ブログを認める人の話。

 私は写真を撮り続けている。

 何気ない日常を切り取り、それをブログにアップしている。

 誰にも見られる事のない景色。

 私が確かに見た景色。


 誰に頼まれた訳でもなく、ただ思った事を写真と共に書き連ねていく。


 私には、或る病がある。それによって私の命は、限られているらしい。

 別に、絶望は無い。といって、何かに希望を見いだしている訳でもない。

 人が歩く速度が皆違うように、寿命も人それぞれ違う。人間はいつか死ぬ。それがたまたま私は早いだけだ。今はそう割り切っている。


 ただ、私が死ぬ事で何も無かった事にされるのは、癪だった。私が見た事、感じた事、覚えた事、その全ては、確かに存在していたのだ。誰も覚えて無くても。

 それを記録したかった。私が死んでも残るように。誰かの目に触れるように。

 別に、誰かからリアクションが欲しかった訳ではない。これは飽くまで記録。私が生きた証。



 最初からそう考えて生きてきたかと聞かれれば、そうではないと答えるだろう。病を宣告され、自分が死ぬと言う事を漠然と意識した頃、私は半狂乱だった。部屋にある物は全て掴んで投げた。目に見える場所にある、形ある物は全て壊した。血を吐く程叫んだ。体中の水分が底を尽きるまで泣いた。誰も、気にとめる人などいなかった。

 私には家族は無い。友も無い。何ら社会との繋がりもない。ただ機械のように働き、食べ、寝る。そんな生活だった。

 死ぬと言う事を突きつけられ、それについて考え始めると、自分には何も残す物が無く、仮にあっても残す相手もない事に気づき、言いしれぬ不安が心に影を落とし始めた。

 ……そう望んできたのは自分なのに……

 自分自身の決断で、人との関係を絶ってきた。それが正しい事だと思っていたし、格好良い事だとも思っていた。そんな考え方をしてきた自分に腹が立つし、呆れる。



 やがて、それだけ絶望していながら飯だけは食べる自分に更に呆れた。まだ、生きようとしているのだ、私という人間は。


その日の夜は眠れず、悶々としたまま過ごしていた。壊れた物しかないこの部屋でずっと、考えても詮無い事を延々考えていた。

どれだけ時間が経ったのか、全く気づかぬ内に外は白く明るくなってきた。

……私がこれだけ苦しんでいても、太陽はまた同じように昇る……憎たらしい……

八つ当たりのような思考だ。

……思い切り睨みつけてやる!

そう思って、カーテンを勢いよく開ける。

そして、心奪われた。

朝焼けの空。夕焼けとは違う、黄色懸かった橙をぶちまけた空がグラデーションに彩られ、その下にはシルエットになったビル群が植物のように生え、その合間から今まさに太陽が現れる瞬間。

 ビルは太陽の強い光によって濃い影になって、輪郭だけをはっきり残している。明るいのは太陽と空、それと遠くの山々だけである。

 見た事もない、幻想的な世界だった。

……知らなかった。私の部屋から見る朝焼けは、こんなに美しい物だったのか……

ふと我に返り、部屋中に居座るガラクタ共を掘り始める。

……そうだ、確か、どこかにあったはず……!

ガタガタとしばらく乱暴な発掘をすると、目的の物が出てきた。それは……カメラだった。

……フィルムは……後一枚!レンズも……黴びてない!

窓をガラッと開け、すかさず構える!太陽はじりじりと昇り始めてる!

……もうちょっと待て……今撮ってやる……!

パシャリ。

乾いた音がして、大きな溜息と共に私の全身から力が抜ける。

 久々にカメラなど持った。それに加えて急ぎ仕事だったので、上手く撮れている自信など無い。ただ、満足感はあった。

……きっと上手く撮れている。大丈夫だ。

 太陽は、凄まじい勢いで上昇を始めた。


 日が昇り、私はガラクタまみれの部屋から這い出て、現像に走る。すぐに確認したくて仕方なかった。

 

 現像の依頼を終え、その待ち時間、私はずっと考えていた。

 とにかく夢中で撮った。きっと良い写真が撮れている。そうに決まっている。しかし、それをどうするんだろう?私はあの光景を見て、感動して、思わずカメラで撮った。それは……何故だったんだろう?


 仕上がって来たのを見て、溜息を漏らした。あの時見たまんまが、そこに写っていた。あぁ、美しい。感動が何度でも蘇る。

 等と見ていたら、写真屋のおばちゃんに怪訝な顔をされた。私は赤面しつつ、その場を足早に立ち去った。


 ガラクタだらけの部屋に戻り、一頻り写真を愛で、それからまた考え始めた。これをどうしたらいいだろう?私は、何故これを撮ったのだろう?

 世界中の物を憎み、自分の終わりに絶望し、虚無感に苛まれていた私。あの時の私は自棄を起こし、全てに当たり散らし、しかし世界はそれに無関心だった。私は無力だった。まるで、私には誰からも何の価値も認められていないように感じられて、とても惨めだった。

そこにぽっと現れて、私のそういった物をあっさりと忘れさせ、心の中にでんと居座っているこの写真。あんなに空っぽだった私の心が、容易く満たされてしまった。

世界は、まるでこの部屋だ。私自身を含め、ガラクタのように価値のない物が溢れている。かと思いきや、その世界から眺める物には、思考を吹っ飛ばしてしまうような美を持った物がある。同じ世界にそういうものが混在していて、ともすれば見落としたまま生き続けるのが人間なのだ。そんな中で、私は偶々美を持つ物を写真に収め、記録する事ができた。

……他にもそういう物は無いのだろうか……?あるとするならば……私はそれを見たい!記録したい!誰かに見てもらいたい!

私の中に、強い意志が一つ生まれた。

そうだ!私の写真を、私がこの無価値な世界の中で見いだした価値を、誰かに見てもらおう!私の価値観を、誰かに!


方法については、大分悩んだ。最終的にブログという形にした。これならば気軽に写真を公開し、しかも衆目にさらされやすい。

こうして、私の写真はインターネットの海をたゆたい始めた。


私がブログに上げる写真は、最初は美しいと感じた物ばかりだった。太陽、虹、雨……どこか勿体ぶった文章と、昔覚えた理屈に乗っ取った写真が日々記録されていった。その内に、もっと誰も見ない所、私が面白いと思った事に凝っていくようになっていった。


草むらの中にこっそり立っている水準点。あの、頭が赤くて、石で出来た四角い杭だ。その上には誰かがいたずらで乗せたらしい、丸い石が置かれている。

「通りがかりに見つけました。一瞬お地蔵さんに見えて二度見。

誰からも忘れられようと、誰かがそこに置いて、大事な祈りを捧げた場所。お地蔵さんはいつまでもそれを覚えていて、今でもここを通る人を見守り続けている。

なんてね。お地蔵さんじゃないんですけどねw」


 開けた場所に、砂利が敷き詰められている。よくよく見てみると、ザイルが四角く固定され、ここが駐車場である事を辛うじて自己主張しているのが分かる。その真ん中には……カボチャが大きく実をつけていた。何故?

「砂利だらけの駐車場というのは大変無機質ですよね。便利な場所ではあるんですが……

その駐車場のど真ん中になんとカボチャ。結構しっかりなっていましたw

頼まれもしなくても、カボチャは土と水があれば実をつける。辛い状況でなったその実は甘い物でしょうか?」



 時々読み返しては、自分で笑っている。

この日はこんな事を感じた。それを撮ったのはあそこだ。あの日は暑かったな。どれも懐かしい。

 自分の足跡が、きちんと形として残っていく。



しばらくして、自分の死など恐るるに足らぬ事に気づいた。人はいつか死ぬ。ただ、私はそれが早いだけ。いつ死ぬかは分からない。それは、誰だって一緒なんじゃないだろうか。今日死ぬかもしれない。十年後死ぬかもしれない。死なないなんて事は無い。

死とは、絶望だ。その先に存在する物は無い。だが、必然である事を考えれば、それを認め、私のしたい事、するべきだと思う事をただひたすらする事が正しいのだ、と今ではそう思う。

死という絶望を目の前にして、それでも尚何かを為そうとする意志。それに気づいた時、私の心は穏やかさを初めて手に入れたような気がする。


淡々と撮っては上げる。私が見た、面白い物を。誰かに認められる必要なんて無い。私がそうしたいから、そうするだけだ。


私の体を蝕み続けていた病は、とうとう私の足を奪った。私は、歩く事ができなくなった。助けを呼ぶ事も出来ず、呼ぶ人もいない。ガラクタばかりの部屋の中で、孤独に耐えていた。

そんな中でも、ブログだけは続けた。辛うじて残っている食料で食いつなぎ、撮り溜めておいた写真をアップし続けた。私の価値観を、衆目に晒す為に。


どうせ長くない命だ。最期まで好きにやりたい。


とうとう撮り溜めておいた写真も底を尽き、食料も底を尽き、私の体も満足に動かせなくなってきた。私はきっとこのまま、誰の目にもさらされないまま死んでいく。

……私の価値観、誰かが受け止めてくれたかな?

ふと、考える。こうして今際の際になっても写真にこだわり続けているのは何故か?私自身にも正直分からない。

……私は、何にそんなに駆り立てられていたのだっけ?燃え尽きる命を目前にして、何かを残す事に腐心したんだっけ?…残すって言っても、ブログに上げてインターネットの海に投げ出しただけ。誰がどんな風に感じたなんて、私には知る由もない。ブログの先に、誰がいるかなんて、私は知らない。いるのかどうかも分からない。まるで莫大な数の釣り糸を海に垂らし、誰かが食いついてくるのを待っている状態。誰かと一本紐が繋がっている、かもしれない状況。

じゃぁ、何で私は写真を撮り続けてきたんだっけ?

……私は……認めてもらいたかったのだろうか?誰かに「良い写真ですね」って言って欲しかったんだろうか?……実は、不毛な事だったんじゃないのか?私は、私がしたい事をしていると自分に言い聞かせ、無意味な事を繰り返していただけ。……誰もそんな事に価値を見いださない。

 ……そうなのかもしれない。でも、構わないと決めたんだ。だから、気にしない。

 何度となく考えた事だが、死を目前にして一層考えるようになった。ぐるぐると回っては、結論は自分に言い聞かせるだけの言い訳。

 ……写真を撮り続けてきた理由……ふふ、何だっけね。最初に撮った朝焼け。あれは綺麗だったなぁ……最初の頃は美しい物にこだわって、色んな所に撮りに行ったっけ。それからたまたま道端で見かけたお地蔵さんもどき。あの辺から誰も見ない面白い物に興味が湧いたんだっけ。懐かしいなぁ……

 そろそろ午後四時半。ブログを更新しなくちゃならない。とはいえ、写真のストックは底を尽きている。

 ……どうしようか?

 カメラを持って、しばらく悩んだが、この部屋は美しくない。撮る価値も無い。

 ……困ったな……何も撮る物がない……

 撮った所で、現像には行けそうもない。その事に気づき、溜息混じりにカメラを置く。

 ゴトリ。

 妙にリアルな音で、ハッと気づく。これだ。私の価値観を撮り続けてきてくれたこのカメラこそ私にとって価値がある物ではないか!

 慌てて携帯を取り出し、写真を撮る。そして、思ったままを綴る。


 ブログのアップが終わった。何とか五時には間に合ったようだ。ふう、と溜息を吐くと、私の体から力が一気に抜けていった。

 ゴトリ。

 床に横たえたまま、体を起こす事も叶わない。

 ……あぁ、死ぬんだ。

 素直に受け入れた。精一杯生きた。やりたい事をやった。ただ一つ、気がかりがある。

「誰かに伝わって、くれたかなぁ……」

 途端、扉が開かれた。

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Boy doesn’t meet girl 黒井羊太 @kurohitsuji

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