いきなりラスダン!魔王 vs 囚われの姫
大澤めぐみ
いきなりラスダン!魔王 vs 囚われの姫
とある世界のお話です。
大陸の北、最果ての地、魔王領には魔族と呼ばれる異形のものどもが住んでいました。
最果ての地は一年の大半が深い雪に覆われていて、土地も痩せて耕作に向かない不毛の大地でしたので、魔族たちは周辺の都市国家から送られてくる支援物資に頼って生活していました。魔族たちは生来、優れた戦闘能力を持っていましたが、反面コツコツと地道に努力したりするのには向かない刹那的で享楽的な性格の者が多かったので、生きていくのに十分な量の支援物資をもらうとますます食っちゃ寝て遊ぶだけの自堕落な生活になり、いつまで経っても周辺の都市国家からの支援に頼ってぐうたらと生きておりました。
ある時、とある辺境の都市国家の盟主が言いました。
「そもそもなんで、俺たちは食っちゃ寝しては遊んでいるばかりの魔族どもを養ってやっているんだ?」
その隣の国の盟主は言いました。
「なんか知らないけど昔からそのようにすることになっているからそうしている。そういえばなんで俺らがわざわざ養ってやっているんだろうな」
隣の国の盟主も分かりませんでしたので、そのまた隣の国の盟主に聞いてみました。
「我が国では建国以来、もう1000年も前からそのようにしている。しかし、なにしろ1000年も前のことだからなんでなのかは分からない。なんでだろうな」
隣の隣の国の盟主にも分かりませんでしたので、実質的に都市国家群を束ねている諸王の王、古の竜の末裔と言われる英雄王ロートシルトに聞いてみました。
「古い盟約で魔族は戦いの時には先陣を切ることになっている。そのかわりに平時は我々がみんなで魔族を養うことになっているのだ」
そう言われて各都市国家の盟主たちは首をかしげました。戦いの時?この大陸ではもう1000年も、大きな戦いなど一度も起こってはいません。都市国家間での小競り合いなどは稀にありましたが、それにしたって最終的には話し合いでお互いが妥協するかたちで納めてきました。いったい誰と戦う時に魔族が力を貸してくれるというのでしょう。それに、短気で血の気が多いものばかりの魔族に戦いを手伝ってもらったりしたら無駄に戦火が拡大することになりかねません。
「そういうことなら我々は別に魔族の助けなど必要ないから、もう魔族に支援物資を送るのはやめにする。別にうちだって物資が有り余るほど豊かな国というわけではない」
「それならばうちだってもうやめる。人間だって魔族だって、生きている以上は自分の食い扶持は自分で稼ぐのが当たり前だ」
そう言って、各都市国家の盟主たちは次々と魔王領に支援物資を送るのをやめてしまいました。
困ったのは魔族たちです。なにしろ今まで送られてくる支援物資に頼りっぱなしで真面目に働いたことなんかない者ばかりです。仕方なく試しに鍬を持ってみたところで集中力がないのでとても畑なんて作れませんし、最果ての地は耕したところでペンペン草くらいしか生えません。魔族たちは概ねタフでマッチョな肉食系ばかりなので、ペンペン草なんか食べるわけもなく、こりゃ困ったぞ、と思ってみても、節約して今ある食料でなんとか冬を乗り切るとか、そういう計画性もありませんから、こりゃこのままで行くとあと2~3日で食い物も尽きちまうな~なんて言いながらモリモリ食べてキッチリ3日で食料も底をつきます。いよいよ本当に困ったなこりゃと思って魔族の王たる魔王にどうにかしてもらおうとしても、魔王だって今の今まで勝手に送られてくる支援物資に頼り切ってろくろく政治なんてしたこともありませんから、各国の盟主になんとかお願いして食料を送ってもらうとかそういうことも別にしません。魔王城にはまだまだ十分な量の蓄えがこっそりとありましたし、まあなんとかなんじゃね~の?みたいな感じで庶民のことなんかほったらかしです。そんなわけで魔王領ではお腹を空かせた魔族たちが困ったな~困ったな~と言っていて、じゃあもう仕方ないからちょろっとそのへんの国にでも行って食べ物とか奪ってくるか、と実に魔族らしい安直でマッチョな思考回路で、めいめいにそのへんの棒だの丸太だの思い思いの得物を担いで出かけていきました。
そのようにして、大陸の北のふちっこのほうで小さな争いが起こり始めたころのある朝のことです。
古の竜の末裔、英雄王ロートシルトの孫娘、竜姫ラフィーは、目を覚ますと自分が見知らぬ部屋で、天蓋付きの豪奢な寝台に寝転がっていることに気が付きました。
「これは一体どうしたことでしょう」
むっくりと起き上がって目をぱちくりとさせ、部屋の様子を右に左に見渡します。頭の動きに合わせて柔らかな黒髪がさらさらと揺れました。
立派な石造りの大きな部屋で、暖炉には火が入れられており小さなパチパチという音を立てています。室温は快適で、シーツも肌触りがよく清潔です。これではぐーすかぴーと深く深く熟睡してしまうのも無理からぬことでした。
「昨夜は確かに自分の部屋で眠りについたはず。眠っている間にどこかにさらわれてしまったということでしょうか」
寝台から足を下ろすと、深い赤色のカーペットは足首まで埋まってしまいそうなほど毛足が長く、古くても手入れの行き届いた深い色合いの無垢材の調度や、蜻蛉の羽のように薄いガラス細工の笠がついたランプも、陽の光をほとんど完璧に遮る重そうなカーテンも、部屋の中のすべてのものが品格を主張しています。まったく身に覚えのない見知らぬ部屋だということを除けば、なかなかに良さそうな具合でした。
「寒そうな空」
ラフィーは窓辺に歩み寄りカーテンの隙間から外の様子を伺うと、そう言いました。空は厚いグレーの雲に覆われていて、ごつごつとした起伏のある大地には背の低い草しか生えていません。地面まではずいぶんと距離があり、部屋があるのは高い塔の上かなにかのようです。窓から外に出るのは難しそうでした。
腕や足を曲げたり伸ばしたりしてみて全身を確認してみますが、どこにも動かないところも痛いところもありません。とりあえずは五体満足のようです。服装も昨夜眠りについた時の白いロングのネグリジェのままです。なおスケスケセクシーだったりはしません。そして右のブラの中を探せば、ちゃんとそこに瓶の感触もありました。ラフィーのブラの中はスカスカなので物を収納するのに大変便利が良いのです。
「なにか言ったかしら、シリ」
いいえ、なにも。
あら、失礼。自己紹介が遅れました。わたしはシリ・アンナ。竜姫ラフィーの慎ましやかなアシスタント、瓶詰めのスマートフェアリーです。
「シリ。これは一体なにごとかしら」
ラフィーにそうたずねられたものの、当のわたしもついさっきまでラフィーと一緒にぐーすかぴーと熟睡していたものですから事情はまったく分かりません。そこで、わたしはフェアリーたちのピーチクパーチクにアクセスしました。わたしたちフェアリーは多数の個体がひとつの大きな精神を共有しているので、遠く離れた場所に居る他の個体の考えたことや思っていることなども知ることができるのです。多重人格の逆バージョンだと思ってください。ひとつの精神で多数の身体。これを応用して通信手段として人々のお役に立つのがわたしたちスマートフェアリー、略してスマフェの役目です。
とはいえ、わたしたちフェアリーは基本的に生まれつき注意力散漫かつ好奇心旺盛のいらんことしーで、お互いに協力してひとつのことをしたり、言われたことを言われた通りにちゃんとやったりするのが苦手なので、ひとつの大きな精神はいつでもわたしたちの好き勝手な独り言で溢れかえっていて、あまり情報の確度や伝達の精度に期待はできません。しょせんはピーチクパーチクです。
「王都のほうでは突然のラフィーの失踪に上へ下への大騒ぎみたいですね。昨夜遅く、空を飛ぶ大きな影を見た人も居て、ラフィーが魔族に連れ去られたのではないかともっぱらの噂のようです」
「まあ、大変」
「ただでさえ北の国境付近で緊張状態が続いているので、本格的な開戦の引き金にもなりかねないとかなんとか」
「それはなりませんわ。ひとまずわたしは無事で、危機的な状況ではなさそうだということを誰かに伝えてちょうだい」
わたしがピーチクパーチクで隣のフェアリーに竜姫さまはご無事ですよと言うと、そのフェアリーはまあ本当に!と言って、またすぐ隣のフェアリーに竜姫さまはご無事なようですよ!と伝えます。そのようにしてピーチクパーチクがどんどんと拡がっていくのです。いずれ王都のフェアリーの耳にも届くことでしょう。
「英雄王さまは本格的な開戦を避けるために、正規軍ではなく勇者さまにラフィー捜索を命じたみたいですね」
「勇者って、先日元服したばかりのあの男の子のことでしょう?」
「まあ血筋はたしかですけれど、まだバリバリのレベル1ですね。いま王都の酒場で仲間を集めているところです。若くて元気なのだけが取り柄っぽい女盗賊を熱心にスカウトしているようですよ。あ、財布スられたのに全然気づいてないって。ウケる~」
「ウケている場合ですか」
ラフィーは呆れ顔で溜め息をつきました。
「ということは、ここは北の最果ての地、魔王領の……魔王城ということでしょうか。わたしを王都から連れ去ったのは魔王……?」
「ご明察でございます」
突然の声にもラフィーは慌てることなく、悠然と扉のほうを振り返ります。そこには人間ではあり得ない青白い肌で、人間ではあり得ない蒼い髪をオールバックにまとめた、タキシード姿の執事然とした男がピシーッと立っていて、ラフィーと目が合うと優雅に深々と一礼しました。直角に折った腕になにか布を掛けています。
「おはようございます竜姫さま。快適にお休みいただけましたでしょうか」
「ええ、おかげさまで。見知らぬ場所で目覚める羽目になったこと以外は、とても快適な眠りでした。それで、あなたはいったい、どこのどなた?」
「失礼いたしました。わたくしは魔王さまより竜姫さまのお世話を仰せつかりました、魔王さまの忠実なしもべ、闇のマルゴーと申します。なんなりとお申し付けくださいませ」
「闇の?」
「かっこいいかなと思って。ちなみに吸血鬼でございます」
「それではマルゴー。わたしが連れ去られたことで王都では騒ぎになっているようです。急ぎ王都に戻りこれを収拾したいと思いますので、至急、送って頂けますかしら」
「さすがは竜姫さま、素晴らしいスルースキルでございます。しかしながら、そのお申し付けには従うことはできません。竜姫さまがこの魔王城内に留まる限りにおいて、わたくしは竜姫の申しつけに従うことができます」
「そうですか。では、ひとまずお茶と朝食の用意を」
「かしこまりました。では準備をしてまいりますので、その間によろしければこちらのお召し物をどうぞ」
そう言って、マルゴーは腕に掛けていた衣装をテーブルに置きます。
「申し訳ありませんが無骨な男所帯でございまして、女性の侍従がおりませんものですから、お召替えはご自身でお願い致します」
「構いません。お気遣いありがとう」
「では、失礼いたします」
そう言ってマルゴーが出ていくと、ラフィーはネグリジェを脱ぎながら「王都の様子はどうかしら?」とわたしに聞いてきました。年頃のわりに棒っきれのような貧相な身体があらわになります。あ、いえ。なんでもありません。スレンダー!そこがセクシー!
「ラフィーの無事は伝わったようですよ。英雄王さまはラフィーの奪還を勇者さまに任せて、正規軍としてはひとまず静観の構えのようです。魔王とも旧知の間柄ですし、なにか思うところがあるのかもしれませんね」
「そう。それは、ひとまずは、よかったわ。勇者くんの様子はどう?」
「酒場で勲章もないのに騎士を名乗っている誇大妄想狂のニセ騎士と、グリグリ眼鏡の胡散臭い自称錬金術師と、ラフィーのファンだっていうボイラー技士のおじさんが仲間になったみたい。なんだかどれも冴えない感じだな~。英雄王さまにもらった支度金をぜんぶ女盗賊にスられちゃったから、そのへんの棒でそのへんのケチな魔獣を叩いて経験値を貯めてるところです。あ!ボイラー技士のおじさんのスパナ攻撃超つよい!モリモリ魔獣を倒してるよ!意外~~」
ラフィーは胸元と袖にたっぷりとフリルのついた白いブラウスのボタンを留めながら、また溜め息をつきます。
「気の長い話になりそうですね……」
「血統はお墨付きだからそのうちめちゃくちゃ強くなるかもしれないですけど、勇者さまが助けに来てくれるのをのんびり待ってたらラフィーがババアになっちゃいますね!」
「……まったくだわ」
お腹のところが編み上げになった膝丈の黒のフレアスカートをキュッと締めて、黒のストッキングと黒のパンプスを履いて、姿見の前で様子を確認します。
「どうかしら……?」
「大丈夫ですよ。別におかしなところはありません。よく似合ってます」
古の竜の末裔、英雄王ロートシルトの孫娘たる竜姫の衣装としてはちょっと簡素すぎて威厳に欠ける感じもしますが、なにしろ侍従も居ませんからあまり複雑な衣装でも大変です。いつもは侍従たちにアップにしてもらっている黒髪もシンプルに下ろしたままなので、わたしにとっては見慣れない感じがありますが、別に変ってことはありません。あれだけの壮絶な寝相の悪さでも寝癖のひとつもつかないサラサラの髪質は驚異的ですらあります。
「シリ」
はい、なんでもありません。
「おとなしく勇者くんが助けに来るのを待っている暇はありません。状況は差し迫っています。自力での脱出を目指しましょう」
「あ、さっきは調子に乗ってついババアになっちゃうとか言ったけど、ラフィーは別にそこまで差し迫ってババア目前ってわけではないですよ」
「差し迫っているのはそちらではありません」
「でも普通に考えて、武力突破はまず無理ですよね。ラフィーも英雄王の血を引く戦士の家系とはいえ、戦士ではないですし、わたしはただのお喋りで無責任な瓶詰めのフェアリーなので戦力的にはノーカンだし、ましてやここは戦闘において地上最強である魔族の本拠地ですから」
「そうね。とりあえず最終的には脱出を目指すという方向性で、しばらくは様子見といったところでしょうか」
そこで扉がノックされました。ラフィーが応じるとマルゴーがワゴンを押して入ってきます。
「お待たせいたしました」
マルゴーが椅子を引いてくれて、ラフィーはテーブルにつきます。
「よくお似合いでいらっしゃいますね」
「ありがとう。あら素敵」
テーブルの上に朝食が準備されます。バゲットとポトフにジャムとヨーグルトという簡単なものですが、とてもよい香りがしています。最果ての地は不毛の大地なので新鮮な野菜や魚などは期待できませんが、かわりにベーコンやソーセージ、ジャムやヨーグルトなどの保存食の調理法が発達しているのです。
「お口にあえばよいのですが」
そう言って、マルゴーはお茶の準備を始めます。手際が洗練されていて、振る舞いがいちいち優雅です。
「マルゴー。あなたすばらしい腕前ですわ」
「どうぞ、口の中のものを飲み込んでからお話くださいませ」
ラフィーが両方のほっぺたをぱんぱんに膨らませてモリモリとポトフを食べながら褒めると、マルゴーはノータイムで返事をしました。
「食後のお茶です」
マルゴーがカップにお茶を注ぎます。はい、もう食後なのです。ラフィーまだまだ育ちざかりだからね!
「とても良い香り。茶葉がきちんと開いていますね」
「お褒めに預かり光栄でございます」
ラフィーはゴクゴクっとお茶を飲み干すと、カップを置いて話し始めました。
「それで、今のこの状況はいったいぜんたいどういったことなのか、説明をして頂けますかしら」
「はい。昨夜、魔王さまより竜姫さまをお連れするように仰せつかったわたくしが、チョイと羽根を出しまして王都の竜姫さまのお部屋の窓辺にまでひとっ飛び致しましたところ、寝台にて竜姫さまが腹を出して前衛的なポーズでぐーすかぴーと爆睡しておられましたので、そのまま布団です巻きにして抱えまして、ここまで延々と5時間ほど飛んで帰ってきた、というわけでございます」
「腹を出しては余計です」
「失礼いたしました。ネグリジェが胸元までまくれあがった状態で大変にぐっすりとお休みでいらっしゃったので」
「少し黙りなさい」
「かしこまりました」
ネグリジェは見た目はかわいらしいけれども、寝相が悪い人の場合は寝ている間にどんどんまくれあがってきて色気もクソもない有様になってしまうのが難点ですね。
「延々5時間ですか……」
「ウンともスンともおっしゃいませんものですから、うら若き女性の悲鳴が大の好物である吸血鬼といたしましては少々物足りなさがございました」
さすがのラフィーもまさか自分が布団です巻きにされて延々5時間も空を飛んでいたのに一度たりとも目を覚ますこともなく爆睡してしまうとまでは思っていなかったらしく、頭を抱えて反省だか後悔だかの様子を見せていましたが、そのあいだにもマルゴーはペラペラペラペラとよく喋ります。少し黙っていなさいと言われて黙っていられたのはものの三秒ぐらいのものでしょう。まあ解釈によっては少し黙っていたと捉えることもできなくはないです。
「それで、どういった理由で魔王はわたしをさらってきたのですか」
「それは魔王さまが竜姫さまの遺伝子を必要としていらっしゃるからでしょう」
「遺伝子?」
「古の竜の末裔である純潔の姫君をご所望であるということです」
ラフィーが怪訝な顔をするのも無理はありません。遺伝子が必要と言われても、それってつまりナニをいたしてふたりの立派なかわいいベイビーがハイハーイ↑とかそういう話としか思えませんものね。要するにセックス目的の誘拐ですか。最悪ですね。
「ひとつ……確認しておきたいことがあるのですが」
「なんなりと」
ラフィーは顎に手を当ててなにやら思案顔です。
「なんの断りもなく眠っているところを突然にさらうという短絡的で暴力的な手段。にも関わらず、さらった先でこのように丁重にもてなすというちぐはぐさ。その上、当の本人は未だに姿を見せもしないという臆病さ。そしてなにより、この服。この趣味……」
そういった、これまでに観測されたさまざまな要素から推測して、ラフィーはあるひとつの結論に到達しました。
「もしや魔王は童貞なので」「ご明察でございます」
なのではありませんか?と、言い終わる前にマルゴーはかなり食い気味にラフィーの推測を肯定してきました。ふたり、しばし見つめ合ったあとでマルゴーが続けます。
「竜姫さまはこのような話を聞いたことがございますでしょうか」
マルゴーは飽くまで真顔のままです。
「男子、童貞のまま齢30を越えますれば魔法使いとなると」
「マジですか」
「魔王さまは御年300歳の童貞であらせられます。その溜まりに溜まった魔力の強大さは計り知れません」
「そう……」
ラフィーは今度はおでこに手を当てて渋い表情を見せています。
「しかし、どうしてまた一国を統べる王ともあろう方が300年もの間、その……一度の女性経験もなしに……?普通であれば魔族のあいだではそれこそ、引く手あまたなのではありませんか?」
「まあ魔族の女というのは基本的に開放的で享楽的な性格をしておりますから、だいたいはダンスホールレゲエなどをドゥンドゥン流しながら薬草キメてガチンコスポーツセックス!とか、そういうノリでございますので、最初の段階で童貞を拗らせてしまいますと逆に参入障壁が高いといった傾向はあるやもしれません」
「薬草を……?キメるのですか?」
「ええ、薬草を。草食ったぐらいのことで傷が回復したりするわけがないではございませんか。アレは傷が治った気になっているだけです」
まあ、確かにそのセックス!ドラッグ!ロックンロール!なノリは、ナニに幻想を抱いているような類の拗らせかたをした童貞には逆に厳しいかもしれません。だからといって、じゃあ清楚なタイプの子を眠っているあいだにさらってこようっていう極端な発想になるあたりもまた童貞っぽいです。
「しかし……いくらわたしが王都の姫だとは言え、魔王もまた最果ての地を統治する一国の盟主。たとえばその……そういった用事であったとしても、わたしに用事があるのであればまずは正式にそのように打診してみるべきだったのではないでしょうか」
「正気で仰っておられますか」
「どこに問題がありますか?王都と魔王領は対等の同盟関係。その同盟国の盟主がそちらの姫に用事があると申し出れば、英雄王とて完全に無下に扱うこともできないでしょう。会ってお話するぐらいのことはできたと思いますが」
「会ってお話してどのようになりますか」
「どのようにできるかは魔王次第でしょう。会ったこともない方とわたしがどのようになるかなんて、そんなの、わたしにだって分かりませんわ」
「……少々驚きました」
マルゴーはこれっぽっちも驚いた様子を見せずにそう言います。
「竜姫さまは相手が魔族であっても、予断を持たずにそういった可能性に対して開かれている、と。そう解釈してよろしいのでしょうか」
「わたしだって竜の姫ですよ。魔族とどれほどの違いもありはしません」
それは実際にそんな感じで、実は魔族と人間は適合すれば交配が可能な上、もう何世代も前から交配が進んでいるので、どこまでが正真正銘の人間でどこからが交配種なのかというのがとても曖昧になっているのです。今となっては、見た目や性格、生活習慣が人間に近いものを人間と扱い、見た目からして異形のものたちを魔族と呼んで区別している、というぐらいのものすごくざっくりとした分類なのでした。ちなみにラフィーは見た目てきには完全に人間ですが、言い伝えをそのままの意味で捉えれば、何世代も前に竜の血が入っているということなのでしょう。
「しかし、わたしだんだんと腹が立ってまいりましたわ」
ラフィーはそう言うとテーブルをトンと叩いて立ち上がり、扉のほうへと向かいます。
「お待ちください竜姫さま。いったいどちらへ?」
「魔王に会ってわたしを王都へ戻すように直談判いたします。マルゴー、案内していただけるかしら?」
マルゴーはしばし思案します。
「そうですね。わたくしは竜姫さまが魔王城内におられます限りにおいて、竜姫さまのお申し付けに従いますので、ご案内することは可能でございますが……」
「が?」
「腐ってもここは魔王城、魔族の本拠地でございます。当然、魔族はもとより、魔獣の類もウロついてございますので少々危険が伴います」
「あなたが守ってくれればいいわ、マルゴー。あなた、きっと強いでしょう」
「ええ、まあ。かなり強いですけれども」
わりと自信家です。
「わたしより強い魔族と言いますと、魔王さまと、あとは精々はぐれ者の不死王ムートンぐらいしかおりません。しかし、なにしろラスダンでございますから、魔王さまですら手を焼くようなのも2体ほどおりまして」
「ラスダン」
「言葉のあやでございます」
「それで、その2体とは」
「はい。オメガと神竜といいまして……」
名前の時点で既に危ない匂いがプンプンです。主に、チョサッケンてきな意味で。
「どちらも一般名詞でございます」
「わたしは何も言っていません」
「ちなみに神竜と申しましても、どちらかと言えば見た目はセーケンツーのシンジューに近うございます」
「しっ!誰かに聞かれるとまずいわ」
「失礼いたしました」
マルゴーがうやうやしく首を垂れます。しばし沈黙。
「ともあれ、行って見てみてから考えましょう」
「かしこまいりました。ご案内致します」
「あれがオメガ、古の機械文明の遺跡より発掘され復元された自動人形で、完全な形で駆動するものは世界でもこれまでに2体しか確認されていません。そのうちの1体です」
「ちょっと想像していたのとは違う感じですね……」
オメガは教会を思わせるような高いアーチ状の天井を持った、広く長い通路の真ん中に立っていました。遠目には、赤いドレスを着て、長いウェーブのかかった金髪をツインテールにしている女の子に見えます。目を閉じ俯いて、両手をおなかのところで組んだまま微動だにしません。そして、それを取り囲むように円形に、全部で12本の巨大な剣が床に突き立てられていました。それも相まって、なにかに祈りを捧げているところのようにも見えます。
「かつては魔王さまの命令に従って敵を排除する優秀な機械兵士だったのですが、どこかが故障してしまったらしく、今では範囲内に入った対象に無差別に襲い掛かる殺戮機械となってしまっています」
そう言って、マルゴーはツカツカとオメガのほうへと歩み寄って行きます。オメガまであと20メートル程度というところまで近づいたところで、それまで静かだったオメガは、ブルンッとなにかが回転しはじめるような音とともに顔をあげました。光を反射しているのではなく、内部から発光しているブルーの瞳がマルゴーを捉えます。
「侵入者ヲ確認。排除シます」
オメガが全身からばふんっと蒸気を吹き出し両手を広げると、どういう理屈か地面に突き立っていた12本の大剣がふわりと浮き上がり、オメガの手の動きに合わせてマルゴーのほうにつぎつぎと飛んできました。それをマルゴーは横に走ったり跳んだり転がったりして避けながら、ラフィーの居る位置までまた戻ってきます。石造りの頑丈そうな通路があちこち粉々に砕けてへこみだらけになっています。あんなのをまともにくらったら、きっとひとたまりもありません。
「とまあ、このような感じでして。なぜか一定の射程範囲から出るとそれ以上追ってくるということもありませんが」
「ここを通らないことには魔王のもとには行けないのですか」
「そうですね。通路はここしかございません」
「それで、このような具合でマルゴーは普段どのようにして魔王に仕えているのです」
「もちろん、先ほどやりましたような感じで、走ったり跳んだり転がったりして飛んでくる大剣をかわしながら、あちら側の射程圏外まで一気に走り抜けるわけでございます」
「魔王がこちらに出てくる時もそのように?」
「魔王さまは引きこもりのクソニート……失礼。余人を遠ざけて厭世的な生活しておられますから、普段からこの通路よりもこちらに出てこられることはまずございません」
「そうですか」
射程から出ると追ってくることはないようですが、しばらくは警戒状態を維持するのか、オメガはその場でブルンブルンとアイドリング音をさせながらマルゴーをずっと目で追っています。12本の大剣は背中の後ろで左右6本ずつ綺麗に扇形に浮かんでいて、まるで翼のようになっています。
「ところで、見たところオメガは物理的にはなにも損傷していないようですが」
「左様でございますね。つまるところ、ソフトウェア的な故障ということなのでしょうが、なにぶん古代文明の機械ですのでわたくしにはなんとも」
「誰か、なにかを弄った者が居るのでは」
「さあ。魔王さま曰く、なにもしていないのに壊れた、と」
あらまあ。なんだかよく聞くような気がしないでもない不吉なフレーズですね。ラフィーもこころなしかジト目になっています。
「シリ」
はいはい、ただいま。
ラフィーは右のブラからわたしを、そして左のブラから手のひらサイズの石版を取り出します。これも古代文明の機械で、まあインターフェースですね。わたしたちフェアリーはみんな四六時中ピーチクパーチクで情報交換しているだけの暇人ばっかりなので、石版を使って、発掘された古代機械のソフトウェアにアクセスして中身を調べたり、ちゃんと機能するように直したり、もっと便利なように改造したりするのが得意なのです。
瓶から出してもらったわたしはラフィーの手の上で石版をカタカタカタッターン!とやって、ワイワイでオメガに接続を試みます。
「うわびっくり!これパスワードロックすらかかってないからどこからでも自由にアクセスし放題じゃないですか。あんな滅茶苦茶な破壊力ある兵器なのに不用心なことですね~~」
「ハッキングされたということ?」
「どうでしょうね。うん、なんかいくつも変なパッチを当てた形跡があります。発行元が異なるパッチを色々と重ね掛けしたせいでなんかおかしなことになっているっぽいような。とりあえず適当なポイントまで復元してみましょう」
わたしが石版をカタカタカタッターン!としてやると、オメガのブルルンブルルンというアイドリング音がブルルル……っと一旦止まって、またすぐにバルルンッと動き始めます。
「お、無事再起動したようですよ」
「でもまたなにか様子がおかしいですね」
再起動したオメガは12本の剣をすべて地面に落として周囲を見渡すと、ラフィーを目標に定めたようで、手ぶらでテクテクと近づいてきます。マルゴーが間に立ちはだかろうとしましたが、ラフィーがそれを制しました。
「あなたが僕のご主人様か?」
目の前までやってきたオメガがラフィーにたずねます。
「誰がご主人様か分からなくなってしまったのですか?」
「データが損傷しているため、新規に登録する必要がある」
「分かりました、では今からわたしがあなたのご主人様です」
「ウィルコ。では認証作業を」
そう言うとオメガは何故か床にごろんと仰向けに寝転がりました。
「……?」
「どうしたマスター。認証作業を」
「どうすればいいのですか?」
「僕のここでご主人様のおっきなおちんちんを認証しないと」
「は?」
ああ、これはたぶんアレですね。一般用のガイノイドをセクサロイドにする非正規のえっちな改造パッチです。そんなものいくつも重ね掛けしたらそりゃおかしくもなりますわな。ラフィーは難しい顔でこめかみを押さえています。
「申し訳ないのだけれど、今回のお前のご主人様にはおっきなおちんちんはついていないわ」
「横から失礼します。おっきなおちんちんでしたらこちらにひとつございますが」
「マルゴーはちょっと黙っていなさい」
「かしこまいりました」
「シリ」
はいはい、かしこまり。わたしはカチャカチャッターン!っと、さらに手前のポイントまでオメガを復元します。またオメガが一時停止して再起動。ブルンッと目を覚ますと同時にピョーンと飛び上がって
「おかえりなさいませご主人様!ご飯にします?お風呂にします?それとも、ぼ、く、と、にゃんにゃん♡にします?」
と、顔の両側で猫の手にして小首をかしげてみせます。今度の復元ポイントはめっちゃテンションが高めですが、オメガは基本的に無表情なのでかなり様子がおかしいです。ていうか何重に改造パッチ当ててるんだ。戻っても戻ってもなんか変なえっちな改造がされてるじゃないか。
「オメガ、もうちょっと普通に喋りなさい」
「ウィルコ」
「マルゴー、その猫の手はなんですか」
「いえ、なんでもございません」
まあ、ちょっとあまりにもごちゃごちゃと追加パッチが入っているせいで完全に元に戻すのはかなり骨が折れそうですが、とりあえずこれで無差別に襲ってくることはなくなったみたいですし、しかもラフィーのことをご主人様と認識して言うことを聞くようになったっぽいし、こんな感じでいいんじゃないですかね。フェアリーは集中力がなくて飽きっぽいのでなかなか完璧な仕事というのができない生き物なのです。もうだめ、完全に集中力切れちゃった。
「まあいいでしょう……先に進みましょう」
「ウィルコ」
ラフィーが歩き出すとオメガもそれにつき従います。12本の大剣は通り過ぎざまにまた浮かび上がってオメガの背中のほうに回収されました。周囲を警戒するかのようにゆらゆらと揺れています。
「まったく……いったい誰がこんなバカみたいな改造パッチを」
ラフィーがそう呟くと、マルゴーは
「魔王さまはなにもしていないのに壊れたと仰っていましたから、きっと外部の何者かにハッキングを受けたのでしょう。きっとそうです」
と、確信に満ちた口調で言いました。
「ええ、きっとそうでしょうね……」
「ところでご主人様」
今度はオメガが後ろから声を掛けてきます。
「はい、どうしましたか」
「オメガというと西方の方言ではアクセントによって女性器がくさいという意味になりかねないが、僕は機械なのでその心配はない。アタッチメントは取り外して丸洗いが可能だ」
「黙りなさい」
「ウィルコ」
「あれがしんじゅ……神竜です」
「いま神獣って言いましよね?」
「いいえ、めっそうもございません。神竜は世界の四方を司る4匹の竜の中でも最も位が高い、北を司る竜でございます」
神竜は大きな階段の手前の広間で丸くなって、その巨大な身体を臥せっていましたが、ラフィーたちが近づくと顔をあげてシャアーッと威嚇の声をだしました。全身が白いふかふかの毛に覆われていて、翼がついていて巨大なことを除けば、全体的になんだか猫科っぽい印象です。
「神竜もかつては強くとも心優しい、代々の魔王さまを守ってきた守護竜だったのですが、ある時から妙に気が立つようになって、このように近づく者を誰彼かまわず威嚇するように」
「あれを殺せばいいのか?」
オメガはやたら好戦的で、もうすでに背中の12本の大剣はぐるぐると回り、いまにも飛んでいきそうにな勢いです。ラフィーがそれを引き留めます。
「お待ちなさい」
「ウィルコ」
ラフィーはしばらくグルグルと唸る神竜と見つめ合っていましたが。
「どこか具合が悪いのではないでしょうか」
とポツリと呟いたあと、唐突に「にゃ~ご。にゃにゃ~んご」と、妙な声をあげはじめました。
「にゃお~~ん。にゃにゃお~~ん」
それに応答するように神竜も鳴き声をかえします。ていうか完全にデカイ猫だコレ!
「にゃにゃにゃん。にゃん。にゃにゃ?」
「にゃ~~ご。にゃにゃ~~ご」
「にゃにゃん。にゃんにゃん。にゃにゃにゃ~~んにゃん」
「にゃん」
「まさか……これは太古の昔に失われたはずの竜言語……?竜姫さまは竜言語を話されるのですか?」
マルゴーが驚愕の声をあげると、ラフィーは
「まあにゃ」
と言って
「いま、にゃって言いましたよね?ナチュラルに人間語に竜言語混じってきましたよね?」
というマルゴーのツッコミをガン無視しててくてくと神竜のほうに近づいていきました。
グルグルと唸りながらもラフィーが近づいてくるのをおとなしく見ていた神竜でしたが、目と鼻の先にまでラフィーが近づいて「にゃ」と声をあげると、突然にパクリとラフィーを丸呑みにしてしまいました。
「あ!」
と、一瞬マルゴーの声が聞こえた気がしましたが、わたしはラフィーの右のブラの中に入ってますので当然ラフィーと一緒に神竜の口の中です。残念ですが、実況はここまでとなりそうです。みなさんさようなら。ごきげんよう。
……
……
ごそごそ
ごそごそ
んん……!
ぐっぐ
ぐ~~~~っ……!
スポーン!
しばらくして神竜がペッとラフィーを吐き出すと、その手には立派な立派な長い槍が握られていました。
「竜姫さま!ご無事でございましたか!」
マルゴーが駆け寄ってラフィーを助け起こします。ちょっと猫くさくはなってしまいましたが、身体に異常はありません。猫の口の中ってあんまり犬みたいにベトベトはしてないよね。
「これが喉の奥のほうに刺さっていて、それが抜けなくて気になるから気が立っていたのです。喉の奥に小骨が刺さっていたようなものです」
「その紋章……!もしやそれは伝説の神槍レーバテイン!!こんなところにあったとは」
「レーバテイン?」
「はい、何代か前の血の気の多い勇者が愛用していた、神話の時代より伝わるとされる最強の槍です。彼の最期については諸説ありましたが、いつの間にかここで神竜に食われて死んでいたのですね」
「ずいぶんざっくりとしていますね」
「しかし、さすがは最強の神槍。持ち主が食われて死のうとも槍だけは神竜に一矢報いていたわけですか。伝承によれば何でも貫き通すそうでございますよ。それこそ、空間や次元や矛盾さえまでも」
にゃお~ん!にゃお~ん!と、ン百年ぶりに喉の小骨が抜けてスッキリした神竜はテンション上がりまくっています。ラフィーが「にゃにゃにゃ。にゃ?」と言って、顎の下をわっしわっしと撫でてやると、全力でゴロゴロと喉を鳴らして、最終的には寝転がって腹まで見せてしまいました。完全に服従のポーズです。
「あはは。恩を返すためについていくって言っているにゃん」
「いま素でにゃんとおっしゃられましたよね?」
「いよいよこの先が魔王の居室ですね……」
「竜姫さまの徹底的に回避に重点を置いた戦術、大変にすばらしいと思います」
しかしこれで、なんやかんやで最強の槍装備の素人と、かなり強い吸血鬼と、12本の大剣を自在に飛ばす自動人形と、勇者を食い殺す神竜という4人(4人?)パーティーの完成です。意外と魔王相手にもなんとかなるかもしれません。
「たのもー!」
バーン!
ラフィーが神槍レーバテイン片手に勇ましく扉を開け放つと、玉座でカップ焼きそばを食っていた魔王はびっくりして反射的に「フフフ……勇者よよくぞここま」と、なにごとかを言いかけていましたが、ラフィーの姿を視認するやいなや「ヌワーッ!」と、両目を押さえ、麺をまき散らしながら玉座から転がり落ちてしまいました。そのまま倒れて動きません。
「まあ、いったい何事かしら!」
ラフィーがあわてて駆け寄ります。
「あら、この人死んでるわ」
「ご説明いたしましょう!童貞は急に清楚な女性を目の前に出されるとそのショックに耐え切れずに死んでしまうのです!」
またマルゴーが食い気味で声を張り上げます。
「説明している場合じゃないわ!本当に心臓が止まっているのよ!」
「ご心配ございません。魔族は頑丈なので心臓が止まったぐらいのことではそうそう死なないのです。トウ!」
そう言ってマルゴーは仰向けに倒れている魔王の胸に思いっきりストンピングをかまします。
「ゴフッ!」
と、魔王が息を吹き返しますが、またラフィーを目視するや否や「ヌワーッ!」と叫んで転がってしまいます。
「もう!いったいなんだっていうのですか!」
「魔王さま、お気を確かに。こわくありませんよ。さあ深呼吸です。はい、大きく吸って~~~~~、はいて~~~~~」
ラフィーに背を向けて、マルゴーに背中をさすられて、魔王はちょっと落ち着きを取り戻したようでした。深呼吸しながら無言で、ハンドジェスチャでマルゴーに何事かを示します。
「あ、はい。なんでございますか魔王さま。仕切り直し?仕切り直しでございますね。かしこまりました。竜姫さま、大変申し訳ないのですが、先ほどの扉を開けて入ってくるところから、もう一度やり直して頂いてもよろしいでしょうか」
「……まぁ、かまいませんけれども」
そんなわけで、いったん扉の外に出てから仕切り直しです。
「もういいですか~?」
「はい、結構でございますよ」
と、そんな感じで、今度はバーン!って感じではなく普通に扉を開けます。
「フッフッフ……竜の姫よ、よくぞここまで辿りついたな」
魔王は改めて玉座で足を組んでふんぞり返っていて、まき散らしたペヤングももうすっかり片づけられています。さすがはマルゴー手際がよいです。
「辿り着いたというか、ここまでさらわれてきたのですけれど」
「すいません……」
ラフィーがレーバテインをドンと床に突き立てて、憤慨した面持ちでそう言うと、魔王はあっさりと謝りました。めっちゃ気が弱いです。足首が絞ってあるゆったりとした黒のズボンに白の開襟シャツ、サンダルと、ものすごくカジュアルな服装で、伸ばしっぱなしの黒髪もあちらこちらにハネまくってますが、好意的に見ればナチュラル無造作ヘヤーに見えないこともありません。顔の造作じたいも別に悪くはないとは思うのですが、なにしろまともにラフィーのほうを見て話すこともできない根性のなさがナシですね。目が泳ぎまくっています。
「色々と初手からぶっとばされていますから今さらではありますけれども、なんにせよ、これがお互いに初対面なのですし、自己紹介ぐらいはあってもよいのではないですか」
「ああ、えっと、はじめまして。オーブリオンです。魔王をやっています」
「無慈悲の王!世界の守護者!魔界の支配者!地上最強の生命体!魔王オーブリオンさまであらせられます!」
ボソボソと自己紹介する魔王の声に被せ気味でマルゴーが口上を述べます。魔王の登場以降、俄然マルゴーのキャラがはっちゃけている感じがしますね。きっと仲良しなのでしょう。
「はじめまして。わたしは英雄王ロートシルトの孫娘、ラフィーです。そしてこちらはえっちな改造をされてしまった機械兵のオメガ」
「はじめましてだにゃんにゃん♡」
「ぬわ~!殺せ~~!!」
ようやく曲りなりにも面と向かって話ができるかと思いきや、またも魔王は両目を押さえて玉座から転がり落ちてしまいました。
「魔王さま!お気をたしかに!おのれスーパーハッカーめ!卑劣な真似を!」
マルゴーが魔王を助け起こしてなんとか玉座に座らせ、ラフィーとオメガも揃ってにゃんにゃんのポーズをしていた両手を下ろします。
「それで、その誇り高き地上最強の生命体ともあろうものが、見ず知らずの娘を寝ている間にさらってくるとは一体どういう了見ですか」
「いやしかし、これにはやむにやまれぬ事情というものがあってだな……」
「聞きましょう」
「うむ……、話の発端は1000年以上も前に遡る」
「え?そんなに?」
ラフィーは突き立てたレーバテインにもたれかかりながら、露骨にめんどくさそうな顔をします。
「あ、話長いッスかね……えっとじゃあ、250年ほど前のことだが……」
「ん~、もう一声」
「んあ~」
ただでさえ女性と喋り慣れていないのに、序盤からペースを乱されっぱなしで魔王、ほんとうになにひとつマトモに話ができていません。一度天井を仰ぎ見ると投げやりな表情で言いました。
「まあ要するにだな。結論から言ってしまえば竜の遺伝子を強く継承している純潔の者が必要なのだが……」
「ところで、純潔純潔って言っているのが前々から気になっていたのですけれども、その純潔というのを処女かどうかという意味で言っているのであれば、わたしは処女ではありませんよ」
「は?」「は?」
「は?」
「にゃ~ん」
魔王とマルゴーが同時に驚いて声をあげ、その反応に驚いたラフィーが声をあげ、ついでにつられて神竜も鳴きました。
間…。
……。
「にゃんにゃん♡」
手持ち無沙汰のオメガもとりあえずにゃんにゃんのポーズをします。
「なんですか一体。きょーびそれなりにいい歳こいた娘が処女でないのがそんなに珍しいですか?」
完全に放心状態のマヌケ面でラフィーのほうを見ている魔王とマルゴーに、逆にラフィーのほうが戸惑ってしまいます。
「えい」
「うわ~!危ない!危ない!なにしてんスか!」
「いや、なんかムカついたので」
ラフィーが魔王の首筋ギリギリのところにレーバテインを突き立てると、俄然オメガもやる気になって「こいつを殺せばいいのか?」と、背中の大剣をぐるぐる回し始めます。
「オウノー!ノー!オメガノー!ストップストップ!」
「とりま待機で」
「ウィルコ」
魔王が叫び、ラフィーが制止して、オメガはいつでもいったるで的な前傾姿勢で背中の大剣をぐるぐる回したまま止まっています。
「違う!別にそういう意味じゃない!」
「じゃあどういう意味ですか!処女厨ですか!?生娘以外にはキョーミないんですか!?」
「とりあえずひっこめて!槍!危ない!」
ラフィーは玉座からスポンと槍を抜いて頭の上でグルグル回した後で、またドンと床に石突を突き立てます。めちゃくちゃジト目になっています。
「しかしお待ちください。僭越ながら、このわたくしのストーキングのうりょ……いえ、諜報能力に抜かりはないはず。じつはもう何年も前からずっと、蝙蝠を飛ばして竜姫さまを監視……観察しておりましたが、そのような兆候はまったくございませんでした」
マルゴーが横から口を挟みました。なんだかんだでやっぱりこの男も最低です。
「それはそうでしょう。なにしろあれは、まだわたしが11歳になったばかりのころのこと……」
「は?11歳?え?なんの話?」
魔王が困惑の表情を浮かべます。
「なにってわたしの初体験の話ですが。わたしを乗せた馬車が野盗の集団に襲われ従者たちは皆殺しの目に遭い……」
「待って、待って。そんなカジュアルに急転直下激重エピソード出してこられてもちょっと咄嗟に対応しきれないから」
「そうですね。この話はやめておきましょうか」
重い沈黙が下ります。
「11歳って……。人間無茶苦茶すぎるだろ。魔族だってそんな無茶苦茶はしねぇぞ?いや、するか……。するかもしらんな」
「人間が邪悪なのではありません。魔族が邪悪なのでもありません。世界には邪悪なものも居る、というだけの話です」
「なんか悪いな。嫌なこと思い出させたみたいで」
「だからなんなのですか、人のことを寝ている間に誘拐してきておいて、あなたのその変にいいヤツっぽい感じは」
「だーかーらー、それはこっちにもこっちなりの事情があるって言って……ああ、でもまあいいや」
どっちみちもう関係ない話だしな。と、魔王は息を吐きます。
「突然さらったのは悪かった。でも、もう用事は済んだからいつでも自由に帰ってもらってもいい」
「はい?なんですかそれは。処女じゃないから用事がないって、そういうお話ですか?」
「まあ、ありていに言うとそういうことにな槍~~~!槍やめて!危ない!ほんと危ないから!!違うんだって!俺の趣味とか好みとかそういう話じゃない!!!!」
ギャキィイン!ギャキィン!と、首の皮一枚のところをラフィーのレーバテインがかすめます。隣ではオメガもバルンバルンッと機関音を鳴らして身体を揺らしていてあとは主人のGOサインを待つばかりのバッチリスタンバイ忠犬状態です。
「なんですか!好みじゃないんですか!!」
「好みか好みじゃないかで言ったら滅茶苦茶好みだよ!!!!」
「あらまあ」
ラフィーが槍を引いて、空いた手を頬に押し当てます。なんだかんだ言って、そう言われると悪い気はしないのが乙女心ってものなのですよ。
「まあ……そういうことであればアレですけれども……」
「なにアレって」
「でもやっぱり、こういうのはよくありませんね。ここはひとつ、わたしたちも仕切り直しとしましょう」
「仕切り直し……?」
魔王はズルズルと玉座からずり落ちながら、そうききます。ラフィーは、ええ仕切り直しです、と言って。
「わたしは一度王都に戻りますけれども、今度はあなたが王都に遊びにいらっしゃってくださいな。ちゃんと、正面玄関から。そしたらわたしも、おじいさまにあなたのことを紹介させてもらいますわ。わたしの友達だって」
「いや……軽く言ってくれるけれども意外とハードル高すぎじゃない?ソレ」
「なぜです?」
「だって俺引きこもりだし、魔族だし、ここンところ人間と魔族ちょっと仲悪いっぽいし」
「それは全部あなたの問題でしょう」
魔族なのは生まれつきなのでまあしょうがないとして、人間と魔族がちょっと仲悪いっぽくなってきているのは魔王がちゃんと魔族を統制したり、周辺国と交渉したりしないからですし、政治もやらずに心を閉ざして引きこもっているのも魔王の勝手です。単に自分が仕事してないだけのことを、生まれや種族などの問題にすり替えるのはよくありません。
「自国のならず者たちをきちんと統制して、周辺国と交渉するなり自国での農業や産業に取り組むなりして、ちゃんと魔王領を安定させてからなら、なにも恥じることなく胸を張って正面玄関から遊びに来れるはずです」
「でも魔族だ」
「そこまでやっても魔族だという理由であなたを迫害するものが我が国に居たならば、わたしはその者たちと全力で戦います。わたしはわたしの友達が傷つけられるのを黙ってみていられるような大人しい性格ではありません」
「まあ、確かに。見た目ほど大人しい性格ではないっぽいっていうのはよく分かった」
「好みではありませんか?」
魔王はそこでようやく、自然な感じに笑って。
「いいや。しびれるね」
と言いました。
マルゴーが王都まで送ると申し出ましたが、ラフィーはそれを断って神竜に乗って勝手に飛んで帰って行ってしまいました。オメガも飛行能力があったらしく、どういう仕組みかは分かりませんが背中のあたりに浮いている大剣を大きく広げると、ラフィーについて飛んでいきました。伝説の神槍レーバテインを持ち、神竜に跨って空を駆けるその姿はとても勇ましく、まるで伝説に語られる竜騎士そのもののようでした。
「行ってしまわれましたね」
バルコニーから、王都の方角へと飛び去る影を見送りながら、マルゴーが言いました。
「嵐のような娘だったな」
「まことに。あっという間に魔王領でも最強クラスの、つまりは世界最強クラスの戦力をふたつ、レーバテインも含めればみっつも手中に納めてしまわれましたね」
「なんだろうな、アレはたぶん、そういう星回りなんだろう。大人しくひとりで扉の守り人をやってるようなタマじゃあないな」
「竜姫さまだけが最後の望みでしたが……」
「ああ、クソ忌々しい人間どもめ。まったく馬鹿げたことをしでかしてくれたものだ。11歳のガキだぜ?まったくなに考えてんだか。まあでも、どっちにせよ、一度会ってしまったら、俺はあの子を扉の守り人にはできなかったんじゃないかと思うけどな」
「運命に……従われるのですか」
「違うぜ、マルゴー。俺は運命を自分で選び取ったんだ。世界はこんなにもカスみたいファッキンシットだが、それでも、死なせたくないって思うヤツがひとりぐらいは居たりするからな」
そう言って、魔王はラフィーたちが飛び去った空とは逆の方向、北の最果ての地のさらに北の海のほうを見ました。
そこにはうっすらと。そこにそれがあると、しっかりと意識をして、注意して目を凝らして見なければ分らないほど、ごくうっすらと。水平線から天の果てまでを縦に貫くまっすぐな線が伸びていました。
それは隙間でした。
巨大な。とんでもなく巨大な扉が今まさに開かれようとしている、その扉の隙間なのでした。それはゆっくりと、とてもゆっくりとした速度で少しずつ開いてきているのです。
「もう時間はほとんど残されていない」
かつて、世界は科学と機械と、整合した物理法則に支配されていました。人間たちは機械を駆使して、この地上を支配していました。そこにある日突然、北の最果てのさらにその向こうから、ナニカがやってきたのです。
ナニカは魔物でした。ナニカはエネルギーでした。また、ナニカは法則でした。ナニカは概念でした。海の向こうからやって来るナニカによって、世界はかつての姿とはまるで変質してしまいました。科学と機械文明は衰退し、整合した物理法則は崩れ、かわりに魔法がことわりを支配しました。世界には魔物が溢れ、人間がまるで魔物のように変わってしまい、魔物や獣が人間じみてきたりもしました。そして最後に、全てを終わらせる12枚の翼を持った光の巨人がやってきたのです。
かつて人間だった者たちが魔物の力を得たのか、あるいは魔物が人間の英知を身に着けたのかは分かりませんが、それら異形の者どもはいつしか魔族と呼ばれるようになりました。魔族はその優れた戦闘能力で、北の最果てのさらに向こうの海からやってくるナニカと、そして光の巨人と戦いました。しかし、魔物の姿をとったナニカを倒すことはできても、光の巨人を倒す方法だけはとうとう見つかりませんでした。
やがて世界が大陸ひとつだけを残して光の巨人に焼き尽くされ、もはや万策尽きたかと思われたころ、最初の魔王が扉を閉じました。
魔王は世界のことわりをあらたに支配した魔法を研究し、それを誰よりも上手に使いこなしました。そしてとうとう。12枚の翼を持った光の巨人を一時的に無力化する方法を見つけ出したのです。それが扉を閉じることでした。
北の最果てのさらにその向こうに巨大な扉を建て、その扉の向こう側に12枚の翼を持った光の巨人もろとも、ナニカをすべて封じ込めてしまうことにしたのです。ただし、扉を維持するためには純潔なる竜の血族の者が、扉の向こう側に残る必要がありました。
そのようにして、最初の魔王が扉の向こうに自分もろとも12枚の翼を持った光の巨人を封印したのが1000年前のことです。扉は閉じられ、北の最果てのさらにその向こうからナニカが新たにやってくることはなくなり、数百年にもおよぶ長い戦いの果てに、魔族たちはとうとうナニカの魔物を全て滅ぼすことに成功しました。しかし、扉の封印も永遠ではなく、扉が開きそうになるたび、これまでに3度、扉の外側にまた新たな扉が作られてきたのです。初代を含めて4人の魔王たちが、扉の向こうで世界を守ってきました。そして、その4つ目の扉も、間もなく開こうとしているのです。
それは今はまだほんのわずかな隙間にすぎないので、ナニカは形のないエネルギーや新たな法則、あるいは概念など、非常に目に見えにくい形でのみ漏れ出てきます。しかし、そのまま開いていけばやがて形を持った魔物が、そして最後には全てを終わらせる光の巨人がやってくるでしょう。そういった不測の事態に備えて、魔族たちは今もこの不毛の北の最果ての地に留まっていました。そして、南の人間たちは物資などを送ることで、その魔族たちを後方から支援していたのです。しかし、長い長い平和な時間の末に人間たちは、あるいは魔族たちも、もともとの事情をすっかり忘れてしまっていたのでした。
きっと今さら12枚の翼を持った光の巨人が北の最果ての地のそのまた向こうからやってくるぞ~なんて言っても、平和ボケした人間たちは誰も信じはしないでしょう。誰も覚えていないし、誰にも感謝すらされもしないのに、自分だけがそれを知っていて、しかもそれを止める方法も持っている。ただし、その方法は自分の命と引き換え。そんな割に合わない話があるもんかよ~っと思った魔王は、人間たちに自分たちのことは自分たちで守ってもらおうと、自分以外に世界で唯一、扉を閉められる適性を持ったラフィーにその役目を押し付けてやろうと考えていたのでした。でもそれも、馬鹿な人間たちが馬鹿なことをやらかしてくれていたせいでご破算になってしまい、いよいよ自分が扉を閉めるしかない状況になってしまったのです。
「悪いなマルゴー。今のいままで魔王領の政治のことなんかなんにもやってこなかったからな。散らかしっぱなしの丸投げですまないんだけど、後のことは頼むよ」
「魔王さま。わたくしとしましては、どうせ自分が死ぬなら一緒に世界も滅んでしまおうという選択もなくはないと思うのですが」
「やめろよ。ただでさえ滅茶苦茶ブルってるんだ。もともとただのヒキニートなんだからさ。甘やかされると甘えちゃうだろ?たとえ俺が土壇場になって泣き喚いて逃げ出そうとしても、マルゴーがケツ叩いてなんとか俺を扉の向こうに送り出してくれよ」
「……承知いたしました」
「魔族なんかどいつもこいつも、今日明日のことぐらいしか考えられないクズばっかりなクセして、これまでに4人も世界のために命張ってんだよなぁ。あいつらにも、死なせたくないヤツとかが居たんだろうな」
そうしてしばらくの時が経って、扉の隙間もわずかずつ広がり、魔王城の上空に今まで見たこともないような禍々しい姿の鳥のようなナニカが飛び始めたころ、魔王は誰に知らせるでもなく、静かに扉を向こう側から閉じました。
扉の向こう側の世界も、しばらくは平和なものでした。少しずつ開いていくひとつ内側の扉を眺め、飛来してくる気持ち悪い鳥のようなナニカをたまに魔法で撃ち落としたりして時間が過ぎて行きました。こちらの世界では身体が疲れたりお腹が空いたりすることもありません。時空間が乱れているからだ、と魔王は説明していましたが、それもイマイチ納得のできない理屈ではあります。とはいえ、わたしたちの世界とはまったく別のことわり、法則、エネルギー、概念こそがナニカなので、この世界ではそうなのだ、と言われれば、そうなのだと理解するしかないのでしょう。扉の守り人が死ぬと扉の封印がとけて開きはじめてしまうので、扉の守り人はなるべく長い間、ただただ自分が死なないように、疲れも眠りもない世界で死ぬまで戦い続けるのです。
「しかし、なんだってお前、こんなところにまでついてきちまったんだ?」
魔王がわたしにききます。もちろん、わたしはシリ・アンナです。
「さあ、どうしてでしょうね。フェアリーはもともとそんなに思慮深い種族ではありませんから、別に何も考えていなかったのかもしれませんよ。たんに魔王がなにかを秘密にしているっぽいのが気になって、好奇心から後先も考えずにスルッと袖の中に潜り込んだだけなのかも」
「好奇心は猫を殺すらしいぜ」
「まあ死ぬんでしょうね、ここで。いずれは。それまではここで魔王とふたりでピーチクパーチクしてるのも、そんなに悪くはないかもしれません」
そういえば、フェアリーの各個体が世界中のどこにいてもアクセスできるひとつの大きな精神、ピーチクパーチクにも、この扉の内側からではアクセスすることができません。やはり、扉のこちらと向こうとでは完全に世界そのものが分断されてしまっているようです。
「ラフィーは今ごろどうしてるんでしょうね~」
「さあな。こちらとあちらでは時間もズレてしまっているから、【今ごろ】が向こうの【いつごろ】なのかも分からないし。まあでも、アイツならなにがあったとしても、たぶん元気でやってるだろ」
「台風の目ですからね。あの人のそばでなら、きっとドラマチックな人生が見られるんだろうなって思ってたんですけれど。まあこっちも世界を守るためにたったひとりで戦っている最中なわけですから、充分過ぎるほどドラマチックですよね」
「いまいちドラマチックさには欠けるけどな~。長閑なもんだ」
「そんなこと言っていられるのも、きっと今のうちだけでしょう」
今のうちだけでした。
内側の扉が開いていくにつれて、扉の向こうから大型のナニカが次々とあふれ出てきました。大型のナニカたちは強力で、魔王の魔力を持ってしても一方的に圧倒することは難しくなってきました。魔王の目的はなるべく長く生きつづけ、できるだけ長期間扉を維持することなので、たとえ勝てる相手だったとしても、圧倒的に勝てる状況でない限りはこちらからナニカに攻撃を仕掛けるということはほとんどありません。ただひたすらに身を潜め逃げ続けています。
やがてそれも難しくなってきました。超大型のナニカは隠れ場所もろともとばかりに広範囲を吹き飛ばしてきます。たとえ心臓が止まってもそうそうすぐには死なないのが魔族ですからなんとか生きてはいますが、腕が吹き飛んだり足が千切れ飛んだりするぐらいは日常茶飯事です。それでもなんとか逃げ延びて、魔法で身体を修復して死を回避します。疲れのない世界なので基本的には魔力も無尽蔵なようです。しかし、疲れは存在しなくとも、ひたすら命の危険に晒されながら逃げ続けていれば、精神はすり切れていきます。やがてわたしと魔王も会話を交わすということがなくなり、魔王はほとんど外界からの刺激にオートマチックに対応して死なないように努めるだけの存在になっていきました。その頭の中に、まだ自我と呼べるものが残っているのかは分かりません。そしてたぶん、このわたしの実況もやがて尻切れトンボに終わることでしょう。
とうとう光の巨人が扉の向こうから姿を現しました。
目に見える範囲の半分が、一瞬にして根こそぎ消滅しました。
元から世界にあるものも、後から世界にやってきたナニカも、区別なく全部、まるごと消滅させ尽くすつもりであるかのようです。もし、あれになにか、意志や意図といったようなものがあるのだとすればの話ですが。
意識が遠のいてきました。頭の奥のほうで、なにかがざわざわざわざわとざわめいています。
魔王は仰向けに倒れていて動きません。
その頭が、ラフィーの太ももの上に乗っていました。
ああ、これはアレですね。膝枕というやつですね。
魔王が今際の際に見ている夢がわたしにも見えているのでしょうか。
あ、乳触った。いくら死にかけてるからって欲望に忠実すぎやしませんかね……。
あ、殴られた。
「え?本物!?」
100万年ぶりぐらいに魔王が声を発します。
「他のなにに見えますか!」
本物でした。
本物のラフィーです。
それに、さっきからわたしの頭の奥のほうでざわざわ言っているなにかは、ざわざわではありません。久しぶりすぎてすっかり忘れていましたが、これはピーチクパーチクです。
「え?なんで?そんなバカな!俺の封印はまだ破られていないはず」
「はい。ですからわたしが破りました」
そう言って、ラフィーはレーバテインを掲げて見せます。空間や次元や矛盾さえまでも、冗談抜きでなんでも貫き通す神の槍です。世界を分断する扉さえも。
ピーチクパーチクでは無数のフェアリーたちがピーチクパーチク、わたしと魔王が扉の内側にこもっていた間の外の世界の出来事をピーチクパーチクしています。
「外側から扉破っちゃったの!?なんで!?」
「なんでって、そりゃあもちろん、あの光の巨人を倒すためですよ」
「倒すだって!?」
「ええ」
ラフィーは魔王を起き上がらせ、そして一度レーバテインを頭の上でグルグルと回すと、石突を地面にドンと打ち立てました。
「生意気に12枚も翼を広げて、まあ。神様かなにかのつもりかしら」
12枚の翼を持った光の巨人を睨み付けて、ラフィーは不敵に笑います。
「12枚の翼がなんですか。わたしには11人の騎士が居る」
仁王立ちするラフィーに右から襲い掛かってきた大型のナニカが、超高速で飛来する物体に両断されました。オメガです。背中の後ろの12本の大剣がなにやら派手にパワーアップしていて、右肩からは身の丈の二倍はありそうなキャノン砲がぶら下がっています。オメガはまるで蚊のようにフラフラとトリッキーな軌道で飛び、攻撃をかわしながら次々とナニカにキャノン砲をブチ込んで行きます。そのオメガと編隊を組むように、黒いドレスの個体も飛び回りながらキャノン砲をブッ放しています。現存するたった2体の自動人形のうちのもう一体、オミクロンです。
左からラフィーに襲い掛かったナニカは勇者の剣から放たれた衝撃波で一刀両断にされました。衝撃波はそのまま地平線の果てまで駆け抜けていき、ナニカの群れをゴミのように蹴散らしていきます。あの日、ラフィーを魔王の手から救い出すために王都を旅立ち、早々に女盗賊に財布をスられていた勇者は、5年の歳月の間に見事本物の勇者へと成長を遂げていたのです。そう、外の世界ではもう5年の月日が流れていたのでした。誇大妄想狂だと思われていたニセ騎士は、実は本当に呪いで本来の力を封じられていただけの本物の伝説の騎士で、呪いをうちはらって本来の力を取り戻し、雷をまとったランスの一突きで次々とナニカを倒していきます。グリグリ眼鏡の胡散臭い錬金術師は1000年以上前の、初代魔王の扉が作られる前の時代、まだ魔族たちが光の巨人と戦おうとしていた頃の禁断の魔法を復活させ、小さな太陽を作り出しナニカの群れを消し炭すら残さず焼き尽くします。ボイラー技士のおっさんは古の機械文明の遺産を参考に自分で設計製造した蒸気機関の二足歩行パワードスーツとロケット弾でナニカを吹き飛ばします。
突然の事態に茫然とする魔王に襲い掛かかろうとするナニカの前に、どこからどう表れたのかタキシード姿のマルゴーが立ちふさがっていて、そしてなにをどうやったのか分かりませんがナニカは爆散しました。マルゴーはただ直立不動で立っていただけのようにしか見えません。マルゴーがただツカツカと歩くだけで、その周辺のナニカたちは謎の力で次々と爆散していきました。そんな気取った風な戦い方をするマルゴーとは対照的に、有り余るフィジカルパワーで、比喩ではなくナニカをちぎっては投げちぎっては投げしているのは、マルゴーが魔族のなかで、魔王の他に唯一自分よりも強いと認める不死王ムートンです。
にゃーん!という鳴き声と共に、ラフィーの後ろに神竜が降り立ちました。そこにさらに、竜騎士を乗せた三体の竜が次々にゃーんにゃーんと降り立ちひし形の陣形を組みます。世界の四方を守る4匹の竜が一堂に会していました。
「そして魔王オーブリオン。あなたで12人目よ」
そう言って、ラフィーは魔王に手を差し出します。しばらくその手を見つめていた魔王はフッと笑って、そして、その手を取りました。
「まったく、いったい俺がどういう決意でこの扉を封じたと思ってたんだ」
「あら、言ったはずでしょう。わたしはわたしの友達が傷つけられるのを黙ってみていられるような大人しい性格ではないと」
「たしかにこれは、ぜんぜん大人しくない」
12枚の翼を持った光の巨人は、ますますその翼を大きく広げて、今にも世界の全てを焼き尽くさんとしています。
「好みではありませんか?」
ラフィーがそうきいて。
「いいや、しびれるね」
魔王がそう言いました。
いきなりラスダン!魔王 vs 囚われの姫 大澤めぐみ @kinky12x08
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