第6話 回避

「サウザント(1000フィート、約300m)」

 副操縦士の大竹が、高度をコールする。

 地対空ミサイルに追尾された彼らの愛機C-130H輸送機は、鈍重な機体でミサイルを回避するために、高度という位置エネルギーを運動エネルギーに換えて、激しい回避運動を行った。やっとミサイルをかわした時には、すっかり位置エネルギーを消費し尽くし、高度は500フィート(約150m)まで下がっていた。砂漠の眩しい白が間近に迫り息苦しさを感じさせる。

 目の前に高度7,000m級の山々からなるジイダ山脈が迫る。とにかく失った高度を回復し、山脈を越えなければ任務をこなすことはできない。

-Peace Loader1,Peace Keeper.Do you want quit the mission?(ピースローダー1、こちらピースキーパー。作戦を中止するか?)-

 大竹が機長の武元に顔を向ける。無線通信は副操縦士である大竹の仕事だが、判断するのは機長の役目だ。当然機長の武元にも自分のレシーバーを通してアメリカ人管制官の声が聞こえている。

「ネガティブ(必要ない)。気を遣ってくれてるらしいが。。。いらんお世話だな。こっち見てないで見張りをしっかりな。」

 武元は、上下方向も含めて旅客機の3倍はありあそうな数の窓をひとつひとつ確かめるように目を這わせている。

「了解。すみません。」

 いつもよりキツい口調にはなっているが、こんな状況の中でも俺の視線を視界の隅に捉えているところが、この人が機長として信望を得ている所以だろうな。

 旅客機は前と横しか見えない、その点、旅客機と同じような窓の国産のC-1輸送機じゃなくて良かった。と思いながら大竹も見張りを再開する。

「最後の任務ですし。」

と思わず漏らした大竹は、気を取り直すように無線のスイッチを入れた

「Peace Keeper,Peace Loader1.Thank you for your consideration.But we will continue mission.(ピースキーパー、こちらピースローダー1。御配慮に感謝するも、我々は作戦を継続する。」

 武元の後ろの席からでも見える範囲でミサイルを警戒する機上整備員の芝波が身を乗り出しそうになりながら付け加える。

「山さえ超えられりゃあ目と鼻の先。何とかなりますからね。エンジンは好調。ガンガン行きましょう。」

 大竹の後ろの席から芝波と同じように身を乗り出した航法士の太田が声だけで笑う。

「もうひと踏ん張りっす。頑張りましょう。」

 C-130Hピースローダー1は、10,000フィート(約3,000m)辺りまで上昇すると、大きく螺旋状に上昇していた旋回をやめて山に向かって機体を水平に戻した。地表で炙られた空気を必死に掻いていた低空とは違い、冷たい大気を小気味よく漕ぐように水平飛行で増し始めた速度を体でも感じると、武元は計器類を一瞥して速度と異常が無いことを確認して一気に操縦桿を引く。

 山頂が下に移動し、群青の空が視界の大部分を占める。ここから一気に山越えを目指す。

「さ、お前が一番頑張らなきゃな、しっかり昇ってくれよ。」

 武元は愛機だけでなくクルー全員に語りかけるように声を張り上げた。

「昇れ~。」

「頑張れ~。」

 クルーが励ます。

 ミサイルの攻撃を再び受けるかもしれない、という「今、そこにあった危機」がいつもの励ましとはトーンを異にし、力も籠もる。

 みんな堅くなっているな、、、ま、やむを得ないか、、、俺たちは狙われてるんだから。。。みんな怯んでいる訳ではない。それだけは言える。

 だが、、、

 もし、ここで何かあったら、クルーの家族に何て言えばいいんだ。。。何のために死んだって言えばいいんだ?

 クルーの声音に、武元の中で作戦継続を宣言したことに対する複雑な想いが行き来する。

 高度3,000mまで昇れば、バズーカ砲のように人間が肩に担いで発射する携帯式地対空ミサイルに撃墜される可能性はかなり低くなるが、それは戦闘機や攻撃機での話だ。鈍重な輸送機に戦場での「絶対安全」はありえない。そんな事は政治家の先生方には分かるまい。

 いつまでもここに留まれないし、山も越えなきゃならない。直進して一気に上昇するのが吉とでるか凶と出るか。。。

 武元はグローブの中が汗で満たされているのを今更ながらに感じた。

 なるほど、、、

 素手なら滑って操縦できないな、、、

 暑い真夏やじめじめした梅雨だろいうが、それに、アフリカの砂漠だろうがグローブをする意味を今更ながら実感している自分に内心声を掛ける。

 今、考えることではないがな。。。

 だから俺はここまでやって来られた。。。ってことかな。

 緊張状態で自動的に気を紛らそうとしている本能に心の中で感心する。

「マジか?」

 再び、鳴り始めたミサイル接近警報に、機上整備員の芝波が声を張る。一般隊員で入隊し整備の現場が長い叩き上げの幹部だけあって言葉が悪い。良く言えば率直で、無駄がない。

「フレアー」

 反射的に武元が怒鳴る。

「了解。ちがっ、何でレーダー誘導?」

「チャフ散布、急げっ」

 高熱源体をバラまくフレアーは、エンジンなどの熱源を追いかけて来る赤外線誘導ミサイルの目をごまかすのには有効だが、レーダーで捉えた目標を追尾するレーダー誘導ミサイルには全く効果がない。

 ゲリラが持っている携帯式地対空ミサイルは、赤外線誘導方式なのだが今度は違う。

 警報装置の表示は、レーダー誘導ミサイルが接近していることを示していた。有効なのは、アルミ箔を細かく千切ったような電波妨害物質をバラ撒くチャフだ。空中に広がったチャフの作った像がミサイルの追尾レーダーを撹乱する。「8時下方より接近。」

 チャフのモヤの中で不気味に陽光を反射する光を武本は見逃さなかった。

「レフトターン、チャフスタンバイ。」

 体が左に傾いたかと思うと、大竹は足元に体が引っ張られて行くような感覚に耐えながら、ミサイル警報装置のチャフ発射ボタンに指を掛ける。押さないように、ボタンから指が離れないように、体全体で踏ん張りながらも指先の柔軟性を確保する微妙なバランス。機体はさらに角度を深くしてミサイルに対する角度を鋭くしようとする。

「射てぃ」

 武元の声が言い終わるのが早いかボタンが早いかのタイミングでくぐもった発射音が響く。

 やったか?

 ミサイルの近接信管が目標に接近したと判断すれば爆発するはずだ。この場合の目標とは、チャフが作り出した虚像だ。チャフの壁を攻撃目標だと勘違いしてくれれば、ミサイルは自爆する。

 クルーが耳を澄ましたコックピットにエンジン音と警報音が響く。

 だが、爆発音は聞こえずに、警報音があざ笑うようになり続ける。

 お前は、どっちの味方だっ!

 鳴り止まぬ警報音に大竹が苛立つ。

「ダメだっ、衝撃に備えろ。何かに掴まれ」

 武元が怒鳴り終わるのを待っていたかのように、衝撃が続く。急旋回で左に傾いていた機体の傾きが更に深くなる。 さっきまでのミサイル警報装置の警報音とは違った種類の警報音がけたたましく鳴り響く、

「不発か。」

 武元の言葉に、大竹は自分達の幸運に感謝した。そして、ゆとりのできた頭が、それに気付けなかった自分をなじる。

 さっきの衝撃はすさまじかったが、爆発音はしなかった。ということは、信管の故障でミサイルは不発だった。つまり爆発しなかったミサイルの体当たりを喰らったのだった。

 瞬時に事態を分析しながらも鳴り響く警報音が大竹のパイロットとしての本能を叩き起こす。

「No.1エンジン。停止っ、油圧低下。」

 大竹の声が上ずる。エンジンは左から順に番号が割り振られている。よって第1エンジンはいちばん左端、第4エンジンは右端のエンジンを示す。

 エンジンの状況を示すメーターは、エンジン1基に毎に縦一列に配置され回転数や温度計、タービン圧力を始め、様々な状態を個別に示す。C-130Hは4基のエンジンがあるので、中央の計器パネルには、まるでアナログ時計を敷き詰めたように所狭しと4列のメーターが並んでいる。その中で、いちばん左側の列、つまり第1エンジンの状態を示す全てのメーターの針が「ゼロ」を示しいる。

 火災警報が出ていないのがせめてもの救いだった。

「No.1燃料カット、フェザリング」

 手順に従い、第1エンジンへの燃料供給を遮断し、プロペラの羽根の角度を進行方向と平行にして空回りを防ぎ、空気抵抗と不要な振動を防ぐフェザリングの操作を行おうと腕を伸ばす。左端のエンジンが止まったことで左の推進力が弱くなった機体は、いまだに機体が左に大きく傾き左への急な旋回を続けていて、そのGに阻まれて腕をパネルに伸ばすのも難儀する。4つあるエンジンの1つが止まった程度で、まだ姿勢を回復できないでいることが大竹には不思議だった。操縦桿を握っているのは他でもない武元だ。ベテランが苦戦するほどのことではないはずが。。。

 もしかしたら第1エンジンへのミサイルの当たりどころが悪く、プロペラが空転せずに固定され、空気抵抗が増しているか気流を乱しているのかもしれない。どちらにしてもフェザリングにすれば、問題は解決されるだろう。

「フェザーは必要ない。パワーを頼む。」

「えっ?」

 予想外の武元の指示に大竹が聞き返す。

「いいからパワーだ、早くっ、No.2マックス。No.3と4は25%」

「了解、No.2マックス。No.3と4は25%」

 武元の怒鳴り声に、弾かれたように復唱しながら機長席と副操縦士席の間のパネルから延びる4本のスロットルレバーを両手で慎重かつ素早く操作する。

 両手で力一杯操縦桿を引く武元の腕の異様な角度に今更ながらぞっとした大竹は、確かめるように自分の目の前に視線を移す。機長席と連動している目の前の操縦桿は右に一杯に回されそして手前に引かれている。それは操縦桿だけではもう傾きを回復できないことを意味している。 操縦がきかない。。。それはパイロットにとって最大の恐怖だった。車やバスのようにブレーキを掛けて路肩に停車すれば安全なのとは大違いだ。当たり前のことだが飛行機にとって止まることは墜落を意味する。飛行機は着陸できる場所まで飛び、そして降りることが出来なければ安全は訪れない。

「Emergency! This is PeaceLoader01.We are calling emergency!SAM hit us.(緊急事態発生!こちらピースローダー01。地対空ミサイルが命中した。)」

「PeaceLoader01,Say Again(ピースローダー01、もう一度言ってくれ)」

 早口過ぎてネイティブのアメリカ人管制官でさえも聞き取れなかったらしい。

 無線が早口になる。。。

 克服したはずの癖が再発したらしい。飛行訓練を始めた頃、緊張のあまり早口になる大竹の無線の癖は一向に治らず、教官達を悩ませた。覚えることが沢山あるパイロット訓練生にとって「治らない癖」は致命的だった。

 そんなことでつまずいていられない。努力の結果が今の俺だ。

 クソ、俺は緊張してるのか。。。

 大竹の口元から舌打ちの音が漏れる。

 汗で濡れたグローブの不快感に今更気付く。

 緊張は何も生まない。緊張を集中力に変えろ!

 あの教官の言葉を口中で呟く

 再び無線を入れる頃には機体の姿勢も持ち直してきた。

「全員脱出するから、救助を要請してくれ」

「了解」

 大竹は、すぐに救助要請と現在位置を無線で連絡すると共に貨物室のアメリカ兵にも脱出準備を指示した。

 武元はいまだに操縦桿を右に目一杯倒しているが、エンジンの出力を調整した効果が出てきたらしく機体はほぼ水平に戻りつつあった。

「オートパイロット(自動操縦)、オン。ヘディング。。。240」

 武元が方位指示器で機首の方向を確認しながら指示する。ここで方位を変えてしまうと、機体は旋回しようとしてせっかく取り戻したバランスを失うことになりかねない。

「オートパイロット、オン。ヘディング240。」

 大竹は、復唱に落ち着きを取り戻す効果があることを今更実感しながら計器パネル上部に並ぶペットボトルのキャップを小さくしたようなダイヤルを親指と人差し指でつまむ。

「240、セット」

ダイヤルの隣の表示が240になるまでそのダイヤルを回してから再度表示が240であることを確認して大竹が宣言した。

「セット」

 数字を一瞥(いちべつ)して確認した武元の声を聞き、大竹がオートパイロットのスイッチを押し込んだ。

 オートパイロットのスイッチが緑色に点灯したのを確認した武元がゆっくりと操縦桿から手を離した。

 機体が左へ左へと大きく傾き始めた。

「もう一度セットし直します。」

 大竹が武元に叫ぶ、武元越しの左側の窓は、あっという間に空の青が追い出されて砂漠の白がいっぱいに広がる。

「頼む。」

 言うよりも早く武元は操縦桿を両手で握り、そして大竹は何度もスイッチを押す。最初は点灯していた緑色のランプも沈黙してしまった。

「駄目です。緑にもならなくなりました。」

「こっちも手応えがない。」

 それは、自動操縦装置の故障を意味していた。

 すがるように合わせた目が、落胆に沈む。

 正常時であれば、トリムタブで舵を微調整をしておけば、操縦桿から手を放しても水平直線飛行ができるのだが、ミサイル攻撃により翼に受けた攻撃は機体のアンバランスを大きくし、もはや微調整で飛行を維持できるレベルではない。そして、それをカバーする自動操縦装置が故障していることは、即ち誰かが操縦桿を握っていなければ水平直線飛行も維持できない。水平直線飛行ができなければ遠心力で乗員の移動もままならず、脱出は不可能だ。

「こちら機長、全員パラシュートを装着、脱出せよ。」

 機内に放送する武元の声が大竹のヘッドセットにも響く。

「大竹、お前も脱出しろ!」

 大竹に向けた武元の形相は、隊内のソフトボール大会で捻挫した時のように汗と苦痛にまみれていた。

「しかし。。。」

 大竹は次に続く言葉を探した。

 みんなを脱出させるためには、水平直進飛行を続けなければならない。自動操縦装置が故障しているこの機体では、誰かが操縦し続けなければならない。そう、パイロットは操縦桿から手を離すことができない。しかもそれができるのは、武元と大竹の2人のみ、掛ける言葉など見つかる訳がない。

「全員のパラシュート装着状態をチェックしてカーゴドアを開けるんだ。頼んだぞ!」

「でも、それは。。。」

 もはや一刻の猶予もないことは分かっている、が、武元を置いてはいけない。

 その時、力強く肩を掴まれた大竹が振り返る。

「さあ、行こう。他でもない武元さんだぞ。大丈夫だ。」

 機上整備員の芝波だった。分厚い眼鏡の奥の目が促す。

「そうだよ。どこかへ不時着させるから、さっさとアメちゃんと拾いに来てくれよな。」

 おどける声に不釣り合いなほど武元の目つきは厳しい。

 演技の下手な人だ。姿勢を維持するだけで手いっぱいなのに。

「ほら、早く行けよ。俺を誰だと思ってるんだ。」

「必ず拾いに来ます。」

 答えるのが精一杯の大竹は、座席のハーネスを外した。コックピットの窓から見える微妙に傾いた地平線が滲む。

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