いつか想いをつなげたい
去年の冬、通学路上にある大型ショッピングセンター角の交差点で交通事故があり女子高生が一人亡くなった。
昔はたまにバスが走る程度の静かな町外れの市道と旧国道で、事故が起こるような場所ではなかった。
しかし、近くに高速道路が通り、インターチェンジが敷設され、大型ショッピングセンターが出来た頃から雰囲気は変わり始めた。
交通量の増加と共に片道一車線が二車線になり、T字路を十字路にして宅地を広げ、人口と消費に合わせてバスとトラックの往来が激しくなり、雪が貯まるはずだった道路脇を削り左折車線を作った頃には地元で有名な危ない交差点となっていた。
私は事故を直接見たわけではないけれど、地元紙に取り上げられたので詳細を良く覚えている。
地面の粉雪を舞い上げるほど風の強い夕暮れ時に事故は起こった。例年以上に多い積雪は道を狭め、路肩との境目を曖昧した。
右折するバスは道路の中央よりやや手前で対向車が通り過ぎるのを待つしか無かったそうだ。
その数秒後に来た乗用車は道の中央に止まるバスを避けて直進する為、少しだけハンドルを左にきって減速せずに交差点へ進入した。
バスの脇を通った時かなり驚いたと思う。目の前に対向車線で右折を待つ車がいたのだから。
右折待ちの車はゆっくりと前進し身を乗り出して対向車を確認しようとしたが、見えないのでバスが行ってから曲がろうと思い停止していた。
でもその位置はバスにつられて前に出過ぎていた。
直進の車は急に現れた車…前方不注意だけど…に驚き、避ける為、とっさにハンドルを左に切った。
そして、スリップして横断歩道を歩いていた女子高生を轢いてしまった。
信号待ちをしていた周囲の運転手がすぐに110番通報し、程なくして救急車が来たけれど病院への搬送中に息を引き取った。
全身を強く強打し意識不明の後に死亡と新聞には書かれていた。
ショッピングセンターのフードコートで従兄のシュンちゃんとご飯を食べている時に「歩道が真っ赤に染まって酷かった。内臓が破裂していたらしい。」とおばさん同士で話していたのを聞いてしまった。
噂の尾ひれについて話している様な気がしたけれど、否定はする事は出来なかった。
テレビでは歩道の部分が流れなかったし、現場にあったブレーキ痕は薄かったのだ。
ニュース番組に流すには見るに堪えない様相だったと考えられるし、そうさせるほどのスピードだった裏付けになるとも思えた。
何故ハンドルを歩行者に向けて切ってしまったのか、危ない交差点だと知らなかったのか…色々と気になるけれど、もう誰にもわからない。
女子高生を轢いた車は歩道を越えて民家の物置へ頭から突っ込んだ。
ボンネットは衝撃でひしゃげ、運転席は物置の天井に潰され、運転手が生きている事が不思議なぐらい凄惨な事故現場として映像と写真が流れた。
命があると言っても意識不明の状態のまま、今もベッドの上で眠っているそうだけど…。
私が初めて事故現場を通ったのは春になり自転車通学に切り替えた時だった。
雪が溶けて高校二年生になった私の記憶から事故の事は消えていた。
しかし、電信柱の下に色とりどりの鮮やかな花がうず高く積まれ、ひしめき合って咲き誇る花を見て、鳥肌が立ち新聞の内容を思い出した。
愛情の大きさを誇示するかのような花の塊から、悲しく甘い香りが強く漂っていた。
私は急いでペダルを踏み込み、学校へと疾走した。
登校すると友達が笑い転げる程に私は汗をびっしょりとかいていて保健室のお世話になった。
次の日からは事故現場を避ける為に遠回りして登下校した。
でもある時、夜更かしがたたり寝坊してしまった。
遅刻しない為には交差点を通らなければならなくなった。
朝食を抜いて家を出てもギリギリで、遠回り出来るような時間の余裕は全く無かった。
交差点が見えた時、献花の一歩手前に立つ女の子が目に入った。
紺のチェックスカートにワインレッドのカーディガンからはセーラー服のカラーが出ていた。
「あぁ。わりと近所の高校の子だ。」と羨ましく思った。
うなだれているのか花を見つめているのかは、横髪で顔が隠れていてわからなかった。
悲しみも苦しみも無く只々そこに立っているという印象受けた。
萎れた花を間引いたのか初めて見た時よりも少しだけ小さくなっていた。
知り合いによって手入れが続くなら少しは浮かばれるだろうと思いホッとした。
風化していく花々を見ないように遠回りしなくて済む安心感もあった。
それから女の子を週に二回ぐらい帰り道で見かける様になった。
朝見たのは最初の日だけだ。遅刻ギリギリに家を出たら、朝も立っている女の子を見たかもしれない。
立ちすくむ女の子だけではなく、母親らしき女の人が一人で手入れしている姿も見た。
膝を着きながら電信柱に咲く花々に手を差し入れる様子は遠くからでも目を引いた。
毛先が無造作に広がる長い髪を一つに纏めて、土気色の頬に何かの雫が夕陽を乱反射させていた。
服の上に浮き上がる丸まった背骨からは咄嗟に目を背けてしまった。
花束が綺麗になる度に胸が締め付けられ、屈んで手入れをする姿が脳裏にちらつくようになった。
女の人は朝と夕方に手入れをしていた。
朝は私が通った後に軽くまとめる程度で夕方に花の入れ替えを行っているらしかった。
そのおかげで花は絶えず咲いており、魔法がかけられた花畑の様だった。
雨風によって乱れたり萎れたりするが、数日おきに返り咲く。
電信柱から栄養を吸い取っているか、コンクリートを剥がして植えたのではないかと思ってしまう程、目を奪う大輪の数々。
魔法の代償はあまりにも大きく、花に塗れる朝露は別な物の様に思えた。
何も持たずにじっと立つ女の子と、両手を合わせて祈る女の人と、そよ風に揺れる花とを見比べてしまい、日に日に胸に開いた穴へ吹き込む風は大きく膨らみ、ペダルに力を込める様になっていった。
汚らわしいものでは無いから遠回りするのは気が引けて、視界に含めない事は穢らわしいものだと決めつけてしまう気がして、なるべく普通になるように心掛けなら走り抜けた。
その心掛けすら追い風にしてしまう自分が少し嫌だった。
自転車で通い始めて一ヶ月が経った頃、シュンちゃんがうちに遊びに来ることになった。
私とは別な高校に通っているが、家が近い事もあり家族ぐるみで良く食事をしたり旅行をしたりする。
その日は私の高校の近くで待ち合わせをして一緒に帰った。
帰り道は部活や勉強、友達付き合い、両親の趣味等ついて互いに報告し合った。
高校受験の際に望まない塾へ、二人揃って行かされた結果生まれた戦略で、この情報を元に二人で夕食時の話を誘導する事にしている。
すれ違う人が全くいなかったので歩道を横並びで走りながら喋っていた。
そして、交差点にいつもの女の子が立っているのが見えた。
このまま進むと女の子にぶつかってしまうので私が減速し縦一列になった。
この交差点を抜けて少し走ると住宅街に入る。
夕方は車の往来がほとんど無い。
念を入れてしっかり前方を確認してから車道に出て再びシュンの横に並んだ。
私が減速して縦一列になってから無言のままだった。
私が話を中途半端に切ってしまったので、私が口を開かなければ話が始まらないのはわかっていたけれど、横並びになっても何となく話をする気分では無くなってしまい無言を貫いた。
十分程走り続け私の家に着いて自転車を降りた時、シュンは心底不思議そうに聞いてきた。
「なぁ。何でさっき一列になったんだ?」
「女の子いたからでしょ。危ないじゃん。」
「女の子?…どこにだ?」
「どこって…。交差点に……いたじゃない。」
鸚鵡返しをしたシュンの顔は明らかに困惑していた。
私は言葉を一つ一つ出す度に血の気が引いてゆく音と心臓の脈動が大きくなっていった。
聞かなくても答えはわかっているのに聞かずにはいられなかった。
「お花の前にいたよ…。セーラー服の女の子。ね? いたよね?」
シュンは首をゆっくりと振って、膝が震える私の手を取って家の中へ入り、キッチンにいるお母さんに一声かけて私の部屋に真っ直ぐ向かった。
じっとりとした手汗が止まらなくて溢れないようにシュンちゃんの手を思いっきり握り締めた。
部屋に入って突っ立っていたけれど「荷物降ろしなよ。」と言われて鞄を床に落とすと同時に力が抜けて、そのまま座り込んでしまった。
射し込む夕陽がやけに眩しくて私は項垂れた。
私は震える手を押さえつける為に強く組んだ。
祈りを捧げる様な格好のまま、事故について知っている事を話し始めた。
陽が落ち切る前に話し終わったけれど、シュンちゃんは黙ったままだった。
月が昇り妙に明るい街灯が瞬いた時、シュンちゃんの両親が来て少し遅い晩ご飯になった。
シュンちゃんは私に話が来ない様に一人で色んな話をしてくれた。
とりあえず口に運んだビーフシチューは温かくて胃に流れ込んで行くのがわかった。
モッツァレラチーズとトマトのカプレーゼはとても良く冷えていた。
お父さん達は赤ワインと白ワインの両方開けていて、お母さん達は子どもを見るような目をしていた。
今日の晩ご飯は美味しいかどうかわからなかった。
ただ、お父さん達のワイン薀蓄合戦や、シュンの馬鹿な友達の話で最後は笑えるようになるのだからご飯の力はすごい。
私が単純なだけかもしれないけれど。
ご飯が終わるとお父さん達はテレビの前に陣取ってニュース番組を見ながら政治に文句を付け始め、お母さん達はテーブルに座ったまま最近行った美味しいランチの話を始めた。
私はコップに麦茶を注ぎ、シュンは鞄からDr Pepperと書かれた妙な赤いアルミ缶を取り出して二階に上がった。
トーク番組を見ようと思ってテレビをつけたら、パソコンを使いたいと言うので机の上をサッと整理して貸してあげた。
何か熱心に調べていたので私はベッドに寝転がってテレビとスマホをいじっていた。
テレビ番組が終わって天気予報が道内の明日を教えてくれた。札幌は晴れだった。
各地の天気を告げる中、シュンちゃんは立ち上がってベッドに腰掛けた。
私も起き上がって横に座った。
「なぁ。その女の子のセーラー服ってスカートが地味な紺のやつ?」
「うん。そうだよ。」
週間予報によると来週は晴れが続くらしい。
「立ってるって言っていたよな。立ってるだけなのか?」
「うん。顔は見えないけど、花を見てるんだと思う。」
天気予報が終わって映画のコマーシャルが流れた。
画面が暗転した時に小難しい顔をしたシュンちゃんが見えた。
「私が言っている事…信じてくれる?」
「ああ。そりゃお前の様子見てたらな。
友達が言うには霊と目を合わせたらダメらしいぞ。
気持ちに引っ張られるんだって。」
「そうだよね。やっぱりお化けなんだよね。」
私は寝転がって天井を見上げた。「ごめん。」という言葉を聞いて目を閉じた。
テレビが付いているのに秒針が動く音がやけに大きく聞こえる。
「謝る事無いよ。何となくあの女の子もそうなんじゃないかと思ってたんだ。
私の勘違いだったらいいなって思ってた。ただそれだけなの。」
神社のお祭りに行った時、私の間違いと偶然が重なって亡くなっている人たちの世界に迷い込んだ。
清子さんという巫女さんに助けられて元のこの世界に戻って来ることができた。
一年程前のあの日から、それまで無縁だった怪奇現象というものに何度か遭遇するようになった。
不可思議に対する波長が少しだけ合ってしまったのだと思っている。
「ねえ。どうして花を見つめているのかな。」
一秒、二秒、三秒…ゆっくりと時間が進んでいくのに、見えない表情の事を考えたら何秒経ったかわからなくなった。
「小学校低学年ぐらいの時かなぁ。
俺を可愛がってくれた親父の友達が亡くなった。
俺は初めての葬式で母さんの背中にくっついていた。
周りの大人は一言も喋らず黙りこんでいるかすすり泣いていた。」
ベッドのスプリングが静かに軋んで、私の身体が少し横に傾いた。
「あっという間に葬式が終わった。
俺と母さんはいつも通りに戻ったんだけど親父だけ何か違った。
病気でしょうがなかったとはいえショックだったんだろうな。
徐々にいつもの調子に戻っていくにつれてカレンダーを見つめる時間が増えていった。」
「カレンダー?」
目を開けて横を見るとシュンちゃんは目を閉じていた。
「そう。カレンダー。
今もだけど母さんはカレンダーにシャーペンで古紙回収とか新聞の集金日とか書き込むんだ。
けど親父が見ていた月にはボールペンで何か書かれてた。
幼いから漢字が読めないけどすごい恐ろしい日がやって来るんだって思った。
たぶん『法要』って書かれてた。
四十九日法要で出かけるから親父がカレンダーに書き込んだんだ。
その日は午後から出かけて念仏を聞いてから食事した。
誰が泣いていたかなぁ…食事の時に酒を飲みながらずっと笑って喋っている親父の姿が印象的で周りの事はあんまり覚えてないな。
帰りは母さんが車の鍵を開けた。
後部座席に乗り込んだ俺のケツを親父が引っ叩いて詰めてきた。
反対側から乗れよ! って思ったのを覚えてる。
車が動き出してからも喋り続けてた。
酒と煙草の臭いが酷いし、いまいち呂律が回って無いのに喋るから煩いしで何なんだと思った。
カレンダーを見つめてたお前はどこに行ったんだと。
だから聞いたんだ。『悲しくないのか?』って」
「おじさんは何て?」
シュンちゃんは私を見て不敵に笑った。
『悲しんでばかりいたらアイツとの想い出全部が悲しいものになっちまう。
だから俺のダチと酒飲みながらアイツのバカな話を確かめ合ったんだ。
これで俺らは忘れない。
花あげて、線香あげて、酒飲んで、寿司食ってっつーのはな、死んじまったバカの為だけじゃない。
生きてる俺らの為でもあるんだ。わからねえだろ?ガキのお前には十年早い!』
声真似は似てなかったけれど、笑った時の目元はおじさんそっくりだった。
目と鼻の先で見つめ合って恥ずかしかったのか、シュンちゃんはパッと立ち上がってドアに向かって歩き出した。
「運転中は静かにしなさい!って母さんに怒られて、親父こそ大人じゃねぇよ。
さぁ!喉乾いたし下に降りようぜ。
親父がワイン飲み過ぎると面倒くさいしな。」
可愛らしい従兄にツッコミを入れないであげよう。
半年ぐらいお兄ちゃんなのだ。
テレビを消して、蛍光灯の紐を引っ張ってから、開けてくれているドアを抜けて階段を降りた。
私の優しさに気がついたのかはわからないけれど、その後は男同士で楽しそうに喋っていた。
◆
事故から半年以上経った今でも花は咲き続けている。
いつも綺麗な花を前にして女の子とお母さんは何を思うのだろう。
喜怒哀楽いずれの感情を抱いたとしても救われていないのは確かだ。
でも、どうなったら救われた事になるのか、その為には何をしたら良いのか、どんな言葉をかければ言いのか…何一つ私にはわからない。
いつか、亡くなってしまった女の子と、生きている私達の為に花を添えたい。
わかる日に向かって、私はペダルを精一杯、力強く回す。
今出来ることはそれだけだから。
いつか想いをつなげたい 橘 希珂 @Kika
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