青春恋愛短編集【青春編】

あいはらまひろ

星空と姉貴の相対的観測


 相変わらずの安全運転で、車は夕暮れの国道を走っている。


 あまりにマイペースな運転にイライラしているのだろう。さっきから後続のトラックがパッシングしてきていた。隣でハンドルを握る姉貴は、まったく気づかない。面倒なので、俺も無視を決め込むことにした。


 時刻は夜の6時。

 窓を開けると、眠気を誘うような暖かい風が車内に入ってきた。


 桜もすっかり散り、楽しいゴールデンウィークも過ぎて、でも夏休みにはまだ遠い春の休日。こんな日の夜は、マンガでも読みながらベッドでダラダラとしていたかったんだけど。


 春の天体観測会。

 つきあう義理もないし、いつもなら面倒くさいと断固として抵抗するところだ。しかし、俺にもいろいろと考えるところがあって、しぶしぶながらもつきあうことにしたのだった。


「本当に、この道であってるんだろうな」

「大丈夫だって。ほとんど一本道だもの、簡単よ」

「地図も読めないくせに、よく言うよ」


 最近、自分でもあきれるほど、姉貴に憎まれ口を叩いてしまう。

 勢いで言ってしまっては、決まって後悔するくせに、その場になると自分の意思に反して、思ってもない言葉が飛び出してしまうのだ。


「姉貴が、星に興味あるとは思わなかった」

「たまには、ロマンチックなのもいいかなって」

「俺、全然興味ないんだけど」

「会場が夜の河川敷でしょう? 痴漢の人とかいたら怖いじゃない」


 まさか中学生の俺に、本気でボディーガードをさせるつもりもないだろう。つまり、1人じゃ寂しいのだ。それくらい俺にだってわかる。


 とりあえずロマンチックでも何でもいい。外に出かけようって気になったのなら、それはいいことだ。


 姉貴が彼氏と別れて1ヶ月。

 大学生のくせに夜遊びもしないで、1人部屋に閉じこもってばかりいる姿は、弟の俺としても見ていて気持ちのいいものじゃない。


 かと言って、つまらない慰めの言葉なんか言っても、傷に塩を塗りつけるようなものだ。何とか立ち直ってもらいたいものの、なにをどう言ってやればいいのか、さっぱりわからないでいる。


わたるちゃん、財布と携帯持った?」

「持ってるよ。それから、づけはやめろ」

「ダメ?」

「ダメなものはダメ」


 駐車場に車を止めて、日も暮れて薄暗くなった土手を歩く。

 前を歩く姉貴の背中で、長い髪が揺れる。

 子どもの頃から自慢の姉貴だった。俺だって男だから「キレイなお姉さん」は嫌いじゃない。


 でも、6つも年上のせいか、いつまでも俺は子ども扱いだ。

 俺だって中学2年、14歳になる。

 いいかげん人前で俺をちゃんづけで呼んだり、すきを見て手をつなごうとするのは、頼むからやめてもらいたい。


 河川敷には、思ったよりたくさんの人が集まっていた。おそろいのジャンパーを着た人たちも、望遠鏡やテントの準備で忙しそうにしている。


 開始時間にはまだ早いらしい。

 俺たちは土手に座って、しばらく待つことにした。


「ほら、もう星が見えるよ」

「そりゃ、夜だからな」

 両手をうしろについて、見上げた紺色の空に星が光る。

 1つ星に気づくと、2つ3つと見えてくるのが面白い。


「……はぁ」

 隣で、かすかなため息。


 どうせ、星空をながめて「宇宙に比べたら、私なんてちっぽけな存在ね」なあんて、思ってるんだろう。14年も一緒に暮らしているのだ、姉貴の考えくらい手に取るようにわかる。


「ため息つくと、幸せが逃げるぞ」

「ごめんね」

「何に謝ってるんだよ」

「……なんか最近、渉ちゃん意地悪になってない?」

「なってねーし」


「昔は、もっと優しかったのにな」

「今は今で、昔は昔だ」

「優しかったあの渉ちゃんには、もう会えないの?」

「姉貴は、今の俺を否定するのか」

「ねえ、お姉ちゃんって呼んでよー」

「嫌だね」


 ある日、俺は突然「お姉ちゃん」なんて呼んでいる自分に、恥ずかしくなってしまったのだ。

 試しに名前で呼び捨てにしてみたら、かなり嫌がったので、それからは「姉貴」という呼び方で落ち着いている。


 懐中電灯で足元を照らし、俺たちは土手を降りる。

 河川敷に大きなテントが完成し、スタッフジャンパーを着た中年の男性が、集まった人たちに何か説明しているのが見えたのだ。


 気づけば、あたりは真っ暗だ。

 あまり明るくすると、観測の邪魔になるんだろう。あちこちに設置された仮設のライトも頼りない。


 こんなに暗いと、うっかりはぐれても簡単には見つけられないかもしれない。だいぶ天然が入っている姉貴のことだ、注意しておいた方がいいだろう。


「なあ、姉貴。もし、はぐれたら……って、マジかよ」

 ふりむくと、さっきまで後ろにいたはずの姉貴が、もうどこかに消えていた。


「いったい、どこをほっつき歩いているんだよ!」

 携帯を鳴らしても、出やしない。

 俺は留守電に文句いっぱいのメッセージを入れてやった。


 どうせ、そんなに広い会場じゃない。探していれば、どこかで会えるだろう。それに、これだけスタッフがいれば痴漢の心配だってないはずだ。


 まったく、なんで14歳の俺が20歳の姉貴を心配してんだよ。




 姉貴を探して河川敷を歩いていると、近くの暗がりでゴチンと鈍い音がした。


「くぅー痛ったー」

 少し遅れて、女の子のうめき声。


 思わず懐中電灯の光を向けると、三脚の下でメガネをかけた女の子が1人。頭をぶつけたのだろう、しゃがみこんで後頭部をさすっている。


「なんだ、椎名しいなか」

「え? 誰?」

「俺だ、俺。支倉はせくらだ」

「あ、渉くん?」


 俺は懐中電灯を自分の顔に向けて、にやりと笑って見せる。

 クラスメイトのくすくすと笑う声が返ってきた。


「こんなとこで、何やってんだ?」

「そりゃ、もちろん天体観測だよ。天文部員としては、夜に外出できるチャンスはのがせません」

 俺は懐中電灯で椎名の手元を照らし、望遠鏡の設置に手を貸してやる。


「渉くんも、星に興味あったんだ?」

「いいや、全然」

「ありゃ。じゃあ、渉くんこそ、こんなところで何やってるの?」

「姉貴のお供でね」


「へえ、お姉さんと仲いいんだね」

「そうでもねーよ。6つ上だし、俺のことなんて子ども扱いだし」

「わかるなー、それ。うちもお姉ちゃんと歳が離れてるから。あ、もう少し下を照らしてくれる? どうしても上手く三脚が立たなくて」


 ようやく準備が整うと、彼女は大きく伸びをしながら星空を見上げる。つられて空を見上げると、息を呑むほどの満天の星空だった。


「なぁ、椎名。オリオン座ってのはどれだ?」

「オリオン座は冬の星座だよ」

「そ、そうだよな。じゃあ、今はどんな星座が見えるんだ?」

「有名なのは、しし座に乙女座、こぐま座、おおぐま座かな」


「俺、しし座生まれ」

「しし座の場所は……北斗七星はわかる?」

「わからん」

「あのあたりにの形があるんだけど、見える?」

 椎名は、空の真ん中あたりを指差す。


「ひしゃく?」

「神社とかに置いてあるでしょ? 長い棒の先に器がついていて、それで水をくんで手を清めたりするの。あの形に星が並んでるの、わかる?」


 椎名の指差す先を探し、俺はようやく夜空にひしゃくの形を見つける。1度わかれば、次はもう探さなくても見えてしまうから不思議だ。


「ひしゃくの長い棒が、への字型に曲がってるでしょ。そのカーブの延長線上に、オレンジ色の星があるのがわかる?」

「あ? どれ?」


「それが、アルクトゥス。さらに伸ばしていくと、白くて明るい星があって、それがスピカ。この2つを結んで、正三角形をつくるように天頂へ線を伸ばしていくとあるのが、しし座のデボネラで……」

「ダメだ、首が痛てえ」


「あはは。初心者には無理だったかな」

 結局、俺には北斗七星しかわからなかった。


「詳しいんだな」

「星のことだけだよ」

「好きなら、別にいいんじゃね? 俺なんて、何もねえもん」

 そう言うと、彼女はメガネの奥で少し照れくさげに笑った。


「そういえば、お姉さんと一緒にいなくていいの?」

「ああ。気づいたらいなくなってたけど、そのうち会えるだろ」


「はぐれちゃったの?」

「いつものことだよ。あいつ、気になることがあると、まわりのことなんて目に入らなくなるタイプだからな」


「うちのお姉ちゃんも同じ。カメラ持つとまわりのことなんて、全然気にしなくなっちゃうんだ」

「お互い、姉貴には苦労しているってわけか」


 それから彼女は、望遠鏡で月を見せてくれたり、去年の秋に観たというしし座流星群の話をしてくれた。目を輝かせて好きなことを話す彼女の姿は、うらやましいほど楽しそうだった。


「ねえ、渉くんは宇宙人っていると思う?」

「いたら面白いだろうなとは思うけど、たぶんいないんじゃね?」

「私は、いると思う。でも、どっちにしても奇跡だと思うな」

「どっちにしても奇跡?」


「だって、知的生命の誕生が地球以外でも起きてたら、それって奇跡でしょ?」

「まあ、そうだろうな」


「だけど、宇宙には数え切れないくらい星があるの。もし、その中でたった1つだけ、地球だけに知的生命がいるなら、それってやっぱり奇跡でしょ?」

 思わず納得してしまう。

 でも、うまく言いくるめられた気がして、意地悪く言い返してしまう。


「宇宙にとっては、人間なんていてもいなくても同じなんじゃね?」

「んー、そうかな? 私は星空を観ているとね、人間ってすごい存在なんだなーって思うんだ」


「普通、それって逆なんじゃない?」

「ううん。だって、光の速さで何百万年もかかるところにある星を、地球にいながらレンズ数枚で見つけだして、しかもそれを観測してるんだよ? 人間って、すっごいことをする存在だなーって思う」


 力説する椎名に、俺は素直にうなずく。

 そうだな。

 人間は、ちっぽけな存在なんかじゃない。




 しばらくして、ポケットの中で着信音が鳴った。

 予想通り、姉貴からだった。


 時計を見ると、もうあれから1時間が過ぎていた。

 そろそろ帰るつもりらしい。迷子になったのは俺の方だと言い張る姉貴に、俺はひと通り文句を並べると、駐車場で落ち合う約束をする。


「お姉さんから?」

「そう、迷子の迷子の姉貴から。まったく、世話がかかるよ」

「ふふふ」


「椎名は? まだここにいるのか?」

「うん、あと少しだけね」

「そっか。じゃあな。夜道、気をつけろよ」

「うん、ありがと。バイバイ」

 笑顔で手をふる椎名に軽く手をあげ、俺はその場を後にした。


「キレイな星、見れた?」

 駐車場、エンジン音が響く車内。

 運転席に座る姉貴の横顔は、どこか冴えないままだ。


「ああ。北斗七星もわかるようになった」

「へえ。じゃあ今度、教えてね」

 姉貴はそう言って、フロントガラス越しに星空を眺める。


「……なぁ、姉貴」

「なあに?」

「いや、なんでもない」

 いざ言おうとしても、本人を目の前にすると照れくさい。


「まだ怒ってるの? 私だって、あちこち探したんだよ? まぁ、電話を車に忘れてきちゃった私がいけないんだけど」

「別に、怒ってない」

「じゃあ、何? 言いたいことがあるなら、言ってよ」


 過去の出来事をひきずって、ロマンチストにもほどがある。

 悪いけど「憂うつなお姉さん」は好きじゃないし、そろそろ立ち直ってもらわないと、俺だって落ち着かない。


「全然、ちっぽけなんかじゃねーぞ」

「え?」

「だから、ちっぽけなのは悩みの方なんだ。誰がなんて言おうと、姉貴は、ちっぽけな存在なんかじゃねえんだからな」


 姉貴は何も答えず、黙って車をスタートさせた。

 しかし、走り出してすぐに路肩に止めてしまう。不審に思って隣を見ると、妙に晴れ晴れとした表情で俺を見る姉貴がいた。


「ねえ、わたる……」

「な、なんだよ。変な顔して見んな」

「今の、かなりカッコよかったよ。ありがと」


 まったく、こういう姉貴を持つと疲れる。

 でも、こうやって姉貴を心配してやれるのは、今のところ俺しかいないのだ。俺しかいないのなら、少しくらい頑張ってもいい。


 姉貴は軽く鼻をくすんと鳴らし、目尻をそっとこする。

 相変わらず涙もろい。


 知らんぷりして、窓の外に広がる星空を見る。

 さっき見つけた北斗七星が、夜空にキラリ、輝いていた。


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