肩を落とす彼女に、俺は乾いた笑いでお茶をにごした。


「あーもう、これで帰れると思ったのに。っていうか、マジで足疲れたし」

 ふてくされた表情で、彼女はガードレールによりかかり、短くしたスカートで無防備に靴下をなおしはじめる。


「何がいい?」

「はあ?」

「冷えるだろ。コーヒーでいいか?」

「じゃあ、ミルクティで」


 大人の男として見得を張ったわけではない。

 なんだか、この笑える状況を楽しんでみたい気分になったのだ。


「それって、乗ってきたタクシー待たせておけばよかったんじゃ……」

「そうなんだよな」

「うわ、おにーさん、ダサッ」


 缶コーヒーを片手に、道に迷った経緯を話して聞かせると、彼女は遠慮なく笑った。その社交的な(あるいは遠慮のない)性格に助けられ、俺たちの間に少し打ち解けた空気が流れる。


「それで、そっちは?」

「あたし?」

「なんで高校生が、こんな時間にこんな場所で道に迷ってるんだ?」

 俺の問いかけに、彼女はすこし間を置いてからゆっくり話し始めた。


「友だちのカレシがやってるバイクショップに、遊びに行ったんだ。でも、そこで友だちとケンカになっちゃってさ……」

 彼女はガードレールによりかかったまま、暗い道の向こうへ目を向ける。


「そんで、1人で帰ろうと思って、適当に歩いてたら、よくわかんない道に出ちゃってさ。っていうか、マジで圏外とか、ありえなくない?」

 彼女はスマホを確認して、ため息をついてカバンにしまった。


「あのさ……」

 2人分の空き缶を捨てて戻ると、彼女はうつむいたまま、ぼそりとつぶやいた。


「なんだ?」

「お、おにーさんなら、2万でいいよ……とか言ったら、どうする?」

 悲しいことに、俺は一瞬で言葉の意味を理解して、全身にぞっと悪寒が走った。


「おまえなぁ」

 少し遅れて、怒りがこみあげてくる。

 目の前が一瞬パッと白くなって、その先の言葉が出てこない。


「ご、ごめん。じょ、冗談だって。ちょっと、からかってみただけ」

 俺の怒りに気づいたのか、彼女は怯えた表情になる。


「笑えない冗談はやめろ」

「ごめん。そうだよね、やっぱ怒るよね。それで、いいんだよね」

「当たり前だろうが」


「あたしもね、怒ったんだ。友だちが、そういうことしてるって知って。久しぶりに、マジで怒った。でも、あたしバカだから、全然うまく言えなくて……」


 そのまま、彼女は黙りこくってしまう。

 俺は俺で、やりどころのない怒りを持て余して、ガードレールをつま先で蹴る。


「なんで?って言われても、うまく答えられないんだけどさ。でもやっぱ、ダメだと思う、そういうのって。それに、簡単にお金もらえちゃったらさ、絶対、頭おかしくなっちゃうよ」


「レベル99でゲームはじめるようなもんだ」

「あ、それ、いい例えかも」

 その声が、少し泣きそうに震えていた。




 夜空に満月が出ていた。

 それで、方角がわかるほど賢くはない俺である。


 もう少し、いろいろと勉強しておくべきだった、と思う。

 だけど、それを高校生の俺に言ったところで、聞く耳は持たないだろう。

 後輩の不始末を先輩がフォローするようなもので、今の俺が、なんとかしてやるしかないのだ。


「とにかく、じっとしててもはじまらない。歩いていれば、どこかには着くさ」

 そんな気休めに、彼女は笑ってうなずく。

 そうして俺たち2人は、見知らぬ道をあてもなく歩きだす。


「ねえ、月給っていくら?」

 黙って歩くのも退屈だと、話題を探す俺に、彼女はど真ん中ストレートを投げつけてきた。


「言っておくが、俺は今年入社のピッカピカの新人なんだ。つまり、いわゆる初任給の、それも税金とかいろいろ引かれた後の金額だからな」

 俺は正直な額を答え、最後にそうつけくわえる。


「ふーん。週に5日も働いて、そんなもんなんだ」

「これでも、マシな方だよ。ま、バイトしてた頃はもっと稼げてたけどな」

 貯金くらいしておけよ、過去の俺。

 嗚呼、さらば素晴らしきバイトの日々よ。


「仕事は、楽しい?」

 またしても遠慮のない、ストレートな質問が俺を襲う。


「わからん。仕事に慣れるのに必死だし、怒られてばっかだ」

「そっかー。あたしも、先生に怒られてばっかだし。あたし、ちゃんと大人になれんのかなぁ?」


「あと2、3年もすりゃ20歳だろ?」

「そういう意味じゃないって」

 わざとはぐらかす俺に、彼女は不満そうな表情をみせる。


「あたしさー、つまんない大人にだけはなりたくないんだよねー」

 その言葉にドキリとした。

 かつて、俺も同じ言葉を吐いた。

 そして、今でもその思いは変わらない。


 俺は、はたして「つまらない大人」になってしまっただろうか。

 少なくとも、そう問い続ける大人でいたいと思う。


「ねえ、どうしたら、つまんない大人にならないでいられる?」

「そう信じるしか、ないだろうな」

 それは、自分自身に向けて言った言葉だった。


「信じるって何を?」

「つまらない大人になんてならないぞ、面白い人生を生きてやる。そう思ってる自分は、間違ってないって信じるってこと。そこが信じられなくなったら、つまらない大人になっちまう気がする」

 彼女は、真剣な表情で俺を見ている。それに負けじと、俺は言葉を続ける。


「だから、誰が何を言おうと、笑おうと、馬鹿にしようと、そう思ってる自分を信じてればいいんだよ」

 あたりが暗いせいか、それとも知らない相手だからか。酒に酔ったみたいなセリフを吐いている自分が照れくさくなって、俺はそれっきり黙った。


「ねえ、これって、どっちが正解かな?」

 俺たちはT字路に突き当たる。

 右も左も同じような工場の壁で、選ぶ決め手に欠ける。


「どっちがいい?」

「あたしが決めるの?」

「女の勘に任せる」


「そんなんでいいの?」

「いいんじゃね?」

「じゃあ、右!」

 迷いもせず、ビシッと右を指さす。

 そして軽い足取りで、歩きだす。


 こんなんでいいのかな。

 彼女の背中を見ながら、漠然とした不安がふくらんむ。


 まぁ、いいや。

 俺がいいと思ったんだから、それでいいんだ。

 どうせ、何を選んでも、責任は取らなきゃならないんだから。


「やたっ。電波つながった!」

 数メートル先で、笑顔でふりむく彼女。


 まぁ、ほら、なんて言うか。

 歩けば、道は開けるんだよ。


 きっと。

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