終章
「
一週間後。
れんげと守弘は、無事に開催された『自動車展』の入り口で待ち合わせしていた。
秋晴れの、いい天気だった。
準備に少し手間取ったれんげが、濃紺のライダージャケットにジーンズ姿の守弘に向かって手を振る。
「お、おう――高野」
「すみません、待ちました?」
「いや、大丈夫だ」
「あっ」
れんげは守弘に人差し指を立てた。
「
「あ。
――ごめん」
「いいですよ」
この日のれんげは、和装だった。結局翠穂と選んだ洋服にはせず、今朝になって着物に決めたのだった。淡い萌葱の地に散りばめられた紅葉の柄。それに合わせた薄化粧。
小走りに走ってきたれんげを確認した時に守弘は一瞬目を疑い、それから奪われた。
「急いで着たものですから、
「そんなの、わからないって」
しきりに帯の下を気にするれんげに苦笑して、守弘は彼女を促した。
「そういえば、あの子とかはどうなったんだ?」
館内は混み合ってもなく、程よい人の数だった。
「ええ。瑞さまはすぐに帰られたのですが――」
「ん?」
「帰られる前に、どこかから――その、ほとんど原型を留めていなかったあの蛙の死骸を拾って来られて……」
「ぅわ……」
「瑞さまがおっしゃられるには、烏か何かにやられたのではないか、と――」
思い出したのだろうか、れんげは細い眉をしかめる。守弘も想像力を総動員させてその光景を脳裏に思い描き――気持ち悪そうに口を歪めた。
「そりゃまた……エグいな」
「『なかなかの余興だった』と言い残して帰られました」
「そっか。
なぁ、瑞さまって鬼なんだろう? もし瑞さまが退治に動いたら――」
「即座に済んだでしょう。
でもそれでは――私が不要な存在になります。私は極力、自らの手で同類を鎮めて発心に導く役目でありたいのです」
「なるほどな。悪いこと言っちまった、ごめん。
じゃあ、あの瑞さまには出しゃばってほしくないんだ」
「ええ――今回はお一人だったので、本当にただ傍観のつもりなのだったと思います」
「というと?」
「護法童子――鬼は通常、二人一組で強大な力を発揮するのです」
簡単に説明してから、れんげは話題を戻す。
「それからハンドルのあの子は――」
「ああ、そうだ」
守弘はれんげに小声で言う。
「デモ走行の、代替品のハンドルを用意してあるらしい」
「あ、そうなのですね」
れんげは表情を和らげるが、すぐ不安げな面持ちになる。
「あの子、つい先日まで<九十九堂>にいたのですが……」
「ん?」
「昨夜から姿が見えないのです。
何も言わずにどこかへ発ったのかも――」
「そっか……」
れんげが、あの少女を引き取ってそれまでのことなどなかったように親切に世話していたことは守弘も知っている。あの日からあと、守弘も何度か少女と会って話もしていたし、少女が徐々に子供らしい明るさを得ていってれんげと、それに守弘にまで姉や兄に接するように慕ってうち解けてきていたことも。
それだけに、残念な気分を味わう。
――二人は例の、百年前の車の前にやって来ていた。
「これが――」
れんげも、守弘も立体造形として見るのは初めてだった。
「美しいですね。
あの子、このハンドルだったのですね……」
「そういやさ――」
守弘はどこか感慨深げに呟くれんげに、言う。
「この車な、先端技術って言ったよな。
当時これを造って売るために、開発を依頼した富豪が『堅苦しい名前では人々の好みにそぐわないだろう』ってことで付けたのが、当時十一歳だった――その富豪の娘さんの名前だったらしい」
「……!!
お嬢さんの――」
「どんな姿に化けるのか、ってよくわからないけど――そういうのも関係あるのかな、ってちょっと思ったんだ。
ほら、なんて言うか……あの子、日本人ぽくなかったし」
「……おそらく」
れんげは考えながら言葉を続けた。
「変化前の『想い』や関わったものが影響する可能性は大いにあります。
まったく異なるものになることもありますが……」
納得したようにれんげは優しい微笑みを浮かべる。
「あの子は、そうだったのでしょう。守弘さんの言う、そのお嬢さんに似ているのかも知れませんね」
「そっか。
――どこかで、元気にしてるといいな」
「そうですね。
あ、ほら。あちら、試乗の受付のようですよ」
れんげ指さした先に小ぶりのテーブルと、係員らしい名札を付けたブレザーを羽織った男性がいた。守弘は頷いてその男性の所まで行き、数語交わしたあとれんげの所に戻ってきた。
「順番待ち、一時間半超だって。
――どうする?」
運転できるとあってか、すでに申し込みが殺到していたらしい。
れんげはくすりと笑った。
「私に聞かなくても。
守弘さん、乗りたいのでしょう?
待ちますよ。その間どこかでお話でもしていましょう」
博物館の展示を一通り見て、れんげと守弘は博物館の裏口――デモ走行の車が出入りする所からほど近いベンチに行った。
先に座って待つれんげに、守弘が売店で買ってきた飲み物を渡そうとしたその時、遠くから幼さの残る高い声が聞こえた。
「見っつけたぁ~っ!!」
ローティーンの少女のそれからは逸脱した速度で一気にその距離を詰め、ふわふわのワンピース姿で守弘に飛びついたのは――ハンドルの少女だった。
「わっ!?」
「あ、あなたっ!」
「お兄ちゃん、探してたんだっ」
守弘の腰に抱きついたまま少女は嬉しそうに言う。
「時々来てたあの鋭いエンジン音! あぁ、これはあたしの王子様のものだわ、っていつも思ってた♪
お兄ちゃんのトコ行っていいでしょ? ね、お~願いっ♪」
「ちょっ――離れなさいっ」
「やぁ~よ、れんげお姉ちゃん。ね、お兄ちゃんお名前は?」
真下から見上げる無垢な瞳に守弘はたじろぐ。少女ははっ、と気付いたようにハグを解き、スカートの両端をつまんだ。
「まず自分から、よね。
あたしは――うん、
「た……高野、どうしたらいい?」
「守弘さんっ」
「――あ」
「今度は返事しませんよ。
メル? あなたもいい加減にしなさい。守弘さんが困ってらっしゃるでしょう」
「モリヒロっていうんだ。よろしくね、モリヒロお兄ちゃん♪」
れんげの制止を意にも介さず、メルと名乗った少女は守弘の腕にしがみついた。
「高野ぉ……」
困ったように守弘は言う。
しかしれんげはぷいっ、と顔をそむけてしまう。
苦笑と微かな紅潮とほんの僅かな不機嫌の混じった表情を浮かべていた。
れんげは、人付き合いに対して一歩踏み込むこと――踏み込んで付き合える人のできることを、心の底から楽しみはじめていた。翠穂とも、守弘とも、もっと深く接しよう、そう思っていた。
人として生を愉しむ、そのことに幸せを見出せかけているれんげだった。
まずは翠穂と守弘。名前で呼び合う仲になろうとれんげが思い、実践をはじめたのはつい先日のことだった。
翠穂はすぐに歓迎し、守弘は未だに慣れていない。
が。
「れ――れんげ……っ」
「はい?」
照れ照れに絞り出した守弘の声に、れんげはさっと反応する。
「れんげ、この子どうにかしてくれ……」
今度ははっきりと、守弘は言う。
れんげはくすっと笑って、ハンドルの少女――メルを後ろから抱きしめた。
「守弘さんの所に行きたいのですか?」
「うん! モリヒロお兄ちゃんのトコに住むの♪
ね、いいでしょ、れんげお姉ちゃん」
「本人の了解もなしに、駄目でしょう。<九十九堂>に戻っていなさい」
「イ・ヤっ!」
メルはれんげを振り払い、舌を出して守弘から離れようとしない。
「ね、お兄ちゃん、いいよね?」
「~~~っ」
守弘が声にならない音を喉の奥から捻り出し、蒼天を仰いでかられんげに助けを求める。
れんげはあと少なくとも一時間半はこの少女は守弘にくっついたままだろうと思い、なんとなく妬いて、少し憮然として、ベンチに再びすとんと腰を下ろした。
でもそれはどこかやはり、楽しくもあった。
付喪神蓮華草子 あきらつかさ @aqua_hare
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます