3、夜の闇と招かざる客《7》


 遠くで、爽やかな海鳥のさえずりが聞こえた。

 王宮の花園に咲く白い花は、日の光に照らされて、辺りに芳しい香りを漂わせる。

 そんな、穏やかな昼下がりを王宮は迎えていた頃。

 マリーは、執務室で相変わらず書類仕事をしていた。



◆◇◆◇◆



 あの三日月の夜から、さらに二日ほど経ったがしかし、マリーの執務机の上の書類の山は、減るどころかむしろ倍増していた。

 そんないつまで経っても終わりそうにない仕事の数々に、さしものマリーも辟易していた。


(終わらない終わらない終わらない…………。一体いつになったら仕事が終わるのよっっ)


 マリーは、苛立ち気に書類の山から必要な書簡を取り出す。

 ついでに、近衛軍の三ノ将軍の印を引っ掴んで、ボンボンボンっと処理済みの書類に押していく。


(何、このふざけた請求書! 近衛軍の酒盛り代を経費で落としてくれってですって⁈ こんなのに、鐚一文も出してやるものかっ! 国庫の財宝やお金は、元々は庶民の血税よっ! あんたらの給料も世間では薄給じゃないんだ、あんたらの懐からしっかり払え!!)


 …………マリーの内心は、いつも以上に荒れていた。

 その証拠に、グシャグシャに丸められた紙が、執務室の床に散乱している。これは、かなりの大嵐が吹き荒れているようだ。部屋も、マリーの内心も。


 普段、マリーは、自分の執務室の掃除は全部自分でしている。それ故に、わざわざ執務室を汚くすることはしない。

 それに、マリーの執務室に入室可能な人物は、上司である龍輝伯父と、同僚の近衛軍将軍の龍斗とシリル、マリー付きの従卒であるルーア、そして、マリーの右腕とも言われている側近の近衛軍三ノ部隊長・ジョンだけだ。

 それにそもそも官宮付きの下働きメイドなどといった人物は、機密保持のためにも一切入室禁止としている。だから、必然的にマリー自身が掃除をするしかないのである。


 ちなみに、マリー付きの従卒であるルーアは、彼女が処理し終わった書簡を抱え、王宮内(主に官宮)を駆けずり回っている。

 そして、近衛軍の三ノ宮の警護を担当する三ノ将軍(マリー)の直属の部下であり、事実上のナンバー2であるジョンは、執務室から出られなくなっているマリーの代わりに、演習の指導をしていた。


 そんなキツすぎる日々を過ごさざる負えなくなった元凶を思い出し、マリーはさらに、気分を悪くした。


 その元凶とは。


(あの化けダヌキめ〜〜〜〜!)


 そう。化けダヌキである。

 ちなみに、ここで言う化けダヌキというのは宰相グラハード・アドナーレのことである。

 彼は、フロシア現国王フロシアン十三世の宰相として働く『王の懐刀』で、国王の側近中の側近だ。そして、老齢になってもなお衰えを見せない、超一流の凄腕官吏でもある。

 そんなあまりにも全てが敵わなすぎて、頭が上がらない老官吏が持ってきた書類の数々を、マリーは見ることにした。


 取り敢えず、机の上にある未処理の書類を、傍の小机に置く。

 それから、斜め読みのスピードで、マリーはそれらに目を通していった…………のだが。


 そう言えば。


(“婚礼前にやること”リストまで置いていったぞ、あの化けダヌキ!)


 そうなのである。

 まったく、マリーにとっては大きなお世話以上ナニモノでもない、縁談を、つつがなく進めさせるつもりなのだ。彼は。

 マリーは、モチロン破談にしたいと思っている。できることなら今すぐ、したいと思っている。

 しかし悲しいかな、父国王と老宰相は、断るどころかまとめる気満々なのである。

 ただこっちは断る気満々、誰が嫁入りなんてしてやるか! と息巻いている。ある意味、皮肉といえば皮肉だが。


 だがこのままズルズルと流されて、知らず知らずのうちに嫁がされること決定! なんてなったら、お笑い種もいいところ。

 あの国王命こくおういのちっ! の老宰相タ・ヌ・キなら、そのくらいのことはやりかねない。

 それは、絶対に阻止してやらねば。


(確か…………出立は、一月後になるはず)


 これからの大まかな日程表を見ながら、宰相グラハートの言葉をもう一度思い出す。

 それから、マリーは脱力したように、机に突っ伏した。


(ああ〜。忙しい…………。まったく………なんて迷惑なことを……………)


 マリーは、会ったこともないアマリス大公国の公子フェイルン・ファン・アマリスのことが、憎たらしくなってきた。

 元を辿れば、全~~~~部っコイツのせいである。

 今、マリーが書類の山に埋もれていることも、外交官見習いの位を返上しなければならなかったことも、そして“婚礼前にやること”リストまで読まなくてはならないことも、すべて。

 でも。


(こうなってしまった以上、仕方がないわ。私は、どんな書類の山にも負けないっ! あきらめてやるもんですか! さ、やるわよ――――っっ!!)


 マリーは無理矢理、空元気を出すことにした。


(待ってなさい、フェイルン・ファン・アマリス! ロクでもない理由だったら、タダじゃおかないわ! この私を呼びつけたのだもの、あなたの覚悟、とくと見せてもらおうじゃないの!)


 打倒、フェイルン・ファン・アマリス!

 彼女は、燃えていた。


 そのために、やることはてんこ盛りである。下手をしたら、寝ている暇さえないかもしれない。

 そう思いながらも、書類をどかどかどかっと三等分して執務机の上に置く。その山を見て、マリーは息をついた。


(さてと………。これはさらに二徹ぐらい、覚悟した方がいい…………か、も?)


 そう思って新たな気合を入れていたとき。

 執務室の扉を、誰かがノックする音が聞こえた。


「失礼いたします。李 龍斗とシリル・グリファンです。殿下。少しよろしいでしょうか?」


「龍斗とシリル? ええ…………どうぞ」


 マリーは、首を傾げた。

 そして、時計をちらりと見る。

 通常なら、この時間は近衛軍の演習を行っているはずだったからだ。

 そんな彼女の疑問も、彼らが入室してくると、何故か吹き飛んで、消えてしまった。


「失礼いたします」と、折り目正しい龍斗。


 一方。

「お邪魔するよ〜」と、さも当たり前のように、まるで自室のように入室してくるシリル。


 彼らは足の踏み場もないくらい荒れた部屋から、ソファーと小机を発掘した、のだが。


「相変わらず汚いねぇ〜、この部屋は。グチャグチャっと丸まっている紙束に、天井までとどきそうな書類の山。いかにも整理整頓を怠った典型的な部屋だね。君、こんなんじゃ嫁に行けないよ」


 開口一番、シリルは言わなくてもいいことを、口にした。


「行く気はないから、安心しなさい。それに、婚期はとっくに逃していますから」


 それに、生真面目に返答するマリー。

 そんな彼女の反応に、シリルは嬉しそうに笑った。


「あ、そうだった。ごめんごめん、行き遅れさん」


「………………出て行きなさい」


 マリーの眉間に青筋が浮かんだ。

 なんでコイツは、いつもいつも、人の神経を逆撫でするようなことしか言わないのだ。それに、自分が激務に潰されて、片付けすら満足に出来ない状況に置かれていることを、どうせ知っているくせに。

 そんな柳眉を逆立たせる彼女を見て、


「まぁ、機嫌なおしてよ。これ、持って来たからさ」


と言うと、シリルはドンッと執務机に何かを置いた。

 それを見たマリーは、さらに眉根を寄せる。


「またお酒? いつもいつも、あなたはそうよね。こんなに日も高い時間から酒盛りなんてしないのっ! これでもあんたはフロシア王国王宮近衛軍の将軍かっ‼︎」


「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて。そんなに怒ってばかりでは、寿命も縮まりますよ、殿下」


 龍斗は宥めるように言った。

 まったく、この相性最悪・まるで水と油のような関係の二人の間にいたら、自分の寿命も縮まりそうだ。

 そんな彼の胸中など歯牙にも掛けないシリルは、さらに笑みを深くした。


「そうだよ、怒ったら君の可愛らしい顔が台無しだ。ほら、笑って笑って」


「あんたは黙って出てけ」


 怒られてもなおふざけるシリルに、マリーは一刀両断する。 

 取り付く島がないと言うのはこう言うことを言うのだろう。龍斗は、そう思った。

 そんな彼の従妹である王女様(マリー)も、額に右手をあて、ため息をついて、こう言った。


「はぁ〜。まったく…………。近衛の三華の名が泣くわ〜」


(泣きたいのは私ですよ、殿下)


 龍斗は、心の中で呟く。彼も、なんだか嘆息したくなった。


 そんな黒髪の美男美女従兄妹(マリーと龍斗のこと)の嘆きなど、どこ吹く風とばかりに、シリルはいそいそと、持参した白ワインをワイングラス(これもシリルの持参品)にいれた。


「はいっ、お二人とも。悩みがあるなら、お酒を飲もう。お酒が飲めば、口が軽くなる。お酒を飲めば、みんなお友達。日頃の悩みがアッと言う間に吹き飛ぶ。さ、君もお酒を飲もう!」


「「……………………………………」」


 マリーと龍斗は、物凄い脱力感に襲われた。

 …………なんだ、この露天の酒売りの口上のような言葉は。しかも、とってもへったくそ。


「………………わかったわ。仕方がない。一杯だけ付き合うわ」


 こんなふざけた奴にいちいち怒るのも馬鹿らしくなってきたマリーと龍斗は、仕方がなく一杯付き合うことにした。


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