第5話
何があったのか知りたいと思ったが、人間に知られたくない事もあるだろう。
カインは言われた道を行きとは違い、森の澄んだ空気を堪能しながら竜の住処へと歩いた。
『見つけた!』
あともう少しで到着だと思った時、向こうから物凄い速さでルーが走って来てカインの前で停止する。
突撃されたら危ないくらいのスピードに、鼓動が早くなる。
小竜でも追突されたら怪我は免れないだろうなと、カインは胸を撫で下ろした。
『セシルから泉に向かったかもって聞いて』
嬉しそうに尻尾を振るルーに、カインも微笑み返した。
「竜の泉に行って、怪我治してもらったんだ」
カインは証拠を見せるように、両足で飛び跳ねてみせる。
『僕は水竜に会った事ないんだけど、格好良かった?』
ルーは水竜であるリヴの事が知りたかったらしい。カインは竜の泉であった事を話して聞かせた。
『僕もお父さんに連れて行ってもらいたかったなぁ。起こしてくれれば良かったのに』
恨めしげに見つめているのか目が細められる。小さくても竜は竜で、やっぱり迫力があり、カインは冷や汗が流れた。
『それでお父さんは?』
辺りをきょろきょろするルーに、セシルから詳しいは聞いていないらしい。
「ジンさんなら用があってセシルさんと何処かに行ったよ。俺には竜の住処に帰ってくるのを待ってるようにって。今日中には国に帰れるといいんだけど」
カインは何の考えもなく一気に喋ると、ルーの表情が明らかに変わった。
『もう帰っちゃうの?』
ルーの今にも泣きそうな声に、カインは昨日色々な話をすると約束した事を思い出した。
「勿論、帰るまでは一緒にいるから」
カインもルーともっと一緒にいたいと思ったが、怪我が治っても居続ける訳にはいかない。
『折角友達が出来たと思ったのに……』
ルーの目から涙が流れ落ち、どれだけ懐かれていたのかを知った。
「ルー、ごめん」
『仲良くなるんじゃなかった!』
涙を零しながら叫んだルーは道を外れどこかへ行ってしまう。慌ててカインは木々の間を走り後を追い掛けた。
「ルー!」
竜の速さに人間が追い付ける筈もなく、ルーの姿はどこにもない。
さっきの場所よりも鬱蒼と生い茂る草を掻き分けながら、ルーを探していると真っ正面に背中が見えた。
「ルー、待って……」
手を伸ばそうとしたカインは、ルーの先にいた黒竜を見てそのまま動けなくなってしまった。
目の前に現れた黒竜を見た瞬間、ジンと知り合いのレイルという名の竜かと思った。
じっとこちらを見下ろしている黒竜は黙ったまま一言も発しない。
「ルー?」
カインと同じように固まっているルーに声を掛けると、ゆっくりと振り返る。
その時、黒竜が動いた。
『カイン、逃げて!』
カインの方へと一歩踏み出したルーの後ろで、黒竜が前足を振り上げている姿があった。
黒竜の前足についた鋭い爪が、太陽の光に当たって煌めく。
カインは逃げるよりも先にルーへと走り寄り、腰に手を伸ばし剣を持っていない事に気付いた。
「避けろ!」
何も武器がなくとっさに地面に落ちていた石を投げつけると、ルーを狙っていた前足は石を払う為に使われる。
その隙をついてルーは一目散に逃げ、かなりの距離を取る事に成功した。
それよりもあの黒竜がジンの息子であるルーを襲う訳がない。目の前にいる黒竜は何なのか、カインは緊張が解けないまま考えた。
『邪魔をするな人間』
カインの思考を遮るように低い声が心に響き、思わずビクッと体を震わせる。
黒竜の前から逃れたルーはカインの横を通り抜け、来た道を引き返すように走り出した。
カインも慌てて後を追うが、黒竜は諦めてないらしく追ってくる気配がある。
たまたま遭遇した訳ではなく、目的を持っているらしい。
ルーは途中から道を逸れたらしく、走りづらさにカインの体力は奪われる。
それでもまだ微かに前方を走るルーがあり、カインは全力疾走で追った。
走りながらさっきの黒竜の言葉を反芻する。確かカインに邪魔をするなと言った。という事は狙いはルーの方だろう。
それならこのままルーが走って行ってしまえば、目的は達成されない。
だんだん息も切れてきて、時々草に躓き倒れそうになるのを必死に耐える。
本当に怪我を治してもらって良かったと、心の底から思った。
もう限界だと足を止めた時、後ろから迫ってきていた気配が無くなる。カインが振り返っても何も居なかった。
前を走っていたルーの姿もなく、あの小竜は無事に逃げたらしい。
カインはほっとして荒い呼吸を整えながら辺りを見回す。闇雲に走っていたからか、今どこに自分がいるのか分からなくなっていた。
「ここどこ?」
ぐるりと体を回転させながら見るが、似たような風景が続いていた。
ふと足元を見ると、灰色の毛が落ちている。拾って手触りを確かめるとルーの物に似ている。
カインは立ち止まっていても仕方ないと、毛の落ちていた方向へ足を踏み出そうとした時、竜の唸り声が聞こえた。
『人間風情が……』
微かに聴こえた意味ある声に左を向くと、黒い体がそびえ立つようにそこにあった。
いつの間にと思いながらカインが見上げると、しっかり目が合う。
そして前足を振り上げた黒竜は木を踏み倒し、木はカインへ向かって倒れてくるが、すぐに避ける事が出来なかった。
凄い音で迫ってくる木に、顔を庇うように腕で隠すと同時に、激しい衝撃と共に地面に叩きつけられた。
だが木の上部で葉の方が多かったらしく、それほどの痛みはない。
木の枝に挟まれながら体を引き抜こうとした時、空が陰り見上げると黒竜が見下ろしていた。
『よくも余計な真似をしてくれたな』
確実に怒っている黒竜に、普段のジンやセシルがどれだけ優しかったか実感する。
『折角の機会を無駄にした罪は重い』
黒竜の目を真っ直ぐ見てしまい、逃げられる気がしないと思わされる。
踏み潰そうとするかのように右前足を上げ、カインは本気で死を覚悟した。
目を閉じ、迫ってくる気配まで感じていたのに、いつまで経っても衝撃が来ない。
『させない!』
目を開けた視界の先には、黒竜の足にしがみついて押し返していたルーの姿があった。
「ルー!」
逃げたと思っていたルーは、黒竜に激しく振り回されても離そうとしなかった。
『人間の苦労を無駄にするとはな』
もうカインには興味がないのか、黒竜はこちらを見ようともしない。
ルーを弄ぶように前足を振り続ける。カインは為すすべもなく地面に座っていた。
『いい加減に諦めろ』
黒竜が一段と激しく振り上げると、耐えられなかったルーが飛ばされる。
「ルー!」
飛ばされたルーは木に激突し、そのままずり落ちる。地面へと倒れたまま動かない。
『人間に用はない。死にたくなければすぐに帰れ』
黒竜は茫然としたままのカインを跨ぐと、気を失っているらしいルーを掴む。
そしてそのまま空へと飛び立って行った。カインはどうする事も出来ず、去っていく黒竜を無言で見送った。
新米兵士と黄金竜 春野なお @naoayako
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