追記

戦況に敏感になれ

 先日、安保法案反対デモに参加していた友人とデモの話をした。私が持った「彼らが戦っている」という印象は合っていたそうだ。というか、「戦っている」のだとはっきり言われてしまった。

 会った場所が議論の場ではなかったのでそれ以上深く掘り下げなかったが、思うところがあったので、勝手に話題にされる彼には申し訳ないが、この場を借りて、考えをまとめてみようと思う。


 戦うことはいいことだと思う。だけど、それは勝てる場合だけだ。

 戦う相手は間違っていないか、その戦法に効果があるのか、戦略に無理はないか、武器は揃っているのか、使いこなせているのか、機は熟しているのか、そういったあらゆる観点から考慮したうえで、その戦いに費やした努力に見合う勝利が待っている時だけ、戦うことは正しい。そうでなければ、誰かに利用されて、踏み台にされて、いいようにされて、他人の利益を生むだけの、咬ませ犬? まあ、言い方はよくわからないけど、そういうもったいない人生を送ってしまう可能性が出てくる。

 わざわざ負け戦に出向いている暇なんかない、と誰だって思うだろう。だけど、勝つ人がいるということは、負ける人もいるのは当然のことで、この平和な国では、多くの人が、自分が負けていることにさえ気付いていないかもしれない。


 自分が戦うべき戦場がどこかを知り、そこに出向き、確実な勝利を得るために、立ち止まって戦況を見ることが必要なのだ。

 生活していると、だんだんと目の前のことに追われて、自分の本当の戦場がそこなのかを考える余裕をなくしてしまう。そういう時は、ただ神経をすり減らして、人生を意味なく過ごしてしまっているかもしれない。

 今私達に必要なものは戦う機会ではない。勝てる戦場だ。その戦場は人それぞれ違っていて、それを見抜くことができるのは自分しかいない。誰も助けてなんかくれない。だって、誰もが敵だから。自分の幸せは自分で掴むしかない。


 先ほども書いたが、勝つ人がいれば負ける人も同時に存在する。どんなに頑張っても負けることはある。でも、戦いは一度きりじゃない。何度も何度も繰り返し戦って、得て、奪って、奪われて、取り返して、の連続だ。そうやって循環していくことこそがこの世の正しい在り方なんだと思う。

 まず私達がするべきことは、戦況に敏感になることだ。

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闘争心という正義 伊豆 可未名 @3kura10nuts

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