第8話 盲信の生贄
「発見!11時方向。」
レシーバーを通して古川の耳に届く。床に取り付けられたボタンやレバーを敷き詰めたコンソールボックスを中央に挟んで左右にあるパイロットの座席。その背もたれ越しにコックピットを覗き込むと左側の席の男が手袋(グローブ)で太くなった人差し指を真っ直ぐに伸ばす。
その先に一眼レフを向けた古川は、砂漠の眩しい白に馴染みきれていない棒のような群れをファインダーの中心に捉えて一気にズームアップする。
-ひとつ、ふたつ、いや2人-
その表現が適切じゃないことを戒める。
ファインダーを通して見る景色は、いつも非現実的だ。まるで自分が現場にいるのを忘れてしまう。だからファインダー越しに見つけた人間を物のように扱ってしまう。だが、この「非現実的」な景色に身を置いている事を忘れたために命を落とした連中が少なくない事を古川は知っている。
僅か3分程度で航空自衛隊のC-130H「ピースメーカー01」から脱出した乗員を救助した陸上自衛隊の汎用ヘリコプターUH-1J4機が離陸して編隊を整える頃、回収地点の周囲を低空で這うようにして警戒していたアメリカ軍のAH64Dアパッチ4機が思い思いに前傾姿勢を強めて加速しながらUH-1Jの編隊を追い抜いていく、各機から負傷者がいないことを無線で確認したUH-1Jの隊長機は全機にC-130H「ピースローダー01」に残る武元機長の救出に向かうことを指示し、自らのサイクリックレバーを前に傾けながらコレクテゥブを調整してスロットルをいっぱいに回すのが古川の目に入り、カメラを持ち直してヘリの前傾姿勢と加速に備える。
ヘリのクルーが一瞬にしてざわめく。無線に何か情報が入ったようだ。指差し示す方向に目を凝らした古川は、遥か彼方に先行していた米粒ほどのアパッチが獲物を見つけた狼の群れのように低空で旋回しているを見つけた。
その中心にカメラを向けて望遠レンズのズームを最大にする。
-信じたくない現実-
真実をカメラに収めるのを生業にしている古川にとって滅多にない感情が渦巻く。進化を忘れたかのような台形の垂直尾翼は間違いなくC-130輸送機のそれであり、水色に塗られたそれは、紛れもなく航空自衛隊のものであることを意味していた。そしてその水色の胴体の前方は白茶けた岩山に潰され、コックピットは見あたらない。そして垂直尾翼の下、カーゴドアから蜂の巣をつついたように人が散らばっていく。その数30名程度、数えているうちにどんどん大きく見えてくる。女子供に混じって武器ー旧ソビエト製のAK74自動小銃ーを手にしたゲリラも見える。ピースローダー01が山の向こうに運ぼうとしていた物資は、敵対勢力である彼らにとっても必要不可欠な物資だ。しかも積み荷には武器弾薬まで含まれている。だがアパッチの出現に驚いた彼らは荷物を投げ出して我先に逃げ出しているようだ。
「まずい。民間人とゲリラがいます。」
古川がコックピットに向かって大声で叫ぶ。
「了解。」
真っ黒いサンバイザーで頬まで覆われた隊長の表情は伺えないが、歪めた口元が苦悶を示し、突き出たマイクを口元に寄せたまま動かない指に迷いを感じ取った。
そりゃそうだ。自衛隊が今まで経験したことのない最悪のシチュエーションに違いない。略奪中の民間人に混じるゲリラ、そこに救助しなければならない隊員がいる。しかも、潰れたコックピットからその隊員を救助するためには、絶対に排除せねばならない。だが、どうやって。
「ピースピッカー01より司令部。ピースローダー01発見。ピースローダー01は不時着して岩山に衝突。コックピットは全損し今のところ武元一尉は見あたらず。民間人とゲリラが物資を略奪中。救出のためには、排除する必要あり。指示を乞う。さらにピースピッカーはヘリボーンによる地上部隊の派遣を要請。送れ。」
統制した管制を行っている米軍のピースキーパーではなく、自衛隊の現地司令部に直接報告しているようだ。
「本部了解。米軍と協議する。なお、先行していたアパッチは燃料補給のため帰還するそうだ。ピースピッカーは燃料が続く限り現場にて待機せよ。火器の使用は厳禁。送れ。」
「ピースピッカー。了解。」
まるで司令部に聞かせるかのように盛大に舌打ちをして交信を終えた隊長は、拳で自分の太股を叩く。
「このまま指をくわえて見てろって事か。」
命令には逆らえないのが軍隊であり、自衛隊だ。ましてこの事態だ。現場で判断することも出来ないし。その基準となる規範も整備されていない。集団的自衛権行使がやっと認められた事で「出来る事」が他国部隊への駆け付け警護にまで拡大したが、「どういう場合撃っていいのか、」が現実的でない。そして民間人がゲリラと行動を共にしているところが状況を複雑にしている。
全てが想定外。だ。
いや、想定外なんかじゃない。
そもそも交戦地帯や敵対勢力の上空を飛ぶことを認めたからには、すぐそこにある危機なのだ。当たり前に発生しうる状況だ。
隊長の苦悶が古川にも痛いほど伝わってくる。
「ピースピッカー01より各機へ。聞いての通りだ。上空で待機。略奪中の「敵」は小火器を持っている。各機注意して俺に続き飛行せよ。」
命じた隊長は、サイクリックレバーとコレクティブハンドルを握ると「アイハブ」と副操縦士に告げて、高度を下げながら加速した。周囲にアパッチがいるからか、まだ攻撃をしこないゲリラ、そして民衆を蹴散らすようにピースローダー01の尾翼の真横をすり抜ける。速度を殺すように大きく旋回しながら上昇し様子を見るが、アパッチが去ったためか、彼らは再び輸送機に群がり始めた。威嚇は無意味だと悟った隊長は、燃料を温存するために低速での旋回に移った。こちらが攻撃できないと踏んで堂々と略奪を続けている。こちらは両側のドアに機関銃を備えているが、彼らに向けてはいけない。そういう決まりだ。そして略奪をしている彼らは-攻撃されなければ日本人は攻撃できない-と言うことを知っている。
「なめやがって。」
武元一尉が負傷している場合、一刻も早く救助しなければならない。手も足も出せない焦りと苛立ちが機内に充満している。
僚機に旋回を続けるように命じて隊長機がだけがゆっくり接近を始めた。民間人である古川が搭乗しているため、最も安全を確保しなければならない立場の機体だが、この隊長は、隊長であることの本分を優先している。それは古川にもありがたいことだった。それはジャーナリスト的な野次馬根性からではなく、どさくさに紛れて飛び乗った機体がたまたま隊長機だったということだけで、人命のかかったこの危機的状況で足を引っ張りたくなかったからだ。
100mまで接近しても、地上では略奪を止めようとしない。隊長機は距離を保ったままゆっくりと所在無げに旋回を始めた。近付いても威嚇にならない。完全に舐められている。銃身を真下に下げたまま射手が乾いた唇を噛み締めている。彼がいちばん悔しいに違いない、武器を任されながらもそれを向けることを許されていないからだ。機体側面の7割を占める大型のスライドドアを開け放って床に座り、足を機外のステップに乗せる射手。その背中越しの景色に古川はシャッターを切り続ける。警察権の行使を認められている派遣隊の建前からすれば、目の前で行われている略奪行為を取り締まることが可能な筈だが、交戦行為と捉えかねない、そう司令部が判断したのだろう。さらに要救助者がいるというのにこの体たらくだ。負傷していたら時間との勝負であり、さらに捕らわれたら助けようがない。
-なぜこれほどまでに日本は当たり前のことが出来ないんだ-
古川も機内の悔しさの渦に巻き込まれる、スコープで狙いをつけるように憎しみを込めてファインダーに捉えたゲリラにシャッターを切る。これまで様々な戦場で取材をしてきたが、それは日本人が足を踏み入れない世界での話だった。しかし今は、今はレンズの先に同胞の危機が迫っている。いつの間にか日本はこんなところまできてしまった。そして今、平和を誤解してきた戦後日本の非常識が形となって目の前に広がっている。
ゲリラが銃撃してこないためか隊長機は、旋回を止めてホバリングに移る。ペダルを踏んでその場で右回りに機体を回転させた隊長は自らの座る機長席のある右側を相手に向けて蟹歩きのように機体を真横に移動させる。ドアガンのある側面を相手に向けながら間合いを詰めていく。
射手の背中越しに近付く景色に古川は異変を感じた。輸送機の搬出口(ランプ)に人だかりが出来、その隙間から濃緑色の何かが引きずり出されているのが見える。あれは-空自のパイロットスーツ-。古川が声を失ったと同時に、英語の喚き声が聞こえ、伸びた砂漠迷彩の太い腕に射手が機内へ引きずり込まれる。
一瞬のことだった。視界の射手が砂漠迷彩の大柄な男に変わると同時にドアガンが吠えた。吠えて吠えまくった。「いつまで黙って見てるんだ。早く助けろ。」という英語の喚き声が混じる。大きな背中の向こうで、ゲリラが倒れ、民間人が逃げまどう。
「司令部、こちらピースピッカー01。武元一尉を発見。只今から救出する。現在ゲリラと交戦状態。応援はまだか。送れ。」
「こちら司令部、米軍のアパッチとヘリボーン部隊がまもなくそちらへ到着する。戦闘を中止せよ。直ちに戦闘を中止せよ。」
抑揚のない冷静な司令部の無線は、戦闘の中止のみを強調する。
「無理だろ。」
と吐き捨てた隊長は司令部の無線に応答せず、隊内無線に切り替えた。
「全機へ、当機と02は着陸。武元一尉の救出を行う。03と04は上空で援護。全火器の使用を許可。送れ」
もう誰にも止められない。ここで中止したら、間違いなく武元一尉を救出することはできない。だが、世界の非常識ともいえるお人好しで優柔不断な派遣法のためにこの隊長は罰せられることだろう。全て現場の責任だ。
各機は了解の応答と同時に行動を開始する。もう誰も止められない。
着地とともに大柄、小柄の砂漠迷彩が走り出す。担架を持った隊員を含めた小柄の集団は逃げ回る民間人には目もくれずに横たわる武元一尉に向かい、大柄の集団-アメリカ兵-は、銃を構えてその周囲を警戒する。
担架に移される武元一尉の顔色は、既に血の気を失っており、激しいGの中でも見張りを行うために鍛え抜かれた元戦闘機乗り太い首が不自然な向きに曲がっている。
黙祷を捧げる隊員に混じって頭を垂れた古川は、断続的に発生した発砲音に黙祷を破られた。決意を新たにレンズを向けた先にはゲリラの集団が見える。乾いたAK74の発砲音に混じる低い発砲音の主は、トヨタのピックアップトラックに据え付けられた軽機関銃のものだ。驚くほど世界の隅々まで売られた日本製品は、どこで出会っても当たり前のようにきちんと働く。
急ぎ担架を収容するピースピッカー01、02の隊員、そして古川の頭上を威圧的な重低音の風切り音を響かせながらUH-1J2機が横一列になってゲリラへ向かう。射撃中の左右両サイドのドアガンからは、空薬莢が雨のように降っている。
空からの攻撃という優位に立つ自衛隊だが、軽武装のため、ゲリラの勢いは衰えない。ここでも法整備の非常識が露見される。平和日本の非常識と戦場の常識の差を「埋める」ために隊員の命が生贄になる。-ここまでしなければこの国はまともになれないのだろうか、-
レンズを向ける古川の前方に地響きが起き、一瞬視界が遮られる。砂が振り掛る。RPGロケット砲だ。たかがゲリラだが皮肉にも火力は自衛隊よりも遥かに上だ。
ゲリラの射程距離に入りつつある。早く離陸しなければヘリがやられてしまう。
隊員と武元一尉の担架を収容したピースピッカー01が回転を上げて離陸していく。
古川は出発の時にピースピッカー01に飛び乗った際に間に合わずピースピッカー02に乗って追って来た広報官と合流しピースピッカー02に乗る事になっていた。そのピースピッカー02にも敵弾が届き始める。二度目のRPGが着弾して砂だらけの地面に伏せた古川に広報官が覆い被さって彼を守る。直後に連続した爆発音が地鳴りと共に響く。
-万事休す。か-
と思った時、古川の上から広報官の重さが抜ける。
「間に合った。古川さん。起きて下さい。」
爆音で圧迫され少しずつ感覚が戻って来た耳にはUH-1Jとは異なったヘリの音が響き、視界には砂嵐のように霞んだ空といくつもの黒煙、そして米軍のAH-64Dアパッチ戦闘ヘリが乱舞する姿が見える。その手前にはUH-60Aブラックホークが次々と着陸して兵員を展開させては離陸し上空の警戒にあたっている。
展開した米兵は、ためらいも無くヘリが制圧した集落の方へ走って行く。
いざとなったらここまで徹底しなければならない。という手本を行動で示すかのように米軍の手際は良く、そして敵に付け入る隙は無い。
輸送機の周辺は瞬く間に制圧された。古川は、検証のために後発部隊で送りこまれる整備隊や調査隊への現状報告と手配に忙しい広報官の目盗んで機内に立ち入った。砂が入り込んだ機内には荷物や配線、機材が散乱し、前方のコックピットは潰れている。いちばん奥へと進んだ古川の足が岩山に押し出されたコックピットのパネルを踏んだ。金属が擦れる音に足元を見た古川の視界の隅に、一枚の写真がとまった。拾い上げた彼は、目頭が熱くなるのを覚えた。小学生ぐらいの男の子が敬礼している写真だ。あどけなさの中にも強い意志を示した瞳。左手には緑とベージュの迷彩で塗装された三菱F-1支援戦闘機の模型を持っている。この機体の機長、武元一尉の息子に違いない。武元は、かつてF-1支援戦闘機のパイロットだった。しかも凄腕の支援戦闘機乗りだった。軍事関係、特に飛行機を得意とする古川も取材をした事がある。支援戦闘機というのは、世界に遠慮した日本独特の名称で戦闘攻撃機の事だ。航空自衛隊全部隊のエリート達が競い合う戦技競技会で武元は爆弾を搭載した身重なF-1支援戦闘機を自在に操り迎撃役のF-15戦闘機を返り打ちにしてしまう。
武元の面影を残した写真の中の瞳が「父を返せ」と訴えているように見える。
彼の事だ、瀕死の愛機を操り村を避けたに違いない。最後の最後まで、諦めずに。そして衝突の寸前にコックピットから逃れようとしたのだろう。その衝撃か、ゲリラの連中に或いは引きずりだされた際に写真を落としたのだろう。
「足りないんだ。」
言葉が古川の口をつく。
そう、日本政府は覚悟が足りな過ぎるんだ。
9条のお陰で平和を維持できた-「戦争をしない」と誓い、言い続ければ平和を維持できる-と平和憲法を盲信してきた人々を納得させるための覚悟が足りないから、この戦場へ「戦場ではない」と言って部隊を派遣するしかないのだ。覚悟が足りないから「戦場ではない」と誤魔化し、その前提で法制化された非常識な装備や行動基準が現場を苦しませてきたのではないか。そして今、初の犠牲者を出してしまった。
彼は、平和憲法の犠牲になったのではないか、日本とは縁もゆかりもないこの土地で、自衛隊員である彼が命を掛けて守らなければならないものなどあったのだろうか、日米安保条約を建前とした良好な日米関係-アメリカの御機嫌とり-のためだとしたら、浮かばれない。そもそも日米安保条約は「日米双方が日本および極東の平和と安定に協力すること」を規定したものであり、この派遣とは無関係なのだから。そもそもアメリカは国益で動く国だ。まあそれはどこの国も同じだが、大統領の権限が強いだけに、乱暴に言えば票と人気。国益と国益を伴う正義で左右される。そんな国にどこまで追従するのか。この派遣も裏には資源が絡んでいる。親米政権を立ち上げればアメリカの国益に直結する。
優しく砂を払った写真の瞳。もう高校生ぐらいに成長しているであろうこの子はどう思うだろうか
-伝えなければならないことは山ほどある-
古川は決意を新たに写真を胸ポケットに入れた。
真・平和立国 篠塚飛樹 @Tobuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。真・平和立国の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます