●皆のヘルマート(再開期)○ Ⅱ

 ヘルマートに帰還してからすぐに、内定をもらっていたヘルマートの親会社に断りの電話を入れた。直属の上司である先輩に辞退のむねを告げると、先輩は俺を非難するどころか納得してくれた。


「なんかお前つまんなそうだったもんな。会社としては残念だけど、まだインターン採用だったし、これから代わりの人材を探す時間は取れるからこっちは大丈夫だ」

「直接お会いして謝罪したいのですが……」


 せめてそれが筋だと思ったが向こうもそこまで暇じゃないらしく、


「いや、必要ない。それより辞めてどうするんだ?」

「ヘルマートに行こうと思います」


 即答すると、先輩は電話の向こうで笑った。


「そっちが楽だと思ってんだろうけど、お前ならうちの方が苦労しないと思うぜ?」

「いいえ。苦労したいんです。俺はマゾみたいな奴だと気づいたんです」


先輩は大声で笑った。


「そうか。そういうことか。変り者だなお前は。それなら餞別せんべつに良いことを教えてやろう。お前と同期で採用になった女がいただろう?」

「ああ、コネで入った人ですよね」


 先輩は驚いたように息を呑んだ。


「さすがに気づいてたか。優秀だ。本当に惜しい。あの子はな、ヘルマート社長の娘なんだ」


 今度は俺が息を呑む番だった。


「なんだ? それは気づいていなかったのか?」


 俺は頭をきむしる。


「先輩は手を出してましたよね?」

「一回だけな。問題を抱えたくないから他の男を紹介した。あーいう子は誰でもいいタイプだから」


 まぁ、そうだろうけど。こーいうことを平気で口にできる人はあんまり好きじゃないんだよな。まぁ、これっきりだし最後まで話を聞くか。


「それで今は俺の上司とデキているみたいなんだ」

「本当ですか? 証拠でも?」

「現場を押さえようと思ったらすぐできるさ。俺はこれ以上興味はないからノータッチだけど。お前には役に立つ情報なんじゃないか?」


 別にヘルマート社長の娘が誰と付き合っていても、問題だとは思わないけど。


「相手は妻子持ちだぜ?」


 それは……役に立ちそうだ。こんなことってあるんだな。運がついている。


「でも何で俺にそんなことを教えてくれるんですか?」

「貸しだ。お前がヘルマートで出世したら、役に立ってもらうからな」


 この人も野心家だな。


「ご恩は忘れません。ありがとうございました」


 そう言って俺は電話を切った。



 そうして、娘が不倫していることをヘルマート社長に伝えたんだ。

 俺が話し終わっても、ヘルマート社長は顔色を変えなかった。さすがに交渉事のきもを分っておられる。弱みを見せたらつけこまれる。社長は沈黙したまま俺をじっと見ている。俺を観察して、穴を見つけてそこを突こうとしているんだろう。もうすぐ警備員が入って来る。その前に話を聞いてもらえる状況に持ち込まないといけない。俺は部屋を観察する。社長室と言えど、無駄な贅沢ぜいたくを嫌って質素にする人も多い。だがヘルマート社長は違った。


 ヘルマートと同じくらいの広さを持った社長室は、壁にかけられた絵画や台の上に置かれた骨董品を数えたら十点以上もあり、その全てが高価に見えた。さらには、社長が使っているデスクやイスに窓のカーテンまで高級素材だと判断する。芸術や骨董品が分らない俺の目が正しいか自信はないけど、ホコリや汚れ、傷が見当たらないことから間違いないと思う。人は値段や価値によって扱いを変えるから。社長のデスクやイスですら、遠目からでは傷一つ見当たらない。社長の着ているオーダーメイドのスーツと合わせて、権威に執着するタイプだと判断した。さすがにスーツは分る。

 この人は、いい思いをしたい人だ。

 選択肢の中から言うことは決めていた。


「私は社長の名誉に傷がつくのを見たくありません。社長とご家族のよりよい暮らしを望んでいます。そのためにも私に投資して頂きたいのです」


 ドアが開いて警備員が入って来る。社長は警備員に向かって手を上げた。


「彼と話をしたいから、君たちは部屋の外で待っていたまえ」

「他のスタッフも外で待っていて構いませんか?」


 すかさず口を挟むと社長は、「では、その方達にも待っていてもらって下さい」と警備員に指示した。警備員達が出て行って、ドアが閉まると、社長はやっと俺に口を聞いた。


「君は私に何をくれるんだね?」


 そう言って、社長は俺に向かって右手を広げた。


「私はあなたに穏やかで不自由のない老後生活と、あなたが死んだ後も残る名誉を用意します」


 社長はあと数年で引退する。そしたら、ヘルマートの経営は本部長に任せるだろう。だが、社長のこれまでの経営方針により、ヘルマートは社長が引退する頃には傾き出す。それを世間は、社長が交代したからだと言って本部長を非難し、引退した社長のことをたたえるようになる。現時点でも社長の名誉は守られている。株主達や世間の目は、店舗数日本一だとか、海外進出だとかで、会社が好調だと判断してしまいがちだ。配当さえちゃんと受け取れれば、会社の経営のあらを探そうとしないだろう。だから毎年業績を上げているヘルマートはとても優良企業に見えて、文句のつけようがない。時限爆弾には誰も気づいていない。いや、気づいているけど見て見ぬ振りだ。多くの人の反応閾値が低い。


「その時限爆弾を私が解体しましょう。あなたの死後、あなたの家族がずっと長く株の配当を受けられるような会社にします」


 店舗数の極端な増加とドミナント戦略による店同士の食い潰し合い、社員や加盟店オーナー、スタッフの酷使こくしによる離職率の高さ、プライベートブランドが売れないことで、売り上げ高が低下して店が傾く……取り上げていけばきりがない。


「社長のケツは私が拭きます」


 俺も社長に向かって手の平を差し出した。社長の弱みを握っていると一度口にしたのなら、それをくり返して脅しをかけるような交渉はダメだ。十分に伝わっているのなら、相手への利益だけを口にすればいい。

 社長は大きく目を見開いた。


「あなたはヘルマートに何を求めているのですか?」


 光だ。世の中の闇を照らす光を求めている。そして、足元が全く見えない不安定さを俺は欲している。だから俺はこう答えた。


「闇すら焼く地獄の炎を」


 社長が初めて俺に微笑んだ。差し出していた手の平を垂直にして握手を求める。俺は社長の所まで歩いて行き、その手を握った。


「あなたは自分のやり方を誇れますか?」

「子供でもキレイとキタナイが分って一方を嫌う。清濁せいだく合わせて呑み込んでこそ大人。私は目的のためならどんな手段も取りましょう。ただし、真っ当な手段ですが」


 社長の手に力がこもる。ものすごい力だった。握りつぶされそうなぐらい圧力がかかる。必死に耐える。


「確かにあなたはとても賢く、一言も脅しを口にしませんでした。むしろ私に忠告しにきてくれた忠臣のように振る舞いました。いいでしょう。あなたは今何を望んでいるのですか?」


 フワッと社長の手の力が抜けた。痺れが残る右手をぐっと握る。


「私は――」

 思い出すのは店長やマネージャー、スタッフ、そしてお客さんの顔、ありえないと分っていても皆が笑えたらどんなに素敵だろうか。


「うちの店をまだ無くしたくありません。立て直す時間をください」



 パソコンから顔を上げる。先月はなんとか赤字を脱出した。今月はここまでは悪くない。これからもうちのフライドフードを使いたいという飲食店とは月間契約を結んだし、広告と接客の改善効果もあってお客さんも戻って来た。後はクリスマスという大イベントでどう結果を出すかで成績が決まる。


 息を吐いてイスにもたれる。

 でもまさか、俺が店長をやることになるとはな。年が明ければ、店長研修に行かないといけない。俺がいない間のお店の経営プランを綿密めんみつに立てて、マネージャーに実行させないといけないんだが……マネージャーは今日から二泊三日で旅行に出かけている。有給休暇だ。相手はパチプロらしい。

「あの人最近は色ぼけしてるからなぁ、大丈夫かな?」

 一応、現在のこの店の最高責任者はあの人だぞ? 



「土日にパチプロがどうしても行きたいって言うから」


 マネージャーは恥ずかしそうに俯いて言った。


「二人も抜けたらシフト的にもまずくないですか?」

「なんかね、地方でイベントがあるんだって。私と一緒に見たいって言うから」


 金づる捕まえて地方でパチスロか。


「ダメかな?」


 こういうのって断っても、絶対仕事に身が入らないだろうからなぁ。


「いってらっしゃい」


 俺は投げやりに言った。



 頭を引っ掻く。まぁ、マネージャーは大人しくしていてくれる分だけマシか。さて、新しいスタッフ募集をのチラシでも貼るか。

 これがリスクマネジメントだ。

 携帯電話がなる。人間嫌いからだった。さっき話したばっかなんだけどな。


「どうしたの?」


 電話の向こうの人間嫌いは興奮していた。


「アイドルも俺がそこまで反対するならサンタの衣装着ないって! 今年は出させない!」


 あ〜めんどくさいぞ。ふ〜む、


「人間嫌い」


 周囲に人がいないのを確認して、俺は努めて優しい声で名前を呼んだ。


「ぶっちゃけ、アイドルのサンタのコスプレ姿見たくないの?」

「見たいに決まってる! だけど他の奴に見られるのは嫌なんだ!」

「でもさ〜このままじゃ、見れずじまいだぜ? お前はここまでアイドルがサンタの衣装を着るのに反対した手前、本人に着てくれなんて言えないだろ?」


 電話の向こうの人間嫌いが黙り込む。


「アイドルはめちゃくちゃ可愛い。そのアイドルがサンタの衣装着たらどうだ? しかもミニスカート! うちはもう若い女性スタッフも全員ズボンにさせちゃったから、滅多めったに見れないミニスカートだぞ?」

「で、でも……」


 ぐらついてるじゃないか。


「分ってるよ。だけど、お前はアイドルと海行く気はないのか? 水着見られるよりはずっとマシじゃないか? それにほとんどレジカウンターの中にいるんだから、なかなか下半身は見られない。イベントが終われば、お前が独り占めすればいいじゃないか?」


 ごくっとつばを呑み込む音が聞こえた。


「ちょ、ちょっと……もう一度本人の気持ち聞いてみる」

「本当か? お前が説得してくれるなら心強いよ。アイドルはお前が好きだから、お前が言ったら断れない。まぁ、無理強いだけはしないでくれよな」

「ああ、大丈夫だ。任してくれ!」


 意気揚々とした声の後、電話が切れる。あいつ最後には説得する側に回ってたな。

 俺は一息つく。よし、これでイベントガールの枠は埋まったぜ。

 まぁイベントが終われば、クリスマスに娘に悪い虫がついていないか心配な父が迎えに来るから、人間嫌いに独り占めなんてできないけどな。

 お店の電話が鳴った。モニタ―を見れば、普通だった。


「はい、おはよう。どうした?」

「おはようございます。あの、明日の朝勤なんですが……」

「おしっ! 不死鳥出させるわ」


 ありがとうございますを聞いて電話を切る。


「あーお疲れ様! いや〜夕勤キツいね」

「お疲れ様です」


 不死鳥と守護神がレジ側のドアから事務所に入って来る。


「不死鳥、明日の朝勤は任せたぞ?」

「は?」


 バックヤードに行く。商品棚の一番上の段の備品置き場から、スタッフ募集のポスターを探す。ここにあったはずだ。


「おい、待ってくれよ」


 あった。これか。丸められたポスターを広げる。不死鳥がそれに気づいて固まった。


「お、おい……それって」

「新しく募集しようと思ってな」


 不死鳥が「ハハハ」と笑った。大げさな動作で髪の毛を掻き上げる。


「朝勤なんて朝飯前だぜ! 任しとけよ!」


 マジックとセロテープを持って、バックヤードのドアに向かう。


「遅刻すんなよ!」


 不死鳥は親指を突き立てて、胡散臭い笑みを浮かべた。

 やれやれ。

 店内にはもうセンター便が着ていた。バックヤードを出てすぐ、パン棚に補充している男喰いとはち合わせた。


「ああ、ごめん」


 通路でぶつかりそうになったので謝ると、男喰いは近づいて俺の裾を掴んだ。


「今日は私も家まで送って行って。できれば新入りの後に」

「ん? 別にいいけど、それぐらい」


 嬉しそうに微笑む男喰いを後にして自動ドアに向かう。今度は俺がアッシーか? まぁ、女性スタッフの安全を守るのも店長の仕事か。負担が多いぜ。

 ったく、そもそも突然に若き店長が辞めたのが悪いんだ。



「子供がもうすぐ生まれるんだ」


 ファミリーレストランに呼び出されると、そこには若き店長とサポーターがいた。


「そうなんですか。じゃあやっぱり、結婚なさるんですか?」


 コーヒーカップを口に運びながら、サポーターが産休に入るなら新しいスタッフ募集するのかなと考える。


「俺、やっぱり店長辞めるわ」


 激アツのホットコーヒーを我慢して吹き出さなかったことを後悔した。


「アッツ、アッツ……い、今なんて?」


 顔を上げると、若き店長とサポーターが手を握り合って、穏やかな笑みを浮かべていた。


「どうしても家族と一緒にいる時間を大事にしたいんだ」

「トラックの運転手を始めるんだって。この人付き合いが苦手だし、私もその方がいいと思うの」


 あ、そう。口の中を冷やすために水を一気に呑み込んだ。


「じゃあ、新しい店長が派遣されて来るんですか?」


 若き店長が他人事のように軽く首を振った。


「お前」


 驚いたということで水を吹きかけても、若き店長の被害は少ないからなんとか堪えた。

 水を飲み終えると、ゆっくり深呼吸する。


「どういうこと?」

「俺が退社届け出しに行ったら、なんか上からお前が名指しされた」


 あの社長か。俺を追い込みたいのか、期待しているのか。両方かもしれないけど。


「アルバイトが店長ってまずくないですか?」

「なんでもありだからな、あの会社」


 若き店長はコーヒーをすすりながら遠くを眺める。すっかり他人事だ。


「じゃ、これから病院に定期検診に行くから。そういうことで」


 若き店長がサポーターの手を引いて席を立つ。伝票を手に取ろうとしたので、さすがに止めた。


「いいですよ。ご祝儀しゅうぎってわけじゃないですけど、ここは俺が出しますよ」


 たかだかドリンクバー三人分くらい。


「まじか? 悪いな、気を遣わせて」


 若き店長とサポーターは俺に手を振って店を出て行く。

 なんだかな〜でも店長か。あの地獄を体験するわけだな。俺は生まれつき、不安定に興奮するジャンキーだから……うん、楽しそうだ。

 さて、行くか。伝票を持って会計に行く。


「二万五六七〇円になります」


 若き店長とサポーターは俺が来る前に、すっかりお腹いっぱい食べていたようだ。



 外側から自動ドアの脇に貼ったスタッフ募集のポスターを見てて、どうもしっくりこない。

 自動ドアが開く。空きカゴが重ねて積まれた台車を押しながら、新入りがお店の外に出て来た。


「どうしたんですか?」


 新入りは、立ち尽くしている俺の所へやってくる。


「いやな、どうもしっくりこなくて」


 スタッフ募集のタイトルの下には、「明るくて真面目な方大歓迎」と書かれている。

 新入りが首を傾げた。


「どこか変ですか?」


 決めた、こうしよう。


「明るくて真面目な方大歓迎」を二重線で消す。その上に、「問題児大歓迎」と書き直した。


「ああ!」


 新入りがポンッと手を打った。

 いや、でもな〜これも違う気がする。


「まだ違うんですか? 悩んでいるなら先輩みたいな人を募集すればいいんですよ」


 その言葉にひらめいた。


「問題児大歓迎」を二重線で消す。


 やっぱり、これだな。


「求む! コンビニの戦士達!」


 新入りを見ると、満面の笑みを浮かべて指でOKサインを作っていた。

 俺も大きく頷く。やっぱり、これが一番しっくりくる。

 ヘルマートは新たな戦士を待っている。

 いつでも大歓迎だ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コンビニの戦士達 幻夜軌跡 @maboya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ