第14話 魔物の正体

「っ……!」


 とはいえ相手は巨体。体当たりだけでも、こちらにとっては致命傷だ。正面から向き合っての撃ち合いは危険すぎる。

 直感を頼りに箒を動かし、角利はワイバーンから距離を取った。


「か、会長!?」


 眼下の森林、テュポーンのメンバーたちと戦うフェイが映る。

 彼女はこちらを見上げながらも、確かな動きで雑兵達を片付けていた。


「箒は搭乗者の思考に合わせて動きます! ど、どうやって起動させたのかは知りませんが、好きに使ってください!」


「了解……!」


 速く、と念ずるのはそれだけ。

 描いた通りに箒は加速する。空気の圧力は思ったより感じない。運転席に、重力を軽減させる魔術でもかかっているんだろう。フェイの後ろに乗っていた時は、確かに圧力があったのだし。

 好都合だ。どこまで操れるか分からないが、試せるものはすべて試す。

 肩越しに背後を確認すると、ワイバーンも同じように加速している。追加で加速を願う角利だが、すでに限界らしく箒は応じてくれなかった。

 敵の口から、火球の雨が放たれる。

 対する角利は、無数の剣を盾にして凌いだ。

 いや、つもりだった。


「弾いた!?」


 壁になった魔剣、そのすべてが制御を失って堕ちていく。

 火球は何のうれいもなく角利に襲いかかった。回避を求め、その通りに動く箒。ベテランパイロットばりの飛行技術が、こちらの意図に関係なく披露される。

 上下が反転し、真横を掠めていく火球。普通なら酔ってしまいそうだが、不思議とその兆候すらない。

 これなら勝てる――後ろのワイバーンを目に収め、反撃に出ようとした直後。

 痛烈な衝撃が、角利と箒を打ち上げた。

 即座に姿勢を立て直すものの、見捨てておける攻撃じゃない。かなりの速度で動いていたのだ。よほど腕のいい狙撃手がいるか、あるいは――

 正体を確認して、角利は眉間にしわを寄せる。

 二体目のワイバーンだ。


「おいおい……!?」


 間髪いれず、左右から炎が飛んでくる。

 直撃コースは避けるものの、範囲が範囲だ。防御する手段もなく、大部分の処理は箒にすがるしかない。

 縦横無尽、角利を振り落とすような勢いで箒は飛ぶ。

 安全地帯を地上に見出したのか、錐揉み姿勢で落下する箒。追い縋るワイバーン。彼らの急降下は落下に等しく、鷲のような爪を大きく開いて叩きつける。


「っ――」


 地面スレスレでカーブを描き、箒は再び空へ。直撃を逃した爪は角利の髪を掠めとった。

 それは人生でも数えるほどしかない、死の感触。


「……っ」


 意識が乱れる。

 箒はその影響を直に受けた。空へ戻ろうとしたところで軌道を乱し、公園の池へと突っ込んでいく。投げ出された角利は幸か不幸か、水に投げ出されるだけで済んだ。

 水面から顔を上げれば、突っ込んでくるワイバーンが。

 ほとりに転がっている箒は、まだ無事。


「来い!」


 一か八かの賭けだった。

 果たして。

 戦友は無事、仮初の主人へと駆けつける。


「よし!」


 見たところ箒に傷はない。バイクのような外見をしているだけあって、頑丈なんだろう。

 もっとも、素人の推測だ。


「!?」


 唐突に高度が落ちることは、いっさい想定していない。

 噴きだす黒煙、好機とばかりに飛びかかるワイバーン。避けられるだけの足もなく、みじめに食い潰されるだけ。

 それでも。

 最後の最後まで、やれることは全部やる……!

 角利の選択は飛行だった。

 親から貰った二本足で、箒を土台に宙を舞う。

 ワイバーンの牙は何も砕くことなく外れた。角利は無事、その巨体を眼下に置いている。

 いや、すでに足元。

 擦れ違う瞬間を利用して、敵の背中に乗ったのだ。


「この……っ!」


 魔剣を手に、首筋の甲殻を貫通する。

 甲高い叫び声は上下から聞こえた。かたや激痛による悲鳴、かたや――仲間の仇打ちとでもいうべきか。二体目のワイバーンが、足の爪を武器に急降下する。

 逃げられない。いや、逃げる必要などない。

 敵がいるなら、超えるだけだ……!

 短く何かを呟いた角利は、迷うことなく空中へ。飛行能力を持たない以上、自由落下の悲劇が待っている。

 だが、そのための言葉。

 黒煙をたなびかせる、箒最後の意地。


「頼むぞ!!」


 相方は弧を描いた挙動で、角利をボールに見立てて投擲する。

 攻撃をからぶったワイバーンの、頭上へと。

 角利に背後に展開された剣が、意趣返しとばかりに降り注ぐ。翼の膜を撃ち抜き、動きを少しでも縫うために。


「おおぉぉぉおお!!」


 一閃。

 首を切り落とされたワイバーンは、そのまま地面へと墜落した。

 直後に響く爆発音。……たぶん箒だろう。あとでフェイに謝らなければいけない。


「会長!」


 噂をすれば何とやら。魔術で完全武装した彼女がやってくる。

 鎧は少し汚れているが、大きな傷を負ったりはしていないらしい。呼吸の乱れもなく、首のないワイバーンと角利を見比べる。


「ま、まさかお一人で?」


「ああ、どうにかな。向こうの方にも一匹いるぞ」


「あ、相手はワイバーンですよ? どんな無茶をしたんですか……」


「そりゃあいろいろだよ」


 細かく説明したら、きっと叱られる。

 ――まあ鉄クズとなった箒の方が、フェイにとっては一大事らしかったが。


「あ、ああ、まだローンが残っているのに……」


「ほ、箒にもあるのか、そういうの。……いっそ、うちに正式所属してくれないか?」


「考えておきます……」


 相当な愛着があったようで、フェイは燃え盛る箒をじっと見つめている。もういっそ土下座するべきだろうか? なんか半泣きしてるし。

 ああ、それがいい。自分にもある程度の責任はあるのだ。

 あのさ、と話を切り出して、角利は自身の異変に気付いた。

 手が、震えている。

 何故だろう? 他に身体の変化は感じない。ワイバーンを二頭も撃破して清々しいぐらいで、今朝の自分が見れば夢だと笑いそうな進化っぷりなのに。

 予想通り心配するフェイへ、角利は疑問を口にする。おかしいな、と。


「確かに顔色は悪くありませんね……他に普段と違うところはありますか?」


「見える範囲いがいでは何も。――ていうかフェイ、あの連中はどうなったんだよ?」


「ひとまず撤退しました。どんな意図があったのか分かりませんが、テュポーンという大ギルドですからね。しっかり責任を追及しようかと」


「大変そうだな――って、フェイ! 森の中!」


 オーク。

 ヴィヴィアを攫った、片腕を負傷している魔物がいた。

 即座に追おうとする二人だが、オークも無謀な戦いは好まないらしい。直ぐに向きを変えて、大きな足音を残しながら去っていく。


「私が追います! 会長は先に公園から出てください! 火災が広がりますし、ギルドに見つかれば面倒です!」


「おい、ちょ――」


 止める暇もなく、彼女は燃え盛る森林へと入っていった。

 角利も間を置かずおいかける。が、頭の中を埋め尽くしていたのは、フェイに対する心配ではなかった。

 おかしい、何かがおかしい。

 こちらから逃げたことといい、あのオークは普通じゃない。それだけ腹が一杯なのか? あるいは、まだ魔物になっていない幻獣か? それなら召喚した魔術師がいる筈だが。

 自分たちが誘導されているなら、確かにゾッとする話ではある。

 しかし角利の直感は違うと断じていた。理由はほかにあると。実際、オークから敵意らしい敵意を感じていない。逆に、助けを求めるような――

 視界の奥では、フェイと魔物が一対一で戦っている。

 その光景に。

 かつて一度だけ味わった、底知れない恐怖があった。


「――フェイ、やめろ!」


 声は届かない。聞こえないフリをしているのか、実際に聞こえていないのか。

 言葉は自然に溢れてくる。が、正気を疑う内容でもあった。彼女が真摯に聞いていても、納得する可能性はゼロに近い。

 それでも言う。

 かつての悲劇を、繰り返したくないのなら。


「そいつがヴィヴィアだ!」


「!?」


「そいつは、暴走症で魔物になったヴィヴィアだ! 剣をしまえ! 取り返しがつかないことになるぞ!」


「し、しかし――」


 どうにか聞いてはいるらしい。一方でオークの攻撃は止まず、フェイは戦闘を再開するしかなかった。

 オーク――ヴィヴィアはほとんど自我を失っている。病院前で逃げたのは、まだ肉体をコントロールできていたんだろう。この直前に逃げたのも、恐らくは同じ理屈だ。

 しかし今はどうか。攻撃が苛烈さを増し、徐々にフェイを追い込んでいる。

 加勢しようとする角利だが、途端に足が止まった。

 四治事件。あの時、魔物の襲撃があったわけじゃない。

 両親が、仲間が、暴走症によって魔物と化した。

 それを角利が、一人残らず狩り尽くした。


「う、あ……」


「会長!?」


 当時と似たような状況が、過去を強く回想させる。

 かけ寄ろうとしたフェイは隙を突かれ、あっけなく幹へと叩きつけられた。起き上がる気配はない。最初から障害になっていない角利を無視して、オークは彼女へと近付いていく。

 丸太のように巨大な腕が、垂直にかかげられた。


「止め――」


 ろ、と喉を振るわせる直前。

 一本の矢が、オークの腕を吹き飛ばした。

 騒音でしかない、魔物の絶叫が響き渡る。


「無事!?」


「ゆ、由利音さん!?」


「ああ、無事だったならオッケオッケー!しっかし、テュポーンから言われたんでしょ? ここに入って来ちゃいけないって」


「い、いやまあ、そうッスけど、これには色々と事情が――」


 話している間に、由利音は二射目の矢をつがえていた。

 彼女も武装召喚の魔術を得意とする。編むのは弓と矢。狙撃手としての異名は、バイト店員の名よりも響いているだろう。

 姿を現した状態でも、由利音の自信は変わらない。

 動けば射る。必殺の気概で睨み、それだけでヴィヴィアの動きを縫いつけた。


「……この子が、本当に元魔術師なの?」


「間違いないですよ。俺の記憶を信じてくれるのなら、ですけど」


「何言ってんの、疑うわけないでしょ」


 とはいえ警戒は緩めない。隙があれば今度は足を吹き飛ばすと、弦を力強く張っている。

 それはヴィヴィアも同じだった。フェイが復帰し始めているのもあり、撤退するタイミングを窺っている。


「ヴィ、ヴィヴィア? 分かる? 私よ?」


「っ――!」


 声すら不快なのか、魔物は姉に向かってうなるだけ。

 フェイの様子はもう、普段とはまるで違う。薄っすらと涙を流し、いまにも世の理不尽を訴えそうだ。

 しかし、不安は誰しも同じだったろう。

 角利はまだ戦闘が可能ではなく、由利音も攻撃を躊躇とまどっていた。――吹き飛ばした片腕からは、ヴィヴィアの肉体を構成する魔力が解けている。魔物の常識で測れば、追撃は彼女の生死を左右しかねない。


「……どうします?」


「難しいねー。ほかの連中が来れば、説明したところで攻撃、って可能性もあるし。上手く拘束できればベストだけど……」


「暴れますからね」


 方向性を変えるしかない。だが、どんな風に?

 時間は刻一刻と過ぎていく。一発逆転の対策を打たなければ、このまま最悪の結果を待つだけだ。

 途端。


「っ!?」


 耳をろうする爆音――いや咆哮が、森全体を揺さ振った。

 燃え盛る炎すら、存在を恥じるような猛々しさ。ワイバーンに似ているがどこか違う。いや、完全に上回っている。

 頭上を覆う、巨大な影。

 もう。何が現れたかは、言うまでもなかった。


「ど、ドラゴン……!?」


 幻獣の頂点。あらゆる魔術師が憧れる魔の生物。

 全体的なシルエットは人間に近いが、身長は十メートル近くとまるで違う。加えてワイバーンを上回る三対、六つの翼。黒一色の甲殻は艶があり、さながら芸術品のように美しい。

 まさに最強の象徴。

 それが三人の前に立ちはだかる壁だった。


「その役目、ワシが引き受けよう」


 太く勇ましい、信念に満ちた声。

 ドラゴンの肩に一人の男性が乗っている。もちろん、着るのは紅いローブ。テュポーンのメンバーである証拠だった。

 声も顔も、勘違いは通用しない。


「じ、爺さん!? 何しに――」


「知れたこと。少し早いのでな、ゴミを片付けに来た」


「なに……!?」


 それ以上の説明はない。

 御法が、明確すぎる実行に移ったからだ。ドラゴンにヴィヴィアを掴ませ、その巨大な口に運ぶなんて真似を。

 ヴィヴィアは必死に暴れている。しかし力の差は明確。ドラゴンは微動だにしないどころか、軽く力を入れて彼女を黙らせた。――微かに、肉と骨の砕け散る音が聞こえる。

 角利は怒りで、フェイは愕然がくぜんとしたまま敵を見上げていた。

 迷わず由利音は矢を放つ。が、漆黒の鎧は貫けやしない。虚しく弾かれるだけだ。


「く……!」


「由利音よ、貴様は頭のいい女だ。なら理解していよう? 貴様らがどれだけ足掻こうと、この身に届くことはない」


 開くドラゴンの口。


「や、止めて……止めええぇぇぇえええ!!」


「ふん、懇願こんがんしたければするがいい」


 誰も逆らえない、誰も手を出さない。

 一飲み、だった。


「あ、ああ……」


 ドラゴンは咀嚼そしゃくすらせず、喉を動かしただけ。弱肉強食。御法がよく口にしていた観念の、まさに体現と言っていい光景だった。

 満足気に腹をさすると、空へ二度目の咆哮を叩き付ける。


「ではな。近いうちにまた会おう」


「まて……!」


 無論、止められる筈がない。翼の羽ばたきだけで、角利の身体が浮きそうになる。

 巨体に似つかわしくない、一瞬の急上昇。

 何もかもがあっという間だった。抵抗はまるで許されなかったし、何が起こったのかも現実味がない。悪い夢でも見ている気分だ。


「……角利君」


「あ」


 優しく肩を叩かれるが、それは自分に向けたものじゃない。

 フェイだ。彼女はうわ言を呟きながら、ドラゴンが去った空を見上げている。


「君達のことは、私が適当に誤魔化しておくから。だから、ゆっくり休んでて」


「……はい」


 長い長い、一日の終わり。

 ここにいる誰もが、目を逸らしたい顛末てんまつだった。

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