第3話(その三)
ブラウンはグリーンの動きを待たずに即座にそれらを爆発させた。
美術館内が爆発に包まれる。あまりの爆音に目を閉じて耳をふさいだ。しかし赤梨は無事だった。どこにも怪我はない。どうしてだろうと目をゆっくりと開けると煙が分厚い壁のようになって周りは見えない。
「君は爆発させるしか能がないのかね」
飽き飽きだ、とグリーンはつまらなそうに言った。赤梨の隣にグリーンがいた。いや、違う。赤梨が、いつのまにかグリーンの横にいた。すぐ後ろにはモナ・リザがある。
煙が晴れて行けば、そこにあった美術品の数々にも傷一つついていない。グリーンがブラウンの爆発よりも早くバリアを張り巡らしたのだ。
「お前こそ、守るしか能がないくせによく言うぜ。この状況で”ゲルニカ”でも使ってみろ、お前の大切な絵画の数々は消え失せる」
「——本当にそう思うかね?」
マスクの向こうでブラウンが眼を歪ませた。こいつは何を考えているのだ、と訝しんでいる。
「私が”ゲルニカ”を使うことで君の思うように絵画の数々が消えてなくなると、本当にそう思うかね」
自信に満ちた声だった。モナ・リザを背に隠しながら、グリーンは筆をブラウンに向けた。くるんと手のひらで回すと、その筆は巨大なマスケット銃に変貌した。
がちゃり、とハンマーを起こして宙へ抛ると、そのマスケット銃を中心にして十丁ほどのマスケット銃が連なった。まるで隊列を組むようにグリーンの前で規則正しく並ぶ。
「では早速、試してみよう」
グリーンが手を上に掲げた。「ゲルニカ」と呟き、手をそのまま下におろしてブラウンにむけると、マスケット銃は標的を抉り消そうとブラウン目掛けて弾丸を打ち出した。実際のものよりも二倍ほどの大きさのマスケット銃から射出される弾丸も当然巨大であり、体に穴が空く、というより肉が削がれるようだろう。
ハチの巣にされんばかりに近づいてくる弾丸を、ブラウンは自身の周りに火炎球を生じさせてその弾丸を爆発させようとしたが、グリーンはさらにそのまわりに円を描いてバリアを作った。その中で花火のように連発で爆発が起き続けた。生きていたら奇跡だと赤梨は思った。
目の前で突然変身して戦い始めたフィクションのような現実の最中、魔法のように起こり続けたこの戦いも、今終焉を迎えたと、そう思っていた。
球体の中に煙が充満していて、そこにブラウンが立っていても、倒れていても、命はないだろう。
しかし、その予想はあっさりと裏切られた。バリンとガラスが割れるように音を立てて崩れていったバリアの中から鎧をボロボロにしながらブラウンが飛び出してきた。一目散にグリーンを目掛けて大鎌を振るう。
「頑丈だなあ。面倒だ」
寸でのところでグリーンはその大鎌を避けてブラウンの腹部を思い切り拳で撃ち抜いた。ガコンッ! と鉄と鉄のぶつかり合う音がして火花が散った。ブラウンが遠くに飛んでいく。途中で何か見えない壁にぶつかったように背中を打ち付けてその場に倒れた。
「私は美術品を愛しているのだ。それが壊されてしまうなんてたまったものではない。たとえそれが旧友の願いだとしても、それは許されざるものなのだよ」
かちゃり、かちゃりとグリーンが歩くたびに鎧がこすれ合う。
「確かに、俺様だけじゃあちと分が悪いか」
顔だけを上げて、ふん、と鼻でブラウンが笑った。その刹那――ざくり。グリーンの背中から長い得物が突き出た。
驚いて後ろを向こうと首をひねったところでグリーンは背中を蹴られて前に倒れた。血を払って日本刀のようなそれを筆に戻す。どさり、と力なく倒れたグリーンが立っていたところにはもう一人、男がいた。切れ長の目でその服装は喪服だった。
「ク、クロード……」
息も絶え絶えにグリーンは後ろに立つ銀髪を長く伸ばした男の名を呼んだ。名前を呼ばれた男は憐れむような目で眼下に倒れているグリーンを見た。その目には薄く涙があった。
「残念だ。親友をこの手にかける日が来るとはな。残念でならない。お前とは永久に未来を語らう仲間であり続けたかった。しかし、あの日、もうすでに道は違っていたのだ。お前の死は、今ここで決まったことではなく、あの日にはすでに決まっていたのかもしれない。いずれにせよ、俺の手で、お前を殺したくはなかった」
「長々と相変わらずだね。まったく、君は、いつも、いつも」
グリーンがそれ以上何かを話すことはなかった。
赤梨の目の前で人が死んだ。殺された。見知らぬ海外の地で。初めて見たモナ・リザの前で、その微笑みに見守られながら。
ありえない。嘘だ。死んでいない。死んでいるわけがない。これは夢だ。まだ自分は旅客機の中にいて、これからフランスにたどり着く。その最中に夢を見ているのだ。そしてルーブル美術館についてモナ・リザを見て思うのだ。もっとこの世界を描いてみたいと。
きっと隣に座る乗客は饒舌なフランス人の画商で、べらべらと好き放題にしゃべるだろう。日本語を流暢に使って、コーラを飲んで時折ゲップをしながらこれぞコーラだと言うのだろう。それから着陸するときには手を握らせてくれと頼まれるのだ。高所恐怖症で生きた心地がしない彼の手を握って、ただそれだけなのに命の恩人とまで言われることになる。
カツカツ、とクロードの革靴が近づいてくる。その向こうには、いつの間にか魔法が解けたようにあの全身キャメルの恰好で、グリーンが眠ったように倒れている。
しゅっと音がして、日本刀を模した剣先が赤梨の顎に当てられた。ゆっくりと赤梨は顔を上げた。
「君は、何者だ」
クロードは冷たく尋ねた。冷気を宿しているかのようにその剣先も、彼の周りは冷たくて、赤梨の血の気が引いていく。
「君は、魔術師になる才能があるようだ。だが、残念だ。君はここで死ぬ」
突然の死の宣告だった。クロードがさっと剣を振りかぶる。まるで紙を切るように当たり前のように振り下ろされたそれは赤梨には当たらなかった。
赤梨を抱きしめるようにしてグリーンがその剣戟を受けていた。最後の力をふりしぼるように、まさに瞬間移動のような動きで身を挺して背中を袈裟斬りにされたグリーンはぐうう、と唸る。
「なんで、どうして、なんでですか」
赤梨はもう泣いていた。ぼろぼろと心が崩れていく。ぐっとグリーンが腕に力を込めた。
「言ったろう。君は、未来の画家なんだ。私の将来のビジネスパートナーになりうる存在だ」
「そんなの俺を守る理由になりませんよ」赤梨がぶんぶんと首を横に振るう。
「私にはなるんだよ。私はこの世界が好きなんだ。いろんな画家が絵に描き続けたこの世界がね。それはきっと伝説のようになって、これからもずっと、誰かがこの世界を描き続ける。それを守るのが私の使命だ」
ふううと深く息を吐く。クロードの方に顔を向けてグリーンはにやりと笑った。
「クロード。確かに君の目は素晴らしい。けれども遅かったな。私が先にこの子を見つけたんだ。
ぼたりと血が垂れる音が続く。
「なあ、赤梨くん、モナ・リザはまだ微笑んでいるかな?」
がばりと後ろを向いてモナ・リザを見る。そこにはこの戦いを見ても今なお微笑んでいるモナ・リザがいた。うん、うん、と力強く頷いて赤梨は「綺麗な笑顔です」と伝えた。
「よかった。君には腕がある。才能が、ちゃんとある。君もいつか、そんな絵を描いてほしい。守る価値のある、守りたいと思える絵を描いて——」
クロードの代わりにブラウンがグリーンの背中を爆発させた。爆発の勢いで赤梨は倒れた。その上に重なるようにグリーンは横たわった。
「なんで……なんで……グリーンさん? グリーンさん!?」
赤梨がグリーンの名を呼ぶがその返事はない。揺さぶっても、力なく揺れるだけだ。
「重いですよ、避けてくださいよ。ねえ、なんで俺なんかのために……!」
「死人に口なしだよ、少年。彼はもう死んだ。身を挺して、モナ・リザと君を守ってね。けれども、そのどちらも俺が壊す、殺す。この世界を壊すために」
勝手なことを言うな、と赤梨は歯を強く噛んだ。目の前で身を挺してついさっき知り合っただけの人が死んだ。気さくな人ではあったが、まるで何も知らない。その人が自分を守ろうとして命を捨てた。こんな自分にそんな価値があるとは思えないのに。どうして、そんなことをしてくれたのだろう。どうして、その助けてもらった命も、守った絵も、壊されなくてはいけないんだろう。理不尽だ。どこまでも理不尽だ。
「なんだよ、なんなんだよ。なんでこんなことになったんだよ。俺は、俺はただ、絵が描きたいだけなのに!!」
赤梨が叫んだ時だった。
「飽くなき探求心と、尽きることの無き独創性を、求めよ」
赤梨の頭上から声がした。男とも女ともとれない不思議な声だった。
scene5.
「飽くなき探求心と、尽きることの無き独創性を、求めよ——さすれば与えられん」
もう一度、赤梨に向けて誰かが言う。望めと、願えと、思えと、掴めと。
「クロード!」ブラウンが必死な形相で叫ぶ。クロードはそこから距離を取った。するとブラウンが今までよりも数倍も巨大な火炎球を赤梨たちの前に生み出した。即座に爆発させるが、なぜか赤梨たちは無傷だった。
モナ・リザも無傷でそこにある。モナ・リザからどうどうと光があふれ出す。
「求めよ」——赤梨はその手を伸ばした。手を伸ばせば何かを掴める気がした。
モナ・リザの絵が神々しく光を放つ。まるで天界への扉が開いたかのように聖なる光でモナ・リザの微笑みは神々しく見えた。その光は赤梨とグリーンを包んだ。
「求めよ——
ロケットを発射したような噴煙があたりに漂い、轟音が館内に轟く。光の向こう、赤梨が一本の筆を掴んでいた。その筆こそ、魔術師たちが探し求めていた——ダ・ヴィンチの筆。
なんとなく、今ならどんな絵でも描ける気がした。この筆をどう動かせばいいのか、すっと頭の中に浮かんでくる。こうだ、と確信を持って動かしていく。赤梨は頭上に円を描いた。グリーンも包み込めるほど大きな円を。描かれた円は無数の輪となって赤梨たちに降り注ぐ。
二人の体に色をつけるように、色彩の無かった景色に絵の具が塗られていくように。ボロボロに朽ちた姿をなかったことにするように、清らかな光が白く色を塗りつぶすようにグリーンを伝って赤梨の体に沁み込んでくる。
ふわりと。体が宙に浮く感覚があった。さらりと。抱きしめていた腕からグリーンが離れていく感覚があった。けれども。その離れていく体に生気が宿るような感覚があった。
もう大丈夫だ。そう思える、それだけの確信を持てる感覚があった。
徐々に体に沁み込んでいった白い絵の具は血液の代わりに体中を巡って、肌を内側から浸透していくように吐き出された。体を纏うのは、白い絵の具。それは光のようで、雪のようで、鋼のようで、赤梨の細い体を守るように包み込んでいく。
閉じていた目を開けば、魔法使いのような帽子を斜に被り、舞踏会に向かうような仮面で顔を隠してに浮いていた。騎士のような白銀の鎧を身に纏い、右手に持った筆をぐるりと回す。一瞬で大砲のような巨大な銃身とその銃身に添うように伸びた銀に光る剣を重ねた銃剣となった筆をその手に携えて、グリーンの前にぴとりと立つ。
scene6.
「まさかモナ=リザがビンゴだったとはな」へん、と苦々しく笑ったブラウンに、「ブラウン、ここは退くぞ」とクロードは顔色を一つも変えずに言った。
「なんでだ! あいつはまだ魔術師になりたてのど素人だ! 殺すなら今だ!」
「やめておけ」
そのクロードの忠告を無視してブラウンが赤梨に向かって跳躍する。右手を後ろに引いてその手に炎を宿す。伸びていくその腕をズバンッ! と銃剣を振るってその場に落とそうとした。
「ああ!? なんだよそりゃあ!?」
瞬間的速度、瞬間的火力、それははるかにブラウンの予想を上回っていた。紙一重のところでブラウンはその剣戟を躱して吠えた。ダ・ヴィンチ・ウィッチはさらに追撃を加えようと跳躍する。態勢を崩したブラウンのことを叩き切れる——そう確信を持って斬り抜いた——が、それはクロードによって防がれた。剣に変えた筆を体の側面に逆さに立てて、その一撃をしっかりと受け止める。
「腕はまだまだのようだな。しかし才能はある。グリーンのいった通りか」
防がれた剣先を逆にして、その場で右回転して一撃を当てようとしたとき、クロードに思い切り蹴り上げられた。宙に浮いてしまったが、即座に銃に変換させてクロード目掛けて数発撃ち放つ。そのまま着地をしてさらに狙い撃つ。
クロードはそれを全て斬ってみせた。そして即座に筆へ戻し、自分の後ろに扉を描く。古い木目の綺麗な扉だった。ブラウンがその取っ手をひねってドアを開ける。身を翻してその中に入って行く。クロードはそのドアの向こうに入り、「また会う日を楽しみにしている」と言い残し、ドアを閉めた。閉められたドアは霧のように散っていった。
scene7.
誰もいなくなったモナ・リザの前。ダ・ヴィンチ・ウィッチの鎧は光の粒になって消滅した。そして赤梨の手元には一本の筆が握られている。がくりとひざが折れた。へたへたとその場にへたり込んだ赤梨は、小さく嗚咽を始めた。
「泣くな、赤梨くん」
「でも、グリーンさんは……」
「うん、グリーンさんは、死んだ気がする」
「死にましたよ。俺なんかを守って」
「うん、しかし、君が助けてくれた。ダ・ヴィンチ・ウィッチとして」
「何言ってんですか、よくわかんないですよ」
「私だってわからない。なぜ、君がこうしてダ・ヴィンチに選ばれたのか」
そこには、立派だったキャメルのスーツをぼろぼろにしたグリーンが立っていた。本当に偶然なのか、と唸るグリーンを見て赤梨は呆然とした。ぽかんと口を開けて目をぱちくりと動かした。
「どうして、生きてるんですか? 幽霊?」
「だから言ったろう、君が助けてくれたのだよ。おかげでスーツと帽子はボロボロだが、体は元気だ。これから街に繰り出して、女性と仲良くなりたいくらいだ」
「……涙を返してください」
「嫌だよ、知り合ったばかりの歳の離れた友人が私のために泣いてくれたんだ。それは私にとって美術品と等しい宝物だ」
「そういう言い方やめてください。すげー恥ずかしいです」
「青いね。しかしさすがに警備員まで来てしまっては犯罪者として捕まってしまうからとっとと逃げよう」
遠くの方から大勢の足音が走って近づいてきている。グリーンは筆を取り出して、ついさっきクロードがしたように宙に扉を描いた。それは鉄の扉で、厳重そうだった。
「さあほら、早く。感動の再会は扉の向こうでやるとしよう」
はい、と答えるつもりだった。けれどもどうしてだろう。赤梨の体は思うように動かない。あ、と口を開けて、瞼が重くて勝手に閉じていく。どさりとその場に赤梨は倒れた。その顔は穏やかなもので、安心して、気を失ってしまっただけのようだった。
「無理もないか。よく頑張ったな、赤梨くん」
赤梨の体に腕を通して、グリーンは彼のことを肩に乗せた。意外と簡単に持ち上がって、目を見開いた。
「君はちゃんとご飯を食べているかい? 多分私の半分くらいしか体重がないんじゃないか?」
二人はドアの向こうに消えた。ドアの消えたそこに警備員が雪崩のように押し寄せる。しかし、そこは何ら変哲はなく、優雅に微笑んだモナ・リザがとぼけるように佇んでいた。
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