底辺騎士と神奏歌姫の交響曲

蒼凍 柊一

騎士と姫の出逢い

 昔々、最高神…【アレン】という者が存在した。


 アレンはまず、伴侶である二柱の神と共に世界を創造した。


 次に、自身の力の一部を分割し、一人の【神姫】を創造した。


 最高神の力を受け継いだ…【神姫】は、その強力さ故に、最高神自身の手で独りでは能力を使えないようにされた。


 伴侶であった二柱の神は【神姫】を疎ましく思っていた。


 最高神が【神姫】にかかりきりになり、伴侶の二柱を放っておいてしまったからだ。


 そんな最高神と疎遠な状態が続き、ついに二柱の神は行動を起こす。


 【神姫】を捕らえたのだ。


 二柱は【神姫】を調査し、二柱の神は【契約の言葉ラストリア】によって【神姫】の内にある力は制御できることを知った。


 だが、それは神である二柱には扱えぬモノだった。


 二柱は話し合い、考え抜いた末、世界に居る【人間】に【神姫使い】とよばれる力を与えた。


 【神姫】の力を制御し、それを監視する役を、人間にさせようという魂胆だった。


 しかし最高神を虜にしてしまった【神姫】は、怒り狂った二柱の手によってバラバラされてしまう。


 バラバラになった【神姫】の力は世界の地上に降り注ぎ、人や動物…植物にも影響を与えた。


 その力を浴びたモノは例外なく、元の【神姫】の力の一端を授かった。


 【神姫使い】となった多数の人は、【神姫】の力を授かったモノたちを【契約の言葉ラストリア】によって使役し、戦争の道具とした。



 争い合う人と人。神姫使いと神姫使い。



 世界が破滅に向かうのは時間の問題だった。


 それを嘆いた最高神は、二柱の伴侶を呼び寄せ、話を聞いた。


 二柱は懺悔した。


 私たちが【神姫使い】を造りだし、世界に【神姫】の力を持つ者達を蔓延らせてしまった。と。


 その事実に、最高神は【冥界の神】を呼び寄せ、知恵を借りた。


 【冥界の神】は言う。


 悪魔を造りだし、それに世界を襲わせる。人々は自分自身を守るために【神姫】と【神姫使い】の能力を使うようになるだろう。と。


 最高神はそれに深く同意し、その通りにした。


 目論み通り、世界は冥界の神の言うとおりに進むが…思わぬ事態が発生する。


 【魔王】が誕生したのだ。


 神姫を超える魔王の力は世界を蹂躙する。

 それに憤慨した最高神は、【冥界の神】を永久に冥界に追放した。


 そして、またしても二柱の伴侶の神を呼び寄せ、話をした。


 二柱は言う。


 【勇者】を作り出すのです。と。


 最高神はその通りにした。


 圧倒的な力を持つ【神姫使い】を創造したのだ。


 そしてさらに、最高神は自身の力を分割し、9人の大いなる力を持った神姫…【神奏歌姫エリュシオン・ディーヴァ】を創造した。



―――――



「こうして、魔王は勇者と9人の【神奏歌姫エリュシオン・ディーヴァ】によって倒されたのです…」


 教壇に立った教官が教室を見回しながら教科書を読んでいる。


「さて、ここで問題です。我々は神姫使いのことを【騎士】と呼んでいますが、【神姫】の事をなんと呼んで居ますか?セツナ君。答えなさい」


 こちらを指さしながら教師は答えるように促してきた。

 簡単な問題だ。


「一般的に【姫】、と神姫達は呼ばれています」

「そのとおり。正解です。さて…魔王は倒された訳ですが、まだこの世界には魔物や悪魔が蔓延っています。定説によると王となる者が倒れ、人々が強力し合うようになった為、勇者は姿を消したと言われています…。それで、我々神姫使いが、悪魔や魔物を日々倒しているわけです。ですが、天から降ってきた訳のわからない力をそのまま不用意に使ってはならない、という話し合いが人間たちの間で行われた末…神姫使いの研究が始まりました。その結果、神姫使いの才能があるものは16才まで…15才の内に神姫使いとして覚醒しなければいくら才能があっても神姫使いにはなれない、という事がわかり……」


 教室に教官の声が響くが、無情にも鐘の音が鳴り響く。

 授業終了の鐘だ。


「…っと、もうこんな時間ですか。残りの文章は各自読んでおくように。歴史を知ることも良い神姫使いになる為に必要なことですからね」


 教官の声に教室の生徒たちが礼儀正しく返事をした。

 そして教官が教室を出ると、教室は騒がしくなった。


「今日これからどうする?」

「俺はコイツと連携の訓練するけど…おーい、セツナ!見学位はさせてやるぞ!?お前、今日で【底辺騎士できそこない】から脱出できるか掛かってんだろ~?」


 底辺騎士。

 できそこないだ。

 俺はそう呼ばれている。


「いや、今日は独りでやってみたいことがあるから…気持ちだけ受け取っとくよ。ありがとう」

「そっか。分かった!じゃあ…みんな行こうぜ」


 声を掛けてきたクラスメイトの一群が教室を出て行った。

 俺ははぁ、と溜息を吐いた。


「なんで俺だけ…」


 そう、まだ俺は覚醒できていないのだ。

 今日の零時を持って、俺は16才になる。

 それまでに何とか神姫使いとして覚醒しなければ…本当に底辺騎士になってしまう。

 まぁ、今でも底辺騎士と呼んでくる奴は多くいるのだが…このクラスには俺をからかう余裕のある奴はいないからな。みんな自分の事で手一杯で、底辺の奴をいびるなんて無駄なことはしないのだ。


 俺は立ち上がり、足早に教室を出た。


 ――――ヒーローになりたい。


 馬鹿らしいと思うかもしれないが、これが俺の望みだ。

 神姫使いとなって、騎士となって、魔物や悪魔を倒す…そんな強さを持った者に成りたいのだ。

 だが、望み未だ叶わず。

 騎士となるには…覚醒し自分の【契約の言葉ラストリア】を生み出さなければならない。

 この【契約の言葉ラストリア】というのが厄介者で、神姫が受け入れてくれるかどうかは運次第。しかも完全に同調してくれた神姫でないと専属の神姫契約は結べない。

 …ようするに、姫に騎士がプロポーズして、受け入れてくれるか否かなのだ。


「…はぁ…プロポーズしようにも、【契約の言葉ラストリア】が浮かばない…」


 俺は自分の【契約の言葉ラストリア】を頭の中を探しながら…学院の屋上へと向かった。


―――――


 時刻は、ちょうど日付が変わった頃。

 場所は街の中に流れる大きな川を渡る大橋の上。

 普段であれば恋人たちが夜に語らう絶好のスポットなのだが、今は普段の様相とは打って変わって、物々しい雰囲気が漂っていた。

 一人の少女が白で統一された甲冑を身に纏った複数の男たちに追われているのだ。


「まてぇええええ!!」


 男の野太い声が彼女の耳を震わせる。

 当然、待てば少女の目的は果たせなくなってしまうので、待つわけにはいかない。


「はぁ…っ…はぁっ!」


 だが彼女の体力はすでに限界だった。普段歌などを歌っては居るものの、そんなもの基礎体力のなさに少しの補正をかけているだけで、なんの意味もない。

 橋の中腹まで来たあたりで、一際大きい存在感を放っている男が野犬のように吠えた。


「俺と契約しろっ!カノンっ!!」

「そんなの…いや……」


 儚く、消えそうな声で彼女は拒絶の意志を示す。

 彼女には、すでに決めた人がいるのだ。

 ―――記憶の中にある、一人の男。それが、彼女の決めた人だ。

 彼女の名を呼んだ男とは別の、追い回している男は捕まらない少女に舌打ちをして、魔法を発動させた。


「【フレイムボム】!!……しまった狙いが…!」


 だが、魔法は外れた。いや、意図的に外したのだが、狙った場所が悪かった。

 急速に収束した魔力の気配に少女は身をひるがえすが、時はすでに遅し。

 足止めのために放った男の魔法は、少女に直撃はしなかったものの、爆風で少女は吹き飛ばされ…


「っ…」


 盛大な水しぶきを上げながら川に落ちてしまった。


「ばかやろう何やってんだ!!」


 追い回していた複数の男の中のリーダー格の男が、魔法を放った奴の頭を殴る。


「す、すみませんすみません!」

「俺のカノンに傷がついたらどうすんだっ!?アァ!?」

「ごはぁっ!!」


 殴って、殴って、男が気絶するまでリーダー格の男は殴り続けた。

 その凄惨なさまは他の男たちにとっては悪夢のような光景だった。


「ふぅ…ふぅ…」


 一通り顔の原型が無くなるまで殴ったリーダー格の男は、他の男たちをギロリ、と睨み付ける。

 男たちの間に緊張が走る。


「てめぇら…何ぼさっと見てやがる…?それでも【|白の騎士団(ホワイトナイツ)】の一員か…?」


 まさしく王者の風格を宿したリーダー格の男は続けて部下である男たちに指示を出す。


「早くカノンを捕らえて、俺の前に連れてこさせろ!!絶対に傷はつけるなよ…?」

「|Knights(ナイツ)!」


 その言葉に男たちは一斉に了解の意を背を正して告げたあと、蜘蛛の子を散らすかのように散り散りカノンと呼ばれた少女を探しに行った。


「ずっと俺の隣で…啼き続けろ…カノン…!!お前は俺のものだ!!」





 少女…カノンは川に流され下流の方へと向かっていた。

 神姫、神姫使い達が通う学院の方向だ。

 なけなしの体力を振り絞り岸辺へと向かい、縁へと手を掛ける。


「痛っ………ハァ…ハァ…」


 水を吸った服がやけに重い。

 痛みが走った左手を見るとわずかに血がにじんでいた。きっと先ほどの爆風で吹き飛ばされた影響だろう。川底で擦ったのだろうか。

 だが、今はそんなことを気にしている場合ではないと彼女は思う。


「早く、逃げないと…」


 どこへ?と考えるが、彼女の家はここからでは非常に遠い。

 結局…学院の方向へと向かうしか考え付かなかった。


「服…乾かさないと…」


 カノンは残り少ない魔力で、魔法を使った。

 途端に…悲しくなってきた。

 なぜ、こんな思いをしなければならないのか。

 自分に決まった神姫使いがいないからなのか。

 かすかに記憶に残る【彼】を探し続けるのは、いけないことなのか。

 いろいろな感情が混ざり合い、カノンの頬を一筋の涙が伝った。


「…貴方は今、どこにいるの?……どこに………」



―――――



 時刻は、ちょうど日付が変わった時。


「はぁ…」


 一人の…経った今齢にして16になった男がため息を吐く。


「なんでこんなに世界ってのは不条理で…くだらないんだろう」


 場所は、古びたレンガの建物の屋上。クラウディア聖姫騎士学院の最上階だ。

 この学院には1500名を超える学生たちが通っている。

 騎士と姫の為の学院だ。


「今日で俺は16歳…で?騎士として覚醒するのは何歳までだったっけ?リアナ」


 あきらめの感情がすでに浮かんでいる彼は、リアナと呼んだ少女に確認の意味を込めて尋ねる。


「…15才のうちに覚醒できなければ、どんなに魔力を持っていても、どんなに力を渇望しても…騎士としては最底辺に位置する…というのが理論として確立されています。…元気を出して…セツナお兄様」


 セツナと呼ばれた彼は、返ってきた予想通りの言葉に再び嘆息する。


「君はホントにひどいことをさらっと言っちゃうな…はぁ…退学も考えなきゃいけないのか…ごめんリアナ。ちょっと今は一人にさせてくれないか?」

「…っ。はい…それでは後で迎えに来ます…」

「いや、歩いて帰るから…」

「はい…」


 リアナはそっと屋上から転移魔法を使って自宅に転移した。

 白い光がはじけ、先ほどまでそこに居た少女はいなくなっていた。

 一人になったセツナの眼に、すでに生気は無い。

 それもそのはずだ。

 神姫使いは、15歳までに覚醒する。

 正確には、15歳までに覚醒しなければ騎士にはなれない、ということだ。

 その事実がセツナの頭を悩ませている。

 別にこの姫騎士を養成するための学院には在籍はできるのだが、彼としてそれは納得できていない。神姫使いでないまま、絶大な魔力をその身に宿しながら魔力を使う術のない彼は…溜まったものが出せない彼は…。


「もう、退学しか道はない…か…」


 一人、退学を決意した。


「…あーあ…まったくなんて日だよ、今日は…せっかくの16の誕生日だってのに、おめでとう、の一言もないなんてなぁ…ま、このありさまじゃ祝ってもらえなくて当然なんだけどな……」


 セツナは院長先生の形見である銀の腕輪をはずし、手に取る。続いて翡翠色の飾りがついた首飾りも外す。

 これは昔孤児院に居た時にそこの院長先生がくれたものだ。

 セツナは立派な騎士になりなさい、と言ってくれたものだ。

 やさしく、たくましい。いい先生だった。

 だが、彼が11歳の時に死んでしまったらしい。

 らしい、というのは彼自身あまりよく覚えていないからだ。

 妹のリアナも同じ様で、院長先生が死んだときの記憶はあまりないと言う。


「院長先生…俺、なんか騎士に成れなかったみたいだ…約束破って、ごめん。でもほら、他に人を助けられる職業なんていっぱいある…し」


 言っているうちにセツナは段々と悲しくなってきた。

 だが、涙は流さない。


「…こんな結末って…ないよな…」


 セツナは星空を見上げ、首飾りと腕輪をポケットにしまった。

 代わりに手のひらサイズの小さな水晶の欠片…映像水晶を取り出す。

 これはなけなしの小遣いをはたいて買った巷で人気の歌姫の音楽と映像入りの水晶だ。

 それを起動させ、ぼーっと見つめる。

 名前は、Sevense。

 きっと芸名だろう。

 華奢で…儚げで、消えてしまいそうな彼女の雰囲気。

 大きな瞳に、流れる銀色の髪。彼女を構成するすべての要素が、儚いものに見えた。

 だが、その歌声は力強かった。

 けれど、悲しかった。

 昔の記憶を頼りに、今はいない恋人を探し求めるという歌。

 なぜか不思議と引き込まれ、セツナの心を撃ちぬいた。


(この人と実際に会えたら…きっと俺は錯乱するな…)


 そう思ったその時、はるか遠くの大橋の上で、何かが爆発した。


「なんだ!?……あれは…炎系統の魔法か…」


 一瞬、動き出しそうになる足をセツナは瞬時に止めた。


「…どうせ不良のいたずらかなにかだろう…警備団がなんとかしてくれるさ…」


 セツナは映像水晶をポケットにしまった。

 不良のいたずらにしろ、こんな時間に外をうろついていたのが警備団に見られたら何を言われるか分からないので、セツナは学院を出ることにした。



―――――



(まったく、なんでこんな時間に騒ぎ出すんだ…?)


 内心で毒づきながらセツナは川沿いを歩いていた。

 家に向かうには少し遠すぎるし、気晴らしがてらに川沿いを歩くことにしたのだ。大橋の上の騒ぎはもう収まっているようで、周囲は静寂に満ちていた。


「…いい、天気だ」


 星空はよく見えるし、月もよく見える。

 周囲を漂っている魔力が結晶化し、点々と淡く光り輝いてもいる。

 こんな時、隣にいてくれる神姫がいたら、きっとすごく楽しいんだろうな。とセツナは思う。


「寒いな…」


 周囲の温度ではなく、心が。

 自分も、騎士になりたかった。

 神姫と契約して、苦難を共にしながらも人々を救うということがしたかった。


 ヒーローに、なりたかった

 

 しかし、その思いはもう叶わない。


 「くそ…、くそ………、くそぉ……!!」


 たまらずセツナは走り出した。

 川沿いをひた走る。

 周りも気にせず、全力で、無念を振り切るかのように全力で走る。

 だが、彼の全力疾走は長くは続かなかった。

 家へと続く路地を左に曲がったところで、華奢な少女が倒れていたからだ。


 「うぉわぁっ!!??」


 あわててブレーキを掛けるが、小石に躓き、少女の上に覆いかぶさってしまう。


 ―ふに


 優しく、甘い香りがセツナを包み込む。

 やわらかい感触が顔全体に広がり、とても心地が良い。

 むき出しの肌の暖かさが、先ほどまで感じていた寒さを、忘れさせてくれた。


 だが、それも一瞬のこと。

 彼女の大きな眼とセツナの眼があった瞬間。

 

「ご、ごめん!」


 起き上がり、すぐさま土下座の姿勢になるセツナ。

 今感じた心地よい感触は一生忘れない、などと思いながらも、頭を下げた。


「…………?」


 だが、いつまでたっても帰ってこない返事を不思議に思い、セツナは怒っているであろう少女を見る。


 すると…。


 彼女は、泣いていた。

 泣き叫ぶのではなく、セツナを見ながら、セツナの眼をじっと見ながら、大粒の涙を流し続けていた。


(自決しよう…)


 セツナの頭にナイフで自分の腹を掻っ捌くという物騒な考えがよぎる。


「これで俺を好きにしてくれ…俺は君にそれだけのことをしてしまった…」


(自分で自分に手を下すより、破廉恥な行為をした俺を殺したほうが彼女の気も静まるだろう)


 そう思い、セツナは腰にあったナイフを少女の目の前に置く。


「違う…違うの…………」


(違う…?何のことだ?ああ、自分で死ねってことか)


「すみません…触れるのも嫌ですよね…?ごめんなさい。俺、自分で死ぬから……」


 言いながら、少女の方を再び見て、初めて顔全体と体全体を見た時、セツナの脳に電撃が走った。



(この人………Sevenseだ……)



 もうこれで思い残すことはない、とか早く自決しないと、とか思ったその時。


 ―パシっ!


 とナイフを持った手をたたかれ、きつく抱きしめられた。

 この華奢な体のどこにそんな力があるんだ…?と思うほど強い力で。


「やっと………やっと……会えた……私の…マスター…」


―――――


「マスター…?マスターってどういうこと…?」


 セツナは抱き着いてくる少女に聞き返すが、少女は小さく嗚咽をもらすだけでセツナから離れようとしない。


「き、キミSevenseでしょ…?なんでこんなところに…」


 次々と湧き上がってくる疑問。すり寄せられる身体。

 ふにふにとする感触がとても心地よくて、セツナは一瞬意識が飛びそうになった。


「やっと……やっと会えたの……」


 数分だろうか…、抱き着いたまま離れなかった彼女は一通りセツナの体を堪能すると、次第に離れて行った。


「名前…教えて…?」


 消え入りそうだが、どこか心地よい響きを持った美しい声がセツナの耳に届く。


「な、名前?……ああ、そういうことか。俺の名前はセツナ・ヴェルシェント…だけど……」

「セツナ……私はカノン………カノン・ナナミ……」

「カノン……さん」


 映像の中でしか見れなかった憧れの歌姫に出逢えた、そしてあまつさえ抱き着かれた高揚感がセツナを襲う。


「……それで、マスターってどういう…俺、神姫使いじゃないし…」

「セツナは神姫使いじゃないの……?」

「っ………」


 あきらかに失望したような声。

 セツナは今にも泣きだしそうなカノンを見て、自分で自分が情けなくなっった。


「お、俺は……」


 その時、野太い声が夜の静寂を切り裂いた。


「居たぞ!!あそこだあああ!!」

「なっ…!?き、君、追われてるの…?それにあれは…【白の騎士団ホワイトナイツ】!?」


 セツナの目の前の歌姫は悲しそうな顔をして、そっと目を伏せる。

 その仕草はとても…セツナの心を打った。

 儚げで、悲しげで…それでいて寂しげで…守りたい、とセツナが思うのは当然のことだった。

 路地の奥で、白い軍服を着たいかつい男がこちらに向かってくるのが見える。


「騎士団長…ターゲットが一般人と接触していますが…どうしますか?」


 男が魔法でどこかにいる「隊長」に呼びかけた。

 通信用の魔法を起動させているのだろう。

 「騎士団長」への問いかけに、すぐに答えが返ってきたようで、男は改めてセツナの方へと向かっていく。そして両者が視認できる距離まで来たとき、男は吠える。


「…カノン・ナナミ。【|白の騎士団(ホワイトナイツ)】の騎士団長から言伝だ!!今すぐこちら側にこい!そうすればその一般人の命だけは助けてやろう!!…抵抗するのならば…その一般人を殺す!!」

「ど、どういうこと…?この国最高峰の騎士団…|白の騎士団(ホワイトナイツ)が、君を狙う理由って…?」


 セツナはカノンに尋ねるが、彼女は黙って首を振るだけだった。


「聞こえなかったのか!今すぐこちらにこい!さもなくばそいつを殺すぞ!!」


 再び男が叫ぶ。

 セツナは思う。アイツは敵う相手じゃない。と。

 体格的にも、能力的にも自分は多分相手より劣っている。しかも相手は|白の騎士団(ホワイトナイツ)だ…この国でも屈指の実力を持つ彼らに、一学生…しかも騎士として覚醒していない自分には敵う道理がない。

 だがセツナは同時に、彼女を守る為に戦わなければ…という思いも持っていた。

 そして…セツナが迷っている間に、状況は動き出す。


「………巻き込んで…ごめんなさい…」


 カノンがそっとセツナから離れ、男の方へと歩き出したのだ。


「え!?」


 そうこうしているうちに、カノンは男の側へと移動していた。


 セツナは、嫌な予感しかしなかった。

 追われている…人気の歌姫にして、神姫であるカノン。

 捕らわれた彼女がどういう目に合うかは…なんとなく想像がついた。

 騎士団で【使われる】共用の神姫にさせられる…これは最悪のケースだが…。

 共用の神姫とは、特定の神姫使いと契約を結ぶのではなく、複数の神姫使いと契約を結び、体のいい「道具」として扱われるというモノだ。

 神姫にとっては複数契約はけっして良いものではない。

 本来神姫とは、神姫使いと神姫の一対一の契約で力を貸し与える…というもので、そこには【信頼】と【絆】が必要なのだ。

 信頼が無ければ、絆がなければ神姫は力を与えることができない。

 だが、その信頼なしで一時的ではあるが、神姫を使うことができるようになる方法もある…という噂をセツナは聞いたことがあった。

 その方法は…粘膜同士による魔力のやりとりだ。

 端的に言えば…接吻。もしくは性交によるもの。

 それを複数人とやりとりすれば、一人の神姫でも、複数の神姫使いが使うことができる。

 …彼女が捕まれば、ひどい目にあわされるのは目に見えている。


「…だめだ、そんなの…ダメだっ!!」


 男めがけてセツナは突進する。


「ど素人が…本物の騎士にかなうと思ってるのか…?」

「うあああああああ!!」


 動揺ゆえ、洗練されていない動きでセツナは拳を突きだしてしまう。相手は修羅場を潜り抜けてきている騎士だ。

 …勝てる道理がない。

 カノンもセツナの動きに合わせて逃げようとするが、騎士の手によって地面に組み伏せられ、あっという間にセツナも一緒に組み伏せられてしまった。


「よし…良い子だ…団長。ターゲットを捕らえました。ええ…無傷ですのでご心配なく…。え?傷がつかないように縛っておけ?…わかりました。一般人の男は…ああ、あれは騎士学校の生徒のようですが、あの様子では…神姫もいなければ、立ち向かう勇気もない、ただの【底辺騎士】…のようですな」

「あぁっ…!!」


 カノンが縄で両手を縛られる。


 拳に力が入るのを抑えられない。


 セツナの掌に爪が食い込み、血が流れた。


「彼女を放せっ!!」

「少年。この女のことは忘れるんだ。いいな?…この女はいまから|白の騎士団(ホワイトナイツ)の騎士団長様のモノになるんだから…あきらめろ」


 噛み締めた唇から血が滴る。


 そのセツナの様子を見て、白衣をまとった男は鼻で笑う。


「ハッ…なんだ?悔しいのか…?憧れの歌姫様を他人にとられて悔しいのは分かるが、明らかに君には分不相応だ。生かしてやったんだ。さっさとどこかに行け……さて、団長が来ない間に…先に味見しても問題ないよなぁ…?こんなにいい女を味わえる機会はそうそうないだろうし…ふふふ……」


 男はカノンを強引に抱き、唇を奪おうとする。



「…や、放してっ…!!」



「やめ…ろ……」



 その瞬間、セツナの感情は…限界を超えた。

 突如としてフラッシュバックする記憶。


―なぜ、世界は不条理に満ち溢れてるんだろう


 そう、悪態をつきながら思い出す。

 焼き尽くされた村を。

 焼き尽くされた父親を、母親を。


―なぜ、俺は力がないんだろう


 そう、嘆きながら思い出す。

 赤子である自分を抱きかかえる女性の姿を。


―なぜ、彼女があいつらのモノにならなければいけないんだろう


 そう、憤りながら思い出す。

 優しげな瞳をした…少女の姿を。



―それは全部……俺に力が無いからだ…。


 全部、どうでもいい…と思う。

 だが…


 悔しい。


 守りたい。


 目の前の彼女を、なんとしてでも、守り抜きたい。


 【底辺騎士(できそこない)】だと、あきらめたくない。


―今この瞬間だけでも、俺は…!!


 そこまでセツナが思い至ったとき、彼の眼の色が…深い蒼色へと変貌した。



「ふざけんな…」



 地面に組み伏せられながらも、今までとはまるで違うトーンのセツナの声に、男は反応せずにはいられない。


「は?誰に向かって口をきいてるんだ?…そんなに死にたいってのか!?」

「お前こそ…誰に向かって口を訊いてやがる……このクズがああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 溢れ出す魔力の奔流。

 セツナの内にたまった魔力が爆発したのだ。

 決して…解き放たれることのなかった…絶対の力が、覚醒した瞬間だった。

 その蒼い魔力は男を吹き飛ばし、路地の脇にある家の壁へと激突させた。

 

 カノンは凄まじい魔力の奔流の中…無事だった。

 この魔力の爆発で拘束していた縄だけが千切れ、彼女だけが無傷で無事だったのだ。


「来てくれ…カノン…。キミは…俺の神姫だろ?」


 人の変わったようなセツナの姿に、カノンは涙を流していた。

 カノンの朧だった記憶の中の【マスター】が、目の前に現れたからだ。


「…セツナ…私はあなたのモノ…あなたは、私のモノ……」


 駆け寄り、抱き着くカノン。


「お願い…一緒にイこ…?セツナ…」


 再びセツナから強い光が放たれ、暗い路地を照らした。

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