第7話 昔話
「よっしゃー。」
着地した大竹が基地に救助要請をしている無線がひどい雑音を通してかろうじて聞こえてきた。そのやり取りから航空自衛隊の乗員と、同乗していたアメリカ兵が全員無事に脱出したことを知った武元は、安堵の溜息を短く吐いた。
高度がどんどん低くなって来た。降下率が高くなっている証拠だ。ここまで低くなっては脱出してもパラシュートが十分に開くことはできない。
さっき脱出させておいて正解だったな。
内心自分の判断を評価する。指揮官にとって自分の判断が正しかったことを知るのは何よりも心の慰めとなる。異常時ならなおの事だ。
あとはコイツをどうにかするだけだ。
直進するだけで精一杯の愛機。武元は左後方をもう一度確認する。左端の第1エンジンがあった辺りは、不発だったミサイルの体当たりを喰らってめくれ上がっている、その断片たちが振動しているのが分かる。
このままでは当然目の前に迫る山脈は越えられないし、山脈の手前に見えてきた僅かな緑、そしてその緑に救いを求めるように不揃いに並ぶ白い土壁の家々は、敵対する武装勢力の集落だ。すぐに旋回して少しでも基地に近づく必要があったが、部下を脱出させるまでは、いつ分解してしまうか分からない翼に負担を掛けることは出来なかった。
やってみるか。。。
「頑張れよ。」
武元は両手で右一杯に倒していた操縦桿から右手だけをゆっくりと離すと、中央のコンソールパネルに4本突き出たスロットルレバーのうち、右から3本を前方に慎重に動かした。エンジンの音が高まり少し間を置いて尻が前に押されるよう力を感じると同時に少しずつ左へ傾き始める。出力を上げることで傾きによる降下を抑えているが、左端の第1エンジンとその周辺の翼を損傷したことで右側にアンバランスになっている出力を上げるということは、ただでさえ右側が浮き左側が沈み込むアンバランスを増長する。よって、出力を上げ過ぎると、傾きが大きくなり過ぎて降下率が増す。最悪の場合、回復出来なくなる。パワーだけで少しずつ左に傾けて緩やかに旋回を続ける。
耐えてくれよ。。。
武元は損傷部をじっと見つめる。めくれ上がった外板が捩(よじ)れとその数増すことで、速度の増加と旋回により、風圧が増したことを武元に訴えてくる。
せめて基地の方向へ。。。
歯が軋むように感じたことで、自分が歯を食いしばっていたことに気付く。それと同時に滴る汗にも気付いたが、今手を離すことは出来ない。
傾きを最小に抑えているのにもかかわらず損傷部の先にはもはや地表しか見えない。地平線は遥か上方へと去ってしまっていた。
どんなに慎重に旋回を行っていても、高度が下がるのは避けられない状況だった。
「無理か、、、」
高度計は300フィート(約91m)を示している。もう100mを切っていた
残念だが高度を失う旋回を中止して残りの高度を不時着に適した場所への移動に使おう。
武元は、パネルが剥がれそうな第1エンジンを気遣うように見ながら3本のスロットルレバーをゆっくりと手前に戻す。
正面に広がってきた集落は、僅かな旋回の甲斐あって視界の右へ少しずつ移動している。基地の方向へ機首を向けることは出来なかったが集落に対して左に進路をずらすことが出来たのだ。だが、その角度は浅い。まだ確実に集落を避けられるかどうかは分からない。集落に入る前に不時着できれば良いのだが、眼下には砂を被った巨大な丘が幾つも転がる。眩しい白い砂のベールの裂け目から黒い岩肌を見せる丘たち、いつも高空から美しく眺めていたそのコントラストは、武元が力尽きるのを待つ悪魔のように見えた。
基地に機首を向けられない今、敵性地域のどこに不時着しても待つのは死かもしれない。今不時着すれば、岩山に阻まれて敵が近づくのを遅らせることは出来るかもしれない。しかし岩山に激突すればあるのは確実な死。。。そして岩山を避けることは出来ない。ならば少しでも確率の高い方を選ぶ。こんな所で死ぬのは御免だ。。。
こんな所で、、、日本とは全く違う景色の中で死ねるか。武元の脳裏に故郷の筑波山系の山々とそれを水面に写す春の水田が浮かぶ。。。
そうだ、縁もゆかりもないこんな土地で命を投げ出せるかよ。
眼下の岩山を辛うじて抜けたが、進路上には集落の建物が連なっている。そして集落の左には森が見える。もう少し機首を左に振れば集落を避けられるのだが。これ以上機体に無理は掛けられないし、かといって集落を飛び越えられるほどの高度もない。第一避ければ高度を失い左の森に突っ込んでしまう。。。
「今しかない。」
今不時着すればあの建物の手前で止まれる筈だ。。。
武元が出力を下げようとしたとたん、建物から白く長い布を纏った人々がこちらを指差しながら次々と出てくるのが見える。その布の動きで彼らが走り回り、右往左往している様が見て取れる。武器を持っている者は見当たらない。全て民間人だ。
くそ、なんだってそんなに民間人ばかり。。。どいてくれ。。。
縁もゆかりもない場所で死ぬのは御免だが、民間人を犠牲にするのは絶対に嫌だ。俺達はこの国の人を助けるためにやって来たんだ。誰かが行かなきゃならなかった。どうせ行くなら人の役に立ちたい。。。アメリカとか日米安保の腐れ縁とか、そんなのはどうでもいい。
だが、、、ここで進路をかえれば確実に機体に無理がかかるし高度を失う。
子供を抱えた母親が小さな男の子の手を引いているのが分かる。まるで戦争映画のワンシーンのように広がる光景に家族の笑顔が重なる。
「くそっ、駄目だ。」
武元は、スロットルレバーを一気に前に押し出し出力をいっぱいに上げる。左の翼の第2エンジンと右の翼の第3、第4エンジンが歯がゆい間を置いてから重低音を増す。右側にアンバランスに力を得た愛機が右の翼を持ち上げる。
「もっと遠くへ。」
右にいっぱいに傾けたままの操縦桿を手前に引き、この場だけは何とか高度を稼ごうとする。降下率を示すメーターの針が少しだけ上がった。少しずつ機体の傾きも増し始める。
だがそろそろ戻さなければ傾きすぎてしまう。
「よ~し。もうちょい。。。」
スロットルレバーに手を伸ばした瞬間、金属が擦れるような耳障りな音が響き、機体の左側から振動を感じると同時に一気に左への傾きが増す。とっさに左の第1エンジンを見た武元は、想定していた最悪のシナリオが展開されているのを目にした。「
第1エンジンがあった場所には既に何もなく、第1エンジンから向こうの翼も吹き飛んでいた。第1エンジンがあった部分では大きな外板がはためいている。
振動が機体全体に広がり、武元の体をも震わす。機体の傾きは、ほぼ直角になってり一挙に森の深緑が迫る。
「くそっ、これまでか。。。」
大きな衝撃が武元の体を揺さぶり聴覚と呼吸を圧迫した。
(一体何なんだ?)
武元信浩の向こう側の長テーブルには生徒会の役員が並ぶ。パイプ椅子に座った彼等は学ランの襟の爪まで締めて一様に胸を正している。
多くの視線と熱気を感じて彼等から目を逸らすと、巨大な部屋には隙間なく沢山の学ランとセーラー服がパイプ椅子に座っている。彼等は互い違いに整然と並び、微動だにしない。
そして彼等を見下ろすような位置に自分はいる。いや、自分達。だ。俺と同じ長テーブルテーブルには田中と佐野、そして川村がいる。
そうか、、、体育館のステージにいるんだ。もう一度見下ろした学生服の群れから高い天井へ視線を巡らしてやっと気づいた。中空に折りたたまれたバスケットのゴールそして銀色の傘を被った天井のハロゲンランプたち。。。
それにしてもなんなんだこの面子は。。。
ステージの中心を隔てて左右に設けられた長テーブルは、上から見れば「ハ」の字に見えるはずだ。「ハ」の字の開いている側が学生服の群れに向いている。まるで公開討論だ。初めてのことだし、突拍子もないことだが、なぜか緊張感はない。そもそも何の騒ぎなんだ?何でここにいる?
「先日、幼稚園で読み聞かせのボランティアをした時のことです。」
向かいのテーブルの中央に座る塚本が口を開いた。両脇に並ぶ役員が塚本の方を向く、上体ごと向けて続きを聞く準備万端な彼らの仕草が白ける。いわゆる「取り巻き」というヤツだ。同じ学校の生徒で同じ学年なのに、何故おべっか遣いをするのか、
「読んであげたのは皆さん御存知の「桃太郎」です。」
「とりまき」達は大仰そうに頷く。
「読んであげた後に子供達にテーマを与えて話し合いをしてみました。」
取り巻き達からどよめきが上がる。そこには「さすが塚本さん」という言葉も混じる。
「テーマは3つにしました。
まず1つめ。
鬼が来たらどうすればよかったのかな?鬼は強いし怖いよね。
そして2つめ
鬼ヶ島に鬼退治に行く必要はあったのかな?仕返しだよね。それっていいことなのかな?
最後に3つめ
なんで動物達は桃太郎と鬼ヶ島に行ったのかな?みんなならどうする?動物達は鬼には何もされてないし、桃太郎とも関係なかったよね。
ということで、テーマを分かりやすく噛み砕いて与えてみました。」
取り巻き達は深く頷く。静まり返って微動だにしない学生服の群れとは対照的だ。
(分かりやすく噛み砕いた)だと?誘導じゃないか、幼稚園児が素直に主張できるような質問じゃない。
一体何なんだこの場は。。。それに佐野は、確か沖縄へ転校した筈じゃなかったのか、、、
「その答えに私は大変なショックを受けました。」
塚本は取り巻き達が目に入らないかのようにゆっくりと訴え握り拳を大袈裟に振った。狐のように狡猾な瞳、その視線をステージの下に広がる学生達に右から左へと振り分けながら。。。そして深く息を吸った塚本は、急に立ち上がる。
「子供達は、「鬼が来たら刀でやっつける。」と言うんです。「怖いし、強いよ。」と私が念を押したら何と言ったと思いますか?「鬼よりも強い武器を使えばいいんだ。」と言うんです。これでは戦いになってしまいます。村は戦場になってしまうんですよ。それでもいい。と子供達は言うんです。犠牲者が増えるだけではないのでしょうか?なぜ逃げる。隠れる。という発想にならないのでしょうか?金品が目当ならば、くれてやればいい。そうは思いませんか?」
次第に語気を強めた塚本は、誰に同意を求めるでもなく、一旦言葉を切った。
(何が言いたいんだコイツは?馬鹿か?)
信浩は、伺うように塚本の目を見る。目が合った。と思ったのも束の間、狐の目が鋭く尖り、蛇の目に豹変した。
「私達の次の世代として日本の未来を背負う幼稚園児がこんなことを言っているんです。こんなことで日本は平和でいられるのでしょうか?そもそも私は近年の日本の防衛政策が子供達の感覚を歪(ゆが)めてしまった。と思っています。」
「そうだ、そうだ。」
取り巻きたちが鼻息を荒くする。
(おいおい、歪んでいるのはお前らの方だろ。強盗に黙って金品をくれてやれってことが正常な考えか?)
信弘の苦笑を見逃すまいと塚本の蛇の目が信弘の目を射る。
「そこで、今回は私達の学校で防衛に深く関わっている方に集まっていただきました。」
(ここでも始まるのか。。。)
軽蔑の薄笑いを浮かべて信弘達を指差す塚本の態度に丁寧な言葉遣いとは裏腹の悪意を感じる。
「皆さんどう思いますか、この園児達の反応は?」
釣り上がり気味になった塚本の薄い唇が挑発する。
「園児達の考えは、至極当然だと思いますね。だって、村人から金品を奪うことが鬼の目的だと分かっていて、黙って見過ごすのが正しいことでしょうか?鬼が来るたびに生贄を差し出せと言うのですか?村人が鬼を追い返す力を持つ事、それを行使することに何の問題があるのか?逆にお聞きしたい。」
川村の張りのある低音がステージに響く、その巨体を包む制服は柔道で鍛えた筋肉にハチ切れそうだ。 川村の父親は、ひたちなか市にある陸上自衛隊の勝倉駐屯地に勤務していた。勝倉駐屯地には、施設科隊員を養成する施設学校と、教官など教育支援を行う施設科のエキスパートともいえる施設教導隊がある。
施設科部隊は、道路や橋梁等の破壊や構築・修復、渡河機材による渡河支援、陣地の構築など、戦場の土木・建築を担う。このため多くの建設機械を保有しており災害派遣や国際貢献など、戦場でなくてもその能力を存分に発揮している。海外派遣では初のPKO活動となったカンボジア派遣を皮切りに、東ティモール、ハイチ地震、南スーダン共和国など、活動の幅を広げている。
(川村、こんな奴等にムキになるなよ。)
立ち上がろうとする川村の腕を信浩が引き下げる。
施設教導隊に所属していた川村の父は、海外派遣の経験が豊富だった。それゆえに留守を耐えてきた川村はこの手の輩には煽られやすいのを信浩は心配していた。
ちなみに施設科は一般の軍隊でいうところの「工兵」である。この他にも自衛隊には独特な名称があり、長距離砲や対地ロケット砲などの「砲兵」や地対空ミサイルなどを装備する部隊は「特科」と呼ばれる。挙句の果てに「歩兵」に至っては「普通科」だ。陸上自衛隊だけではない。海上自衛隊では「ヘリ空母」だろうが「駆逐艦」だろうが戦闘艦艇は「護衛艦」である。自衛隊の前身である「保安隊」が、アメリカの御下がりの戦車を「特車」と呼んでいた事に比べればだいぶマシなのかもしれないが、呼び方ひとつにしても自衛隊そして政府がいかに「平和」「九条」という戦後日本人の民意に「気を遣って」きたかが窺い知れる。そういえば昔親父が乗っていた自慢の戦闘「攻撃機」F-1だって「F-1支援戦闘機」と呼ばれていたっけ。
桃太郎だけでなく昔話は子供に道徳心や人としてあるべき姿を示しているからこそ、要は「お手本」だからこそ、語り継がれてきたのではないだろうか、、、だとすれば、桃太郎を読んだ子供達の反応は、やはり正しいし、昔から日本人が大切にしてきた考え方と行動ではないのだろうか。。。こいつ等だって幼稚園の頃は桃太郎の話に影響を受けた筈だ。それを読み聞かせた大人たちだって、、、そのまた大人も。。。
【自分達を守る。】
ということさえも平和のために拒否する。。。
だから。。。
【戦うための武器は持たない。】
周辺の各国は戦うための武器を持っているのに。。。
自衛隊を憲法違反だと言う人達の常套句。。。
その考えのおかげで戦後70年以上平和が続いたと本気で思っているのか?
ラッキーだっただけなんだよ。アメリカとソビエトという二強。お互いに核という刃を交えたら滅亡することが分かっていたから起きなかった戦争。。。冷戦。。。アメリカ側の最前線にいながら何も起きなかったのは何故か?教科書には載っていないけど、ちょっとした本を読めばすぐに分かることだ。だけど、今は違う。冷戦が終わって徐々に崩れてきた均衡。中国がいい例だ。
(鬼に荒らされて放題で本当にいいんだな?鬼に家族が殺されても平気なんだな?)
頭の中で叫んだ時、ヒステリックな声で我に返った。
「鬼退治に行く必要はないだろ!ただの仕返しじゃないか!侵略行為だろ!どうなんだ。しかも動物達まで巻き込んで鬼ヶ島に行く。これこそ集団的自衛権の行使じゃないのか?サルにもキジにも鬼は関係ないじゃないか。日本がアフリカのカンザバルに自衛隊を派遣しているのと同じだろ!」
川村を指差しながら塚本がまくし立てていた。
信浩の腕を振りほどいた川村が立ち上がった。
(やめろ!川村)
何故か声がうまく出せない。
「お父さんの仕事はね。村に鬼が来ないようにすること。「村に入ってきたら痛い目に合いますよー。だから入ってこないでね。」って鬼さんに分かってもらうこと。そうすれば村は安全だよね。だから一生懸命訓練をしてるんだ。それでも鬼が入ってきたら。。。みんなを鬼から守るんだ。それがお父さんの仕事だ。。。」
幼い頃聞いた父の優しい声が一杯に広がったかと思うと目の前が急に眩しくなる。
(砂漠だ。。。)
父を呼ぼうにも声は出ないし、体も動かない。
大きく体を揺さぶられて、金属が擦れ合うような大きな音がした気がした。
レースのカーテンが一度だけ大きくなびいたのが目に映った。外は真っ暗だった。天井の蛍光灯が眩しい。
「何だ、夢か。。。」
そっか、夕飯を食べてからベッドの上に横になってしまったんだ。ちょっと風が冷たくなってきたな。
窓を閉めるために起き上がった信浩は、確かめるように机の上の写真を見詰めた。
父が送ってきた水色のC-130輸送機の写真には、父と仲間が笑顔を向けていた。
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