第3話

 赤竜が見えなくなりカインが緑竜を見ると、相手にも品定めするかのように見られていた。

『改めて竜の住む谷へようこそ』

 全身を観察されてから、緑竜の目が優しく細められ、右前足が差し出される。

 これは握手をするという事なのだろう。カインはそっと鋭い爪を握り、軽く振った。

『ところで今更なんだが、名前聞いてなかったな。俺はここのリーダーの補佐をやっているセシルだ』

「えっと、カインです」

 自己紹介をしてふと思ったのは、あの赤竜達に名前を教えていなかったような気がする。

『それからジンの息子のルー』

 セシルの後ろから興味津々の顔で覗いていた小竜が、カインの前へと歩いてくる。

 竜も嬉しいと尻尾を振るのだと、新たな発見をしながら挨拶は無事に終了した。


 

 セシルに竜達の住む場所の説明を聞き、攻守共に機能的に作られている事が分かった。

 いくつもある穴は奥で繋がっているらしく、住居以外は共同生活を送っているらしい。

 この場所は自然に陥没して出来た土地で地層も比較的柔らかく、森のど真ん中という好条件にリーダーであるジンが決定を下した。

『上からも見せたけど、森の木々が囲いになっていて敵からも見づらい。ここには俺達のような戦士だけじゃなく、女、子どもも沢山いる』

 人間や過激派の竜から守る為に、セシル達は努力しているのだろう。

『カインには悪いが、俺は人間を信用していない。見た所、何も持っていないようだから中に入れた』

 竜と人間の争いは百年前に終結し、カインは教科書でしか知らない。

 ただ竜は数百歳の単位で生きているのだから、当時を知る竜は多いだろう。

「セシルさんは何歳なんですか?」

 リーダー補佐というくらいなのだから、人間との争いどころか遥か昔から生きているのではないかと思った。

『詳しい数字は忘れたが、人間が王都を作る前から生きている』

「作る前って」

 確か建国されてから五百年近く経っていると、授業で習った記憶がある。

 それよりも前から生きていると言われても、どう態度に表していいか分からない。

『竜は長生きするが精神年齢はゆっくり進む。見た目は人間と同じだ』

 見た目と言われてセシルが何歳くらいに見えるか考えてみる。カインには、竜を人間に換算する事は出来そうになかった。

「失礼ですけど、人間だとどのくらいなんですか?」

 セシルとルー、キルとキラを比べてなら風格や態度から年上だと分かる。ただセシルが自分の隊長と同じかどうかは分からない。

『人間でいうと三十半ばくらいだな。竜の中でも一番力が強い時期だ』

 という事は隊長とほぼ同じだ。セシルを基準に考えれば、ここにいる竜の年代も分かる気がした。

『さてこれからどうする? ジンはいつ帰ってくるか分からないし、この辺りなら見学していても構わないが』

 カインは辺りを見回し、広場から一階部分のある穴に続く階段に驚いた。

 いやここに住んでいるのは竜なのだから当たり前の事なのだろうが。

「ここで景色を眺めています」

 さすがに一段がカインの腰辺りまである階段を上りたいとは思わない。

『なら竜の住処を堪能して行ってくれ。俺は仕事に戻る』

 セシルはそう言って空へと飛び立って行った。残されたのはカインとルーだけだ。

「君も戻っていいよ」

 カインが笑顔で言うと、なぜか逃げるように去って行ってしまった。少し淋しく思いながら、近くの段差に座る。

 さっきから薬草を塗られた足首が、暖かくそして痛い。治療が必要なのは足首だけで、体にある打撲は自然治癒に任せるしかない。

 カインはなるべく体を動かさないように、働く竜達を眺めていた。

 流れていく平穏な風景を眺めていると、背中をつつく感触がして振り返った。

『これ』

 そこには小竜のルーがお座りの体勢で待っていて、その前には葉っぱの皿に載せられた木の実があった。

「俺に?」

 こくこくと頷くルーに、カインは木の実を摘んで視線の高さまで上げてみる。

 どこにでも生っている木の実に安心し、皮を割って中身を口に入れると香ばしい味がした。

『人間は剥いて食べるんだね』

 ルーはカインが食べる様子をじっと見ている。時折、木の実に視線を向けている事にカインは気付き、皿を押してやった。

『食べてもいい?』

 今にも涎を垂らしそうなルーに、カインはもう一粒だけ貰い、後はあげる。

 そのまま口をつけてガツガツ皮のまま食べるルーを、カインは唖然として見ていた。

『人間っていい奴だな』

 それからすっかり懐かれてしまったカインは、のし掛かってくるルーを押し返すのに必死になっていた。



 皿の上にあった木の実を全て食べ終えたルーは、満足そうにカインの隣に座る。

 座ってしまうとルーの方が視線の位置が高く、カインが見上げると溜め息をついている。

 さっきまでじゃれついていたルーとは打って変わり、俯くように座る姿は小さく見える。

 いつも明るくてみんなの人気者かと思ったのだが、ルーにも悩みがあるらしい。

「どうかしたの?」

 カインは性格上放っておく事が出来ず、気付いたら質問をしていた。

『僕もお父さんくらい強くなれるのかなって』

 すんなり悩みを話してくれたルーに驚きながらも、その気持ちは分かる気がした。

 カインの父親は高い地位につく軍人だった。今は王都で総隊長として働いている。

 新人訓練が終わったら王都へ配属されるのは、自分の実力以外に父親の意見が入っているように思える。

 そんな父親に負けないくらい強くなりたいと思った事は、一度や二度ではなかった。

『まだ灰色の毛だけど、金色に変わる前に友達には勝ちたい』

 確固たる信念があるルーは、いつかは立派に成長するだろう。カインもルーに負けないくらい努力する事を決めた。

「ところで……」

 ルーの父親はいつ頃帰ってくるのかと尋ねようとした時、辺りが騒がしくなる。

 何かの敵襲なのではないかと、カインも右足を庇いながら立ち上がると空から黄金竜が舞い降りてきた。

『お父さん!』

 カインの隣から文字通り飛び上がるように、黄金竜の着地地点へと向かうのを茫然と見ていた。

 それからも迎えるように沢山の竜が現れ、カインは波に飲み込まれないように階段を上まで上り、端へと避難する。

 改めて遠くから黄金竜を見ると、セシルより一回りは大きい事が分かった。

 同じくらいだと思っていたのだが、実際に近くに来るとサイズの違いがよく分かる。

 何体もの竜が立ち替わり、黄金竜を称えるように肩を叩き帰って行くのを、カインは興味深く見つめていた。

 こうやって眺めていると、竜と人間は外見の違いくらいしかなく、誰もが同じなのだと分かる。

 百年前の竜と人間の争いは、竜の支配に我慢出来なくなった人間が立ち上がった、と教わったが、事実かどうか疑問に思い始めている。

 カインが一人で悶々と考えていると、沢山いた竜の数は減り、さっきまでの光景が戻ってきていた。

 広場には帰ってきた黄金竜のジンと息子のルー、緑竜のセシルだけになっている。

 そのセシルがこちらを示し、ジンに教えたのかこちらへとやってくる。

 カインは慌てて階段を下りジンの前へ行くと、あまりの大きさに首が痛くなるくらい見上げなければならなかった。

『あ、見辛いよな』

 頭上から聴こえた声に、カインが軽く頷くと目の前にいたジンの姿が消える。

「この方が話しやすいだろ?」

 消えた後には、自分の父親と同じ年代くらいの男性がニヤリと笑いながら立っていた。

 まさか竜が人間の姿になれるとは、カインは思ってもいなかった。

 目の前にいる男性は、三十後半くらいで髪は金色と普通なのに、瞳の色も金で違和感を覚える。

 しっかりした体格の男性は、カイン達が普段着ている物より前に流行った服だが、格好良さは損なわれていない。

「久し振りにこの姿になったから、歩きづらいな」

 右の手足が同時に動いてしまうのを何とか治そうとしている姿は、滑稽でしょうがない。

「あのジンさん、ですよね?」

 あの黄金竜だと思うのだが、信じられなくてカインは確認してしまった。

「他に誰がいるんだ? 全くレイルの奴が我が儘ばっかり言うから。何で俺が……」

 ぶつぶつと文句を言い始めたジンに、カインは益々違和感があり、それが何か分かった。

「ジンさんはいつもそんな喋り方ですか?」

 確か初めて遭った時は、自分の事を『我』と言っていたのを聞いたのは間違いだったのか。

「それは人間用」

 満面の笑みで答えたジンを見て、カインは開いた口が塞がらなかった。

「それより落として悪かったな。まさか滑り落ちるとは思わなくて」

 申し訳なさそうに頭を掻くジンに、カインは慌てて向き直る。

「不注意から落ちたのは僕の方です。こちらこそ感謝します」

 あの時、ジンに受け止めてもらわなかったら、即死で原型も留めていなかったはずだ。

 滑り落ちたのは予定外だったが、ジンには何度感謝しても足りない。

「でもな、レイルがあそこに行ったのは俺のせいだし、行かなかったらカインだっけ? お前も落ちなかったはずだから」

 ジンの言うレイルというのが黒竜の事らしい。それにジンのせいとはどういう事なのだろう。

「それはどういう意味ですか?」

 聞いてもいいのか迷ったが、好奇心に負けてカインは尋ねてしまった。

「簡単に言うと、何度誘ってもレイルが俺達の所に来てくれなくて。しつこくしすぎてレイルがキレた。で、勢い余って国境線を越えたって訳」

『友達同士の喧嘩だ』

 ジンよりもセシルの一言の方がカインを脱力させた。

 カインは喧嘩に巻き込まれて、死にそうになっていたという事になる。

 あまりにもくだらなさすぎで、言い返す言葉も思い浮かばなかった。

「だから怪我が治るまで、ここでゆっくりしていくといい」

 任せておけという風に胸を張るジンに、カインはお世話になる事に決めた。

『ジン、寝る場所はどうする。下手な所で寝かすと囲まれるぞ』

 セシルの言葉に、カインは意味が分からず不安になってきた。

「俺の所でもいいが……」

『僕の所じゃ駄目?』

 ジンとセシルが相談中、ジンの後ろにいたルーが名乗りを上げた。

「ルー。いつの間に仲良くなったんだ?」

 ジンが驚いたのか、大袈裟なくらい飛び上がる。セシルはカインとルーが一緒にいたのを見ていたのか、それほど驚いていなかった。

 そして広場からルーの背に乗せてもらい、建物の二階分ほどの高さを飛び、寝床へと案内された。

『まだ独り寝を始めて一カ月だから、何も無いけど』

 カインは綺麗に削られた壁を触りながら中へと入っていく。他の部屋がどうなっているのか知らないが、中央に敷かれた寝床用の藁しかない。

 竜は夜目が効くのか灯りがほとんどなく、夜になれば歩くのにも苦労しそうだとカインは思った。

『ここに座って』

 指定されたのは藁より手前の一角で、剥き出しの岩床で座るとひんやり冷たい。

「有難う」

 まさか竜の住処で過ごすとは考えていなくて、こうやって好かれるとも思わなかった。

『僕、人間について色々知りたくて誘ったんだ』

 カインの前にお座りしたルーはカインの全身を見つめ、着ている服を物珍しそうに引っ張った。

『ここでは僕のお父さんしか人間の姿になれないんだよ』

 ルーは服のベルトが気になるのか、爪先で触感を確かめているらしい。

『昔は沢山いたらしいんだけど、人間を見た事ない竜が増えたからだって』

 ジンが人間になった時、他の竜もなれるのかと思ったが、彼だけらしい。

『ここで一番長生きなのがお父さんの七百歳、次のセシルが六百歳』

 ジンとセシルは見た目はあまり変わらないが、人間一生分の年齢差があった。

『実際に人間と僕達の争いに参加していたのはお父さんだけで、セシルは若かったから参加出来なかったって』

 それなのにジンは、人間との共存を望んでいるのは、なぜなのだろう。恨んでいるはずのジンの内心を知りたいと思った。

『聞いてる?』

「ごめん」

 考えたい事があると他の事が耳に入らなくなるのは、カインの悪い癖だ。

『だから僕は人間に変身出来るようになりたい』

 はっきりと宣言されたが、竜が人間に変身する仕組みは知らない。

 ただ観察するだけなら満足いくまで見せてやろうと、カインはルーが飽きるまで付き合う事にした。

『カインの着ている服は、みんな着ているの?』

「これは制服だから」

 軍人の着る服だと伝えてもルーには意味不明らしい。説明したくても上手く伝えられそうにない。

『お父さんの着ている服を着ている人間はいる?』

 なかなか鋭い質問を出してくるルーに、カインは一つ一つ説明していった。

 少し流行に遅れている事や、ルーの年代に合いそうな服の話など。

『あ、真っ暗になっちゃったね』

 月明かりが上手く入ってきて、ルーの場所ぐらいなら分かる。だがこのまま話しを続けるのは大変だろう。

『残念だけど、また明日』

 まだ聞きたい事があるらしいが、今日は寝るつもりらしく寝床へとカインを誘う。

 そこでカインはルーに寄りかかり、暖かさを感じながら眠りに就く事になった。

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