第16話 近付く終幕

 直後、壁のような突風に襲われる。

 前方を飛行するドラゴンとの距離はあっという間になくなった。御法の輪郭りんかくもはっきりと見てとれる。

 更に加速し、追いぬく二人。ドラゴンは今のところ、抵抗する気配がない。一瞥すら向けておらず、角利たちのことはハエとしか思っていないんだろう。

 箒は徐々に減速。ドラゴンと並走して、行動する機会を探っている。


「降りるッスね」


「え? この中で!?」


 取り付く絶好のチャンスじゃないか。

 返ってくる衝撃を覚悟して、角利は迷いなく飛び降りる。

 着地に応じて、肉体は覚えている通りの受け身を取った。身体能力も魔術で強化している。見た目と同等の衝撃はない。


「やはり来たか」


 風は冷えた刃となって、孫と祖父の声を運んでいく。


「挑戦、無謀、おおいに結構。そうでなければワシも戦いようがない」


「相手が雑魚だとしても、か?」


「むろん、だからこそだ。意思があるのならばワシは応えよう。他人を足に使ったとはいえ、貴様は身一つで対峙しておる。――褒めておるのだ、よろこべ」


「……」


 慣れ合いはそこで終わった。御法が魔剣を手に、角利も自分へ命じるように合言葉を口にする。……手足の震えは誤魔化しようがなく、非道徳へのまっとうな恐怖を教えてくれた。

 本当なら切り捨てたい、人間としての倫理観。でなければこの敵には勝てない。

 しかし彼は、嘲笑うことも、加減もせず。


「行くぞ」


 まさしく突風となって、彼我の間合いを掻き消した。

 背後に固定されている魔剣の一本を手に、天空の剣戟が幕を開ける。

 切れ味、強度、魔剣単体のスペックは御法が上だ。三度も刃をぶつける頃には、角利の魔剣が使い物にならなくなっている。代わりはいくらでも用意できるが、このままでは……!


「ふんっ!」


 鎧袖一触。新しく出した魔剣も、ただの一撃で粉砕される。

 袈裟けさの一閃。

 肩から腰にかけて、容赦のない一撃が角利を襲った。

 ――しかし、振り抜いた直後の隙はある。


「行け……!」


 展開している魔剣を、一斉に叩き付けた。

 負傷を受けながらの反撃だが、魔力は徹底的に込めている。ゴーレムを粉砕した時、いやそれ以上の密度で、魔剣の壁は御法へと殺到した。

 かわせない。かわせるわけがない。

 だが。


「ふむ」


 これだけか? と言わんばかりのすまし顔で。

 一瞬のうちに、すべて叩き落とした。

 ――あとの結末は必然でしかない。体力を失った敵兵など、彼にとっては殺す価値すらないものだろう。

 だから、心臓を貫かれた。


「か……」


「恥じることはない。お主、ワシに今まで勝った試しがなかろう? にもかかわらず立ち向かったのだ。意味はあったろうさ」


 栓を抜かれ、飛び散る鮮血。

 だが。


「っ、は……」


 倒れない。

 死んだと理解できる傷でも、確かに命は残っていた。

 さすがの御法もこれは意外だったらしい。口元に手を添え、何やら思案に耽っている。……せめて少しぐらい焦ってくれれば、こちらも気力が出るのだが。

 御法は手を離すと、楽しそうに笑い始めた。


「なるほどな。角利よ、貴様も手遅れというわけか」


「手遅れ……?」


「小娘の妹と同じ、暴走症を起こしているな。まだ肉体の変化は始まっておらんようだが……いや、心臓を潰しても生きておるのだ。すでに変化していたか」


 では、と聞こえた直後。


「首はどうだ?」


 必殺の一撃が、今度こそ命を狩りにくる。

 角利は寸前、後退することで切先をかわした。反撃に撃たれる魔剣。無駄だと分かっていても、今はこの方法でしか抵抗できない。

 案の定、御法は同じように無力化した。神速の太刀筋は目撃さえ許さない。


「はっ、は――」


 身体は必死に心臓を動かし、酸素を取り込み続けている。

 なら戦える。

 絶対に、逃がすなんて出来っこない……!


「おお――!」


 二度目の剣戟が響く。御法は一歩も退かない。角利も、前へ一切進めていない。実力の差があり過ぎる。

 だが最低限。

 注意を引くぐらいの役割は、果たせるというものだ。


「ぬ!?」


 ドラゴンが揺れる。叫び声を上げている辺り、何かに激突したのだろう。

 由利音だ。彼女がドラゴンの横腹を打撃し、怯ませた。

 下から上昇する箒の後ろには、金髪の少女が乗っている。


「ふん、それがどうした? 貴様らが取り戻したところで、その女が世間にとって邪魔なのは変わらん。ワシの元へいる以上に、惨たらしい結末を迎えるやもしれんぞ?」


「かもな。でも爺さん言ったじゃねえか。――挑戦、無謀、大いに結構、ってな」


「ほう、面白い」


 角利もいい加減限界だ。迎えに来た箒を、乗るというより手で掴む。由利音が嫌な表情をしたが、ほかに手段がないので仕方ない。

 重量オーバー。由利音は最初から上昇を諦め、安全な降下を選びとった。


「ではしばしの間、お主に預けるとしよう。死にさえしなければ、ワシの計画に支障はないのでな」


 ドラゴンが、いっそう強く翼を振る。

 目前の脅威は撤退を開始した。とんでもない置き土産をいくつも残して。

 地上の人々は今も避難を続けている。空にいた最大の脅威について、認識も安心もなさそうだった。

 もっとも。

 知っていたところで、安堵する者は一人もいなかったろう。



 一行が逃げ込んだのは、角利の家――つまりは四治会の拠点だった。

 フェイが暴れたことと、表の騒動が重なって人はいない。幸いにして魔物もおらず、ひとまずの平穏が訪れていた。……耳を澄ませば悲鳴が聞こえる状態を、平穏と呼んでいいかは疑問だが。


「さあて、どうする?」


 傷だらけの角利に治癒魔術を施しながら、由利音は明るいまま呟いた。

 そんなことを聞かれても、即答なんて出来っこない。御法の目的は暴走症の拡散だ。フェイはそのために利用され、生きていれば構わない。


「名案なんて思いつきませんよ?」


「ありゃ、らしくないね。もっと諦めが悪い子じゃなかったっけ?」


「……今回ばかりは、ちょっと難しいッスね」


 自分が助けようとしている存在は、世界における毒そのものだ。

 角利の行動はもう、死を前にした人間のに過ぎない。フェイが仮に生き残ろうと、彼女は孤独でいるしかない。

 自分がせめて、暴走症にかかっていなければ。もう少し前向きな考えも出来たろうに。

 どうしろって、言うんだろう。

 どうやって助けろって、言うんだろう。

 無理だと喚くなら諦めるのが常道だ。最後まで責任が取れない行為は、フェイとって迷惑でしかない。御法に任せる方がまだ道徳的だろう。

 でも、そんな妥協はしたくなかった。

 ――どうして? 自分から自分へ尋ねる。昨日会ったばかりの少女に、そこまで肩入れする理由は何なのか。

 仲間だから? 助けられた恩があるから? 違う。そんな信念はもう、飾りさえならない。仲間だったら、助けられた恩があるなら、それこそ無責任な判断は捨てるべきだ。

 もうじき、四治角利という人格は消滅する。

 限られた時間で何を成し、何を繋ぐのか――フェイに対する衝動は、その答えと同じだ。


「……」


 考えを止めないようにして、角利は自分の右手を見る。

 それは、人ならざるモノに変化していた。

 手首から先が、完全に爬虫類――ワイバーンや、ドラゴンを思わせる変化を遂げている。鋭利な爪が生え、扱いに気をつけないと由利音に怪我を負わせそうだ。

 武装召喚の魔術が影響しているのか、甲殻の部分は剣でびっしりと覆われている。

 不治の病。いずれ来る暴走。

 終わりを、実感した。


「……とりあえず、由利音さんは逃げていいッスよ。暴走症にかかるの、嫌でしょう?」


「そりゃあそうだけど……君を置いて逃げるのも、後ろめたいんだよね。話も聞いたし、ギリギリまで手伝わせてくれない? お姉さんが魔物になった時は、遠慮なく殺しちゃっていいからさ」


「それは俺が嫌なんですがね……」


「あー、それもそっか。じゃあ猫みたいに消えるって寸法で。どちらにせよこの状況、君一人じゃどうにも出来ないって」


「……スンマセン」


 由利音は答えない。ただ、テレビ点けるよー、とほこりまみれのリモコンに手を伸ばした。

 チャンネルはどれも、異変の速報で埋まっている。大量の魔物が出現したとくれば、そりゃあ無視なんて出来ないだろう。テレビ局自体、反魔術師の一般人ばかりだし。世論を形成するには絶好のタイミングなわけだ。

 ニュースによると、学園周辺の隔離が急ピッチで進められているらしい。対抗戦力として出されたのは、魔術師と近代兵器で武装した軍人たち。犬猿の仲だろうに、仲良く肩を並べている。


「ふむふむ、もう向こうにはバレてるっぽいね。フェイちゃんが原因だって」


「じゃあテレビに映ってる連中、こっちに来るんですかね?」


「んー、どうだろうなあ。オークと睨み合いしてる状態だから、そう簡単には動かないと思うよ? 避難者の中から、必死に探してはいるようだけど」


「……」


 なら四治会から、この路地からは一歩も出られない。

 しかし、魔物に囲まれている現実もある。一刻も早くここから脱出し、フェイを安全な場所へ運ばなければならない。

 だが、どこに? どうやって?

 彼女は魔術師と一緒にいられない。ひょっとしたら普通の人間だって駄目かもしれない。

 その中でどうやって生活する? 人里離れた場所で暮らすとしても、社会がそれを許すのか? これだけの大事を引き起こした元凶に。

 楽観的な解答は出てこない。考えれば考えるほど、逃げ場がないことを痛感する。


「さて、治療は終了だよ。テレビは私がチェックしとくから、フェイちゃんの様子でも見てきたら?」


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


「頑張ってねー」


 現状が分かっているのかいないのか、やはり由利音は能天気だ。

 フェイがいる部屋まで迷う要素はない。ただ眠っているのを起こすのも気が引けて、あまり足音を立てないよう上っていく。


「さて……」


 自分の部屋だっていうのに、角利は妙な緊張感を覚えていた。

 まあ当り前なのだろう。アレだけの異変が起こって、何食わぬ顔で話せる方がどうかしてる。由利音みたいな、半ば考えなしのタイプは例外としても。

 ドアノブを掴み、不審者顔負けの慎重さで部屋を覗く。

 少女は、半身を起して外を見ていた。

 他人のベッドで眠っている点は、彼女的に然して問題ではないらしい。泰然としていて、フェイこそが部屋の主なんじゃないかと思うほどだ。内装が個性に欠けているのも、感想を後押ししている。


「――何か用ですか?」


 フェイは外を向いたまま、角利の存在を指摘した。

 この後に及んで観察する気はなく、しぶしぶ部屋の中に入る。まるで、直前の時間を惜しむかのように。

 見つめてくる両目は、いつも通り底が深い。こちらの不安なんてお見通しなんだろう。反対に、自身の不安は微塵も漏らす気がないようだが。


「起きてたんだな」


「ええ、つい先ほど。現在がいかなる状況下なのかも、由利音さんから教えていただきました。説明の必要はありません」


「そっか」


 手持ちぶさたに、勉強机の椅子を引く。

 それきり無言。フェイはまた外を眺め、角利もそれとなく観察する。傍から見れば喧嘩中の男女に見えそうだ。実際、そちらの方が話題は作りやすかったと思う。

 どんな風に、彼女を慰めればいいのか。

 単純な話ではない。御法の言がすべて事実なら、彼女はヴィヴィアが死亡する原因でもある。例え当人に悪意がなかろうと、事実は良心を締めつけるだろう。

 だから、安易に話を切り出すことが出来なかった。下手な言葉選びでは、返って彼女を傷付けてしまいそうで。


「――ずっと、疑問には思ってました」


「……」


「どうして私たちに接触した人が死んでいくのか、殺戮者なんて呼ばれるのか。気になって、魔術師用の定期健診を受けたりもしたんですよ」


 彼女はいつも通り淡々と、抱いていた疑問を口にする。

 角利は肯定も否定もしない。女性の愚痴を聞くときは徹底して聞くべきだ。……今回に限っては、返答する勇気がないというのが正しいけれど。


「御法さんは最初に見抜いたんでしょうね。私が彼と出会わなければ、平和な今日があったかもしれません」


「……それは仮設の話だろ。気にしたって始まらない」


「でしょうね。しかし、原因が私にあるのは変え難い事実です。だからこそ世間は私を攻撃し、正当性を示すでしょう」


 すでに、死は覚悟していると。

 視線を今も合わせない彼女は、暗い真実を言葉に混ぜた。


「妹は知っていたんでしょうか? 自分の身に降りかかった病が、私を起因にしていると」


「それは――」


「いえ、知らなかったんでしょうね」


 どこか、フェイは嬉しそうに。

 しかし己の不出来を恥じて、嘲笑うだけだった。


「私は間違っていた。妹の未来がないことを知りつつ、自分のためだけに彼女を生かしたんです。一人になるのが怖かったから。妹のためだと、ずっと自分を騙してきた」


「……誰だって、家族には死んでほしくないだろ」


「病院から一生出られなくとも、ですか?」


 試すような問い。――条件反射で現れたのは、解答ではなく沈黙だった。

 まともな人間には戻れない、癒しようのない身体。そんな状態で生きて、死んでいないと言えるのか。希望が潰えていたのは、最初から分かっているのに。

 フェイの質問から導かれる解答は、どこまでも真実で残酷だ。

 そのエゴ、利己を良しとする人間もいるだろう。が、彼女には無理だ。妹のため、を行動原理に据えている彼女には。


「私にとって、妹は生きる理由そのものでした。あの子がいたから、どんな困難にも立ち向かうことが出来た。何度だって立ち上がろうと、背中を支えてくれた」


 でも。

 もう彼女はいない。その罪科さえ、フェイの背中には重すぎる。

 ――ふざけるなと、声を荒げて言ってやりたかった。被害妄想もいい加減にしろと。自分の過ちを神聖化して、悲劇のヒロインを演じているだけじゃないか。

 だが角利の言葉に、果たしてどれほどの重みがあるのか。

 作り上げた十字架から目を逸らしたのは、自分だって同じこと。たとえ同情する人がいても、足が止まってしまったのは本当だ。今回のように優れた偶然が働かなければ、一生迷い続けたかもしれない。

 結局、自分たちは弱かった。

 殻で覆われた心を剥き出しにするため、喪失はこれ以上なく効果を発揮している。一人で立てるかどうかの強度試験。これまですがってきたモノを失って、なお人で在れるのか。

 子供時代の終わりとは、多分そういうことで。


「会長、ありがとうございました」


 唐突な感謝。

 一日と少しの関係に、彼女は微笑みながら別れを告げる。


「冗談じゃない。感謝するのは俺の方だ」


「いいえ、私こそです。妬ましいぐらいの光を、強さを見せていただきました。……残念ながら、私に同じことは出来ませんけど」


「――」


「そろそろ追手が来ると思います。由利音さんと一緒に逃げてください」


「フェイは?」


「……質問はちょっと、困りますね」


 逆説的に、答えられない愚行を犯そうとしている。

 さもありなん。誰かに利用されるのを拒むなら、逃げ道は一つだけだ。予想していた極論なだけに、驚きなどあったものではないけれど。

 角利は無言で背を向ける。

 少なくとも追手は来るはずだ。自分が胸を張って出来るのは、彼らを足止めすることぐらい。


「――なあ」


「はい?」


 自分自身、呆れてしまうぐらいのお節介。

 顔を見たら飲み込んでしまいそうな気がして、背を向けたまま独白する。


「逃げるなよ」


 本当に、それだけ。

 意味が通じたかどうかも測れないまま、角利は部屋を後にした。

 階段の踊り場を経過したところで、心配そうな顔の由利音がやってくる。どう? と身振りで示す彼女。一度だけかぶりを振って返答し、そのまま居間へと歩いていく。

 ニュースは続いていた。上空から学園を映した映像が流れている。

 生存者は影も形も見当らない。屋上ですら数体のオークが映っている。中にはワイバーンもおり、中継のヘリですらうかつに近付けない状態だ。

 学園の関係者がすべて暴走症を発症していれば、魔物の数は500を超える。


「……」


 二階へ行く前にこれを見なくて良かった。下手をすれば、フェイと視線を合わせることさえ出来なかったかもしれない。


「そういや由利音さん、身体の方は大丈夫ッスか?」


「うん、今のところはねー。フェイちゃんからの感染だっけ? 個人差はあるんじゃないかな?」


「かもしれないッスね。俺もこの状態ですし」


「……」


 変化した片手を見つめる由利音は、やはり眉間みけんに皺を寄せている。

 情けない。御法という規格外の敵がいる中で、わざわざ心配させてしまうなんて。


「――ねえ角利君、すぐ治療を受けに行ったら? 最低でも、進行は抑えられる筈でしょ? そうすれば――」


「安全な治療法が見つかるまで待てる、ですか?」


 口を紡ぐ由利音。当てずっぽうだったが、無難な解答でもあったらしい。

 理解できる提案ではある。一番希望に繋がっていて、一番安全な選択だ。


「……お断りッスよ、ベッドの上で縛られるなんて」


「でも、他に解決策はないよ? 医療方面だったら魔術と科学が手を取り合うチャンスもあるしさ、考えてくれないかな?」


「フェイはどうなるんです? 彼女の感染、止められるんですか?」


「……さっき角利君から聞いた話だと、かなり厳しいと思う。無意識に発動する魔術なんでしょ? だったら必ず政府は、魔術師は、フェイちゃんを殺しに来る。自分たちの名誉を守るために」


「汚いもんッスね。大人ってのは」


「かもね。……でも本当、よく考えて。フェイちゃんは、私が責任を持って逃がすからさ」


 それでも心は微動だにしない。彼女を見捨てるなんて、一生後悔してしまう。

 せめて生きている間は。角利の味方にならずして、誰の味方になるのか。


「あーあ、せめて例の薬草さえ見つかればなあ。皇居の庭にあるって聞いたけど、この状況下じゃ交渉もねえ……」


「森独自の生態系が守られてる場所に、ってやつッスか?」


「そうそう。オマケに確立も低いんだよ? せめて歩いて行ける距離にあればなあ……」


「……」


 ここは東京の代々木。そこまで都合のいい森なんてある筈がない。せめて明治神宮にあるだけで――


「そうだ、明治神宮……」


「は? あそこの森がどうかした?」


「明治神宮の森って、天然に近い状態だって聞いたことあるッスよ。専門家がいろいろ計算した上で作ったとか」


「へえ……じゃあ、もしかして!」


 フェイから聞いた、治療用の薬草があるかもしれない。

 開いた花のような笑み向け、由利音は角利の手を取った。千切れんばかりに上下して、喜びの度合いをアピールしてくる。


「じゃあさっそくいこ! もしかしたら、フェイちゃんにだって効果が――」


 直後だった。

 居間を、謎の衝撃が揺らしたのは。


「じ、地震?」


「……違いますね。これは多分――」


 答えを述べるより先に、外から男の声が聞こえる。お陰で由利音も、同様の解答へいきついた。

 痛みが残る身体に鞭打って、最速の道のりで外へ。喫茶店の窓から見える路上には、小規模な爆発が連続したような跡があった。

 これが魔術による痕跡なら、誰の仕業かはすぐ分かる。


「由利音さん! フェイをお願いします!」


「わ、分かった! 角利君も無茶はしないでね!?」


 返事はしない。そんな約束、したところで虚しいだけだ。

 外に出る。

 待っていたのは、やはり。


「爺さん……」


「やはりここにおったか。学園の周辺とはいえ、分かりやすい場所を選ぶものではないぞ?」


「ほかに候補がなかったもんで」


 だろうな、と答える御法の手には、打って変わって弓が。もう片方には魔力で編んだ矢が握られている。

 両者の間合いは、普通の会話がなり立つ数メートル程度だ。攻撃されたとしても、初撃を回避してしまえば反撃の隙はある。

 故に、角利はその方向性で身構えた。身体の一部が魔物化していても、動作に支障はない。

 だが。闘志を全開にする角利と逆に、御法は嘆息していた。


「退くがいい負け犬。もうじきドラゴンも来る。精々、逃げることしか出来んぞ?」


 御法が弓矢を構える。

 大気が砲音を鳴らしたのは、直後だった。


「っ!」


 爆発的な突風を紙一重で躱し、角利は一気に間合いを詰める。どちらの移動力が上か分からない以上、先手必勝で終わらせるまで……!

 しかし御法も、敵の動きは読んでいる。

 矢を必要としない、無数の弾丸が襲ってきた。

 一発の威力はそこまで高くない。速度に関しても、魔剣で叩き落とそうと思えば落とせる。

 だが時間を取られた。

 本命がゆっくりと、弦を引く。


「終わりだ」


 本当に一瞬だった。

 病み上がりの身体には、身が重かったということだろう。

 肉を貫通する一閃。角利は余波で吹き飛ばされ、地面を跳ねて転がるだけだ。

 どうにか上げた視界には、フェイを乗せて脱出しようとする箒の姿。

 しかし御法にすれば、蝶を捕まえるよりも簡単な仕事だった。

 一瞥すら向けず、矢をつがえることもせず。さきほど時間稼ぎに使った散弾を、一斉に撃ち込んだのだ。

 エンジンに直撃したのか、箒は錐揉きりもみ姿勢で落ちていく。高度からの落下ではないが、これで彼女たちの足がなくなった。


「っ――!」


 立つ。体力が残ってなかろうと、せめて時間だけは稼ぐ。

 傷は先程と同様、自働的に治り始めていた。魔物化も捨てたもんじゃない。


「初志貫徹、か? 無駄なことを……!」


 矢が生成され、撃たれるまでの数秒間。

 あまりにも迷いのない、目を奪うほど洗練された動作があった。

 空気が割れる。

 そう錯覚しかねない会心の一撃。――直感に行動を委ねなければ、回避など成立する筈もなかったろう。

 背後、着弾した一軒家が爆散する。

 御法は三射目の用意に入っていた。双方の間合いを考慮すると、止めるのはおよそ不可能。躱した上で、残身に入っている彼を攻撃するしかない。

 もう問題は、可能不可能の域を超えている。

 ならない……!

 光が弾ける。発射の衝撃で、建物の骨格さえ揺さ振って。


「ふ――!」


「!?」


 限界を迎えている肉体は、土壇場の賭けに勝利した。

 次は認めない。隙を誤魔化す散弾を耐える覚悟で、力の限り地面を打つ。

 魔術の身体強化が成す、滑空にも近い移動の最中。


「時間切れだ」


 超重量の落下物が、御法の背後に現れた。

 角利の攻撃よりも先に、黒金の拳が振り下ろされる。決着が間近だった勝負を、根元からご破算にしてしまう一撃だった。

 こうなると、普通の魔術師では手を出せない。ただ剣呑な存在として、睨み付けるのが精々だ。


「ふん、戦わんのか。ならばワシはフェイを捕える。邪魔をするなよ?」


「っ……」


 威風堂々、ドラゴンは彼女の落下地点に向けて歩き出した。

 無論、黙って見ている角利ではない。背後に展開した魔剣を一斉に叩き込む。

 指先一本も止まらない現実を、まざまざと見せつけられるだけだったが。

 その時。


「フェイ!?」


 彼女がわざわざ、ドラゴンの正面に現れた。

 少女は抵抗する素振りもなく、背中を向けて去っていく。魔術を使わない、並大抵の脚力による移動だった。

 焦燥しょうそうに狩られないのは御法だけ。角利はドラゴンに目もくれずフェイを追う。

 頭上には、急降下する一匹のワイバーン。

 眼差しが、魔術師という餌を求めている。


「まずい……っ!」


 フェイが行った曲がり角を、遅れて通過する魔術師。

 駄目だった。

 ワイバーンが彼女の上半身に噛み付き、そのまま上空へと連れ去っていく。辛うじて見える上着はピクリとも動かず、獣に噛み砕かれるだけだった。


「――くっそおおおぉぉぉおおお!!」


 激情に任せ、ワイバーンに無数の魔剣を叩き込む。

 しかし距離もあって、捕食者は空を飛び回るだけだった。掠りすらせず、そのまま住宅街の方へと消えていく。


「ふん、馬鹿者が」


 標的が死んだというのに、御法は余裕を崩さない。驚きを通り越して怒りさえ湧いてくる。

 この男さえいなければ。

 こんな終わり方、迎えなくて済んだのに。


「まあよい。これだけ魔物が拡散したのだ。民衆どももさぞ怯えていることだろう」


「――それだけか、ジジイ」


「あ?」


「他人の命に首突っ込んで、他に言うことはねえのかって聞いてるんだ!!」


 魔剣が飛ぶ。御法の首めがけて、魔術師の憤怒を代弁する。

 だがすべては泡と散った。盾になったドラゴンの甲殻、表面にヒビさえ入らない。どれだけの物量で押そうと同じことだ。


「温い!」


 巨体に似合った一撃が、冷静を欠いた角利を吹き飛ばす。

 それでも感情は発散を求めた。が、どれだけ懸命に腕を立てても、壊れた身体は悲鳴しか出してくれない。

 所在なげに息を零す御法。戦いの勝者というより、道化に飽いた暴君のようだ。


「貴様はやはり不遜の孫だな。もう少し才能のある男かと思っていたが」


「何だと……!?」


「親と仲間を殺す機会をやった時もそうだ。あの頃から、お前の弱さは際立っておった」


 御法は、鼻で笑うことしかしない。

 四治事件の、引き金を引いたことを。


「これ以上の生き恥を晒す前に死んでおけ。それが貴様の出来る、唯一の貢献よ」


「っ――」


 ドラゴンの口が光る。ワイバーンが放った炎など比較にならない、圧倒的な魔力の渦が。


「さらばだ」


 光が視界を埋める。

 吹き飛ばされる最後の瞬間まで、祖父を睨むことが精一杯だった。

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