第5話 勇者になりたかった僕は英雄になった
「……っ痛」
肩が張るように痛み、僕は顔をしかめた。周りを見渡すが木々しか見えず、それすらも闇に呑まれてよく見えない。
こつん、と頭に木の実が直撃する。どうやら胸に感じた衝撃はこいつが原因らしい。サラの声が聞こえたような気がしたが気のせいだったか。
「お、起きられたんですね!?」
隣から声がした。
「……サラ?」
だがよく見ると聖女様だった。サラが髪を伸ばした、と言われれば納得するかも知れない。でもそれは暗がりであるからの話で、よく見ると細部は違うし髪の色も違う。
「ごめんなさい! 私の所為で貴方に……私はなんと愚かな真似を……」
本当に愚かだった。彼女は泣いていたのだ。ぽろぽろと零れるそれを拭いもせず、僕に向かって頭を下げていた。非礼を詫びるだとか、貴方の事をどこかで敵と思っていた自分が恥ずかしいとか……何かいろいろと愚かな事を言っていた。
馬鹿だろう、と思わずにはいられなかった。何せ聖女様の付き人? を斬った当人に向かって謝っているのだ。フィルマンとやらからすると狂ったのでは? と言えるような所行。
しかも僕の肩は若干張るもほぼ完治していた。その理由は明快で、聖女様が僕に奇跡を使ったからだ。
本来なら教会の認可とかどこどこの許可だとか、事前に身を清めて初めて使う事が許されるような奇跡を。物語ならお姫様が勇者に行うような奇跡を。……こんな僕に使ったのだ。
「……顔を上げて下さい」
そうして上げられた聖女様の顔は、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
目は充血して腫れ、鼻からも雫が垂れている。
「ぶはっ!」
思わず吹き出してしまったのも仕方が無い。当の本人はどうしていいのか困った顔をしているが、僕はそれを見て尚更笑いが止まらなくなってしまった。
「も、もう! 笑い事じゃないですよ!」
笑った。笑いながら僕は、何か憑き物が落ちるような感覚に陥った。そして自分の運命が何なのかが分かった気がする。
僕は、勇者なんかじゃない。
そう考えると凄く笑えた。そんな事は随分前から知っていたというのに。
「そ、そういえば自己紹介がまだでしたね! 私は――――」
「言わないで下さい」
僕はその言葉を遮った。あくまで僕は自分のために聖女様を護衛しているのだ。
お互いに名前を呼び合う仲になってしまったら、きっと大事なところで失敗してしまう。
だから僕は敢えて、聖女様の名前を聞かなかった。
「もうすぐ帝都ですね! 城壁が見えて来ました!」
声は明るかったが、顔からは疲れが見て取れた。
僕が肩を射貫かれてから四日目だが、その間休むことなく少数の敵が襲ってきた。多いときでも三、四名ほどで僕からすると余裕のある人数だが、それが昼夜問わず不定期でとなると話が変わる。僕も聖女様も一目で分かるほど憔悴していた。
「それじゃあ、ここでお別れですね」
僕は告げた。突然の事に聖女様は首を傾げる。だが数秒して言葉の意味を理解したのか、馬上で器用に身体を反転させ、僕に掴みかかった。
「ど、どういう事ですかっ! ここにきて見捨てるんですか!?」
肩を掴まれ激しく揺さぶられる。その瞳は「許さない」と物語っていた。
「逆ですよ逆。僕が聖女様を見捨てるわけないじゃないですか。……ただ今回の襲撃者は、足手纏いが居て勝てる相手じゃないなーって思いまして」
聖女様は再び首を傾げる。まあ敵の気配の欠片もしないのだから当然の反応だ。
でも僕の勘は警報を鳴らしていた。……それにこれが正しい運命なら、きっとそうなる。
「まあでも、敵を倒したら追い付くので、先に行ってて下さい。――――あ、護衛費出せとか言いませんけど、せめて何か美味しいものを期待してますから」
笑顔を浮かべて言うと、聖女様は任せて下さい! と言って笑った。
僕はそれを見て安心すると、馬を降りた。
「早く来て下さいねー!!」
手を振りながら馬を操る姿は大分さまになっている。どこか娘の成長を見守る父親の気分に浸りながら手を振った。
そして背後から聞こえてくる鎧の音に、僕はゆっくりと振り返った。
「お久しぶりですね」
「……貴殿と相見えるのはこれが初めてだと思うのだが」
茶色の軍馬に乗った――――黒い鎧を身に纏った王国兵が言った。僕も自分で言っておきながらどうでもよかったので「そうですね」とぞんざいに言葉を返した。そして同時に剣を抜く。
しゃらん、と金属の音が辺りに響き渡った。
「聖女様を殺させるわけにはいきません」
「であろうな。貴殿のような勇ある者が王国に居れば、今回もここまで足を運ぶ事は無かったのだがな」
なかなかに評価が高い。まあ既に何十人も斬り捨てているわけだし、油断はしないか。やりにくい相手だ。ただ、僕を勇ある者とは笑わせてくれる。
「時間稼ぎってわけじゃないんですけど、僕は勇者になりたかったんです」
隙は見せない。敵も遺言とでも思っているのか、茶々を入れるつもりは無いようだ。
「でも僕は勇者になれない。帝国で勇者とは生きている者に与えられる称号の事で、死んだ者は英雄と呼ばれる……だから僕が勇者と呼ばれる事は無いんです」
もし聖女様が僕の良い所だけを伝えたら、皆はきっと僕を英雄扱いする。勇者にはなれない――――それが、僕の運命なのだ。
「……敵ではあるが、少なくとも貴殿は今、間違い無く勇者だ」
「ありがとうございます」
微笑む。もう会話はこれで終了だ。もし目の前の人物が帝国の人間であれば、親しい仲になったかも知れない。でもそんなもしもは通じない。僕の奇跡は、数日の間に僕を英雄にする力しかもっていない。僕は勇者にもなれず、誰も救えず、ただ歴史を繋げるひと欠片として消えていくだけだ。……ああいや、一応聖女様は救えたのか。幼馴染みに似たあの少女を救えたのは大きい。だって僕の奇跡は、きっと聖女様のためにあるのだから。
「……御免」
男が斬り込んでくる。多少なりとも時間を奪われたためか、一撃で勝負をつけるつもりらしい。
今までの僕なら避けようとして殺されただろう。もしくは、反撃しようとして僅かに届かず死んだだろう。
でも今の僕なら。死を覚悟した僕なら、違った結果が生まれる。
「な!?」
一歩踏み込んだ。横薙ぎに振るわれた剣が腹を裂く。だが真っ二つにはならなかった。即死でなければそれでよかった。
僕はお返しとばかりに剣を薙いだ。僅かな抵抗と共に、あれだけ勝てなかった敵の首が飛んだ。
「……はっ」
腸を零す自分が馬鹿みたいで笑えた。あんなに最善を目指したのに、終わりはこれだ。
僕は初めて死ぬ覚悟をした。一番最初は死にたくなくて、それ以降は「次、どうしよう」くらいにしか考えていなかった。僕は一度も死ぬ覚悟を決めていなかったのだ。死兵は恐ろしいなんて言っておきながら、自分はそれが出来る立場でそうしなかった。
惨めだ。惨めで仕方がない。僕が夢みた華やかさなんてなく、血のにおいしかしなかった。
「……くそ」
神様に言いたい。これで満足か。
僕は神様から奇跡を貰って、物語の主人公になった気がした。違った。物語の主人公は聖女様で、僕は脇役だった。
それが何よりも悔しい。僕は自分の人生の主人公だと思っていたが、所詮それは主人公を生かすために急遽創り上げられたものだったのだ。僕にも普通の生活があったのに、どこで歯車が狂ったのだろうか。……そういえば自分で言ったっけ。「聖女様があの場所に居た時から、運命は決まっていたんですよ」って。
「いやああああ!!」
いきなりの叫び声に、僕は危うく召されるところだった。どちらにせよ死ぬしかないけど、せめてこの世界を呪うくらいの時間は欲しかった。
「そんな、そんな! ああ、大丈夫です、私が治しますから!!」
聖女様だった。わざわざ戻って来たのか。これで僕が敵を殺していなかったら、全てが無駄になるところじゃないか。
「僕も諦めたので、聖女様も諦めて下さい」
「喋らないで!」
懸命にこぼれ落ちた腸を広いながら奇跡を行使する。その姿が、僕にはたまらなく腹立たしかった。
「ねえ、聖女様。聖女様は運命を信じますか?」
聖女様は答えない。
「僕は信じてます。だって、これが僕の運命なんです。あなたを救うためだけに僕は物語に付け加えられたんです」
聖女様は物語の主人公だから、きっと上手くいく。だって僕はフィルマンって人を斬った。聖女様の親しい人を斬った。でも殺していない。
だから生きているだろう。フィルマンも。そして聖女様も生き残るだろう。
だけど物語としては、ちょっとだけ悲劇が起きた方が面白い。だから僕は後から台本に書き足された。それを為さないと物語が進まないように、繰り返しの奇跡をつけて。
「無駄ですよ、聖女様。僕を置いてさっさと帝都に向かって下さい」
「そんなの――――」
「我が儘を言わないで下さい、セレスト様」
「え、な、何で私の名前を」
自国の皇女様の名前くらい知らないはずが無いが、聖女様は見るからに狼狽えていた。
「僕の名前はクレールです。もしあなたが僕に思うところがあるなら……村に居る僕の思い人に……サラに僕の最後を伝えて下さい。僕は勇者だったと、聖女様の口から……」
僕の言葉は聞き取りづらいだろう。何せ口から血を吐きながらの会話なのだ。それでも聖女様は僕の言葉を懸命に聞いている。途中僅かに目を見開き、何か納得していたかのような表情をしていたが、多分僕が聖女様と出会った原因に納得したのだろう。僕はサラを救うためにフィルマンを斬った。その具体的な内容は、そういえば言っていなかった。
「ですが……」
なおも聖女様は引かない。僕はいい加減、取り繕う事が出来なくなっていた。
「ふざけるな! あんたの所為でみんな死んだんだ! 僕もだ! 僕ももうじき死ぬ。僕にも生活があったのに! こんな事さえ起きなければ、幼馴染みと家庭を築いて幸せになれたんだ! 僕は英雄になんかなりたくなかった! サラの勇者であればそれでよかったのに、あんたが僕を望まない英雄に仕立て上げたんだ!」
口から血と呪詛が溢れ出る。聖女様は泣きながらそれを聞いていた。
「忘れるなよ、僕を。見ているからな。僕は生きているんだ。脇役なんかじゃない。だけどあんたが僕を殺したんだ……!」
聖女様からしたら理不尽で仕方ないだろう。いきなりやってきて、そして死ぬとなると罪を植え付ける僕は、傍から見ると頭の狂った人間でしかない。
でも仕方ないじゃないか。僕の一生は聖女様で終わるのに、聖女様にとっては通過点でしかないのだ。忘れ去られてしまうなんて、我慢出来なかった。だから深く深く、心の奥底に訴える。僕を忘れるな、と。
死ぬために用意された役なのに、忘れられたら全てが無になってしまう。そんな道化は嫌だった。
「……忘れません、私は。クレール様の事、一生忘れません」
聖女様は泣いていた。僕も泣いている。
悲しいのか嬉しいのか、悔しいのかそうでないのか、僕には何も分からなかった。
ただ瞼が重くなるのだけは分かった。
「……聖女様、僕は勇者になりたかったんです。物語の主人公に憧れていました」
「貴方は勇者様です。だって私を助けてくれた。……誰が何と言おうと、私の中ではずっと勇者様です……」
その言葉を最後に、僕は何も聞こえなくなった。
六十度目の生は、二度と訪れなかった。
終わり
勇者になりたかった僕は英雄になった 佐々木 篠 @shino_novel
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