第一章 九話

「いったたた……」

 容赦のない大男の指導に完全に翻弄され、幼児のちゃんばらのようになってしまった。こんなんで本当に試験に受かるのかと不安な顔をしていると、大男はからからと笑った。

「俺に勝とうなんぞ、百万年早い」

 確かにその通りかもしれない。若干痛めた腰を庇いながら、おれは部屋へと戻った。すると部屋の中で剣の素振りをしていたエルが振り向いて、ぷっと笑いを漏らす。

「随分良い格好だな」

「笑うな、あぃってて……おれはこんな筋肉の使い方に慣れてないんだから」

「慣れた時はどれほどなのかを期待しているよ。それより最後は式術の試験だ」

 どうやら案内するようにと指示されていたらしい。正直、少しくらい休みたいところだが、最後だからと急かされる。

「もうそろそろ、どんな試験をするのか教えてくれてもいいんじゃない?」

 最初は駒遊び、その次はちゃんばら。最後くらい普通の筆記試験でいてくれと願う。これじゃあ、今まで勉強したのはなんだったのかと気落ちしてしまう。

「そんな難しく考えるなよ。おまえは試験に通る。俺はそんな気がしてるよ」

「簡単に言うなあ。そもそも式術っていうのがどんなものなのか、まだ分かってないのに」

「あって当たり前のものだからなあ。なんて説明をしたらいいのか」

 この学校には三つの科があるという。騎士科に軍師科、最後が式術師科だ。騎士に軍師ならばなんとなく想像が付く。だけど式術師なんて言葉はあちらの世界にはない。必然、どういうものが試験に出るのかも見当が付かないのに、頼りたい説明役はこんな調子だ。まいってしまう。

「まあ力が入り過ぎていると良いこともないしな」

 正教会の塔ほど高くはないが、堅牢な赤い煉瓦造りの塔に足を踏み入れる。

「式術は頭で覚えることじゃない。素直に感じるままがいいって、昔聞いたな」

「感じるまま?」

 頷いたエルが大きな扉の前で足を止め、ノックをする。

 中から聞いたことのある了解の声が響く。居たのはレヴィ先生だった。

「よく来ましたね」

 よく見ると、他にも数人の先生らしき人物が部屋の壁に沿って立っている。

 エルはおれの背中を押すと、小声でささやいた。

「俺は戻るけど、一人で部屋まで帰ってこられるよな」

「うん。ありがとう」

 少し緊張しながら頷くと、エルはにやりと笑って背中を強く叩く。

「だーいじょうぶだって」

 それだけ言うと、ぱたりと扉を閉めていってしまう。エルの馬鹿力に少しよろめきながら、部屋の中央に進んだ。

「さて、クレイくん。式術の試験を始めましょうか」

「はい」

 緊張にごくりと喉を鳴らす。

 椅子に座って目を閉じるように促される。

「気を楽に。君はただ想像してください」

 なんだやっぱり勉強は必要なかったんじゃないか。

 幾分騙された気がしながら、肩の力を抜いた。

「そう、力を抜いて。想像するというのは簡単なようで、難しいんです。集中して」

 レヴィ先生がそっと杖を叩いた。何かおれには理解できない言葉を呟く。しばらくしんとした空気が流れるが、レヴィ先生がふぅと息を吐くのをきっかけに、囁かれる言葉。

「……式役がいないというのは本当だったか……」

「しかし、いないなんていうのは」

「……信じられないが、目の前で起こったことは否定できない」

 そういえば、式役がどうのって言っていたなと思いだす。漁った教本の中に式役について言及しているものがなかったから、今まで思い出さずにいた。いないと何か問題でもあるのだろうか。

「自分が何者なのか。今までの記憶、自分を形作ってきたもの、細胞の一つ一つを想像して」

 自分がどんな人物かなんて、そう簡単に言われてもわからない。えーと、とりあえずじいちゃん、ばあちゃんが好きで、おれの全てでもあった。存在感が無いというより、空気のような存在で居るようになったのは、――忘れようもない。


 暗い底から見上げた空。泣き声が耳の奥で響き始める。


「……急に言われたって、わかりませんよ」

 そんなものがわからなくてはいけないなんて、式術はなんて難解なものなのだろう。

「あのぅ……」

「なんだい?」

「式役とやらがいないと、何か支障があるんでしょうか?」

 おれの問いに、レヴィ先生は肩を竦めた。

「そんな人に出会ったのが初めてだからね。確証はないけれども、おそらく式術は使えない」

「式術が使えないと、問題が?」

「まあ、普通に暮らす分には問題はないかもしれない。多少不便だろうけどね。しかし、そんな人物はまず精鋭にはなれない」

 普通に生きていけるなら問題は特にないのではないだろうか。おれは学院で成績を究めようなどとは思ってもない。だが、そんな者は学院にいることはまかりならんとでも言われてしまったら、おれは安全な場所を失うことになりかねない。とすると、何か代わりの方法を考えなくてはいけない。

 真剣に考え始めたところ、レヴィ先生が深いため息を吐いた。

「これだけ引き出そうとしても何も起こらないんじゃ、どうしようもないね。そもそも式役がいないんだから式術が使えないのも当たり前か」

「そもそも式術っていうのはなんなのですか?」

 一瞬おかしな顔をしたレヴィ先生は、ぽんと手を打った。

「そうか、君の世界に式術はないのだったかな」

「はい」

「簡単に言うとね、各個人に備わっている式役を使役することだよ」

「だから式役がいないと力が使えないってことですか?」

「そういうことになるね」

 確かに今のままではおれは落ちこぼれどころではない。入学さえ怪しいところだろう。今から考えて、果たしてどうにか出来ることだろうか。

「試験はここまで。あとは部屋に戻ってゆっくりしていてください」

 早口でまくしたてられ、こくこくと頷いたおれは、さっさと部屋を後にした。絶対に落ちた、そう確信を残して。





「これほどの問題児だとは思いもしませんでしたよ」

 誰にも気付かれないように笑むと、疲れて壁にもたれている教授陣に振りなおる。

「さて、いかがでしたでしょうか」

「式役がいないのに……学院に入れる必要はあると?」

「ですが、式術学の新しい研究対象にはなるかと」

「確かに……だが、どうする気だ? 軍師科にでもいれるのか」

「それでも式術が使えない、剣も対して上手くないというのでは身の危険を自分で守れるのか」

 幾人もが同時にため息を吐き、思い悩む表情を浮かべる。

「学院に置くには、少々危険な人物なのではないかね」

 教授陣は誰もが黙りこむ。しばらく時が流れ、私はぽつりと漏らす。

「いっそ式術科に入れてみてはいかがでしょう」

「レヴィ先生、どういうつもりで?」

 訝しげな目を向けられるが、飄々してみせる。

「彼がこのまま無用の長物になるとは思えないのです。目が理知的で、何か新しいことでも見つけてくるかもしれない。野放しにしておく方が余程危険ではないでしょうか」

「しかし誰が彼を見張るというのかね」

「それは私が」

 抜け目なく答えると、頷く者が何人も現れる。

「それならば、学院で保護した方が良いかもしれぬな」

「新しい力を見つけたなら、いつこちらに刃となって向いてくるか」

「然り。今のうちに取り込んでおくのも手だ」

 爺さん方を操るのは簡単だ。なるべく嬉しいという感情を出さないように、神妙に告げた。

「私が彼の力を見極めましょう」

 私にとってどれほどの利があるのか誰も気取っていない。これだからこの仕事を辞められないのだ。


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