新米兵士と黄金竜
春野なお
第1話
遙か昔、人間と竜は共存していた。
人間は竜に忠誠を誓い、竜は外敵から人間を守り、均衡の取れた世界を作り上げた。
百年前、人間の中から勇者と呼ばれる者が立ち上がるまでは。
長年、竜の厳しい支配に我慢出来なくなった人間は、勇者を筆頭に反旗を翻し、竜の弱点である聖剣を武器に戦いを挑んだ。
両者に沢山の犠牲を出し、竜側が負けを認める事により戦は終結する。
竜は人間の住む都から遠く離れた山へ追いやられ、人間は竜から解放され平和が訪れた。
勇者がこの世を去るまでは――
「カイン。早く整列しなさい」
隊長の厳しい声にカインは慌てて、列の最後尾へと並ぶ。
カインは金髪碧眼というこの国では一般的な配色に、容姿も普通、新人兵士としての実力も普通だった。
十八歳で普通に学校を卒業し、なりたい仕事もなく普通に軍へと入隊した。
何もかも普通な彼には一つだけ長所があった。
「なぜかカインには厳しく当たらないんだよね」
「そうかな?」
担当の隊長には厳しく指導してもらっていると思っていたのだが、そうではなかったらしい。
確かに前に並んでいる同僚で親友でもあるロイが遅れた時は、殴り飛ばされていた記憶がある。
「カインが殴られている所見た事ないし、それに殴りたくなくなるらしいよ」
「そうなんだ」
理由は分からないが、カインには人を和ませる力があった。
カインが初めて配属されたのは、人間と不可侵条約を結んだ竜の住処がある国境線沿いに建てられた街だった。
周りは高い山と深い谷に囲まれ、人間の住む街の中では最南端に位置している。
普通のカインだからこの街に配属された訳ではなく、新人兵士は三ヶ月間ここで訓練を受ける。
全ての訓練を突破し、隊長から合格を貰う事が出来れば晴れて一般兵となり、配属先を改めて通達されるという流れになっていた。
そして今日が最終日。
三ヶ月間厳しい訓練に耐え、今日の試験で合格すればカインは王都配属になる事が決まっていた。
「では最後まで気を抜かないで取り組むように」
総隊長の挨拶が終わり、カインの所属する第三班の六人は各隊長の指揮のもと、最後の山登りへと出発した。
目的地の山までは約三時間、そこから二時間かけて登った場所が今回の訓練所になっている。
カイン含む六人は、黙ってひたすら足を動かして目的地へと向かった。
ロイに励まされながら最後の絶壁にカインは挑んでいた。
「あともう一息!」
右手を壁の出っ張りに引っ掛け、片手で全体重を持ち上げる。
左足を穴に入れ、探り探り壁をよじ登った。
「お疲れ様」
感覚が無くなった両手両足で登り切った後、カインは地面に倒れ込んだ。
やっとの事で登ったというのに、他の五人はもう休憩中でくつろいでいる様子だった。
「もう少し、鍛えた方がいいよ?」
ロイに右腕を揉みほぐされながら、筋肉のつき具合を確かめられる。
確かに兵士としてやっていく為にはもう少し欲しいが、決して細い訳ではない。
日常業務をする分にはちゃんと筋肉も体力も足りている。
今よりもっと上を、隊長職を目指さなければ十分だった。
「少し休憩したら出発だ」
その基準は一番先に着いていた者で、カインの疲れが取れるまで休憩していない。
「今日で最後だと思えば、辛さも耐えられるな」
ロイの言う通り、合格すればここに登るのは最後になる。
だから不可侵条約を結んだ竜の住む谷を、記憶に留めようと顔を上げた。
視線の先には広大な渓谷が、いつもなら見えるだけだった。
「ロイ、あれ」
「何だよ。しっかり休憩取らないと、って嘘だろ」
カインは自分が見ている光景が幻影なのかと思い、隣にいたロイの肩を叩いて呼んだ。
それが思いの外強かったのか、痛みに顔をしかめたロイが振り返り同じ光景を見て固まった。
青い澄んだ空が広がっている真ん中に見えた黒い物体。
だんだん大きくなっていくのを見て、物凄いスピードでこちらへ近付いてくるのが分かった。
「あれ何だろ」
「馬鹿。どう見たって竜だろ」
なぜかカインは近付いてくる竜から目が離せない。
ロイはカインを無視し、隊長へと報告に走って行った。
「あれが竜……」
初めて実物を見たカインは完璧に魅せられていた。
近付くにつれて想像よりも大きい事に気付き、それが黒竜だと分かると、辺りが騒然となる。
「全員退避。黒竜は危険だ」
隊長の命令に休憩中だった兵士が物陰へと隠れる。
「カインも早く逃げろ!」
報告を終え帰ってきたロイに声を掛けられ、やっと黒竜から目を離す。
だがその時にはもう間近にまで、黒竜が迫っていた。
「ぼけっとするな」
あと数メートルという所まで迫っていた黒竜とカインの間に入ってきたのは、腰に差した剣を引き抜いて構えるロイだった。
微かに危機感を感じたのか、黒竜はそのままカイン達を避け空へと上昇する。
「今のうちに早く!」
ロイに腕を掴まれ、走るように促されてやっと足を動かす事が出来た。
辺りを見回すと岩の陰に他の兵士が身を隠している姿が見える。
あの場所まで行けば安全だろうと走り出した時、鼓膜が破れるかと思うほどの鳴き声にカインとロイは耳を塞いだ。
「黒竜を怒らせたな」
耳を塞ぎ地面に伏せていると辺りが暗くなる。
あんなに晴れていたのになぜと顔を上げると、空を覆い尽くすように黒竜の腹と鋭い爪があった。
「カイン、俺達生きて帰れないかも」
本気で怒った黒竜に、普通の人間がかなう訳がない。
ここがまだ人間の領域で、黒竜が侵入者だという事実を考える暇もなく、二人は死を覚悟した。
『人間、離れていろ』
目を閉じ、あの爪にやられるのかと体を強ばらせていると耳に誰かの声が入ってくる。
目を開け見えたのは黒竜が何かに吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられている所だった。
「何があったんだ?」
隣にいたロイも驚きに目を見開いている。
『同族が申し訳ない事をした。不可侵条約についてものちほど使いを送る』
直接耳に入ってくるように聞こえてくるのに、誰が話しているのか分からない。
「一体、どこに…」
『ここだ』
どこか笑いを含んだような声が聞こえた瞬間、国境線を挟んだ谷の下から新たな竜が現れた。
「今度は黄金竜」
黒竜より一回り大きい黄金竜の登場に、カインは言葉を失った。
『それは我らが引き取る。進入を許可してもらえるなら』
黄金竜の言葉に物陰から聞いていた隊長が戻ってきて、その許可を受理した。
二体の竜の出現によって狭く感じる中腹で、カインは竜の通り道を開ける為に端に寄る。
黄金竜の表情は読めないが、どこか威厳があり竜の中でも位が高いのだろう。
自分がどういう状況に陥っているかも分からずに、カインは竜達の一挙手一投足を見守っていた。
「馬鹿、下がりすぎだ!」
なるべく端に寄っていようと努めた結果、カインは国境線を越え、竜の住む谷へと落ちて行った。
まさかこんな形で国境を越えてしまうとは思わなかった。
落下中、気を失うかと思っていたのに意外と冷静な自分がいる。
落ちていくカインを見下ろすロイの姿も確認出来た。
呆気ない死に方にやり残した事を思い出しながら、人生を振り返る事も忘れなかった。
どれだけの距離があるのか想像もつかない渓谷を落下中、目の前を何かが通過して行った。
カインが落ちる速度よりも速く落ちていく。
いや落ちていくというよりは下へと飛んでいるらしい。
かなり先まで行き停止したそれは、さっきまで話していた黄金竜だった。
『そのまま力を抜いてろ』
頭の中に聞こえてきた声に、カインが理解出来る暇がなかった。
「うわっ!」
固いクッションのような物が背中に直撃する。
よく見ればクッションではなく、黄金竜の背中で痛みはあったが助けてくれたらしい。
「有難……」
黄金竜にへばりつき、お礼を言おうとした瞬間、バランスを崩し背中を滑り落ちた。
そしてまた落下を始め、カインは大量の木の枝に引っ掛かりながら地面へと墜落した。
「生きてるけど……」
黄金竜のお陰で落下速度が遅くなり、枝のお陰で直接地面に叩きつけられなかった。
だが全身の痛みと右足首が異様に熱い。
確実に捻挫か、もしかしたら折れているかもしれない。
『悪い、大丈夫だったか? 我は降りられないから部下の者を送る』
また脳内に聞こえてきた声に空を見上げると、木々の向こうに黄金竜の腹が見えた。
「大丈夫じゃないんですけど、お待ちしています」
駄目だから早く助けて欲しい、とは言えない。
とにかく替わりの竜を寄越すと言われたから、カインは体を動かさないように寝て待つ事にした。
『あれ、こんな所に人間が』
『不可侵条約破りだったら殺してもいいんだよな?』
迎えが来たのかと目を開けると、真っ赤な二体の竜がカインを囲んでいた。
双子なのか聞こえてきたのは会話なのに、声は同じでどちらが話していたのか分からない。
しかも内容も聞き捨てならなかったような気がする。
「あの黄金竜から話を聞いていますか?」
『黄金竜って何?』
カインはまだピンチから脱出出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます