カクヨムに投稿するような人たちってどういう方々かというと、作文コンクールで受賞した程度の、いささか文才に自信があって自己顕示欲をこじらせたような、ややめんどさい連中が大部分なのですが、ごくたまに、黄金頭先生のような本物がまぎれこんでいて、
拙僧のごとき、へっぽこ文士の鼻っ柱を気持ち良く叩き折ってくださいます。
黄金頭先生のことを存じ上げたのは、じつは今日のこと。拙僧も恥ずかしながら競馬がいささか興味がございまして、競馬関係の記事をネット上で漁っている時にたまたま、黄金頭先生のブログでの競馬関係の文章を拝見させていただきました。これはこれはお見事。じつに味わい深い文章をお書きになる御方だなと思い、「黄金頭」のキーワードで検索したところ、奇遇にも拙僧もアカウントのあるカクヨムにたどり着いたという次第でございます。
JRAの機関誌である「優駿」という雑誌で、
毎年、競馬に関するエッセイのコンクールを開いております。競馬ライターの登竜門的な存在でグランプリの賞金は50万円です。
黄金頭先生の文才を以てすれば、中内田厩舎の馬に川田騎手が騎乗した時くらい、鉄板でグランプリを受賞できるかと思います。
ともあれ、黄金頭先生のますますのご活躍をひっそりと祈っております。
例の「薄い本」の増刷も楽しみです。
私が氏の作品にしばしば立ち戻るのは、例えばここです。
--引用ここから--
わいせつ石膏の村だからといって、村の人たちが皆わいせつな人間だということはない。おおいに勘違いされていることだけれども、滅多なことでもないかぎり、人前でわいせつな行為をしたり、わいせつな話をしたり、そんなことはしないのだ。女の巡査がどろぼうのあそこに噛み付くなんてのは、よその村の話だ。
むしろ、石膏的な人間が多い。このことは、村を訪れたことのない人に説明するのはむつかしいと思う。
--引用ここまで--
そうだよな、と思います。「女の巡査がどろぼうのあそこに噛み付く」この判らなさ、不可思議さも、想像と思考が試されて、心地いい。
私も多少、物語やエッセイを、歌をやりますが、黄金頭さんの才能にはただ素直に感嘆するばかりです。嫉妬は不思議にも感じない。作者はよほど心根がきれいな方なのだと思います。あるいは様々の醜い己(おのれ)から、せめて作中は、読者に対しては、きれいなものだけを残して提供したいというストイックさ、その結晶、結晶に向かう努力、積み重ね、石膏職人的な何かを感じます。
そのあたりを軸にして、近年稀に見る物語作家です。一般受けはしないかもしれない。分かる人だけ分かるタイプかもしれない。だがその種の才能こそ、商業出版や商業編集者、パトロンが守らなくてどうする。
酷い話です。
いえ、貶しているのではありません。この作者は、物凄く文章がうまいです。心理描写や話の進みかたに思わず膝を打つほどにうまいです。しかし、酷い話なのです。
例えていうなら、100メートル走を10秒台で走れる筋肉隆々のアスリートが、陸上の大会本番でトラックをでんぐり返ししながら後ろ向きに白目をむきながら走ったみたいな。
それでも凡人以上は充分な記録を出しているのだけど、それでもなぜそんな走り方をするんだ、みたいな。そんな感じです。
ただ、引き込まれる文章であることは間違いありません。
私が個人的に凄いなあと思ったのは、折り鶴を完璧に折れるように厳しく訓練された少女が、わざと下手に見せるために苦労するときの心理描写です。単に初心者の真似をするだけでは駄目だという、よくわからないけど、でもわかる、その過程の表現に感心してしまいました。
あとは、2話ぐらいに出てきた男の話で、いわくつきの村に来て猛っていた心が、その場にいた小さな兄弟の姿を見て寂しい気持ちになるというところ。これと同じような感覚、私もしたことがありまして。
私事なんですが、仕事で大阪全域を3年間訪問していました。そのとき、やはり飛田新地やあいりん地区を歩くときは、変な高揚感とか、自分の中の偏見とかあったんですね。
でも、そう、幼い子供が普通にそこに生活していて。「おまん」のお姉さんも。みんな普通に生活してる。でも普通じゃないところもある。そんな光景を見たときのことを、思い出したのでした。
これまた余談ですが、ネットで語られる西成区は、実態とかけ離れてると思うところがあったんですが、まあ合ってるとこもあるし……と、モヤモヤしている私なんですが、この男が感じた寂しさというか、高ぶりを萎えさせる何かしらの情報は、その目で見ないとわからないのかなと思った次第です。
後半関係ない話で、大変失礼しました。
酷い話だったので、他の題材もぜひ読みたいです!本当に書いてください、お金を出しても構わないと思っています。