第5話 変えられない運命

 追手がすかさずわらわらと教会から出てくる。レディナは森の中をずっと走った。城を通り過ぎ、市場の人波を潜り抜け、森の中を少し行ったところで一呼吸ついた。

 後ろを見るが、追手は見えない。見つからないうちに遠くへ逃げようと思った。とぼとぼと重い足取りで歩き始める。

 レディナはナンスのことよりも、自分のことを考えていた。鏡の中で女だった頃の自分の姿をほんの少しだけ見た。それは「再会」だった。ナンスを守るために男になった自分は、ナンスを守ることができなかった。全ての運命が変わった世界では、ナンスに自分は必要なかった。これからどうやって生きていこう。これでは以前と何も変わらない。家に帰ったら、行先も告げずに出て行ったことを両親にどう話せばいい。一日しか過ごさなかった家族とどう接すればいいかわからない。

「リガノ、こちらです」

 誰かが呼ぶ声がした。振り返ると、森の中では目立ちすぎるドレス姿のナンスが手を差し出していた。

「何をしていらっしゃるのですか?」

「あなたを助けにきました」

「いけません。あなたもご覧になられたでしょう。私は悪魔に憑りつかれています」

「それが何だと言うのです!」

 ナンスは自分が大声を出したことに気付き、口をすぼめて続けた。

「悪魔に憑かれているのであれば、除霊をすればいいこと。大司教に頼んでみますから、教会に戻りましょう」

 遠くから追手が走る足音が聞こえてきた。鎧の音が聞こえるので、多くは武装した衛兵だろう。

「ここにいてはあなたも危険です。私から離れてください」

「いやです」

「どうか」

「離れません」

「お願いです」

「絶対に離れません」

「姫様……!」

 レディナは仕方なくナンスと一緒に、森の中を逃げることにした。ナンスは手を掴まれて声を上げたが、追手には聞こえなかったようだ。

「この先にあなたと私が初めて会った小道があります。そこでお別れしましょう」

 レディナの言葉にナンスは返事をしなかった。

「姫様、大丈夫ですか?」

 レディナは走りながら首を回し、斜め後ろを走るナンスの顔を見た。泣いている。

「あなたは本当は、男ではないのですね」

 ナンスが小さい声で言った。レディナはその時やっとナンスの気持ちがわかった。

「あなたを騙してしまい、申し訳ありません。私は除霊をされたら女になります。あなたを守る衛兵にはなれません」

「あなたに立派な騎士になってほしかった。誰よりも強く、そして美しい、私だけを守る人に……」

 レディナは自分がこうなった経緯を話そうかと一瞬思った。だが、やめた方がいいと思い直した。レディナが以前の運命の話をすれば、ナンスが王女ではなく奴隷であったことも話さなければならない。

 獣道を抜けて、ようやく男になったレディナとナンスが出会った場所へと戻ってきた。レディナは立ち止まり、ナンスと正面から向き合った。

「行ってしまうのですね」

「さようなら、ナンス姫」

「どうか、ご無事で」

「あなたもどなたか私よりもいい人と幸せに過ごされますよう」

「それはできない約束でしょうね」

「そんなことをおっしゃらないで」

「愛していますわ」

 レディナは自分の目にも溢れている涙でナンスが見えなくなる。手で拭ってナンスの美しい姿を目に焼き付ける。

 獣道の向こうに一人の衛兵が見えた。彼はこちらに真っ直ぐ向かってきている。

「姫様、もう行かないと」

 レディナはナンスを置いて一人で走り出した。鎧の足音が近づき、ナンスも衛兵を見つける。

「いけません!やめて!」

 レディナは振り向かずに走った。いつの間に距離を縮められていた。衛兵は瞬く間にレディナに追い着き、剣を一振りした。

 悲鳴が聞こえてレディナは立ち止まった。ナンスのドレスに血が染まっていた。若い衛兵は兜を外して真青な顔でナンスとメディナを交互に見つめている。

「どうして、姫様が……」

 動揺する衛兵が呟いた。兜を被っていては、近くにいたナンスの派手な姿もよく見えなかったのだろう。

 レディナは衛兵を捨て置いて、ナンスを抱き寄せ、自分の膝にナンスの頭を乗せた。

「リガノ……ごめんなさい……」

「なぜあなたが謝るのですか……」

「だって、あなたを守れなかった……」

「そんなこと、あなたが考えることではありません……」

「いいえ……私はあなたを愛しています……あなたなしでは生きられません……」

「どうして……」

 ナンスが震える手でレディナの手を握る。

「あなたの本当の名前を教えていただけますか……? あなたが本当は何者だったか……」

 レディナはナンスの手を強く握り返した。

「私はレディナ。あなたの親友です」

 ナンスは微笑んだまま動かなくなった。最後の言葉は全て聞いていただろうか。

 レディナはナンスの亡骸を衛兵に託した。

「私は二度とこの国には近づかない」

 衛兵はナンスを背負い、元来た獣道に戻っていった。

 レディナは当てもなくさまよい歩いた。それ以降、彼女を見た者は一人もいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

茨の道 伊豆 可未名 @3kura10nuts

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ