ルート2
死。古来、それはごく当たり前の出来事で、人々に馴染み深く、故に忌まれていた。
現代、この時代、2010年代。僕はそこで凡庸に生きる高校三年生。制服を着て学校に通う。勉強に追われながらも充実した年頃だ。
さて、医学の進歩したこの世の中でも、若くして病死する人間は未だ存在する。僕がその言葉に惚れた人も、そうやって去っていったのだ。
二年前のあの日。その人──K、としておこう──は、突然僕に関わってきた。突然というのは比喩表現であって、テレポートやら何やらの能力で移動してきたわけではない。その日、僕は、照りつける日照りを避け、校舎の裏、日陰の中坐り込んでうとうとしていたところ、うっすら目を開けたらそこにKがいて、見ず知らずの僕に話しかけてきた、ということだ。
彼は、雪のように白い肌と、女のような体躯を持った美少年であった。しかしその小さな身体には出処不明のエネルギーが確かに漲っており、虐められることもなかったし、僕自身、「弱そう」などと思ったことは一度としてなかった。
そしてKは、相当の変わり者であった。先ず、趣味は瓢箪磨き。瓢箪なんてものをどこから持ってくるんだ、と訊いたところ、「街に行って買う」と返された。どこの街に瓢箪の店があるっての、しかも瓢箪磨きって何をするんだ。僕が困惑気味に問うても、「手入れし、手入れが済むと酒を入れて、手拭で巻いて缶に仕舞って、それごと炬燵に入れる。翌朝取り出すと瓢箪が汗をかいているから、それを飽かず眺める」そうだ。まったく、何処の志賀直哉作品だ。彼は時代に取り残されている。
かと言って文明に触れない訳ではなく、というか理系も全然行けて、情報でエクセルやらパワー・ポイントやらをプロ並に使いこなしたり、なんと科学のテストで学年一位を獲得したりしている。つまり彼はスプーキーであり天才でもあるのだ。
何故そんな彼がごく一般的な生徒である僕に話しかけてきたのか、そのことについて一貫して彼は答えてくれなかった。
僕とKは違う学科なので、放課後しか会話しなかった。しかし、その1時間弱が僕の楽しみになっていった。
Kが語る話は日によって大きく異なり、ある時は五言律詩の美しさ、ある時はソビエト連邦についての知識、ある時は磨かれた瓢箪の艶かしい曲線、またある時は至って普通なアイドルの話、というように、バリエーション豊かだ。楽しげに語る彼の声は、言葉は、僕の脳に心地よく響き渡る。甘美な声と語り。僕は、彼の言葉に、感情を委ねていた。
日照りの日、Kと僕が初めて言葉を交わしてから5ヵ月。Kは初めて、自分について語った。
彼は、「物書きの息子」であり「病人」でもあるという。
そこで、彼の幅広い知識や語彙、そしてその身体についての合点がいった。
「僕としては、君が先に察してくれるのを待ってたんだけどなぁ」
その言葉は少々理不尽に聞こえたが、よく考えたらそうでもない。彼の白さはまさに病的だったから。
「ああ、そうだよな。はは、ごめん」
察しが悪いのは生まれつきだ。そう笑った僕に、彼は少しむくれてみせた。
「なあ、君は何故僕に近づいたんだ」
「ううん、今度は君が答えてみて」
彼は僕に、そう問い掛けた。
「ほら、よく考えて。僕が君に近づいた、その理由を。」
彼の呆れるくらい美しい声が、鼓膜を揺らす。
「...ごめん、全然わからない」
「そっか、しょうがないね」
彼は小さく息を吸うと、その大きな目で僕を見据えた。そして。
「答えだ。僕は最初から、きみが好きだったんだよ」
「えっ」
「きみの髪から始まったんだ。廊下ですれ違ったとき、切りそろえられた奇麗な髪が揺れて、見惚れてしまったんだ。そこからきみを追い続けた。きみは周りとそこまで関わらないタイプだろう、素性を調べるのには苦労したよ。だけど、きみのクラスメイトが揃いも揃って『あいつは読書家』って言うからさ。しめたぞ、これならいける…とか、考えちゃったんだ」
つらつらと並べられた、彼の言葉。それは胃の底に落ちて溶けることはなく、ただひたすらに吐き気を催した。
彼の行動に嫌悪を抱いている訳ではない。ただ、美しい言葉を編んでいた彼が俗世的な思いを持っていたことが、嫌でたまらなかったのだ。
その日は、いつかと同じように太陽が照りつけていた。いつも通り、僕は校舎裏に向かったが、そこに彼はいなかった。冷たい校舎に寄りかかって笑う彼は。
ああ、死んだんだな、と感じた。自分でも驚くほど、冷静に、残酷に。案の定、Kは発作で死んだようだった。
彼はどこまでも、人生に重みの無い人間だった。語る言葉には深みも重みもあったが、彼自身の生き様は俗で嫌らしいものだった。だから僕の目から涙の一滴も出なかったんだと思う。僕は、彼ではなく、彼の言葉に恋していたのだ。
家に帰った僕を、母は静かに抱きすくめた。どこから漏れ出したのだろうか、Kの死を既に知っているようだった。僕の背中を撫でながら、「辛かったね」などと言っている。
ああ、辛いさ。辛いとも。僕が好きな言葉を発していた人間が、死んだ。僕は彼の言葉を耳にできなくなったのだ。
「大丈夫よ、お母さんが傍にいるからね」
大丈夫な訳がない。母に、彼の言葉は紡げない。彼の代わりなんてきっと見つからない。
あれから二年。僕の中に、Kという人間の跡はほぼ無い。唯一有るとすれば、彼の遺した言葉たちが、こんなふうに文を作らせていることだろうか。
日照りが、校舎の影の向こうを、じりじりと灼いている。
日照りと声と 七草蜥蜴 @Owl_Writer
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