特別言語管理部

@Kayafukurou

特別言語管理部(ショートショート)

 まったくとんだ阿呆だ。

 小説の選考会の帰り道、米倉は自分の小説を落とした面々を思い出していた。僕の小説を落とすだって。まったく馬鹿な奴らだ。理解ができない。「少々突飛だね、よくわからないな」米倉の頭に彼の作品を落とした選考委員の言葉が渦巻く。畜生、凡人どもめ。たとえ、この世の終わりまでファックを叫び続けても足らないくらいに無能な奴らだ。

 まぁいい。こんな日は涼に電話をするに限る。僕を理解してくれるのは彼女だけだ。米倉は吸っていタバコの火を靴の裏に押し付けて消すと、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出した。

 夢野涼。画面に表示されたその文字を見てにやつきながら、米倉は通話ボタンを押した。しかし、結果は留守電。米倉は歯がゆい気持ちを抑えきることができず、その場にしゃがみ込んでうなだれた。出ろよ。僕が要求した時に出るのがお前の存在意義だろ。自然とあふれ出た涙が頬を伝う。まぁ、いいよ。後から責め立ててやる。米倉はジャケットの裾で涙を拭い、顔を上げた。だが、すぐに驚きで尻餅をついた。

 な、なんだあいつ。

 数メートル先の電柱の下に、真っ赤なトレンチコートを着た、ロングヘア―の若そうな女が立っているのが、近くの自販機の光に照らされてぼんやりと見えた。女は無表情でこちらを見ていた。米倉は得体の知れない恐怖を感じ、急いでその場を立ち去ろうとした。あれは絶対見てはいけない類のものだ。

「ちょっと待って」

 その時、突然、女が米倉を呼び止めた。反射的に振り返る。彼女はまっすぐに米倉の方へ歩いてきた。

「私、怪しい者じゃないから」女は米倉の前で立ち止まった。相変わらずの無表情だ。米倉は女を観察する。怖い。この無表情に、淡々とした話し方は恐怖だ。だが、よく見れば美人じゃないか。これは話す価値がありそうだ。

「えっと、怪しい者じゃないってのは無理があると思うんだけど」

「なぜ?」

「だって、こんな誰もいない通りで、深夜一人で佇んでいるなんてどう考えてもおかしいでしょ」

 女は米倉の言葉にやれやれと呆れた様子で首を振る。そして、コートの懐から何かを取り出すと米倉の目の前にかざした

「特別言語管理部?」

 それは、警察手帳のようなものだった。黒の手帳に特別言語管理部と金で刻印され、隣には彼女の写真が貼られている。その下には北野由紀と名前が印字されていた。

「一種の公務員と考えてくれていい。現代に多大なる影響を及ぼす過去の言葉の乱れを正す組織。わかった?」そう言い終わると、北野は手帳を懐に戻した。

「いや、わからない」

「なぜ? 私は理解可能な日本語で言ったはずだけど」

 北野は心底不思議そうに小首を傾げた。あたりまえだろ、いきなり過去の言葉を乱れを正す組織とか言われても意味がわかんねぇよ。彼女は何者なのか、米倉は思案を巡らす。たどり着いた答えは簡単なものだった。それが一番道理にかなっているように彼には思えた。

「君、痛い子だろ」

「は?」

「いや、だって、説明が意味不明だし、第一、そんな公的組織存在しないし」

 米倉の発言を聞いて、北野はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「はいはい、なるほど、そういうことね。あなたがそんなことを言うと思って、わざわざこの時間帯を選んだんだ。ほら、見て」北野は夜空を指差した。その先には一機の旅客機が飛んでいた。近くに空港があるのだ。

「ただの飛行機だろ」

「うん、ただの飛行機だよ。けど、あの飛行機、今から爆発するよ」

 北野がそう言うや否や、旅客機の左翼が突然爆発した。飛行が不安定になった旅客機はきりもみしながら地上に落下、大きなビルに衝突して大爆発を起こした。米倉は驚愕の表情で彼女の方を見た。

「今のは明日の一面になるはずだよ。HAL609便墜落ってね。たしか、死者1902人、負傷者2000人、21世紀最大の飛行機墜落事故のはずだよ。事故原因は左エンジンの整備不良。この時代の移動手段は怖いよね」

 北野の口調は淡々としていた。まるで、文献の引用をしているようだ。米倉はそんな彼女の態度に強烈な違和感と嫌悪感を抱いた。

「なんでそんな冷静でいられるんだよ……」

「なんでって。ここまできたら普通わかんないかなぁ」北野は米倉を馬鹿にするように鼻で笑う。「私は未来から来たの。特別言語管理部からの指令を受けてね。そんな私にとっては、今の事故なんか古代の歴史的事実でしかないの。ほら、あなたが教科書で本能寺の変を見て、へーそんなことがあったんだーってあほ面下げて思うくらい昔の出来事ってこと。わかった?」

「わ、わかった。つまり、未来には特別言語管理部って組織があって、北野さんはその組織の一員ってことか。でも、なんで僕に」

「気安く名前を呼ばないで」北野は冷たい口調で米倉の話をさえぎる。「あなたのせいで、未来の世界の言語と経済が乱れきっているからよ。あなた、普段から口汚く罵る癖があるよね。うん、あるんだよ。あるから、私があなたに会いに来たんだから。ほんとなら現代勤務のはずなのにね」

「ちょっと待ってくれよ。なんで、僕のその癖がそんなたいそれた事態につながるんだ。それに、僕よりひどい奴なんて世界中にいるだろう」

 米倉の言葉を聞いて、北野は少し黙った。

「そうね、説明不足だったわ。未来の世界で、世界政府によってある法律が制定された。悪性言語一般使用規制法。ある時、世界政府は、プラスイメージの言葉、つまりgoodとかかわいいって言葉が人間の負の感情を減らし、逆にfuckとかブサイクとかのマイナスイメージの言葉が負の感情を増幅させる効果があることを発見した。それから数多の研究の果てに、マイナスイメージの言葉を使用できなくする薬、NO ABUSEを開発。悪性言語の使用権は、言語の歴史や現状を管理する組織、言語管理部と特別言語管理部以外の人間から剥奪され、大半の負の感情の発生源を失った人間からは争いは生まれず、世界は平和になったかに思えた」

「思えた?」

「えぇ。けど、その千年後、薬の効果を自力で打ち消し、悪性言語を使用する力を取り戻した人間達がいた。千年の間に悪性言語への免疫を失った普通の人たちにとって、彼らの悪口はショック死をもたらすほどの物だった。彼らは暴れ、街を破壊しつくした」

「ちょっと待て」

「なに」

「言葉で街は破壊できないだろ」

 北野は呆れたように大きなため息を一つついた。

「あなた、こんな話を知ってる? ある女が毎日、家の観葉植物に愚痴を浴びせていた。そして、ある日、突然その植物が折れちゃったって話」

「知ってるよ」

「それと同じことよ。悪性言語は、ビルや車などの無機物にもダメージを与えているの」

「なるほど、悪性言語は万物にダメージを与えることができるってわけか。けど、小さな植物でさえ、何年もかかるんだろう。ビルなんかだったら、何百年もかかるんじゃないのか」

「話聞いてた? 地球上のすべてのものは、1000年の間、悪性言語に曝されていなかったんだよ。当然、人間と同様に耐性も失われているに決まっているじゃん」

 なるほど、だが、今までの話を統合すると…… 米倉は彼女が言わんとしようとしていることをはっきりと理解した。

「お察しの通り。自力で悪性言語を取り戻した人間。世界政府から、PSIL、People Speaking Illegal Language(違法な言葉を話す者達)と呼ばれているのはあなたの末裔達だよ。そして、その根本の原因たる米倉敦、あなたを処理しに来たってわけ。まぁ、PSILは正式名称で、一般的には皮肉を込めて、Old People(老人)って呼ばれているけどね。ほんとは、みんなFucking Men(いまいましいやつら)とでも言いたいところだろうけど、未来の世界でFuckなんて言ったら、ビルが消し飛ぶレベルだから言えないし、そもそも薬によって悪性言語を話す脳の回路が封印されているから言えないけどね」

 処理。米倉の頭にそのワードが渦巻く。殺すってことか?

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 処理って僕を殺すのか」米倉は怯えながら、おそるおそるそう尋ねた。それを聞いて北野はニヤリと笑い、右手を懐に入れた。

「殺す。そうね、殺しちゃいましょうか」

 北野は右手を引き抜き、何かを米倉の方へ向けた。米倉は情けない声を上げ、恐怖のあまりその場にへたり込んだ。

「や、やめてくれ。もう汚い言葉は使わないから!」

 米倉は土下座する勢いで、北野の前に跪いた。

「冗談だよ」北野は右手に持った何かを操作しながらそう言った。

「え?」

「だから冗談だって。過去の人間を殺すのは特管の役目じゃないし」

「じゃあその機械は」

 米倉は北野が操作する機械を指差した。

「あぁ、これ? これは薬によるあなたの更生可能レベルを示してくれる機械だよ。安心して、あなたの更生可能レベルは最大の10。やっぱり、この時代に来て良かった」

 北野の言葉を聞いて、米倉は無言で立ち上がる。彼の頭には安心と同時に起こった怒りが渦巻いでいた。

「ごめんね」不意に北野がしゅんとした様子で、謝罪の言葉を口にした。ちくしょう、彼女が美人でなければ馬頭に罵倒を重ねているのに。米倉は急速に怒りが薄まってきているのを情けなく思った。

「いいよ。別に気にしていないし」

「あ、そう。なら薬打つから早く腕を出して。私、早く帰りたいんだよね。洗濯物を干したまんまだし」しゅんとした様子から一転、また北野はさっきまでの高飛車な態度に戻った。こいつ、演技をしていたな。

「なぁ、もし、僕が打つことを拒否したらそうなるの」

「それは」少し間を置く北野。「特管以外の何かがこの時代に来て、あなたに何かをすると思うよ。恐ろしくて、私の口からはとても言えないけどね……」

「う、打ってくれ!」恐怖を感じ、米倉は急いで右腕のシャツをまくり上げると、北野の方へ差し出した。

「じゃあ、いくよ」北野は米倉の腕を取り、先ほどの機械をそこに当てた。一連の過程が怖くて、米倉は目を逸らした。わずかな痛みがちくりと走った。すぐに視界が歪み始めた。

「私は……だよ」

 混濁する意識の中、米倉は彼女の口の動きを追っていた。必死で聞き取ろうとしたがついに理解できなかった。そこで、米倉の意識は途切れた。


 着信を知らせるスマートフォンのバイブレーション機能で米倉は目覚めた。

 いったい何をしていたんだ。米倉は起き上がり、辺りを見渡した。たしか、小説の選考会の帰りだったんだ。あの電柱のところで曲がって…… だめだ。そこから記憶がない。

 米倉はとりあえずスマートフォンの通話ボタンを押した。

「あ、ごめん。ちょっと仕事が長引いちゃって出れなかったんだ。ほんとにごめん」

 涼か。

「いいよ、別に」

「え、いいの」夢野は驚いているようだった。米倉は恋人のそんな反応を疑問に思った。

「仕事が忙しかったんだろ。人それぞれ都合があるし、別にいいよ。それより大丈夫か」

「だ、大丈夫とは」

「いや、飛行機が墜落しただろう。お前の職場に被害が出てないかと思ってさ」

 なんでこんなことを知っているんだ。言葉を発してから、米倉は疑問に思った。

「大丈夫だけど、本当に敦?」

「正真正銘の米倉敦だよ。どうして」

「いや、なんとなく……」

 米倉は夢野の反応をおかしく思いながら、夜空を見上げた。空は澄み渡り、いつにもまして星が輝いているようだった。右腕に痛みが走った。けど、米倉はそれを不快には感じなかったのだった。





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