第1章 離宮
私の結婚( 1)
「姫様!!姫様!ヤーツェルひめさま~!」
ヤーツェルの朝は、この声から始まる。
「ぅうぅ~ん…」
「ひめさま!起きてください!朝ですよ!」
ヤーツェル付きの女官、リエラはヤーツェルを優しく………はなく、激しく揺さぶる。
ヤーツェルは朝に弱い。
いくら王女さまとはいえ、遠慮がちに起こしてなぞいたら、いつか昼になってしまうとリエラは知っていた。
「ひめさま!」
「ぅ~、った!」
今度は布団を激しく剥ぎ取る。
ヤーツェルは布団に巻き込まれて、床に落ちた。
それでも目を覚まそうとしない主人の神経に、リエラは驚きを通り越して呆れしか感じない。
「ぅー、りえら…」
「ひめさま、まぁた、夜更かししましたね?目が真っ赤ですよ。」
「えっ、?!ち、ちがうよ。し、してなっ………ぁ…。」
慌てて否定するも意味がない。
リエラが枕の下から本を取り出したからだ。
「…………。」
「あぅ…。ごめんなさい…。」
「…。」
リエラは困ったように、ため息をついた。
ヤーツェルはまだ、床に座り込んだままだ。
リエラは本を小机に置いて、ヤーツェルを立たせた。
「…リエラ、怒ってる…?」
「そんなことありませんよ。ほら、ひめさま、着替えましょう。」
「うん。ごめんね。」
申し訳なさそうに、王女さまなのに自分にまで謝ってくるヤーツェル。
彼女を、リエラは勿体無いと思う。
うっすら紫がかった銀髪は真っ直ぐで癖がなく、肩の下で切り揃えられている。
左目はアイスブルーの澄んで曇りのない瞳。
右目は…世に言う〝破壊の眼〟。
初めて会ったときには、まるでお人形さんみたいな子だと思った。
それも、市井で売られている
そして、優しい心を持っているのに…
(……呪い子だから、と忌まれるなんて…)
そして、そうヤーツェルに言っても、本人は「良いのよ」と笑って許すのだ。
「リエラ?どう?おかしくない?」
リエラははっと我に返った。
「え、ええ…お似合いですよ。」
「そう?」
ヤーツェルは裾のフリルを弄りながら言う。
「兄さまったら、大量に贈ってくるんだから……。」
(私なんかどうでもいいのに…)
と、ヤーツェルは思う。
リエラがベッドを整えながら、
「王さまと聞いて思い出しました。姫様、今日は王さまがいらっしゃる日ですよ。」
「え?」
兄さまが?
来る?
アエルイゼの離宮に?
ヤーツェルは驚いた。
ポカンとしている。
「………なんで?」
(だって……王宮から
困惑顔のヤーツェルを置いてきぼりにして、リエラは掃除の手を休めずに、答える。
「さぁ知りませんねぇ…。でも、よっぽどのことなんでしょうね、姫様。」
それくらいヤーツェルにも分かる。
ヤーツェルは少し期待はずれだったので、不機嫌になった。
「さぁて、ヤーツェル姫様、朝ごはんですよ。」
リエラはヤーツェルに、広間へいくよう促す。
誤魔化されたのかな、とヤーツェルは思いながら、掃除の邪魔にならないように、部屋を出た。
*
(気持ち良い風だなぁ)
ヤーツェルはぼーっと虚空を眺めた。
前庭の噴水の水は遊ぶように吹き上げられ、そのまわりに植わっている春の花は鮮やかな色合いを呈している。
小鳥の鳴く声もする。
遠くに見える新緑に彩られた山々と、晴れ渡る青空。
ピーヒョロロロロロ…
(鳶かな………獲物でも見つけたのかな…)
(そういえば朝ごはん、また冷めてたな…)
なんて、石畳の階段に腰掛けていると…
パカッ パカラッ パカッ パカラッ
馬の蹄の音と、馬車の車輪の音。
御者のならすムチの音がした。
慌ててヤーツェルは立ち上がり、裾をはたいた。
そのタイミングで、ヤーツェルの気持ちを知ってか知らずか、
(わぁ…)
豪奢な馬車が前庭を入ってきた。
金や宝石を使って飾られた馬具に馬車、そして馬車の扉につけられた紋章を見れば、これはいったい誰なのか、一目瞭然だ。
ヤーツェルがぼーっと馬車(と、主に馬に)見とれているうちに、馬車からは侍従が出てきて踏み台を用意した。
「ああ、着いたのかな。ルカ、そこまでしなくても自分で降りられる、大丈夫だ…………ヤーツェル?」
その声で、はっとヤーツェルは我に返った。
(いけないいけない、スッカリ忘れてた…)
「あ、兄さま…」
「やぁ、ヤーツェル。久しぶりだね。」
馬車から出てきたのは、自分と同じ色素を同じところに持つ人。
ただ、自分と両目の色が逆なだけだ。
そう、ヤーツェルとその兄……この国の国王だが……は、双子の兄妹なのである。
ヤーツェルは型通りのお辞儀をして、
「はい、兄さま、お久しぶりです。あまり、立ち話も難ですから…」
「そうだね。」
王は頷くと、侍従についてくるように命じた。
ヤーツェルの案内で玄関ホールを抜けて、廊下を歩き、庭まで向かう。
「どうだい、ヤーツェル?ここは過ごしやすい?」
「はい、(問題は)特にはありません。」
歩きながら、王がヤーツェルに話しかける。
(だけど、兄さま……声、大きすぎない?)
と、ヤーツェルは思った。
だってほとんど人に聞かせてるみたいだ。
一メートルと離れていないのに、そんな、叫ぶような大声を出さなくても…
(…人に、聞かせる?)
ふと、ヤーツェルの脳裏にある考えがよぎる。
(だけど、まさか…)
気づいてないよね…?
「あれ、ヤーツェル、これは何かな?」
「え…?」
思案にくれていると、いつのまにか兄はヤーツェルを抜かして、少し前にいた。
「この扉さぁ……」
廊下の、何ともない、ごく普通の部屋のひとつ。
王がその扉のノブに手をかけて開けたとたん、
ガッシャーン!
(…!いけない!)
扉に仕掛けがしてあったのだ。
扉の上から空っぽのバケツや水差しが落ちて転がった。
ヤーツェルは慌てて兄のところに駆け寄る。
「兄さま、ケガは…」
「ん?無いよ。」
危険を察知していたのか、扉からすぐに身を引いていた王は、見事に落下物を避けていた。
そして、へらり、と笑っている。
「ごめんなさい、ついうっかり」
「違うよねヤーツェル?」
王はヤーツェルと向き合う。
顔には笑みを、しかし恐ろしい笑みをたたえて、ヤーツェルの両手を握った。
まるで、逃げるのを許さないかのように。
「ヤーツェルの身長じゃ、こんなところは届かないよねぇ?」
「っ……!」
(ば、ばれてる…!)
王は暗に、ヤーツェルが仕掛けたわけではないことを言っているのだ。背が小さすぎて、扉の上に仕掛けができるわけがないと。
そして、ヤーツェルを使用人達がいじめようとしていることに、気づいている。
「誰がやったんだろうね?まさか、王女さまにこんな仕打ちをする人はいないと思うけど…、もしそれが本当なら、王家は侮辱されているのかなぁ?」
「に、兄さま!」
にんまり悪い顔をして、王は言う。
しかも、大声で。
(…私のせいで、このままじゃ、使用人の皆が罰を受けることになっちゃう…!そんなの、いけない!)
そう思ったヤーツェルは、
「兄さま、あんまり苛めないで。私は何ともなかったし、あれは…、あれはただの家付き妖精のイタズラよ。たまにこう言うことがあるの。だから、」
「わかったわかった。」
困り顔で弁明するヤーツェルに王は降参だ、とばかりに軽く両手をあげて見せた。
しかし、皮肉は忘れない。
「仕方ないなぁ、ヤーツェルのおかげだよ?ただの家付き妖精さん?」
「兄さまっ?!」
あははは、と王は笑う。
そして、ヤーツェルの頭をぽんぽん、とした。
(この子が嫌われる理由なんて無いのに………ただ、呪いがあるだけで、こうなんだろうな……。)
と、考える。
両親がそうだったように。
民にまで忌み嫌われて。
恨んでもいい。憎んでもいい。
その〝破壊の眼〟ですべてを壊してもおかしくはない。
だけど、本人は――――
「兄さま?行きましょう?」
そうやって、申し訳なさそうに笑って、首をかしげてこっちを見ている。
「…………そうだね。」
「?」
(もし、呪いがなかったら………どうだったんだろうね。)
何百回もした問いを、繰り返さずにはいられてない。
もし、そうだとしたら…
(きっと自分は今、王位についてなかったし)
(きっとヤーツェルはヤーツェルでなかったし)
(あんな酷い目に遇うこともなかった。)
王家の呪い子 空星月花 @sorahoshi_gekka
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