第4話
微かに体を揺すられる感覚に、カインが目を開けると竜の顔があった。
あまりの近さに混乱し、思わず悲鳴を上げそうになった所を鋭い爪の生えた前足で押さえられ、失神寸前まで追い詰められた。
『悪い、脅かしすぎた』
よく見れば昨日からお世話になっていた黄金竜のジンで、竜の姿は迫力がありすぎて顔が強張る。
『ルーを起こさないように。連れて行きたい場所がある』
そう言われ、起き上がろうとしてルーの前足がカインの体をがっちり掴んでいた事に気付く。
その足を起こさないようにゆっくり動かし、隙間から抜け出た。
立ち上がり伸びをしようとして、足の痛みと全身の筋肉痛にカインは顔をしかめながら出口へと向かう。
外は霧が出ているらしく、見通しが悪い。それに気温も昨日より下がり肌寒く感じた。
『俺に乗れ』
出口付近で待っていたジンに追い付くと、背中に乗るようにと示される。一度落ちた経験から怖さを感じるが、今度こそはと決意して背中によじ登った。
赤竜の時と同じように翼の付け根に掴まるように座ったのだが、大きさの違いで上手くいかない。
『そこじゃなくて、首の付け根辺りに跨るようにすると座りやすい』
カインは言われた通り、前に移動して人間でいう肩車の状態で跨ってみると、確かに体が安定する。
まだ習ってはいないが、馬に乗る方法に近いかもしれない。
『しっかり捕まってろよ。また落とすなんて最悪だからな』
立ち上がった拍子に後ろに倒れそうになり、バランスを取る為にジンの首に手を置く。
やっぱり柔らかく手触りもいいジンの毛は滑る。しっかり手を置き、体が後ろへ流れてしまわないように踏ん張った。
カインの様子を感じていたジンは、準備が出来たのを見計らって空へと飛び出す。
眩暈のするような高さと霧の為に視界が悪く、一層恐怖を感じてしまい、カインは思わずぎゅっと目を閉じた。
『もう大丈夫だぞ』
ジンの声にカインが目を開けると、そこは森の中だった。
下降し続けるジンは木々のない場所へ着地すると、カインに降りるように指示する。
『ここからは歩きじゃないといけないんだ。悪いな』
竜の姿でギリギリ通れる道。上を見ると木々の葉が空を覆い隠すように生えている。
確かにここから先は空からは行けないだろう。
「何とか歩けそうです」
昨日よりは薬のお陰か痛みは和らいでいる。ゆっくりジンの肩に掴まらせてもらいながら、道を進んだ。
『もう少しだから頑張れ』
びっこを引いて歩き続け、息も上がってくる。こういう時にもっと体力があればと思う。
そして木のアーチが終わり、開けた場所に出た。
霧が出ているはずなのに、その一角だけはキラキラと輝いている。
カインがよく見てみると、輝いていたのは小さい泉の水面に反射された太陽の光だった。
「綺麗…」
カインが無意識に呟くと、それに呼応したかのように爽やかな風が吹いていく。
『ここは竜の泉だ。俺より長生きの水竜が住んでいる』
「ここにですか?」
どう見てもジンすら入れないような小さな泉に、竜が住んでいると言われても信じられない。
近くに水流が無い事から湧き水で出来ているのだろうが、まさか泉は深く竜が縦に住んでいるという事なのだろうか。
『まぁ、待ってな』
ジンは木から葉を数枚くわえ取ると、それを泉へと投げ込む。
水面に波紋が広がり、それが消える事なく続き小刻みに震え始めた。
微かな振動も地面から感じる。
『来るぞ!』
ジンに襟首を掴まれ後ろへと下げられた瞬間、盛大な水柱が上がる。
充分下がったと思ったカインの場所まで、水しぶきが飛んできた。
そして水が落下した後には、水面から首だけ出した竜がそこに存在していた。
『久し振りだな、リヴ』
気安くジンが声をかけると、リヴと呼ばれた水竜がこちらを向く。
水竜はいわゆる蛇の様に胴が長い形状をしているのだろう。やはり縦に泉の中に入っているのか。
カインは一人で泉から出てきた仕組みを考えていると、ジンが挨拶をするように頭を水竜に押し付けた。
『ジンですか。五十年も会いに来ないとは薄情な奴ですね。おや、この気配は人間?』
柔らかい男性でも女性でもない中性的な声に、カインが聴き惚れているとリヴが驚いたように首を巡らす。
横を向いたリヴを見て、カインはある事に気付いた。
「もしかして目が……」
リヴの目は閉ざされたままだった。
『リヴは長い間地下で過ごしていたから、目が退化してしまったんだ。俺と初めて会った時は、まだ見えてたよな?』
あっさりと教えてしまっていい事なのかと心配になったが、ジンとリヴは気にしていないらしい。
『ええ。微かには見えていましたよ。あの悪餓鬼のせいで鱗がぼろぼろになりましたけど』
楽しそうに話すリヴと、黙ってしまったジンをカインは不思議そうに交互に見た。
この場合、詳しく聞いてもいいのか迷う。もっと聞きたいと思ったけど、機嫌を損ねるような真似はしたくない。
『人間に聞きたい事があるみたいですよ』
リヴにいきなり言われ、まさか口に出していたのかとカインは焦った。
『リヴは目が見えない分、心を敏感に感じ取る。隠し事は出来ないと思った方がいい』
カインは心を読まれたのではないと分かりほっとした。
『と言っても隠すような事はありませんよ。ジンが私を竜と知らず退治しに来たのを、返り討ちにしただけです』
『本気出すなんて大人げない』
仲の良さそうなジンとリヴだからこそ、なぜ合わせてくれたのかカインは気になった。
『すみません。人間をこちらに』
話しを打ち切り、リヴはカインへと向き直る。また心の中で思った事が伝わってしまったらしい。
カインはジンに背中を軽く押され、リヴへと近付く。あまりに近くて腰が引けてくる。
『怖がらなくても大丈夫ですよ。私は肉食ではないので』
人間を食べないと分かっても、竜に慣れるまでは時間が掛かる。
『動かないで下さいね』
ゆっくり近付いてくるリヴの顔に、カインは思わず目を閉じる。それでも気配は感じられ、絶対に動かないように必死に耐えた。
そして鼻先らしき物がカインの頭に触れ、全身を血が巡るように暖かくなってくる。
『もう大丈夫です』
さっきとは違い、すぐに離れたリヴにほっとして目を開けると、遥か頭上にリヴは戻っていた。
『どうだ?』
ジンの問い掛けに振り返ったが、何がどうなのか分からない。
とりあえず泉の縁ぎりぎりに立っていたから、少しだけ戻ろうと一歩下がった時、体の異変に気付いた。
「痛くない」
踏み出した右足からはさっきまであった痛みが消え、体も軽い。
『リヴには癒しの力がある。カインの怪我は俺のせいだからな、特別だ』
そう言ったジンの顔は、嬉しそうに微笑んでいるようだった。
カインはもう一度伸びをしたりして、体の具合を確かめる。
しゃがんで足首を見ると、あんなに腫れていた箇所が分からないくらいに綺麗に治っていた。
「あ、リヴさん有難うございました」
そこでまだお礼を言っていない事に気づき、カインは慌ててリヴに頭を下げた。
『礼儀正しい人間になら、幾らでも力を貸します。では私はこれで』
リヴは優しい声音で言うと、出て来た時とは違い静かに水の中へと戻って行った。
姿が見えなくなりカインが泉を覗いてみたが、もうどこにもいない。
ここから覗いた泉は、決して深くは見えないのに不思議だった。
「ここは何処に繋がっているんですか?」
カインはジンに尋ねたが、首を傾げられただけだった。
『地下水脈が迷路のように張っているからな。いつもはもっと時間掛かるから今日は予感でもしたか』
ずっと独りきりで過ごしていて淋しくないのかとカインはふと思ったが、それをリヴに聞く事は出来なかった。
『そろそろ戻ろう。お前を国境線まで送り届けないとだしな』
ジンの言葉に怪我が治るまでという約束だったのを思い出した。
『どうかした?』
「何でもないです」
歩き出したジンの後を追いながら、カインは一瞬まだ帰りたくないと思ってしまった。
それは竜が人間と変わりなく過ごしているのを見て、もっと話を聞いたりしてみたかったのだ。
竜達にしてみたら部外者である人間が、いつまでも居て欲しくないだろう。
ジンもカインを早く帰したくてここへ連れてきたのだと考えれば納得が行く。
『置いて行くぞ!』
足が遅くなりがちなのがジンに気付かれ、注意されながらカインは走った。
そしてジンが舞い降りた場所まで戻ってきた時、森の空気が変わったように感じた。
『何かあったな』
ジンにもそれが分かるらしく、匂いを嗅ぐように頭を上向ける。それと同時に空から緑竜のセシルがやってきた。
『良かった。やっぱりここに居たか』
どこか焦った様子のセシルに、カインはジンの顔を見上げる。
『何があった?』
ジンが尋ねるとセシルは何か言いたそうにカインを見た。どうやらカインには聞かせたくない内容の話らしい。
『悪い。この道を真っ直ぐに行けば帰れる。用が済んだら送っていくから』
示された道はひたすら真っ直ぐ進んでいる。カインが頷くと、ジンはセシルと共に、空へと飛び上がって行った。
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