第4話

 


 お姫様に憧れた。

 王子様が欲しかった。


 可愛い佳奈。無邪気な佳奈。佳奈はみんなのお姫様。


 …………私は?




 妹の佳奈は子供の頃から綺麗で可愛いかった。

 長女気質で聞き分けの良かった私は、ともすれば両親にすら忘れられがち。みんなが佳奈を見る。みんなが佳奈に夢中。隣にいる私の事には、誰も気付かない。


 佳奈は意地悪だった……私にだけ。

 歳の離れた私が怒らないのを良い事に、私の物を欲しがり、自分の仕事を押し付け、自分は好きな事だけをする。

 大人になってもそれは変わらず、地味でいつも人目につかない所にいる私を馬鹿にし、嫌味ばかりを口にした。


 それでも私は佳奈が結婚して家を出て行った時、悲しかった。寂しかった。

 私を忘れないのは、私を見つけてくれるのは、佳奈だけだったから。



 不幸は重なるもの。



 佳奈が居なくなってすぐ、旅行先で両親が事故に遭った。父の死に目には会えなかった。母は二度と歩けない身体になった。

 悲しいかすらわからなかった。佳奈の泣き喚く声を聞きながら、淡々と全ての処理をした。


 静かな暮らしに慣れ始めた頃、産まれたばかりの赤ん坊を抱いて佳奈が転がり込んできた。

 驚いた。父の葬儀と事故の処理、母の看護に手一杯で、妹が妊娠していた事にすら気付かなかった。

 私は妊娠中に浮気されたから離婚するという佳奈を諌めなかった。


「あたしは働くからこの子の面倒見てよ」


 そう言って手渡された赤ん坊は柔らかく、佳奈と同じく我が儘で、私はあっという間に夢中になった。

 手をかければ手をかけるだけ返される愛情。佳奈の子なだけあって、赤子の頃から綺麗な男の子。お姫様の子供はやっぱり王子様だった。


 かいがいしく介護する私に母は感謝する。

 甥は実母以上に私に懐いている。

 妹は相変わらず我が儘で理不尽だったが、幸せだった。


 お姫様は市井しせいの暮らしに苦労しているようだった。仕事に馴染めず、何度も職場を変えた末に辿り着いたのは夜の仕事だった。

 さすがにこれには私も反対した。元々生活には余裕があったし、父のかけていた保険も下りている。生活費と春樹の学費ぐらいは私と母でなんとかすると言っても、佳奈は「今は借りているだけ」「働いて返す」と言って聞かなかった。


 佳奈が夜の仕事に就いてから、佳奈の前夫が頻繁に訪れるようになった。

 それまでは外で会っていたらしい。佳奈を幸せに出来ない私を非難しているのだろう。


 いつか、佳奈と春樹はあの男に奪い返される。


 私は男が来る度に春樹を連れて家から逃げ出した。せめて、今すぐ春樹を奪われないようにと。




 母が死んだ。




 遺言により遺産の殆どは私が受け継ぐ事になった。それでも佳奈にも充分な額の分配があった。母の死は悲しかったが、これで夜の仕事を辞めてくれるだろうと私は安堵した。


 だけど、佳奈は泣き腫らした目で前夫を連れてきた。


 彼が言うには、両親の事故の後佳奈は妊娠中にもかかわらず、実家に帰ると言ってきかなかったらしい。このままでは姉は母の介護だけをして、自分の幸せを諦めてしまう。母が死ねば一人になってしまうと。


 そんな無茶が通るはずもなく、揉めているうちにしゅうととの関係が修復不可能にまで拗れた。結局佳奈は出産後、望み通り嫁ぎ先から放り出されることになる。夫の浮気というのは嘘だった。

 佳奈の前夫は大量の釣書を差し出して、「結婚しろ」と私に言った。甥をあれだけ可愛がり、立派に育てた私なら幸せな母に必ずなれると。


 そして、妻と息子を返してくれと畳に額を擦りつけた。舅も鬼籍に入った。必ず幸せにするから、二度と妻と息子に会わないで欲しいと。

 私と佳奈は……お互いに依存し過ぎていると。


 私は彼に一つだけ聞いた。

 佳奈のどこをそんなに愛しているのか、と。


 可愛いのだと彼は言った。

 我が儘も嘘も全てが下手くそで、好きな子をいじめる小学生より気持ちを隠せない佳奈が、可愛くて仕方ないのだと。



 ああ。この人は私と同じだ。


 私は彼の望みを全て受け入れ、佳奈と春樹の前から姿を消した。



 子供は好きだが、前妻との間には授かれなかったという初老の男性の後妻に、私は納まった。私も若くはなかったし、子が出来なければ養子を考えようと言ってくれていたのが有り難かったからだ。

 あっという間に二人の子に恵まれたのは嬉しい誤算だった。子供は可愛く、夫は歳の離れた妻に甘くて優しい。幸せだった。


 佳奈の夫の言葉は正しかった。

 彼の元で佳奈も春樹も幸せに過ごしているだろう。そう思って穏やかな日々を過ごした。




 手紙が届いたのは長男が九つになった時だった。

 私宛ての切手も住所も無い手紙。差出人の欄にある『春』という文字に目眩がした。


――僕はいつまでも真理さんの味方だからね。助けが欲しい時には必ず呼んで。


 手紙の内容は、たったそれだけ。

 その日が春樹の誕生日で、彼が二十歳になったであろう事を私は思い出した。


 大人になった春樹が何を考えているのか、何が起きるのか。誰にも相談することが出来ずに不安な日々を過ごしたが、特に何かが起きる事はなかった。

 質の悪い悪戯か、深い意味はなかったのだろうと胸を撫で下ろす。そして日々の生活に紛れて手紙の事など忘れてしまった一年後


 同じ封筒が届いた。


 恐ろしかった。あれから十年以上経つのに。あの時春樹はまだ子供だったのに。

 手紙以外の事は何も起こらない。

 大丈夫。いずれ飽きる。きっと突然姿を消した私に腹を立て、恐がらせようと思った悪戯だ。そう必死で思い込もうとした。


 三通目の手紙を受け取った時、耐え切れずその場で崩れ落ちて泣いた。

 憔悴し、笑えなくなった私を家族は心配したが、手紙の事を打ち明けることは出来なかった。そして一年後


 四通目の手紙は来なかった。


 飽きたのか。それとも泣き崩れた私をどこからか見ていて満足したのか。

 どちらでも良い。私は心底安堵し、また笑えるようになった。




 再び穏やかで幸せな月日が流れ、夫が天に召された。

 年齢の事もあり、覚悟はしていた。おかげで比較的落ち着いてその日を迎える事が出来たが、さすがに少し気落ちした。

 それがまずかったのだろう。ぼんやりしていたせいで事故に遭い、右足を骨折した。

 私は足を引きずるようになり、階段を自力で登れなくなった。


 介護の辛さは良く知っている。まだ若く結婚もしていない子供達に、自分の世話をさせるつもりはない。

 夫は充分なものを残してくれていたし、自分の財産もある。少し早い気もしたがホームへの入所を私は希望した。



 そして、私は春樹と再会した。



 名前を聞いた時は、頭が真っ白になった。

 同性同名の他人であることを祈ったが、見覚えのある泣き黒子に絶望した。

 熱の篭った視線に混乱し、言葉の出ない私に「男前だから見とれちゃった?」と、傍らにいた医者が軽口を叩いた。



「王子様」



 咄嗟に、何もわからない老人の振りをした。


 春樹の目が驚きに見開かれた。

 医者は笑いを堪えて彼は使用人だと言う。


「そうですか……はじめまして」


 ぎこちなく挨拶すると春樹は一瞬の動揺を見せ、顔を背けた。

 傷付けた気がして胸が痛んだが、彼がこちらに向き直った時の表情に、背筋が凍った。


 彼は心の底から嬉しそうに、笑っていた。




「僕の事はハルと呼んで下さい」

「姫の幸せをいつも願っています」

「可愛い……僕のマリー」


 誰にも知られないように少しづつ。春樹は私をマリーという名のお姫様にした。

 春樹との間にあった事を子供達に知られたくない私は、それを受け入れた。痴呆が進み、空想と現実の区別のつかない老人の振りをした。


 怖かったから。恐ろしかったから。


 ハルはマリーをこの上なく大事に扱った。

 かいがいしく世話をやき、私が笑うと頬を染めて微笑んだ。私は彼の惜しみない愛情と、病的な執着心を知った。


 親子以上に歳の離れた老女に向けられた、恋情に近い愛情。

 受け入れる事など出来なかった。誰にも知られるわけにはいかなかった……春樹の為にも。


 今でも夫を愛していた。

 子供達を愛していた。

 春樹が怖かった。

 だから、何もわからない振りをした。




 …………本当に?




 だったら何故、私はハルを使用人から王子様したんだろう。

 何もわからない振りをするにしても、王子と姫の設定に付き合う必要なんてなかったはずだ。


 ハルはかいがいしくマリーの世話をする。

 マリーが笑えばハルも笑う。


 私は、何故笑う事が出来るんだろう。






 可愛いマリー。無邪気なマリー。マリーは僕のお姫様。


 お姫様に憧れた。

 王子様が欲しかった。


 ……私の右側は、いつも暖かい。


 

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マリーの右側はいつも暖かい 千松 @senmatsu

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