最終話 命尽くし、再燃

 騒がしい。

 そう思って目蓋を開いても、光は半分しか入ってこなかった。どれだけ動いても同じで、左側の光景がバッサリ途絶えている。

 第一、ここはどこなのか。

 全身の感触に意識を配ってみると、ベッドで横になっているのが分かる。左目以外に違和感がないのも、実際を兼ねて確認できた。

 天井は白い。木材ではなくタイル張りで、行き過ぎた白さが無機質な感想さえ抱かせる。

 ベッドの周囲にはカーテン。人の話し声は聞こえず、慌しい足音だけが過ぎていく。

 どうも病院らしい。

 暴走症を患っている魔術師を入れるなんて、随分と大胆な病院だ。ダイナマイトを持ち込むようなものだろうに。……あるいは、暴走症を専門に扱う病院なのか。

 角利は静かに記憶の糸を辿る。――フェイが死んで、御法には手も足も出なかった。ドラゴンの一撃で吹き飛ばされた筈だ。

 意識を失ったのだろう、回想はそこで途切れている。ならここ、実はあの世だったりするんだろうか? 天国なのか地獄なのか、煉獄なのかはサッパリだが。

 しかしカーテンの外から聞こえる喧騒は、どう考えても人の世界。

 経緯はともかく、自分は生き残った。そして治療のため、ベッドの上に転がっている。

 確認を取りたい欲求を堪え、角利は右手を上げてみた。

 変化は、更に深刻化している。

 恐らくは右腕全体。感覚自体に変化はないが、布の盛り上がりを見るに正解だろう。

 他の生物に入れ換わっている実感はない。己の意思で動かせるし、日常生活も問題なく営める。時間制限が可視化したぐらい。

 だから、致命的だった。

 こんな場所にいるべきではない。大勢の人を巻き込む前に、猫さながら消えるべきだ。


「はいはい、妙なことは考えないようにー」


「……」


 深刻のしの字もない声には、怒る気力さえ湧かなかった。気落ちしている人間には明るささえ毒だと、この女分かってるんだろうか?

 もっとも、彼女が前向きなのは抑揚だけ。表情は珍しく暗い。


「左目、どう? 見える?」


「いや、これがもう全然。……失明したんスか? 俺」


「えっとね……まあ思ったより元気そうだし、見せても大丈夫かな」


 言葉使いだけで、自身の起った変化は想像がついた。

 なら然して驚く必要はあるまい――包帯を解かれながら、即席の覚悟を決める。

 渡された鏡に映っていたのは、顔半分が別の生物になった化物。

 顔は左半分、頬から上が動かない。目蓋を降ろしたままだ。眠っている――なんて表現は、あながち外れでもないだろう。

 この半顔が目覚めた時、角利という存在が消えるのだから。


「……神宮の方だけどね、まだ薬草は見つかってない。専門の魔術師が言うには、厳しいだろう、って」


「……」


 呆気なく希望は断たれた。

 しかし驚く気分にはなれない。ありえる展開だったし、範囲も範囲だ。数時間で見つかるものではあるまい。

 他の場所に捜索の手を広める候補もある。が、果たして間に合うのかどうか。

 世界の中で、人の手垢に染まっていない場所はかなり少ない。明治神宮の森だって、土台は人工林だ。天然に近いが、それでも人の手が入っている。

 魔術は、文明に殺されるしかない。

 泣きわめくことが出来れば、いっそどれだけ楽だろう。この先に待っている結末を、冷たい悲観の中で過ごせれば。


「ここは政府で保護してる病院だから、ひとまず安心していいよ。一応、症状の進行を抑える薬草はあったし」


「驚きッスね。てっきり、疑わしきは殺されると思ったんですが」


「さすがにそこまでは。虐殺、って形になったら、一般人の心証も悪いしね。しばらくは御法さんも手を出してこないと思うよ」


「だといいんスけど……」


 予断は許されない。ドラゴンなんて超兵器を彼は保有している。その気になれば正面から攻めてくるだろう。

 ――諦めた方がいい。

 冷静な自分はそう解答する。生きることを諦めろ。希望を抱いたって、等しい量の絶望を味わうだけだ。

 生き物は遅かれ速かれ死ぬ。今回は単に、それがちょっと早くやってきただけで。


「どうするの?」


 質問というより、試すような言葉。

 生きるか死ぬか。天秤は決定的に覆せない。感染源であるフェイが死亡した以上、あとは御法が被害を広げるかどうかの問題だ。そして角利は、祖父に対抗する手段を持たない。

 死に場所へ向かうか、足を止めるか。

 判別はその二つを比喩している。どちらも絶望。何かを生み出すことも、残すこともない。


「……私が言っても説得力に欠けると思うけど、下手に悩む必要はないんじゃない?」


「というと?」


「君の仕事は何?」


 ギルド・四治会の責任者。

 ああ、別に難しいことは何もない。正式に認められているギルドではないけれど、自覚できる職務はそれだけだ。

 しかし、現状はどうだろう?

 座して死を待つだけ。選ぼうとしている未来は、ソレの放棄ではなかろうか。

 仲間がやられたんだ。

 落とし前は、きちんとつけなければならい。


「――俺、ちょっと出かけてきます」


 ベッドから飛び起きる。

 心はすっかり晴れ模様。未来よりも、いま成すべきことが見えている。


「……そっか。ならお姉さんが道案内するよ。箒は予備があるだろうし」


「いいんスか? 危ないッスよ」


「ただ見送るだけじゃ、きっと後悔するもん。きちんと最後まで、見届けてあげる」


 差し出された手。

 きっと最後の温もりになると、角利も人間の手を差し出す。

 直後。

 爆発が、病院を揺さ振った。


「な、何!? ここは政府の建物で――」


「由利音さん、屋上!」


 漆黒の巨影。地上を睥睨へいげいする眼差しは、見間違えることなど出来ない。

 敵がご丁寧にも、やってきてくれたのだ。


「じゃあここで! 運が良ければ土産みやげ話でもするッスよ!」


「期待してるね!」


 見送る両手に返事をして、角利は階段を上っていく。

 屋上へ近付くにつれ、人の数は減っていった。いずれもこちらを呼び止めず、一目散に避難していく。

 代わりは、テュポーンのメンバーのみ。


「退け……!」


 フェイの戦いぶりから、実力差は言うに及ばず。

 竜の手で魔剣を操り、反撃も許さず蹴散けちらした。いや、もはや攻撃ですらない。魔物と化した片腕は、それだけで武器として通用する。

 人を殺してしまう――その危機感さえあったかどうか。頭の中にいる別人が、倒せとひたすら叫んでいる。

 病魔との距離。この声が耳元まで近付いた時が、角利の最後となるだろう。

 屋上のドアをぶち破る。

 一人の少女が、角利を待ち受けていた。


「ふむ、暴走症によって力が増したか。こうも早くやってくるとは」


「いいのか? ジジイ。俺の相手なんかして」


「ワシは掃除が好きでな。一度始めると、終わるまで止められんのだ」


「そりゃあまた、ご苦労なことで」


 主人をけなされたと思ったのか、御法の背後にいるドラゴンが咆える。

 最大の脅威をじっと観察する角利。しかし意外にも、敵はドラゴンを空へと戻した。


「加減をしてやろう。ワシの身一つですら、いまの貴様では勝てんだろうがな」


「言ってろ――!」


 抜刀。

 門が開き、魔剣が飛ぶ。

 御法は極めて冷静だった。一本ずつ軌道を読み、避ける、弾くの二択で捌いていく。最初に戦った時と同じ流れた。

 変更点は、角利本人だけ。

 疾走する間にも身体は魔物と化していく。反対に増幅する身体能力。人の機能を制御するかせを外し、本能のまま叩き付ける――!

 御法はまったく怯まず、回避と刃を織り交ぜて対処した。

 鍔迫り合いになれば、一瞬でも流れは引き寄せられる。が、そこまでだ。押しきれないし、彼の反撃はしのげるレベルを超えている。


「くく……」


 老いた器から考えられない連撃。一度始まれば、受け手は防御で限界になる。

 魔剣が砕けた、一瞬の無防備。

 首目掛けて、一閃が突っ走った。


「っ!」


 直後、角利の身体にも異変が起こる。

 本当に些細な、あっさりとした破裂音。

 人の皮が弾け、竜の総身が剥き出しになった。

 強引かつ豪快な金属音が口から響く。即死を狙った御法の刃を、牙が寸前で噛み堪えたのだ。

 今度は敵が無防備を晒す番。跳ね上がった爪が、御法の皮膚を裂きにいく。

 回避は間に合わず、袈裟切りに似た傷が残った。噛んでいた御法の魔剣は砕け、追ってコンクリートの上にが続く。


「――?」


 それに違和感を覚える角利だったが、直ぐ敵の方へ向き直った。

 意識はどうにか保てている。魔術の発動も問題ない。

 ただ、頭の片隅で聞こえていた声は巨大化していた。可能なら、力の限り両耳を塞ぎたいぐらい。戦え、殺せと、黒い本能が押し寄せる。


「ほほう、ドラゴンとはな。お前がワシのように感染力を持っておれば、代わりの器でも紹介したところだ」


 鳴らされる指。待ってましたと言わんばかりに、先の巨竜が帰還する。


「遊びは終わりとしよう。この一撃にもう一度耐えられるなら、続けてやらんでもないがな」


「――!」


 限界に達する光、雄叫びを上げる角利。

 激突した先、突き進むのは――


「ぬ!?」


 発射の直前、御法のドラゴンが仰け反った。

 予想外の展開に全員が虚を突かれる。宙に散らばった光の粒。魔力で構成された物が、妨害の主因だった証拠だ。

 三者の視線が向かう先には、一匹のワイバーン。

 例え下位の存在だろうと、まったくの無力というわけではないらしい。火炎の弾丸は二発目も命中。姿勢を崩す。

 だが次の瞬間、角利は疑わしき存在を認めた。

 テュポーンのメンバーだ。

 ワイバーンの背に、紅いフードを深く被った少女がいる。


「貴様……何者だ!? そのワイバーン、支配下に置いておろう!?」


「――ええ、その通りです!」


 声は。

 もう二度と、聞けないものだと思っていたのに。


「モルガン!?」


「はい、間違いなく私です。まあ驚きますよね。私、ワイバーンに喰われて死んだはずですよね?」


 しかし、魔物と化した幸成の背にいるのは間違いない。本人だ。

 だとしたら、


「あの時ワイバーンに喰われたのはオークです。御法さん、言いましたよね? 私には魔物を支配下に置く能力があると」


「まさか――」


「はい。オークに私の格好をさせ、ワイバーンを動かして一芝居うちました。何せ――」


 口端を上げ、彼女は誇らしげに言う。


「――早着替え、得意なんです」


 御法を炎の嵐が襲った。


「ふんっ!!」


 すべて容赦なく撃ち落とされるだけ。無謬むびゅうの武錬に、仕掛けたフェイも顔色を失う。

 だが。

 隙さえ作ってくれれば、あとはこちらが引き受ける……!

 角利の突進に合わせ、ワイバーンの連射が緩まった。眉を潜める御法。気付いた時にはもう遅い。

 しかし、変化は突然に。

 彼の使っていた肉体が、突然膝をついたのだ。

 代わりにドラゴンが咆哮を上げる。三度目の正直として、再び光を撃ち込むために。

 不利だと断じ、ドラゴンの方へ意識を移したのだろう。


「会長!!」


 言われなくても分かっている。

 間髪入れず解放される光。角利には策略などない。真っ向から挑み、超えることしか頭にない……!

 溶ける全身を無視して、突き抜ける。

 ドラゴンの喉を貫いたのは、それから間もないことだった。



 落ちた、のだと思う。

 今度こそ指先一本動かせない。鎧代わりの甲殻は溶け切っていて、骨まで溶解している感覚がある。痛みを感じないのは、ドラゴンの成し得る技なんだろうか。

 首を動かせば、自分の数倍近くはある巨体が。

 空気はすっかり静まり返っている。最後の最後、御法は意思の転移が出来なかったんだろう。これで墓穴へ入ったわけだ。


「話せますか?」


「――」


 聴覚がやられているのか、音は途切れ途切れにしか聞こえない。

 それでも動ける範囲で、角利は顎を引いた。いつも通りの冷淡な返事が聞こえて、もう会えないと思っていた少女の顔が目に入る。


「会長は生き残る、という思考がないのですね。特攻隊長か何かですか」


「……」


 笑ってやりたいが、今はそんなことも出来ない。

 暴走症、ドラゴンから受けた傷――角利の身体はすでに死んでいる。視界からは確認できないが、頭部も半分以上が溶かされていた。

 意識があって、声を聞けるだけでも奇跡。これ以上の贅沢は罰が当たる。

 熱いだろうに、フェイは無言で頬を撫でた。


「お休みなさい、会長」


 最後に、そんな言葉を残して。

 安心感から、角利もゆっくり目蓋を閉じる。胸の中は達成感で一杯だ。フェイは生きていたし、あの憎たらしい祖父を倒せた。生きていたら心の傷は深くなるんだろうけど、それを知る機会はやってこない。

 火はここに、尽きるのだから。





 一面の緑がある。

 北から運ばれた風は、優しい波となって草原を走った。木々もそれぞれに揺れ、益体やくたいのない感想へ同意を示しているようでもある。

 空は雲ひとつない青。飛び立てばどこまでも行けそうな、清々しいだけの自由な世界。

 見上げているのは一人の少年だ。後ろ姿には情けないぐらいの戸惑いが宿っている。自分の力じゃどうにもならないって、諦めたのは向こうだろうに。

 とりあえず呼ぼう。あまり距離が離れると、形を維持するのが難しくなる。


「ほら、会長!」


 叱るように、少女の声が四治角利を振り向かせた。

 すぐに戻ってくる彼。向こう側の風景は透けていて、実体が無い存在であることを比喩していた。

 月並みに言ってしまえば、幽霊である。

 いや、それも少し語弊ごへいがあるかもしれない。そもそも仕掛け人、フェイ・モルガンは幽霊なんぞ信じちゃいない。魔術師だけれど、魂という存在にも疑いの目を向けている。

 だから角利の存在はもっと別だ。仕組みとしても、死人とはちょっと違う。


「早く行きますよ。向こうを立って三日――そろそろ、目的地が見えてくる頃です」


「そ、そうなのか。……しかし、本気で山奥に引き籠るのかよ?」


「当り前です。私が社会に出れば、また被害者が出ますから。かといって死にたくはないので、除去法で」


たくましいやつだなあ……」


 声色に疲労を混ぜて、呆れながら彼は言った。

 ここ数日で分かったことだが、彼は自分の生存が気に喰わないらしい。まあ確かに、あれは悪くない散り際だった。本人も悔いはなかったようだし。

 だがフェイにすれば、気分が悪いことこの上ない。

 なので生かした。やり方は単純明快。


「主人に対して聞く口ですか? 今の貴方は、私の中に憑依した人格に過ぎません。二重人格と評したいところですが、それより性質が悪いと思いますよ?」


「……まあ、もう一人の自分、って感じじゃないよな。どうなってんだよ」


「以前も説明しましたが、御法さんが友香さんに行った人格の転移に近いですね。それぞれ独立している辺り、私の方が高等でしょうが……なぜ驚くんですか?」


「いや、自分の直感だけでやったんだろ? 全部」


「否定はしません。ですが、実行可能なのは予想できましたから。あとは根性ですね」


 角利は再び絶句。ありえねえ、と顔に書いてある。

 確かに、フェイも驚きはした。一芝居うつ際の魔物達はともかく、人間の精神に発動するだなんて。

 しかし運良く成功し、彼は中身だけで生きている。

 何かが好転したわけじゃないけれど、完全に消滅するよりはマシだろう。器の方に都合をつければ、疑似的な蘇生だって可能かもしれない。

 山奥に籠るのはそのためでもある。風の噂によれば、老賢者が住んでいるとか何とか。

 まずはその賢者に事情を説明し、解決策を聞いてみよう。駄目な時はまた、別の情報を頼りに行けばいいだけだ。

 逃げるなって、言われたから。

 自分の欲望には、もっと素直になろうと思う。


「……なあ、いつからだます気だったんだ?」


 三日ぶりの質問。逃走を始めた初日に問われ、忙しいから後で、と拒否した答え。

 真紅のローブを纏ったまま、フェイは短い前置きから始める。


「会長の部屋で話し終えた頃ですかね。由利音さんと相談して、一芝居うってもらいました。敵を騙すにはまず味方から、と言いますし」


「そんな気配、全然しなかったぞ……」


「女性の仮面はそう簡単に見抜けませんよ。――まあ後は、会長の知っている通りです。私は紅い影に紛れこみ、あの場を脱しました。衣装は力尽くで奪いましたけど」


「ほうほう」


 言っている最中に、フェイは自分の状態を再確認する。

 自分に憑依している状態とはいえ、ここには男の目があるのだ。ローブを抱きよせる力も、自然と強くなってしまう。


「? どうした?」


「……ジロジロ見ないでください。私、ローブの他に下着しか着てないんですから」


「――」


 想像してませんでした、と言わんばかりの間抜け面。実態があれば引っ叩いているところである。


「って、そりゃあそうか。服着せて騙しやがったんだし」


「三日経っての反応とは思えませんね。――まあ身代わりをさせたオークには、申し訳なさで一杯ですが」


「それは……」


 あの状況だ。利用した魔物が、暴走症の患者という可能性はある。

 背丈はフェイと変わらなかった。魔物化した際に体格が膨らむとすれば、もとの魔術師は年端もいなく少年少女だったろう。


「治る見込みがないとしても、残酷な仕打ちをしてしまいました」


「フェイ……」


「ですが、逃げるわけには参りません」


 歩くために。先へ進むと決めたのなら、罪科は背負わなければならない。

 生きて、生きて、生き抜いてやる。自分の存在、その結末を見届けるために。信じた行為を、世界という天秤で量るために。

 物語は、終わらない。


「さあ会長、ボーっとしている暇はありません。夜分遅くの訪問は失礼ですからね」


「了解だ、お姫様」


 角利と横に並び、緑の丘を歩いていく。

 幕を上げた舞台のように、光はさんさんと降り注いでいた――

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魔術師は現代社会に殺される 軌跡 @kiseki

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