緋色の将軍カルレイン

西

短編

 とある日の昼下がり。


「お待ちください!」

「待てと言われて待つ奴がいるか!」


 王城では有名な男女による攻防戦が行われていた。

 片や軍服に身を包む緋色の髪を持つ青年。

 片やドレスに身を包む紫紺の髪を持つ少女。

 二人は誰が見ても全力であると判るぐらい本気で廊下を走っている。

 そんな彼らを同じ廊下を歩いていた騎士と侍女は微笑ましそうに、また面白そうに見ていた。


「今日で何日目だ?」

「確か六日目」

「あと一日かぁ。今日で仕留めておきたいところだな」

「土壇場でっていうのは難しそうよね」


 この戦いは公に行われているもので、城で働く者達の殆どが知っている。



 ーー明日から一週間、王城で≪緋将軍≫と≪ユーグリフ侯爵令嬢≫の勝負が行われる事が決まった。その為、以下の内容に目を通しておくように。

 一つ、この勝負は王が正式に許可したものである。

 一つ、この勝負の期間は1週間とする。

 一つ、範囲は王城内に限定する。

 一つ、期間中、二人を必要以上に咎める事を禁ずる。

 一つ、応援は怪我をしない範囲で許可する。

 一つ、破壊行為は全面禁止。

 一つ、賭け事も禁止。だか、単に予想するだけなら問題無し。



 これが宰相によって各部署に通達された文書である。

 初めは何の冗談だと思っていた者が大半だったが、翌日の二人を見た者達は揃って真顔になった。

 今まで培ってきた軍人としての能力を遺憾無く発揮し相手を引き離そうとする≪緋将軍≫と、経験的にも実力的にも劣っているが必死に離されまいと奮闘する≪ユーグリフ侯爵令嬢≫。

 その攻防は正しく戦場さながらと言えるものだったのだ。

 予想の遥か斜め上を行っていた激闘に冗談ではないと理解した周囲は最初、二人を遠巻きに眺めるだけだった。しかし、次第に観戦や応援をする者が出始め、今では『どちらが勝つかを暖かく見守る会』なるものまで結成されている。


「どっちだと思う?」

「どう考えても≪緋将軍≫様が優勢だけど、個人的には≪ユーグリフ侯爵令嬢≫様を押したいわ」

「俺も。あのご令嬢、見てるこっちが冷や冷やするぐらい真っ直ぐだから応援したくなるよな」

「何を『お願い』するのか知らないけど、頑張って貰いたいわね」


 勝負と言うからには褒美がある。

 勝った方には『相手に一つお願い事が出来る権利』が与えられることになっていた。


「褒美って、言い出したのはご令嬢の方なんだろ?」

「えぇ。なんでも自分の力で『お願い』がしたかったらしいのよ」

「健気過ぎる。益々ご令嬢には頑張って貰いたいな」

「≪緋将軍≫様には悪いけど、いい加減諦めて捕まってくれてもいいのに」

「無理だと思うぞ。≪緋将軍≫は手加減はしても手は抜かないって専らの噂だ」

「強過ぎるっていうのも問題ね」


 ここ六日間の攻防を思い出しながら溜め息を吐く侍女に、騎士の方も何か思い出したのか笑みを漏らす。


「空気を読んで負けてもいいと思わないあたり、軍人らしいと言えばらしいけどな」

「騎士と軍人の違いってところ?」

「そういうことだ」


 当然の様に言う騎士に、侍女は再び溜め息を吐いた。


「なら、もう結果は見えてるじゃない」

「いや、まだ判らないぞ」

「どうして?」

「六日間見てたけど、あの将軍はご令嬢を気に掛け過ぎてる。それが吉と出るか凶と出るかはご令嬢の運次第だ」

「……解らないわ」

「これ以上は言わないぞ。結果が出てから種明かしっていうのも悪くないしな」


 納得のいかない顔をしている侍女に騎士は笑う。


 さて、勝利の女神はどちらに微笑むのか。



   ◆◇◆



「お待ちください!」


 背後から少女の声が聞こえる。

 しかし、止まるわけにはいかない。

 会場の空気で判った。

 あの少女に捕まったら後々厄介だということが。


「せめて、せめて名前だけでも……!」


 だから、どれだけ呼び掛けられても振り返らない。

 必死に自分に手を伸ばしてくる少女に気付かないフリをして、光の下を後にした。

 二度と会うことはないと思いながら。



 ーーその筈だったのに。


「絶対に許さない、≪蒼将軍≫……!」


 アイツの所為で、今まさに窮地に立たされている。


「今日こそ捕まえてみせます!カルレイン様!!」


 背後から感じる少女の闘気にゾッとしながら走り続ける。

 カルレイン。この国の軍部に属す≪緋将軍≫と呼ばれる軍人の名前であり、つまりは自分の名前である。


「兄馬鹿野郎が……!」


 呪いの様に吐き出す言葉は苦々しさを伴っていた。それが一層カルレインを苛立たせる。


(この子がアイツと縁者だなんて……詐欺だ!)


 知っていれば、こうまで後手に回らずに済んだかもしれない。

 カルレインはギリギリと奥歯を噛み締めた。それも、歯が軋む程に。


「くそっ……、やっぱり仮病でも使って辞退すればよかった!」


 少女と関わる羽目になったのは偶然だ。

 本来なら軍人と貴族令嬢が遭遇するなど滅多に無いのだから。

 それなのに出会ってしまうとは、運命の巡り合わせというのも迷惑極まり無い。


「カルレイン様!」

「アンタこそ諦めてくれ!」

「嫌です!」


 自分を捕まえようと迫る少女から逃れつつ、現状からの突破口を探す。

 すると、前方に開いている窓を発見した。


(よし!)


 彼女には悪いと思うが手段は選んでいられない。

 カルレインは目標の窓まで一気に加速する。

 後ろで慌てる気配がしたが構うことはない。

 そのまま減速するこなく窓枠に足を掛けた。


 ーーそして、宙に身体を突撃させたのだった。



   ◆◇◆



 少女の名前はメルリア・ユーグリフ。

 ユーグリフ侯爵令嬢にして≪蒼将軍≫の妹。

 簡単に言うと、生粋のお嬢様である。

 そんな彼女とは、ひと月前に催された王の主催する舞踏会で出会った。

 何者かに命を狙われたメルリアをカルレインが助けるという、冗談では済まない事件の被害者と恩人という形で。

 この時カルレインは意図的に彼女から距離を取り、掛けられた声にも気付かないフリをした。賊の行方を追うように部下に指示し、自らも捜索隊に加わる事で彼女から離れた。どうしてか判らなかったが、本能の部分が『関わるな』と警鐘を鳴らしたからだ。

 その後、彼女と会うこともなく被害者と命の恩人という関係で丸く収まったと思っていたのだが、ー週間前に突如として彼の前に現れた。しかも、兄である≪蒼将軍≫を連れて。


『≪緋将軍≫カルレイン様、私と勝負をして下さい!』


『何?』


『私が勝ったら一つ、お願いを叶えて欲しいのです』


『お願い……』


『はい。兄が教えてくれました。カルレイン様に『お願い』をするには強くなって勝負で勝たねばならないのだ、と!』


『は!?』


 明らかに可笑しい嘘を≪蒼将軍≫に吹き込まれていた。

 別に、カルレインに頼み事をするのに勝負をする必要は無い。

 同僚である騙した張本人を見ると、微笑みを浮かべながらも目が笑っていなかった。


『(これは……)』


 ≪蒼将軍≫は判っていたのだ。

 カルレインがわざと妹を無視したのを。


『(逃げられない……な)』


 避けるのには成功したが、撒くのには失敗したらしい。

 カルレインはこの時、自らの敗北を悟ったのだった。



   ◆◇◆



(だからって隊長格と同等に鍛え上げるか!?)

 

 確か彼女は身体が弱く、社交の場にも最低限しか出席しないと聞いていた。

 なのに≪蒼将軍≫の所為で、将軍格には劣るものの並以上の体力と技量を備えるまでに強くなってしまった。


(いくら妹が可愛いからって、愛情の方向性が間違ってる!)


 この六日間、冷や汗が流れっぱなしのカルレインはメルリアの先読み不可能な行動にも冷や冷やしっぱなしなのだ。

 思い切りがいいのは評価するが、危なっかしい動きが目に付く。


(でも、これなら彼女も追って来ないだろう)


 開いていた窓から宙へと躍り出たカルレインは、背後から追いかけて来る気配が無いことにホッとする。

 だが、見通しが甘かったと思い知らされる。


「行きます!」


 威勢の良い掛け声がと共に、窓からメルリアが飛び出して来たのだ。


(う、嘘だろ……!?)


 飛び出した窓は城の三階にあったもの。

 鍛えたからといって飛び降りるのは令嬢には難しい芸道だと思っていたのに。


(勘弁してくれ)


 ≪蒼将軍≫のお陰で彼女は完全に常人を捨ててしまっていたらしい。それともこれが、ユーグリフ侯爵家では当たり前なのか。

 空中で身体を回転させ無事に着地をしたカルレインは後ろを振り向く。同じように着地をしたメルリアの身のこなしはとても綺麗だった。


(どうする?)


 ここで反撃に転じたとしても問題無い。

 戦闘になってもいいとユーグリフ侯爵からは言われているし、≪蒼将軍≫からも同様のことを言われた。

 しかし、彼女に手を上げようとは考えられなかった。

 いきなり足を止めたカルレインに合わせ、メルリアも動きを止める。

 互いに見つめ合う。

 時間としてはほんの少し。その短い間に事態が急変するとはどちらも思っていなかったのだが。


(何だ……?)


 ふと、カルレインは別の気配を感じた。


 次の瞬間、メルリア目掛けて刃物が投げられていた。


 しかし理解するよりも速く、反射的にカルレインの身体は彼女を庇う様に動く。


「賊か……!」


 彼女との勝負では抑えていた脚力を十二分に発揮し、放たれた凶器とメルリアの間に入り込む。そして腰に帯びていた剣を抜き払う動作で刃物を弾いた。

 一連の動きに合わせ剣を構え直し、彼女を背に庇いながら周囲に素早く目を走らせる。


(賊の姿は無い)


 気配も既に無く、仲間が潜んでいる様子も無い。


(城に潜り込む程、この子が邪魔なのか?)


 舞踏会といい今回といい、相手の狙いが見えてこない。

 暫く辺りを警戒していた。


 ぽふんーー。


 すると、背中に柔らかいモノが抱きついてきた。


「なっ!?」

「つ、捕まえました!」


 驚いて確認すると、メルリアが嬉しそうに頬を染めている姿があった。


「……は?」


 ツカマエタ、つかまえた……捕まえた?

 自分は何を言われているのか。

 直ぐに判らなかったカルレインだが、徐々に彼女の言葉が染み込んでくる。


(あ……もしかして)


 そして、彼女の言った言葉の意味を理解した瞬間。


「ユーグリフ侯爵令嬢の勝ちだー!」


 周りから溢れんばかりの歓声が上がった。

 どこに隠れていたのか。いや、いつから見ていたのか。続々と周りに観衆が集まって来る。


「……やっちまった」


 祭りの様に騒がしい中、ポツリと呟く。

(負けたのか)


 信じたく無いが、事実は変わらない。

 がっくりと項垂れたカルレインは自分に引っ付いているメルリアを見た。

 彼女はとても幸せそうに頬擦りまでしている。


「……俺の負け、だな」


 こんな顔をされては、認めざるをえない。

 敗北を実感したカルレインは大きく深い溜め息を吐き出した。



   ◆◇◆



「運はご令嬢に味方したかぁ。良かった良かった」

「理解出来たわ、さっきの話」


 話していた騎士と侍女は、窓から勝敗の行方を見守っていた。


「≪緋将軍≫様は本気でご令嬢を撒こうとしてなかったって事で正解?」

「正解。ご令嬢が無茶をしないか心配で、必要以上に離れられなかったんだな」


 この六日間、彼は背後に付いてくるご令嬢をこまめに確認していた。不思議に思っていたが、単に力を上手く扱えない未熟な彼女を案じていたのだと、少し見て判った騎士は感心したのだ。


「舞踏会の件もあったし、側に居ようとしたのかもな」

「≪緋将軍≫様って……もしかしなくても優しい?」

「優しいと思うぞ。自覚してるのかは知らないけど」

「言っても否定しそうね」


 その姿を想像して騎士と侍女は笑ったのだった。



 攻防戦の数日後、城下の有名なお菓子屋さんで≪緋将軍≫と≪ユーグリフ侯爵令嬢≫が仲良くお茶をしている場面が目撃され話題となるのだが、それはまだ少し先の話。

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緋色の将軍カルレイン 西 @nisi

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