アイスケーキと猫の再会
胸の前に手を当て深呼吸する。
心臓はどきどきと鼓動を刻んでいた。
日曜の午後、わたしは見慣れた洋館の前に立っている。
門扉の先には赤い屋根にクリーム色の木壁。
ドールハウスみたいなこの家に訪れるのはいつ振りだろうか……。
夢を除けば一年近いかな。
手には借り物の絵本とお土産をぶら下げ、あいた左手でインターホンを恐る恐る押した。
ピンポーン。
洋館に似つかわしくない電子的な音。
ああ、もう後戻り出来ないなそう思ったら、自然足に力が入る。
大丈夫ここに来るために、出来る限りの準備をしてきた。
それでも体は緊張し、ぎこちない動きになる。
本当言うと、自分でも分かる位に体は強張り、屋敷に向かうまでに三回も転びそうになった。
情けない。
自分の不甲斐なさに頭を振り、足に力を込めた。
震える足で大地を踏みしめ直す。
右、左。右、左。
三度目に踵をあげた頃、ぶぶぶっと機械が音をあげた。
「いらっしゃい。ちょっと待ってね。」
優しい鈴のような声はもう聞きなれたさくらさんのものだ。
声と入れ替わるように扉が開く音。
ばたばたとこちらに来る音ですぐに彼だと気付いた。
「こんにちは、深月くん」
こちらに駆けて来る黒い頭に向かって声をかける。
相変わらず、元気な男の子だ。
深月くんはすたすたと階段を降り、こちらに近づいてくる。
門扉の前に来た時には、いつも見るいたずらっ子の顔をしていた。
「待ってたぞ!」
門扉を開けた彼はわたしの手を取り、ぐいぐいと引っ張っる。
「あ、あの」
声を上げる間も心の準備をする間もなく、ずんずん進む彼に連れられ屋敷の階段を上る。
一段。
どうしよう。
二段。
この階段を上がりきったら、庭が見えてくる。
三段。
荷物を持った手が震え、自然と首にかかるお守りに触れていた。
お土産の紙袋が音を上げたのと同じタイミングで、手を引いていた彼が振り返った。
「どうした?」
心配するような視線を向けられ、どう話したら良いかと思い悩む。
私は怖くても、彼らにとっては大事な場所だ……。
余計な事は言えないし……。
「やっぱり、まだ具合悪いのか?」
「ち、違うの。あのね、ここに来るのは久しぶりだから……」
心配してくれる彼に、ここの庭が怖いのとも言いだせず声はだんだん弱くなった。
下手な事を言って彼に不快な思いはさせたくなかったし、かといって自分の勇気を奮い立たせることも出来ない。
何と女々しいのだろう。
彼の顔色を窺いそうになってから、これじゃ駄目だと思いなおした。
いつまでも、逃げてばかりはいられない。
ぎゅっとお守りを一握りし、手を離した。
頑張れ私!怖々一歩目を踏み出す。
その時、隣から声が掛かった。
「俺もさ、ここに来るの嫌だったんだ」
彼は気まずそうに苦笑いしてから、怖かったんだよなあと笑って言った。
驚いた、彼も怖いと思ったのか。
「良い思い出ばっかりだったのにな。おかしいだろ?」
照れたように言う彼に励まされた。
手をぎゅっと握る。
怖いのは私だけじゃないのか……。
そっか。
深月くんの言葉で心に力が湧いてきた。
皆怖い物がある。
それは自然な事なんだ。
一歩、彼より先に踏み出す。
怖いことは恥ずかしい事じゃない。
一歩。
皆怖い物がある。
最後の一段。
思い切り、踏み込んで上りきった。
顔を上げた先には、緑の木々と白いひなぎくが無邪気に咲いていた。
綺麗。
風に揺れる庭園は穏やかに、私の記憶と変わりなくそこにあった。
咲く花は変われど、大事に大事に慈しまれた風景は全然怖くない。
安堵と暖かい気持ちが胸に広がった。
「今は、俺や姉ちゃんが交代で面倒見てるんだ」
嬉しそうに、誇らしそうに言う彼を眩しく感じる。
ああ、彼にとってここは怖い場所じゃなくなったんだ。
良かった。
楽しい思い出が怖いに変わらなくて、変わったままじゃなくて本当に良かった。
私がそう思えたのは彼のおかげだ。
「深月くんは凄いね」
庭を見つめたまま彼に話しかける。
繋いだ手が少し動くのを感じた。
「怖いと思うのを認めるのは、とても勇気がいるよね。わたしにはそれが出来なかった。怖いと思っても、きっと人に言えない。誰かに自分の弱みを見せるのって、とても怖いもん。」
羨ましい、そう思ってすぐに頭を振った。
良いと思うものは出来るだけ真似しよう。
少しでも自分が良くなるように。
見習わなくちゃって言い終える前に、耳が足音を拾った。
ふり返ると、さくらさんが近くの花壇脇に隠れていて、わたしと目が合う。
「ごめんなさい。来るのに随分時間がかかっていたから、気になって」
すまなそうに言う彼女にこちらこそすみませんとお詫びを言い、隣の彼を引っ張る。
「深月くん、行こうか」
珍しく俯いていた彼の反応は芳しくない。
……ん?
耳が真っ赤だった。
ストレートに言いすぎたかな?
そう思って話しかけようとするわたしに、別の声がかかった。
「ねえ、桃子ちゃん。外は寒いしそろそろ家に入りましょう」
私の荷物をそっと引き取り、あいた手を繋ぐ。
この兄弟は繋ぐのが好きなんだな。
三人で手を繋いで屋敷を目指す。
見上げた空は晴れ渡り、澄んだ空気を吸い込んだ。
冬はもう近く、風は冷たい。
でも、私の両手はとても温かかった。
世渡り上手は跳び上手 @kawanoko
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