第2話オオカミの森で

森に入る前の野営でのことだった。

右手の中指と薬指を欠いた班長が言う。

「人間に比べるとオオカミは小柄なように思うだろうが、体当たりされてみろ。大男に突進されるくらいの力がある。それがこの結果だ」

班のだれもが、差し出された右手が傷が、酒場でのしょうもない喧嘩の末の銃の暴発の結果だと知っていたが、一応は真面目な顔をして頷いた。

スコップを持ったぼくたちの行列は、その森のなかに入った。獣道、人の道。ぞろぞろと一列になって、アリの行列。前に人、後ろに人、緊張感もまるでない。

そんななかで、ぼくはもよおした。長い長い列だ。また戻ればいいだろう。ぼくはそう思って、列から抜けだして、針葉樹とシダの森の中に入った。小用を足した。なにか充足感があった。ぼんやりとしていた。ぼんやりとしていると、視界に異変を感じた。ぼくを睨む両の目があった。オオカミだった。

ぼくは凍りついたようになった。オオカミを見るのははじめてのことだった。目をそらさずに、とりあえず自分のものをしまった。地面に刺してあったスコップにゆっくりと手を伸ばし、掴んだ。スコップの先は前の夜に砥石で研いだばかりだった。だからといって、オオカミに対してどれだけ抵抗できるのか想像もつかない。

ゆっくりと、右に目をやる、左に目をやる。気づきたくないものに気づく。最初のオオカミより少し小さなオオカミが三匹、こちらを見ていた。囲まれているのだ、とさとった。

こんなときどうすればいいのか。アリの行列にすぎないぼくたちには、なに一つ教えられていなかった。ただ、スコップをゆっくりと構えた。なにごともゆっくりと動くべきだとぼくの本能が告げていた。スコップを構えて、一歩下がった、二歩下がった。二歩下がって、大きな木の根に脚が当たったのに気づいた。ぼくは立ち止まった。オオカミたちは動かない。じっとぼくを見ている。

意を決した。瞬間の判断だった。ぼくは正面のオオカミに背を向け、一目散にかけ出した。シダを踏み、地表に出ている根を飛び越し、とにかく走った。走って、走って、とにかく走った。走ったさきに人間の行列が見えた。オオカミの気配はもうなかった。

ぼくはぼくの班の列にもどるとスコップを片手にアリの行列を続けた。それ以外にすることはなにもなかったし、だれかになにかを話そうとという気もおきなかったのだ。

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穴を掘っていた 黄金頭 @goldhead

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