第15話 真実

 一枚のトーストに、ジャム。

 角利の朝食はそれだけだった。由利音から差し入れをもらう時はあるが、回数自体は多くない。彼女の生活だってそこまで豊かではないんだし。

 しかし今日は、フェイという助っ人がいた。

 卵焼きにキャベツの千切り、インスタントじゃないスープ。……まるで専業主婦が作るような朝食だった。四治会の代表なんだからきちんと栄養を取れ、ということらしい。

 お陰で朝から気分は好調だが、彼女のことを考えるとそうもいかない。

 昨日、間違いなくヴィヴィアは死んでしまった。フェイの傷は推測するまでもなく、帰る最中に一度しか会話が成立しなかったほどである。

 彼女はその時、私のせいで、と答えた。

 角利はもちろん否定したが、返事まではもらっていない。本当、フェイの責任じゃないっていうのに。自分を追い詰めても、ヴィヴィアは帰ってこないのに。

 お陰で心配は勝手に増えていった。加えて、


「何で先に学校行っちゃうかね……」


 角利はいつも通り、通学路を一人で歩いていた。

 起きた時、彼女は朝食とメモ書きを残して消えていたのだ。……なぜそんな真似をしたのか、想像では限度がある。生きる希望を失って自殺――なんて悲劇が起らないよう祈るぐらい。


「……」


 自分が、もっと早く気づいていれば。

 もっと早く、傷の中核を見定めていたら。

 ヴィヴィアを救うことは出来たかもしれない。少なくとも、あんな惨たらしい死を迎えることはなかった。

 仕方のない結末ではあるんだろう。PTSDの患者は、トラウマの原因を思い出せないことがあるらしい。記憶の断片化によって、原因中の原因が見抜けない例があるそうだ。

 だから、責任を感じてしまう。


「はあ……」


 将来の夢を粉砕されたかのような意気消沈。通学路を歩く生徒たちが、思い思いに目を向けてくる。

 学校もう目と鼻の先だ。今の格好をフェイに見られるのは嫌だし、きちっと気分を入れ替えよう。自分がこんな調子じゃ、彼女をなぐさめたところで逆に慰められる。


「や、青春中の若者」


「あれ、由利音さん」


 彼女は私服でも、コンビニの制服を着ているわけでもない。ジャージ姿で、ランニングの最中のようだ。


「ねえ、フェイちゃんと喧嘩でもしたの? 彼女、朝早くに見掛けたけど」


「ど、どんな様子でした? 俺、今日まだ会ってないんスよ」


「ちょっと思い詰めた感じだったけど、そこまで暗くはなかったかな。やる気に溢れてたとは思う」


 だとすると、御法の行方を探っていたんだろうか? これから命を断つ、なんて雰囲気には聞こえない。

 ともあれ人前に姿を現したのだ。由利音のランニングコースは学園の周辺だし、予想した事態には至らなかったらしい。


「……そういや、病院の事件について新しい情報とかありました?」


「ああ、魔物の管理ミスってことで話が進んでたよ。院長はうちに魔物はいない、って言ってるけど、誤魔化せる状況じゃなさそうだった」


「そうッスか……」


 校舎では予鈴が鳴り始めている。角利たちのクラスは、一時間目から実技の授業。ほかのクラスと合同だし、なるべく早く行動したい。

 もっとも、由利音は焦りを見せなかった。いつも通り角利がサボると、タカをくくっているんだろう。


「……じゃあそろそろ、いいッスか?」


「ああうん――って、一時間目って実技じゃないの? 前も角利君言ってたじゃん」


「いや、最低でも見学はしようと思って」


「ふうん、ふうん……えっ!?」


 仰天した琴森の存在は、どこ吹く風。

 角利は急ぎ、昇降口へと走っていった。



 地下闘技場。

 魔術師育成学園の地下に設けられた、巨大な戦闘用のフィールド。全体的な印象は廃墟となった近代都市で、人目を気にせず暴れられる趣向がこらしてあった。

 地平線の向こうにまで空間は続いている。さすが、政府と学園が多額の資金をつぎ込んだ施設だ。国内外でも、これほど広い訓練場は他にないとか。

 角利たち、二年三組の生徒はその入口に整列している。

 参加者に男女の垣根かきねはない。運動用のジャージに着替え、担当教師の前できれいに整列している。

 しかし肝心な落ち着きの方が欠けていた。

 最初は臆病者と人気だった、角利の実技授業参加について。これには当人だって驚くしかないので、覚悟していた反応ではある。時間が立てば落ち着くだろうし――実際に落ち着いた。

 現在、話題の種は一人の美少女から来ている。

 フェイだ。四組の生徒ではあるが、実技授業は二クラス同時に行うので参加している。

 もっとも彼女、実は参加する必要はないらしい。評価Sのため、学園での鍛練はお遊び同然。むしろ教える側に回った方がいいレベル。

 だからこそ注目度は高かった。皆、その理由を考察することで頭が一杯になりつつある。


「はい、静かに!」


 ザワザワと締まりのない生徒たちを、教官は一声でまとめた。


「ではこれより、実技授業を開始する。今回は二人一組でオークの討伐だ。各自、自由にパートナーを選びたまえ。決定した者は、私から転移符てんいふを受け取るように」


 以上だ、と切り上げると、生徒たちは直前の活気を取り戻す。

 多くの少年に古傷を刻んだであろう、二人一組になりなさい、という呪いの言葉。友人が少ない角利にとっては、開幕の落とし穴でしかない。

 どうするか。正直、赤の他人と組みたくはないんだが――


「会長」


「へ?」


 人混みを掻き分けて、フェイが真っ先にやってくる。

 開始直後から誘いを受けたのだろう、彼女の背後には沢山の生徒が。評価Sのフェイが角利を選んだことに、驚きと疑問を隠せていない。

 それは教師も同じだった。誰よりも早く来た二人へ、転移符とやらを渡すことさえ忘れている。


「……あの、教官。私は彼と組みます。ですので早く符を」


「あ、ああ、了解した。くれぐれも気をつけるように」


 念を押すような言葉を聞いて、フェイは一枚の紙を受け取る。

 角利は彼女に手を取られ、集団から少し離れた場所へ。もう少しくっついてください、と視線で催促さいそくを受ける。

 副越しではあるが、肌の感触が分かる距離。漂ってくる甘い香りの正体は、彼女が使っているシャンプーだろうか?


「え、えっと、フェイ? これは?」


「教師が口にした通り、転移符と呼ばれる魔導具まどうぐです。特定の場所に移動できますが、下準備が面倒でして。交通網の発達と同時にすたれました」


「でも授業では使えるのか……で、具体的にはどうするんだ?」


「符を握ってください。――いえ、先端を掴むと危ないので、こう、わし掴む感じで」


「そ、そこまでするのか?」


 フェイと手が重なってしまうんだが。

 見れば、周囲はほとんど同性同士でパートナーを決めている。異性の組み合わせは少数だ。明らかにカップルのような、仲睦ましい男女だけ。

 フェイは彼らを見ることもせず、手が重なるのもどこ吹く風で。


「転移」


 短く宣言した。

 一瞬のうちに景色が入れ替わる。まるで突然、別の写真を見せられたような感じ。動いたという実感がなくて、何だか変な感触だった。

 しかし辺りを見回すと、転移符の効果を実感できる。建物の隙間、数十メートル先に何やら人影が見えるのだ。恐らく、自分たちが直前までいた場所だろう。


「凄いな……」


「感心ばかりしている暇はありませんよ。オーク、じきに解き放たれますから。魔剣の用意を」


「あ、ああ。――抜刀」


 汚名返上と気合を込めて、術の起動を宣言した。

 やはり、これまであった不快感は消えている。これならEの評価を覆すのも夢じゃない。


「……しっかし、よく学校の地下にこんなもん作ったよな。魔物を管理するなんて、病院みたく禁止じゃないのか?」


「政府の許可を得ていれば、例外的に可能です。まあ通常は許可を出すどころか、審査すら行いませんからね。学園が基本的に例外です」


「なるほど……」


 言っている間に、檻を開くような音が響く。いつまでも慣れ合ってる場合じゃなさそうだ。

 フェイも表情を切り替えている。凛々しさで武装した、女騎士の顔付きへと。

 一抹の不安が脳裏をよぎる。彼女は普通に振る舞っているが、心の状態なんて見た目じゃ分からない。かといって、土足で入り込むのは当人が嫌うところだ。

 何か、気の効いた台詞はないだろうか? 学生としては平均的な語彙ごいを、珍しくフル回転させてみる。


「会長」


 こちらの考えは、横顔を見るだけで筒抜けだったのか。


「私は大丈夫です。……仇をとって、妹の未練を晴らします」


「フェイ……」


 頼もしくも、危うくも聞こえる言葉。

 それでも角利には、信じることしか出来なかった。


「じゃあこれから頑張らないとな。爺さんとドラゴンに目にもの見せてやろう」


「はい」


 力強い首肯しゅこう。実際は見栄なのかもしれないけど、それを叱るなんて思わなかった。

 人間、誰だって心の弱さは持っている。乗り越えようとする意思があるなら、純粋に尊重してやるべきだ。可能か不可能かは、試してみなけりゃ分からない。

 もういちど頷きを交して、二人は来るであろう魔物を警戒した。

 直後、轟音と人の絶叫が響く。

 すべては一瞬のこと、地下空間を、炎の海が照らし始めた。


「な、なんだ? 予定と違うんじゃないか?」


「ええ、そうですね。……オークは火を吐きませんし、地下闘技場にこのような仕掛けはありません。恐らくは竜の眷族けんぞくでしょう」


「おい、じゃあ――」


 結論を出す時には遅く。

 頭上から、老人の嘲笑ちょうしょうが聞こえてきた。


「温い。温すぎるぞ。施設の補強はしておけと言ったはずだが……そんなだから、ドラゴンの一撃に耐えられんのだ」


「アンタ――」


 前に出ようとした角利を制し、代わりにフェイが敵と向き合う。

 もちろんのこと、相手はドラゴンに乗っていた。すでに地下闘技場からは生徒の悲鳴が聞こえてくる。

 それでも二人は、怯えることなく身構えた。御法の嘲笑も、その内面を切り替える。


「ふむ、では改めて自己紹介でもするか。――四治御法。魔術ギルド・テュポーンの長を務めている。ワシに歯向かう意味、分かっておるか? 小僧」


 角利は答えない。かつて尊敬していた男に、鋭い視線を投げるだけだ。そしてそれは、仲間であるフェイも同じこと。


「その意気やよし。受けて立ちたいが――まあ一つ、珍しい見世物みせものを始めてやろう」


「見せもの……?」


 御法が指を鳴らす。と、ドラゴンの真下にある路上が円形に光を放った。

 中から現れたのは三、四組の生徒たちと教員。自分の身に何が起こったのか分からず、辺りをキョロキョロと見回している、頭上の脅威ドラゴンにすら気づかない。

 もう一度、御法が指を鳴らした。

 直後。


「が、あ、ああぁぁぁああ!?」


 一人、また一人と、悶え苦しみだしていく。

 幸いにも角利とフェイに異変はない。しかし転移した生徒、教員は例外なく苦しんでいる。

 身体の一部を、魔物に変えて。


「角利、お主の疑問にワシが答えてやろう、丁寧にな」


 ドラゴンの背から、下界の喧騒けんそうを見下ろす御法。――まるで、新しい玩具を見つけた子供のようだ。これ以上なく悪意を込めて破顔し、高みの見物を決め込んでいる。


「ワシが小娘どもを支援したのはな、単に利用するためだ。姉は兵器として、妹はその実験台として、実に好都合だった」


「実験台……!?」


 苦しんでいる生徒たちの存在を無視しつつ、状況は進行していく。

 とはいえ、彼らの身に何が起こっているかは明白だ。

 召喚暴走症。全員がきれいに予備群だったのか、あるいは御法が仕掛けをしていたのか。進行の早い者はすでに、肉体の半分近くを魔物に変えている。

 理解しているのは、実行犯ただ一人。

 オークの誕生を横目でとらえながら、角利は祖父の告白を聞く。


「魔術師には稀におってな。存在するだけで、周囲に暴走症を拡散させる者が」


「な――」


「いやあ驚いたぞ。貴様の妹……親族には感染し難い筈が、まさか数年で引き起こすとは! おおかた長時間の接触が原因であろうが、感染力は歴代でも一位二位を争う。ワシを超える逸材だ!」


「……」


 二の句が告げられない。じゃあ、あそこで苦しんでいる生徒たちは? 病院で発生したオークは? 狂っていた青年は?

 すべて、フェイが原因なのか?

 だとしたら大変なことになる。いや、御法はそこに目的があると宣言した。不特定多数の魔術師が、暴走症にかかっていたとしても不思議ではない。


「そん、な……」


 フェイは完全に戦意を喪失していた。手に持った魔剣が、あっさりと地面に落ちる。


「気を落とすな、モルガン。魔物とはもともと、感染力を持つ者の駒にすぎん。いろいろと便利だぞ? 自我の転移、支配、様々なことが可能だ。ワシのように、ドラゴンを飼いならすことも、な」


「――」


 フェイは答えない。虚ろな目で空を見上げるだけだ。

 なので。

 彼女をさらおうとするドラゴンの手から、逃げられるわけがない。


「っ、フェイ!」


「止めろ」


 呼吸同然に放たれた命令。

 オークと化した生徒が、迷わず角利を攻撃した。

 攻撃までの速さ、死角という位置もあって、少しの防御も許されない。コンクリートの上を小石のように地面を跳ねるだけだ。

 立ち上がったところで、待っているのは六十体に及ぶオークの群れ。例え万全な状態であっても、勝てる見込みはないに等しい。


「情けない、情けないな、角利。お主、ほんとうにワシの孫か?」


「くそ……」


「小娘の安全については、ワシが責任をもって約束しよう。まあ手足の一本ぐらいは引きちぎるかもしれんが、問題あるまい? 兵器である以上はな」


 立ち上がることも許さない、突風。

 地下闘技場に穴を穿ち、御法とフェイは遥か上空に去っていった。

 自分の不甲斐なさが身に染みる。が、歯を食い縛っている暇はない。腹をすかしたオーク達が、魔力を求めて群がってくる。

 助けは来ない。そもそも身体が満足に動かず、抵抗さえ許されない。

 勝ちたいのに。

 あの男を、何が何でも倒したいのに……!


「おおっと、退いたどいたー!」


「!?」


 オークの群れを、真横から来た何かが打撃する。

 箒だった。フェイと同じように、バイクのようなデザインでカスタマイズされている。


「由利音さん……!」


「ほい、掴まって!」


 痛みさえ感じる握力で、由利音は一気に引き上げた。そのまま勢いに任せて、後部座席へと角利を放る。

 本当に女かと疑いたくなるが、助けてもらえたのは幸運だった。このままドラゴンを追うことだって出来るかもしれない。


「いやはや、危機一髪だねえ。ドラゴンが校舎に突撃するもんだから、ビックリだよ」


「外はどうなってるんですか? 爺さんの言う通りなら、町にも魔物が――」


「出てるよ。ほら、下」


 位置はちょうど市街地。人々の悲鳴も、冷たい空気の中ではよく響く。

 その数は、もはや軍勢だった。

 逃げているのはほとんど一般人だろう。中には無事な魔術師もいるが、盾になろうとする無謀な者はいない。いたところで数秒後には飲まれるだけだ。

 これで一体、どれだけの人が生き残るのか。

 そもそも事態を収束させる術はあるのだろうか? 封鎖するにしたって、数百、数千という数の魔物である。下手なバリケードは物理的に突破されるだけだ。


「どうする? 角利君」


 ドラゴンを追うか、逃げる人々に手を差し伸べるか。


「ドラゴンを追う方向で。町の方は、適任に委ねるしかないッスね」


「了解! じゃ、しっかり掴まっててよ!」


 エンジンの音が代わる。

 由利音は姿勢を低く、角利も同じように頭を下げた。


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