W U N D E R B A R【休載中】

叶 遥斗

第1話 垣根を嗤う魔女



「私と契約をしろ」



 それは突然だった。月光の射し込む庭を歩いていると前方に人影が現れたのだ。私有地に見知らぬ人影、それもうら若き少女と思われるシルエットだ。


 不審、というよりは意外。警戒心はさほどわかなかったが疑問は尽きない。



 足を止めてしばし観察をした。


 異常に大きなツバのついた帽子をかぶっている。顔はわからないが長い髪が腰の辺りをこえていた。南瓜のように膨らんだスカートから細い足が二本。


 背後からの月光をうけて煌めく細い線。まるで針のようだ。



「この俺に言ったのか」


「そうだ。貴様以外に今は誰もいないだろう」



 少女の姿形をしてはいるがよほど年長者のような貫禄で上から物を言う。



「レオンハルト・クルツバッハ。この私と契約をしろ」


「ではまず名乗ってもらおうか。話はそれからだ」



 そよ、と風が吹き抜けた。暖かくも冷たくもない夜の静かな空気を感じた。



「私は東の魔女マギア。そんな忌み名しか持たぬ故、名乗りは出来ぬ」



 東の魔女マギア。それは名前以上に身分を明かす名乗りだった。レオンハルトは微かに息を飲む。何故突然目の前に魔女ヘクセ、それも大魔女マギアがいて契約を迫るのか。理解が出来ない。



「……契約とは何だ」


「そうだな。貴様が私と契約をするならば、私はこの命の限り貴様に知恵を授け盾となろう」



 ますますもってわからなくなった。東の魔女マギアといえば世界有数の最上級魔法の行使者であるはずだった。魔法使いや魔女ヘクセに特別詳しいわけではないが、この世界の住人であれば東の魔女の存在を知らぬ者はまずいない。



「東の魔女がこの俺に知恵を授け、そして盾となる……ならばその見返りとして俺はお前に何を?」


「うむ。ではとりあえず名前でも付けてもらおうか。それで私は貴様のものだ」



 リスクがなさすぎる。レオンハルトは失笑した。



「わからんな」



 東の魔女の企みが。契約を交わす意味が。



「何故この俺と契約を?」


「私が占った。主君と仰ぐべきは誰か、を。ちなみに私の占いは未だ外れたためしがない。──レオンハルト。私はこの世界を憂いている」



 こつ、とヒールを鳴らして横を向いた東の魔女の顔が月光に照らされ漸く見えた。凛とした眼差しは彼方を見ている。



「今この時代の魔法使いたちロイバァヘクセを貴様はどう思う」


「どう、とは。魔法使いに敗れた赤狼騎士団グラナトヴォルフオルデンの関係者たる俺に聞いているのか」


「そうだ。魔法使い奴らの蛮行は目に余る。貴様はどう思う」



 目線だけをこちらに向けて東の魔女は不敵な笑みを浮かべた。大きなツバの上に光る二つの丸い小さなレンズ。アレはよく魔法使いヘクセが好んで身に付けているゴーグルだ。



「魔法使いにおくれをとらぬ騎士団をつくれたとしたら、貴様はどう思う」



 答えは聞いていないのだろう。東の魔女は背を向けて歩き出した。レオンハルトの屋敷に迷いなくまっすぐ向かっている。



「私と契約をしろ、レオンハルト。世界を、奴等の好きにさせてたまるか…!」




 遅れて歩き出したレオンハルトは東の魔女を悠然と追い抜き先導するように行く。


 夜の闇に紛れてアプローチでの待ち伏せなど。本来ならばそれは問答無用で斬り捨てられても文句は言えないはずだが、あまりに堂々としている魔女は大物かペテン。だがどちらでもいい。


 花の香りが途切れるところまで来ると、レオンハルトはそのまま魔女を屋敷へ招き入れた。開いた扉の向こうにはエントランスと片側だけ明かりが灯る薄暗い廊下が広がっている。


 と、そこへ一人の少女が廊下の奥から小走りに駆けてきた。



「おじ様、おかえりなさいませ」



 東の魔女は足を止め、少女とレオンハルトを見た。少女は裾の長い寝間着を着ている。好奇心に満ちた眼差しが東の魔女を振り返った。



「今日はお帰りが遅いので心配しておりました。そちらは新しい子ですか?」



 新しい子、といわれ東の魔女は目を瞬いた。



「ラーエル。話はまた今度だ。今日はもう部屋で休め」



 レオンハルトの低い声は静かに闇にとけていく。薄暗い廊下が少女を呼んでいるようだった。ラーエルは肩をすくめてはにかんだ。



「……はぁい。おやすみなさいおじ様」


 長い裾を摘まんでペコリと一礼するとまたラーエルは小走りに元来た道を戻っていった。その背中を見送ってから東の魔女は小さく息を吐いた。



「レオンハルトおじ様、な。確かまだ妻子持ちではなかったはずだから実の娘でないのはわかったが」


「無論だ。今この屋敷には十三人の娘たちを預かっている。親を亡くしたり家が取り潰しになったりして家族で養うのが難しい場合俺が後見人として保護している、赤狼グラナトゆかりの者たちだ」


「つまり――魔法使いロイバァによる被害者たちだな」



 東の魔女が目を細めた。



「そうだな。魔女ヘクセに恐れを抱く者たちだ。迂闊にお前の身分は明かせまい」


「だが貴様の屋敷に住み着くには問題あるまい。『新しい子』の一人や二人増えたところで誰も気にはしないだろう」



 レオンハルトはラーエルが向かった先とは違う廊下を進みながら思案する。



「どうだかな。ディートリヒに限ってはそう簡単に済まぬかもしれん」




 レオンハルトの屋敷は、クルツバッハ領の一角にある。領主であった父の城からほど遠くない場所には弟ディートリヒの屋敷もあった。同じ赤狼騎士団の内情に詳しいディートリヒがどこの者ともわからぬ東の魔女を見逃すとは考えにくい。難色を示したレオンハルトに東の魔女は涼しい視線を送った。



「まぁよい、それはおいおい考えよう。今はもっと急を要する問題がある」


「ほう?」



 たしかに問題はいくらでもありそうだった。魔女と騎士団は今や敵対勢力、問題がないはずはない。だがレオンハルトの予想だにしないことを東の魔女は口にした。



「ここへ来るに至るまでに魔力を消費し過ぎた。私はこれより16時間の完全睡眠に入らねばならない。よって、レオンハルト。貴様が私を16時間の間死守せよ。契約はそれからになる」



 レオンハルトは目を疑う。みるみる色を失い白へと変貌していく東の魔女を目の当たりに言葉をなくした。髪といわず肌といわず、睫毛の先にいたるまで何もかもが真っ白へと消えていく。薄暗い中にあってまるでそこだけ淡く映る。



「武器はあるな。では頼んだぞ」



 まるで紙にでもなってしまったのかと思った瞬間、──それは東の魔女がレオンハルトの腰に帯刀した剣に目をやり最後の呟きを落としたあとだった。ぷつりと糸が切れた操り人形のように東の魔女はその場に崩れ落ちた。慌てて抱えあげたがほとんど存在を感じられない。


 生きている人間を抱えているとは思えない手応えのなさから、まるで壊れ物を扱うように慎重になる。死守せよとは壊すなという意味であったろうか。いや、そうであればわざわざ剣を確認はしないだろう。



(死守――何からだ?)



 レオンハルトの屋敷にあって一体何が東の魔女を襲うというのか。だがその答えはすぐにわかった。


 薄闇の壁や床や天井に違和感を覚え、東の魔女を抱えたまま剣を抜いた。何か。視覚で未だとらえぬ何かが微かにうごめいているような気配。足早にレオンハルトは自分の寝室へ向かう。


 この屋敷へ押し入るような賊などまずいない。相手が真っ当な人間であるなら、だ。だが違う。東の魔女を狙うのはレオンハルトでははかりしれぬ未知の何かに違いない。




 自室の扉を閉ざし惜しむことなく明かりをつけ寝台に東の魔女を横たえた。影すら落ちぬほどに白くなった不自然な魔女も異様だが、扉の向こうの闇から何かが迫っている。ざわざわ。音ではないがそうした気配が感じられるのだ。



(16時間、か)



 失笑。ほとんど無意識に剣を構えつつレオンハルトは思考をめぐらす。まったく面識のなかった東の魔女、それも真実かすらわからぬ自称東の魔女。随分と面倒を押し付けられたように思うが己が騎士であるが故か不思議と嫌な気はしない。むしろ迫り来る未知の何かとの戦いに高揚する自分もいる。レオンハルトは魔女に対してか自分に対してか、ひどく可笑しい気になる。受け入れてしまえる不思議。父を亡くし、魔法使いに対し打つ手がなく、皆絶望し落胆し憔悴しきった中に突如現れた東の魔女はレオンハルトにとって喉から手が出るほど欲しい逸材かもしれないという期待。何より、レオンハルトを信頼し微塵も疑いを見せないのだこの魔女は。騎士である自分が無防備な魔女を殺すとは思わないのか。



 扉の隙間からシミのような黒いものが入り込んで来た。見たことのない何かが何なのかはわからないが生物とは思いにくい。不定形の影と形容するのが正しいかはわからないが、黒いもやのようにうごめくそれは次々数を増した。大小様々だが、どれも二つの目とおぼしき穴と口がある。



『魔女……魔女……血肉ヲ……』

『東ノ魔女ハ……』

『……喰ラエ……喰ラエ……』


「つまりお前たちから死守せよということだな、」



 影たちの囁きにレオンハルトは一人納得した。東の魔女が剣を見て安心したのなら、この影たちは剣でも相手に出来るのだろう。




 いつもであれば赤狼騎士団の仕事で出歩くことがほとんどである。夜を徹して16時間、簡単に付き合えることではない。だが、なんたる偶然――あるいは必然、明朝からレオンハルトは休暇をとっていた。そんなことは滅多にあることではない。しかしさすがに連日気を張り詰めることが多かったためにディートリヒに半ば強引に休暇を押し付けられていた。東の魔女はそうした時期すらも占いで予期していたのだろうか。



 東の魔女めがけ一斉に影たちが飛び込んで来た。レオンハルトの振るう剣が光の線を描いた。死守、――眠れる姫君の護衛とは騎士として誇れる仕事である。



「どうした影ども。ただの一撃で怯んだのか?」



 口許には笑みが浮かぶ。目は笑っていないが。レオンハルトの敵というにはあまりに骨がない影たちに挑発の言葉を投げ掛ける。



「そんなに弱いのでは眠ってしまうぞ」



 むしろ影たちにとってはそれこそが狙いなのか、最初の襲撃以来部屋の四隅に集まってざわざわしている。



「お前たちは一体何だ。どこから湧いた。この俺の屋敷に侵入したのだ、それくらいは答えろ」


『東ノ』

『喰ラエ』

『屋敷』

『魔女ハ喰ラエ』


「東の魔女を食いたいか。先にこの俺を倒せよ?」



 言葉を喋りはするがあまり知能はないのか、同じ言葉を繰り返すかこちらの言葉を繰り返すか、どうにも使う言葉は少ない。教えでもすれば何かやりとりも出来るようになるかもしれないが今はその必要もなかった。



「張り合いがないな、そんなことでは到底魔女にはありつけんぞ」


『魔女ハ喰……』

『東ノ……』



 囁きは次第に小さくなって最早聞き取れない。ただざわざわと耳障りな雑音が残る。



「諦めたのなら早々に立ち去れ。不快な奴等め」


『不快……不快』

『……ラエ……』



 こんな奴等が相手でも今の東の魔女ではあまりに無防備。むしろこの瞬間も生きているのかすら不安だ。レオンハルトは寝台に横たえたままの東の魔女の首筋に指をあてた。ひどく弱々しい微弱な脈をかろうじて感じる。



「長い夜になりそうだな」



 レオンハルトは呟いた。




 東の魔女が再び目を開けた時、すでに陽は正午を優に過ぎていた。明るい陽射しが部屋に差し込み穏やかな午後を演出している。傍らに木製の椅子に腰掛けたまま眠るレオンハルトの姿を見て思わずクスリと笑みが溢れた。



「苦労をかけたな」



 身を起こし眠れる頬を撫でてやると、瞼が開き薄い灰碧の瞳がこちらを見た。


 目を覚ましたレオンハルトが最初に見たのは艶やかな黒髪。東の魔女は最早白ではなかった。



「昨晩も黒髪であったか?」



 月光だけが頼りであったために白になる以前の色がよくわからない。



「いや。これが本来の私だ。昨夜は魔力が尽きていたから恐らく白銀の髪であったろうがな」



 魔力で色が変わる原理はわからないが、血色のよい肌に安心感を覚えた。黒髪と同じ黒い色の瞳をしている。そうか、これが東の魔女か。



「あらためてはじめまして、だ。レオンハルト、よくぞ私を死守してくれた。礼をいう」


「あまりに骨がない影たちだった。アレは一体何なのだ」



 レオンハルトの戦いは実質睡魔との戦いだった。苦笑するレオンハルトに東の魔女も笑う。



「アレは魔法生物マギティーアだ。アレを元に使い魔などを作ることが出来る。通常魔法使いにとってはとるにたらん素材にすぎぬ。が、昨夜のような完全睡眠に入ると奴等に喰われる」


「そのようだな」



 レオンハルトは握ったままだった剣を鞘に納め卓上におろした。体を動かし筋肉をほぐすがどうにもだるい。



「お前のことを信じたわけではないが、」



 レオンハルトは東の魔女と目もあわせず話を続けた。



「悪い気はしていない」



 東の魔女はしなやかなレオンハルトの筋肉を見ながら呟いた。



「私と貴様の相性は占い済みだからな。そんなことははなから心配などしていない。それはそうと……」



 レオンハルトは東の魔女を振り返った。じっとこちらを見ている魔女の視線に気付く。



「実にいい肉体をしているな。思わず皮を剥ぎ筋肉を削ぎ骨をバラしたくなる」


「それらは一つになってこそ意味がある。バラされては役に立つまい」


「それもそうか。そうだな。役に立ってもらうぞレオンハルト」



 確か。記憶違いでなければ東の魔女は主君となる人物を求めて現れたはずだ。



「お前が俺の役に立つのではないのか」


「互いにだ。そうでなくば成り立たんだろうが。利害関係の一致である」


「……つまり、お前が盾で俺が剣であるということか。なるほどな」




 昨日までは夢にも思わなかったはずだ。敵対するはずの騎士と魔女が小さな円卓を囲み共に食事をした。言葉を交わし視線を交わし、何も隠さず何も臆さず。こんなことはあり得るのだろうか。


 だが東の魔女は説明を大雑把にはしょりながらも、ありのまますべて語る。問えば答える。淀みも迷いもなく。飾らず偽らず、気取らず気負わず。



 同じ騎士と話すよりもずっと気楽にさえ思う。悪意や執着さえ馬鹿らしいと思える。なるほど、相性は確かにいいらしい。



「名を考えた」


「私の名か。よし、いいぞ言ってみろ」



 東の魔女が子どものように目を輝かせた。口許にミルクがついてもいたからそれを拭ってやると慌てて自分で拭きだした。



「実は子どもか?」


魔女マギアだ。歳は関係ない!」



 意味はよくわからないが、東の魔女は不服そうだ。



「リーナでいいか」


「よいぞ。えらく長い名を付けられたらどうしようかと思ったが、素晴らしく短い!」


「では決まりだ」



 何気なく言ったレオンハルトに対し、東の魔女は立ち上がる。



「汝レオンハルト。我に名を与えし者よ。ここに魂の契約を結ぶ。」



 首からさげていたネックレスで指先を切り、滴る血をレオンハルトのグラスに落とすとリーナはニッコリと笑顔で促す。



「呑め」



 一気に食欲が失せた。せめて食事を終えてからにすればよかったと後悔したがいまさらだ。


 琥珀色のワインに浮かぶ真紅の血液は小さな薔薇のように浮かんで揺れている。レオンハルトは一気にあおり喉の奥へと流し込んだ。



「今この瞬間から私は貴様のものだ、ありがたく思えよ。貴様の命が尽きる時、私の命をくれてやる。一度きりだ、無駄に死ぬなよ」


「では契約はその時に終わるということか?」


「そうだ。貴様が私を重荷と思ったならば自害すればいい。それで貴様は私から解放される。何ら損はないであろう?」



 ふふん、と勝ち誇るようなリーナにレオンハルトは不満な表情を見せた。



「無論私が先に死んだ場合も貴様は自由になる」


「俺はこの先、お前の力が必要だ。お前から解放されたいなど思うくらいであれば最初から契約など交わさぬ」



 ハッキリと断言したレオンハルトにリーナは数秒言葉を止めた。



「――そう。そうだな。それでこそ私が選んだ主君シュヴェアトだ」




 レオンハルトは一度こうと決めたら必ずそれを貫き通す石頭なところがあった。詳しい事情も聞かぬまま及んだ契約であれ、自分の意志で受け入れた以上はそう簡単に心変わりなどない。自らの命も魔女リーナの命も、絶やすつもりは毛頭なく、むしろ護るべきものが増えたという想いだ。



「魔法使いらに。対応する手立てがあるらしいな」



 先の魔女の口振りでは、今の無力に等しい騎士団が無力ではなくなると聞こえた。レオンハルトのもっぱらの関心はそれに尽きる。魔法使いらは無敵といえる存在だ、そして傍若無人な悪行が横行しているのが現状。治安を護るべき騎士団が役に立たないのだからそれも仕方ない。



「この現状をどう打破出来る」


「なに。簡単なことだ。貴様ら騎士は魔法使いを知らなさすぎる。この私が知恵を貸すのだからいくらでも魔法使いなど蹴散らせるのは当然」



 しかし。魔法使いとは何とも不思議な力を使う。知らないと言えばそのとおりだが、それはあまりに不可解だ。



「いかに魔法使いといえ無敵なわけではない。むしろ私からいわせてもらえば奴等は下等。あまりに下等」



 東の魔女と畏れられるだけはあって、確かな自信をもってリーナは胸を張った。容姿が幼くいまいち信頼に欠けるがレオンハルトは一先ずその言葉を信用した。



「だが今の赤狼騎士団は魔法使いに対して強い嫌悪を抱く者が多いだろう。この俺のようにすんなりとは話は通らないはずだ」



 特に弟のディートリヒだ、とレオンハルトは苦い顔をした。


 魔法使いたちに対抗しうる手段として東の魔女を仲間にする。そんなことがそうそうすんなりと受け入れられるわけがない。何故ならば赤狼騎士団の総帥にしてレオンハルトとディートリヒの実の父親であるクルツバッハ領主は卑劣な魔法で殺されたばかりだ。今このクルツバッハ領内で魔女が歩いていれば赤狼騎士団はおろか、一般の民からもおそらく投石は免れまい。


 そもそも、赤狼騎士団はクルツバッハ領を自衛するために結成された騎士団だった。曾祖父の時代から代々領主が騎士団総帥を担ってきたが。一人でそれらを担っていては、今回のように突然死去した場合混乱も大きい。



赤狼騎士団グラナトは駄目だ。私の占いにもハッキリとそう出た。だから貴様は赤狼ではない他の騎士団をつくるべきだろう」



 随分と簡単に云ってくれる。レオンハルトはこめかみを押さえた。




「赤狼を捨て置き、新たな騎士団をつくれと。お前はそう言っているのだな」



 赤狼は騎士団長を失ったばかりで、まさに今次期団長候補として挙げられているのはレオンハルトだ。その流れを知ってか知らずか東の魔女は涼しい顔。いや、知らぬはずはない。知っていてその上で言っているのだ。



「新たな騎士団をつくるにはそれなりの財も徳も必要であろうな。だが貴様ならば出来る、――いや? 『貴様にしか出来ぬ』と言ってやればわかるか? 私と組んで魔法使いどもと戦えるのは貴様だけだ、レオンハルト。それが楽な道だとは私も思ってはいない」


「この俺が赤狼を敵に回して裏切ると?」


「そうだ。そうでなくば誰も護れぬ。貴様が護りたいものは何一つ、な。貴様とて馬鹿ではない。今のままでは埒があかないから私と迷うことなく契約を交わしたのであろう?」



 レオンハルトの護りたいものは父が掲げていた騎士道精神と民や国、そして家族。共にそれを目指してきた仲間『赤狼騎士団』も護りたいものの一つだ。


 このまま赤狼騎士団の総帥となったところで魔法使いたちを止める手立ては何一つないという事実を見据えた魔女の意見に反論の余地はない。



「最初から理解は得られまい。が、成果をあげ結果を見せればそれが正しかったと誰もが納得する。私は結果として成功をおさめないのなら動く意味はないと考えるたちだが、貴様ならばと重い腰をあげて来た。一時裏切りと罵る奴等のためにすべてを不意にするか? レオンハルトよ」



 皆まで言われずともレオンハルトはすでにその先を考えていた。赤狼の次期騎士団長に誰を置けばいいのか。何人かの顔が脳裏に浮かぶ。長年父の補佐を勤めた者、剣の腕では騎士団の誰よりも秀でた者、人望の厚い者、頭のいい者。だがどの者も偏りがある。


 安心して任せられるのは彼らではない。



「まずは辞退の言い訳が必要だな。うまく言いくるめるには相当骨が折れる」


「それも貴様ならば問題ない」



 気軽に言ってくれる。



 だが自分の力で乗り越えねば何も掴めないのなら、それもまた仕方ない。いかに魔女が味方といえど何でも魔法で解決出来るわけもない。


 だからこそ。



「――面白くなってきた。」


「貴様が赤狼と折り合いをつける間、私も準備をしておくとしよう。何せ新しい騎士団は対魔法戦を得意とするのだからな、従来型の装備など役にはたたん」




 装備。はたしてそんな単純な問題なのかレオンハルトには疑問だった。騎士団では皆剣や鎧や盾や兜などを装備する。敵の攻撃が剣や弓や槍などであったなら、装備は確かに有効だ。


 しかし。魔法使いたちの魔法に対してはほとんど役に立たなかった。だからこその現状。



「魔法使いたちが使う魔法銃は簡単に金属を貫くぞ」


「ああそうだ。貴様たちの纏う装備などただ重たくて邪魔なだけ。あれでは防げぬ」



 レオンハルトは沈黙した。金属より硬いもので新しい装備を作るのだろうか。確かに硬いというだけなら金属を上回る石もある。だがどうやって加工するのだ。



「貴様は貴様の問題に取り組め。あとは無事に事が運んだ暁に教えてやるから楽しみにしておくことだ」


「それはそうだが。この屋敷内で不自由のないようまずはお前のことを取り計らう必要があるだろう」



 思い出したようにレオンハルトはリーナを振り返る。



「おお。私は不自由は嫌いだからな」


「ラーエルたちに紹介しよう。部屋も用意するが……身分はどうするかな」



 レオンハルトがあれこれと頭を悩ましている横でリーナは何やら魔法を始めた。ほんの一瞬にして東の魔女が二人に増えたのだ。そしてあとから増えたほうは服を着ていない。レオンハルトは絶句した。



「ラーエルたちにはこの分身体を紹介してくれ。名前はコリーナにしよう。私は部屋に籠って色々と作業をしたい。出来れば地下室がいいぞ」


「先に服を着せろ。誰かに見られたら説明のしようがない」



 リーナはコリーナの額に手をかざした。



「それは無理な相談だ。私が与えられるのは人格や知識。物質的なものを造るには時間がかかるのだ。コリーナも自身の分身だからこそすぐに『出せた』がまったくの人形ならばそうもいかん」



 コリーナに人格や知識を与えたのだろうか、途端にコリーナが目を開け動き出した。



「おめでとうコリーナ! レベル1だよっ」



 嬉しそうに一人ではしゃぐ様子はリーナとは似ても似つかない。



「……失敗か?」


「失礼な。この私に失敗などない。あの小娘たちの相手をするのだぞ。知能など私の3パーセントもあれば十分だ」



 それはそれで失礼な話だが、レオンハルトは無駄に言葉を返さなかった。



「おじさま、抱っこ!」


「断る。しばらくこれでも着ていろ」



 レオンハルトはテーブルクロスを引き抜きコリーナの頭に被せた。3パーセントは低すぎだ。



「人並みに羞恥心を与えておけ」


「そんなものは私にもない」


「ないのか!」



 元のリーナにないのならば、コリーナにあるはずもない。レオンハルトは眉間に皺を寄せたまま部屋をあとにした。




 裸のまま無邪気に抱っこをせがむコリーナと、自身の裸をさらしているも同義でありながら平然としていられるリーナ、双方共に羞恥心が欠落している。日頃淑女としか接することのないレオンハルトからすれば実にけしからんと思われる事態だ。怒りにも似た感情で足早に進んでいた歩みを、だが止めた。



(3パーセントだと?)



 先ほどのリーナとのやり取りが思い起こされる。何気なく当たり前に使われる言葉だがその節々には色んな情報が秘められているものだ。例えば騎士にとって数学は重要な知識であるが、ラーエルたちの日常にはまるで必要とはされないため、おそらく『パーセンテージ』など言ったところで話は通じない。



(魔女は数学を使うのか?)



 騎士は団体であり、常に共通した認識で作戦を行使する。人数、装備や馬の数、力量、重量、距離、時間、地形や天候、規模、確率、割合、……これら単純な数学は見習い騎士ですら使う。上位騎士はもっと複雑な問題も数学を応用して考える。


 そんなふうに日常的に使うものがその者のなかに根付き『生きた言葉』となる。



 これまで、魔法がどういったものかまるでわからないまま翻弄されてきた。あまりの違いに分析の余地がなかった。追い付かなかった。そうして多くを失ってきた。



「おじ様?」



 ふと見るとラーエルが心配そうにこちらを見上げていた。レオンハルトの三分の二ほどしかない背丈は実に頼りない。



「どうかしましたの? お気分でも優れないのですか」


「いや、……お前の父も守れず、すまなかったラーエル」



 そっと頭に手を伸ばすとラーエルはあどけない笑みを返した。



「違いますわ。おじ様はわたくしたちを今も守っていてくださるもの。父がお役にたてなかったことをお詫びしたいのはこちらです」



 歳のわりにしっかりしている。彼女たちは数学こそ知らないが家を守る者として多くの教養を身に付けている。疲労する身心を癒す手助けをいつも心がけてくれている。



「ああ。そうだな。まだ何も終わってなどない。――お前たちに紹介したい者がいる、食事が済んだら集まるよう皆に伝えておいてくれ」



 ラーエルは花が綻ぶような笑顔を見せた。純粋に仲間が増える変化を喜ぶだけの素直な反応だが、それだけでこちらも気分が満たされる。


 ラーエルと別れ、レオンハルトは使用人が着る制服を一式用意した。下着はなかったがまさかラーエルたちに借りるわけにもいかない。



「コリーナ。お前はこれを着ろ。そういうわけで今日からこの屋敷の使用人として働いてもらうぞ」


「なるほどな。そういう身分となったか」



 さほど興味もなさそうに納得するリーナと、エプロンドレスに喜ぶコリーナが対照的だ。



「お前の3パーセントは服の着方も知らんのか」


「ふむ。仕方ないな、あと3パーセントほど足すか」




 コリーナはともかくとして。地下に部屋がほしいというリーナのわがままをどうしたものか、レオンハルトは腕を組む。影武者をたてたのだからリーナは誰にも見つからないことが望ましい。



「地下はあるが入り口の酒蔵以外は長らく誰も入っていない。倉庫だ。片付けはひとりで出来るか?」



 人手を回せばリーナを隠せない。レオンハルトが近づけば他の者の意識をひいてしまう。つまり秘密の部屋はリーナ一人で何とかしなければならない。



「好都合だ。何かあればコリーナを通して伝える。私のことは気にするな」


「……気にするなと言われてもな」


「栄養はコリーナに与えてくれればいい、私はそこから摂取する」



 涼しい顔で言われたがつまりどういうことだ。レオンハルトはリーナを見下ろした。



「食事のことか?」


「そうだ。コリーナは私の分体であるから、コリーナが食事をすれば私は必要ない」


「何とも摩訶不思議だな」



 目の前で、まるで一人の人間かのように振る舞うコリーナが、しかし人間とは違うのだという認識は容易くはない。魔女とはそれほどまでに理解し難い存在で、脅威だ。敵を知る好機としてすんなり迎え入れたレオンハルトのような輩はそうそういまいことを肝に念じて、これからのことを考える。


 弟のディートリヒだけではない。赤狼騎士団の大半は頭が固い。



(新たな騎士団か……人員の確保がはたしてどこまで出来ることか)



「いつまでに何をすればよい?」



 何の気なしに問うレオンハルトにリーナは目を丸めて動きを止めた。



「何だ? 心配しなくていいぞ? 貴様は必ず成功をおさめる。自分の良かれと思うように動けばいい」


「だが魔法使いたちの次の動きも気がかりだ。赤狼を完全に潰しに来るかもわからんのだから」



 団長不在の騎士団を潰すのはおそらく容易いだろう。これを好機と攻めてこられては困る。が。



「ないな。現状魔法使いたちにとって騎士団は脅威にはなりえない。いつでも潰せると思っている。――奴らは油断しているのだ」



 だからこそ。形勢は逆転させやすい。鼻で嗤うリーナは自信に満ちている。



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