Boy doesn’t meet girl

黒井羊太

ブログを眺める人の話。

 ある日インターネットで見つけた一つのブログ。今の僕のお気に入り。


 その人のブログにはいつも、とてもとても美しい写真が添えられている。

今日の写真は……夕焼けの写真だ。中央に、今にも沈みそうな夕日が紅く煌々と輝き、上半分には強い光を浴びてすっかり黒く焦げた雲が所々に、下半分には影絵のようにビルが黒く建ち並んでいる。

 橙と黒だけの世界。強い光が全てを飲み込もうとしているが、そうすればする程に影は濃く落ちていく。光や影の中には濃淡があり、僅かにそこに広がる世界が垣間見える。町を歩く人影、行き交う車、光に飲まれかけている小さな雲。

 写真に見とれてほうっと溜息を吐いていると、写真の下の文章に気づく。

「今日の夕焼けはとても綺麗でした。上手い具合に太陽が中心に来たので撮ってみました。

 夕焼けの色はとても暖かいですね。そして橙と黒のコントラストがとても綺麗ですよね。世界には色が溢れてるのに、この瞬間だけはツートンカラーのように塗りつぶされている……不思議な感じがします。

 光と影っていうのもいいですよね。この写真も良い感じに混ざり合っていて……まるで人の心のような。」

 何の事は無い言葉が連なっている。その僅かな言葉から漏れ出るその人の温かみを楽しむように、何度も読み返す。読み終えたら、また写真を眺めてその人の心を推し量る。

『どこで撮ったのだろうか?』

『どんな気持ちで撮ったのだろうか?』

『一体誰に向けて書いているのだろうか?』

『どんな人なんだろうか?』

 しばらくパソコンの前に釘付けになって、それからまた僕は僕の、つまらない日常へ戻っていく。

 僕は今、その人のブログが毎日夕方五時に更新されるのが楽しみで生きている。



 憂鬱な気分でネットの中を泳ぎ、変な物を見つけては嘲笑い、下らない物を見つけては唾棄し、気分を紛らわせていた。あまり良い人間ではない僕の、辛うじて存在する趣味。

 そんな中……どこをどうして見つけたのか覚えていないが、兎に角偶々その人のブログを見つけた。

 そして、初めてその人のブログを見た時、僕は初めて『言葉を失う』という事を体験したんだ。

 その写真は、空だという。画面一杯に映るのは、青一色。いや、正確に言うと濃淡が凝縮されており、青しかないのに無限に色が存在しているように感じた。薄汚れた僕の部屋で、くすんだディスプレイに映る景色から、僕は確かに爽やかな空気の流れが溢れ出てくる瞬間を確かに見たんだ。

 そして、その人の言葉が書き連ねられていた。

「今日は、空がとても綺麗でした。思わず撮った一枚です。曇り空が続いてましたから、久々の快晴で嬉しくて。

 雲一つ無い天気っていうのも珍しいですよね。写真を撮ったところだけが青空なんじゃなくて、空という空、一点の雲も無い天気でした。

 貴方の町は、晴れているでしょうか?」

 最後の無指向性の言葉が、まるで僕に投げかけられているようだった。思わずカーテンを捲り、空を見上げる。今日は……曇り空だ。しかし少しだけ青空が垣間見える。

 空の青は、あんな色だっただろうか。白い空に押されて、すっかり小さくなった空。申し訳なさそうに、何なら雲の白さに紛れてしまいそうな青。僕は小さく溜息を吐いて、画面の空をまじまじと眺め続けた。

 綺麗な写真だ……他にどんな写真を撮っているのだろう?その人のブログは大分前から始まっていたらしく、僕は少しだけ、遡って写真を見た。


 街。青信号と、スクランブル交差点を渡る人の波。

「せわしなく人が歩いていますね。私は歩くのが少し遅いから、こんな中に入ったら行きたい方向へ行けないかも。

 この人達は、行きたい方向、行くべき方向を持っている。お互いに別な方向でも、邪魔することなく、認め合い、すれ違っていく。

 赤信号には気をつけて。止まる時は止まらなきゃ。進む時のエネルギーを蓄えて。」


 街灯2。夜道を照らす一本の街灯。それが照らしている以外は真っ暗で何も見えない。

「と言う訳で、夜に来てみました。……やっぱり何の意味があるか分からない……

 まるでスポットライトのようですねw 集まってくるのは虫だけですが……

 はっ!? もしかして私も集められてしまった!? 虫と同じですか!?」


 街灯1。昼間のたんぼとその中を走る一本の道路。脇には一本だけ街灯が立っている。

「田舎に来てみました。田んぼは良いですね。何故か落ち着きます。

 たんぼ道に一本だけ街灯が立っていました。人通りが多い訳でもなく、というかいない道で、一体何を照らすのでしょうか? 何の意味があるんでしょうか。

 夜になったらその意味が分かるのでしょうか……夜にもう一度来てみたいですね。」

 

 鉄塔。高圧電線を支える鉄塔が幾つも並んでいる。変電所が近いのか、かなり混雑している。一見すると定規を使って落書きをしているだけのようにしか見えない程である。

「鉄塔です。かなり混雑していますねw

 こうしてみると、一体どの線がどの鉄塔の物で、ここに一体何本有るのか、さっぱり分かりません。いや……元々こういう形の造形物なのかも!?

 それぞれが確固たる個を持っている。でも、遠くから見たら意外に同じに見えてしまう物なんでしょうか。」


 案山子。青々とした稲の草原の中に仁王立ちである。典型的な案山子で、竹を十字に組み、手には軍手、頭はワラと袋、それから麦わら帽子の出で立ちである。

「田んぼを眺めていたら視線を感じ、思わず激写w

 何ともいい顔をしていますね。ただのへのへのもへじですが、にっこり笑っておられるようです。(顔がワラだけに)。

 こんな所で立たされ続けたら笑うどころじゃありません。昔廊下で立たされましたが大変辛いお仕事です。」


 笑ったり、唸ったり。気がついたら、すっかり夢中になって読んでいた。しばらく経ってから、空腹感で時間の経過を実感し、読むのを中断した。

 適当な物を腹にかっ込み、パソコンに向かって……電源を落とした。続きを読もうかとも思ったが、もっとゆっくり楽しみたいとも思った。毎日更新されているようだから、毎日一枚、ゆっくり眺めながら、時折遡って見ていこうと決めた。


 それから、毎日その人のブログを眺めるのが僕のお気に入り。



 日々しょうもない写真と何の事はない僅かな文章を眺める。その人の切り取る世界はまるで異世界で、僕の住んでいる所とは違う感覚に陥る。でも時折写真に混じる僕の日常を見るにつけ、世界が違うのではなく、世界の切り取り方が違うだけなんだと気づかされる。その驚きが、僕の心を更に釘付けにしていく。

「どうしてこんな撮り方を思いつくんだろう!?」

「こんなの、誰も見ないって!」

「なるほどぉ……そんな見方もできるのか……!」

 僕はお陰で、すっかり街を歩くのが楽しくなってしまった。その人なら僕の見える景色をどう切り取るだろうか?どんな物に出会えるだろうか?思わずウキウキしてしまう。

 もっと綺麗に写真を見たい、と、パソコンのディスプレイを良い奴に買い換えた。部屋も綺麗にした。服装も……どことなく小綺麗になった。


 いつからか、僕はその人自身がどんな人間なのか、考えるようになっていった。

「この人は街を歩く時、どんな顔をしてるんだろう?」

「声はどんな感じかな?きっと優しい声をしているんだろう」

「男性だろうか?女性だろうか?多分……女性なんだろうなぁ。根拠は無いけれど」

「年は幾つくらいなんだろうか?きっと僕よりは上だ」

 頭の中で少しずつ出来上がる偶像。何の根拠も無くそこに生まれた姿だが、その偶像はその人の言葉を僕に語りかけ続けた。


 どれくらいそれが続いたか、忘れた。ただ、唐突だったのは覚えている。


 ある日のブログ。散らかった部屋のテーブルの上に置かれた古めかしいカメラの写真がアップされていた。いつもより画質が悪い……どうしたんだろう?

「私の愛機。いつもこのカメラで写真を撮っています。今日は労いの意味も込めて登場して頂きました。ぱちぱち。

 いつも私の視線を記憶してくれる良い奴です。私の見た物、感じた事を記憶してくれる、私の脳以外の唯一の器官。どこに行くにも一緒。雨の日、晴れの日、いつも一緒。だって、これは私だから。

 私の記憶を正確にアウトプットする唯一の器官。言葉では足りない。記憶では霞む。そういう意味では、私の中にあるどんな器官よりも優秀とも言える。

 いつも記録しているのに、カメラ自身が記録に残る事はなかった事に気づいたのは最近で、悪い事をしたなと思っています。折角写真を撮ってあげたのに携帯のカメラだからちょっと画質悪いね。ごめんね。」

 あぁ、携帯だから画質が悪いのか。しかし……僕には何故だか、その人がひどく悲しんでいるようにも感じた。何故だろう?

 ……う~ん……?単純にカメラを記録してなかったから……?だけではないような……?

 何が疑問なのかも分からず、ただもやもやとした気持ちだけが広がっていく。

 ……考えても仕方ない。今日は寝よう。

 そう決めて、ごそごそと寝床に入って、寝た。


 翌日、その人のブログを開く。今日も当たり前に更新して……いない?

 おかしいな……

 いったん別なページを開き、そしてまた開いてみる。更新されていない。

 ……今日はたまたま遅いだけさ。明日になればきっと更新している。

 そう結論づけて、少しだけ過去にブログを遡り、気を紛らわせて寝た。


 その翌日、その人のブログを開く。今日こそ更新して……いない。

 ……

 言いしれぬ不安が過ぎる。

 ……このまま、このブログは更新されないんじゃないだろうか?

 頭を振って、自分が思いついた恐ろしい考えを頭から追い出す。

 ……明日にはきっと大丈夫さ。きっと…

 自分をそう誤魔化し、また少しだけ日記を遡り、気を紛らわせて寝た。


 その翌日も、そのまた翌日も、三日、五日、一週間、半月、一月。いつまで経っても更新される事は無かった。

 僕は、ずっと考えていた。その人は、一体どうなってしまったのだろうか、と。

 病気してしまったのだろうか?パソコンが壊れてしまったのだろうか?カメラの調子が悪いのだろうか?それとも…どこか遠くへ行ってしまったのだろうか?例えば…旅行とか……考えにくいな……じゃぁ急に……死んでしまった?

 って何を考えてるんだ、僕は!? そんな不吉な事を考えるな! そうと決まった訳でもないのに!

 自分の頭を引っぱたきつける。痛い。しかしこれで少し冷静に考えられる。

 とはいえ、それを肯定する不安はたっぷりあるものの、否定できるだけの材料は無い。そもそも、僕はその人について、何も知らない。

 ……そうだ、何も知らない。顔も、名前も、性別も年齢も、趣味も家族構成も、過去も、現在も、未来も。僕が見ていた姿は妄想に過ぎない。

 その人の一日の一瞬を垣間見、僅かな言葉を眺め、理解したつもりでいた。その人は、僕に向けて言葉を投げかけ続けていたと思っていた。

 僕とその人を繋いでいたのは、唯一その人のブログだけ。僕はコメントを入れた事はない。コミュニケーションが成立した事はないし、その人は僕がブログを楽しみにしている事を知らなかっただろう。

 たった一本の紐で繋がっているだけの関係。その人は一生懸命紐をあちこちに広げ、僕は偶々その端っこの一つを握っていただけ。ぷつんと切れれば、はいお仕舞い。

 僕にとって、その人はブログそのものだったと言えるのかもしれない。だから、ブログが終わってしまえば、その人が終わってしまう――換言すれば死んだ事と同じなんだ。

 そう気づいた日、僕は寂しくて泣いた。


 街を歩いていても楽しくない。その人はもう世界を切り取りはしない。言葉を僕に届けてくれる事もない。何か考えるにも、僕はその人の視線に憧れ、同じ視線を持てるように歩いていた。誰かと同じ価値観を持つ事、同化する事を愛だというのなら、まさにそれだった。

 空虚な気持ちだ。


 それから僕は、ずっとその人の最後の日記を繰り返し読み続けていた。未だにもやもやは解決していない。ぷっつりと途切れたブログからでは、何も分かる事はない。ならば……僕は、遡って読み続ける事にした。


 駐車場の真ん中のカボチャ、草むらに隠れたお地蔵さんもどきや、降り始めた雨が乾いた地面を点描の様に埋めていく様、ビルとビルを渡すように掛かった虹、公園の時計台の上空に燦々と輝く太陽……いくつもその人の見てきた光景が広がっていた。時々おどけたり、気取ってみたり、考えさせるような文章だったり。その一つ一つが面白くて、読むのに手間取ってしまう。何日もかけて、ようやく辿り着いた、最初のページ。明らかに異なる雰囲気に僕は思わず座り直して、その写真を見た。


 朝焼けの空。夕焼けとは違う、黄色懸かった橙をぶちまけた空がグラデーションに彩られ、その下にはシルエットになったビル群が植物のように生え、その合間から今まさに太陽が現れる瞬間だ。

「初めまして。本日ブログを立ち上げた新参者です。

 この写真は、私の部屋から撮った写真です。とても美しい写真が撮れたので、誰かの目に留まる場所で保存したくて、ブログを立ち上げました。

 私がこの光景と出会った時、前日の深夜からずっと悩んでおりました。悩む、というか解決策など存在しない事でして……実は、私は不治の病を抱えています。治る事はなく、いつ死ぬか分からない状況です。それを病院から聞かされた時、世の中はひどく無価値で、生きている意味など全くないと絶望していました。私には家族も無く、友達もいません。ただ一人で死ぬ事だけが決まっていて、ひどく恐ろしく感じていました。

 夜も眠れずその事をずっと考え続けていたら、いつの間にやら朝になっていて……明るくなってきたので外を見てみたらこんな景色が目の前に広がっていました。悩みなどどこかへ吹っ飛んで、私は何も考えず写真を撮っていました。世の中に絶望していた私が、です。

 何故写真を撮ったのか、今でも分かりません。ただ、そうしたかったとしか説明できないんです。あの時私を突き動かした物がなんなのか。ずーっと考えていく中で、こんな光景のような出来事は、世の中にどれくらいあるのだろう、という疑問が出てきました。私が見ていなくても、知らなくても、きっとあんな光景は世界中のどこかで繰り広げられている。そう思うと、一つでも多く見たい、撮りたい!という願望にすっかり取り憑かれてしまいました。

 と言う訳で、私が死んでしまえば消えてしまうこの無価値な世界の中で、私が見いだした物をここに記録していきます。私の命が、尽きるまで。」



 読み終えて、溜息を吐く。少しだけ、その人の人となりが見えてきた。気がする。そして、ブログが終わってしまっていると言う事は、やはりその人は……死んでしまったのだろう。受け入れがたい事ではあるけども。

 そんな素振りさえ全く見せずに、ブログを書き続けてきた。強い人だったのだろう。僕は、心からこの人のブログを覗く事が出来て幸せだったと思う。


 それから僕は、また最初の日記からカメラの写真までをずっと読み返した。今度は、僕の思い出も付加されている。

「この写真を見た日はひどく怒られた日だ」

「この日は楽しい事があったんだ。あれは本当に楽しかったな」

「あぁ、雨降りの日だったね」

 そこには書かれていない僕の気持ちが、ありありと蘇る。


 途中、写真を眺めながら考える。

 その人は、世界は無価値だと言っていた。でも、そんな世界でこんなに美しい物が存在するんだろうか?愉快な物、悲しい物、嬉しくなる物、種々存在している。 それは見る人によって価値づけられていく物だろう。その人は事実、そこに何らかの価値を見いだして写真を撮った。だとすれば……

 世界は無価値なんかじゃなくて、価値に溢れすぎていて本当の価値に気づけなくなっているだけなんじゃないのか?人の数だけ価値があって、それを全て理解する事はできないだけで。全ては有価値なんだ。だから、その人のブログも、意味がある物だったんだ!価値があるんだ!

 その人は、その人の視線でそれを上手く切り取って僕にそれを見せてくれた。その人のやってきた事は無意味なんかじゃなくて、確かに僕の心を動かしたんだ。その人が消えてしまっても、形として残って、僕の心に残っている。


 そしてカメラの写真に辿り着いて、その人の事をまた考える。

「この写真は何を伝えたかったのだろうか」

 ……その人にとって、カメラは特別な物のようだ。それは、その人がブログに写真を掲載する為には必ず必要な物だからだ。

 ……それだけか?何が引っかかるんだろう?カメラはその人の体の一部。そこだけをブログに上げている……

 カメラが記憶に残らなかった事を悲しんでいた?それはカメラに愛着を持っているから……いや、違う。カメラはその人自身だ。カメラで撮った写真はその人が見た物。その人が感じた事を誰かと共感する為にアウトプットする為の、その人の器官。そう語られている。

 だとすれば……その人自身が記憶されない事を悲しんでいる?誰からも記憶されず、認識されず、ただ記録していくだけの日々の中、誰かに認めて欲しかったんじゃないだろうか?自分のしている事を。……その人自身を。

 そうだ。その人は、自分を誰かに認めて欲しかったんじゃないだろうか。無価値な世界でもがき続けた一人の人間を。知人も、ブログを見ている人もいない世界で、自分の存在を叫びたかったんだ。きっとそうだ。

 正しいかどうかは分からない。しかしそう考えると、少しすっきりするような気がする。


 大丈夫だ。届いていたよ。貴方が例え知らなくても、僕は知っている、覚えている。貴方のやってきた事には意味があったんだ、価値があったんだ、といつか出会えたら言ってあげたい。

 貴方が写真を撮り続けていた事も、貴方がブログを続けていた事も、貴方が行き続けていた事も、何もかも価値のある事なんだ。それは、僕もきっとそうなんだ。



 僕は、街を歩く。何か面白い物は無いかと気にしながら。すっかり身についてしまった習慣だ。ウキウキした気持ちと、カメラを持って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る