日照りと声と

七草蜥蜴

ルート1

死。古来、それはごく当たり前の出来事で、人々に馴染み深く、故に忌まれていた。

僕らが生きる現代、この時代、2010年代。「若くして死す」なんてことは本当に珍しい事例で、骨董屋の屋根裏で埃を被って眠っているような存在だ。──尤も、「骨董屋」なんてもの自体も、若者がそうそうお目にかかれる物ではないが。

僕はそんな時代に生きる高校三年生。制服を着て学校に通う。勉強に追われながらも充実した年頃だ。

さて、先ほど記したように、医学の進歩したこの世の中で、若者が病死することは稀有だ。しかし、僕がその言葉に惚れた人も、病に伏し、去っていったのだ。


二年前のあの日。その人──K、としておこう──は、突然僕に関わってきた。突然というのは比喩表現であって、テレポートやら何やらの能力で移動してきたわけではない。その日、僕は、照りつける日照りを避け、校舎の裏、日陰の中坐り込んでうとうとしていたところ、うっすら目を開けたらそこにKがいて、見ず知らずの僕に話しかけてきた、ということだ。

彼は、雪のように白い肌と、女のような体躯を持った美少年であった。しかしその小さな身体には出処不明のエネルギーが確かに漲っており、虐められることもなかったし、僕自身、「弱そう」などと思ったことは一度としてなかった。

そしてKは、相当の変わり者であった。先ず、趣味は瓢箪磨き。瓢箪なんてものをどこから持ってくるんだ、と訊いたところ、「街に行って買う」と返された。どこの街に瓢箪の店があるっての、しかも瓢箪磨きって何をするんだ。僕が困惑気味に問うても、「手入れし、手入れが済むと酒を入れて、手拭で巻いて缶に仕舞って、それごと炬燵に入れる。翌朝取り出すと瓢箪が汗をかいているから、それを飽かず眺める」そうだ。まったく、何処の志賀直哉作品だ。彼は時代に取り残されている。

かと言って文明に触れない訳ではなく、というか理系も全然行けて、情報でエクセルやらパワー・ポイントやらをプロ並に使いこなしたり、なんと科学のテストで学年一位を獲得したりしている。つまり彼はスプーキーであり天才でもあるのだ。

何故そんな彼がごく一般的な生徒である僕に話しかけてきたのか、そのことについて一貫して彼は答えてくれなかった。

僕とKは違う学科なので、放課後しか会話しなかった。しかし、その1時間弱が僕の楽しみになっていった。

Kが語る話は日によって大きく異なり、ある時は五言律詩の美しさ、ある時はソビエト連邦についての知識、ある時は磨かれた瓢箪の艶かしい曲線、またある時は至って普通なアイドルの話、というように、バリエーション豊かだ。楽しげに語る彼の声は、言葉は、僕の脳に心地よく響き、その度に彼への好意が強まった。僕は彼の言葉に感情を委ねていた。


日照りの日、Kと僕が初めて言葉を交わしてから5ヵ月。Kは初めて、自分について語った。

彼は、「物書きの息子」であり「病人」でもあるという。

そこで、彼の幅広い知識や語彙、そしてその身体についての合点がいった。

「僕としては、君が先に察してくれるのを待ってたんだけどなぁ」

その言葉は少々理不尽に聞こえたが、よく考えたらそうでもない。彼の白さはまさに病的だったから。

「ああ、そうだよな。はは、ごめん」

察しが悪いのは生まれつきだ。そう笑った僕に、彼は少しむくれてみせた。

「なあ、君は何故僕に近づいたんだ」

「じゃあ、次はそれを君に当てて貰おうかな」

彼は、狡い。その小さな口からつらつらと流れる言葉で僕を揺さぶって、擽って、「僕」の表面をかりかりと引っ掻いて、そして笑う。わらう。嗤う。

僕は地面から腰を上げ、ふらりとも凭れ掛かった。壁に背中を預ける、Kの身体に。

「ほら、よく考えて。僕が君に近づいた、その理由を。」

彼の柔い声が、脳に響く。

「...そんなの、解らない」

「そっか」

彼が壁から離れ、帰っていった後も、僕の脳には甘美な痺れが残っていた。


その日は、いつかと同じように太陽が照りつけていた。いつも通り、僕は校舎裏に向かったが、そこに彼はいなかった。冷たい校舎に寄りかかって笑う彼は。

ああ、死んだんだな、と感じた。自分でも驚くほど、冷静に、残酷に。案の定、Kは発作で死んだようだった。

彼はいつまでも、具体性の無い人間だった。語る言葉には深みも重みも有ったが、彼という人間にそれは皆無だった。だから僕の目から涙の一滴も出なかったんだと思う。僕は、彼ではなく、彼の言葉に恋していたのだ。


あれから二年。僕の中に、Kという人間の跡はほぼ無い。唯一有るとすれば、彼の遺した言葉たちが、こんなふうに文を作らせていることだろうか。

日照りが、校舎の影の向こうを、じりじりと灼いている。

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