第16話 新たなる誓約~旅の終わり人生の始まり
闇が……晴れる!
再び周囲を吹き荒れる腐食の風。
目を開けたリアムが最初に目にしたのは、魔精霊の風に当てられ土気色になった
リアムの手を握る彼女の手は見る影も無くぼろぼろになっていて、大好きだったフィオナの手をそんな風にしてしまった自分に罪悪感が芽生える。
それでも二人の左手には紋章があり、大審問を展開するためにメディアは紋章解放の準備に入っている。やることはもう決まっていた。
「メディアさん。そのまま僕の紋章を解放してくれ!」
「リアムさん!!」
フィオナが接触してからまだほんのわずかしか経っていないはずだが、大審問の漆黒の円陣が消えてリアムが正気を取り戻したと言うことはフィオナは目的を遂げたのだ。
意識を切り替え、コリントスの紋章旗からリアムの紋章旗を想起する。
リアムの頭上にヤマユリの紋章が現れその力が発現する。
『応えよ! 我が紋章旗! 神より賜りし奇跡を示せ! 我、リアム・ライアンが祈念する。神威顕現・万癒の雫よこの手に!!』
握りしめた拳から、青く澄んだ水滴がこぼれ落ちる。
これこそが雪割り谷男爵、初代エイドスより受け継ぎし治癒と浄化の奇跡。
生死を逆転させる神の奇跡の顕現である。
リアムを中心に次々と腐食した大地や空気が浄化され、フィオナの身体を侵食していた毒も即座に浄化される。
「アアアアアアアアアアアアアアアアア」
空気をつんざくような叫びと共にリアムの中から再び
「フィオナ! 左によけろ!」
「きゃっ!」
小さく悲鳴を上げてフィオナは転がる。その場が風の鎗の一撃で次々と穿たれる。耳を澄ませば風が聞こえる。目を開けば風が見える。
離れたとはいえ魔精霊はリアムの身体の一部。当然その意識が消えた今、アイアースが操っていた風は使えないまでも視ることはできる。
「やったか。だが、このデカブツをどうする? 少しの時間なら対処できるかもしれんが、俺の寿命が尽きるまで戦うわけにもいかんぞ?」
勇者の力は使えば使うほどヘリオスの命を削る。
このまま魔精霊の自滅につきあえば、ヘリオスの方が先に力尽きるかもしれない。
「みんな聞いて。恐らく今はこの魔精霊は操る魂を失って空っぽの状態なの。これはどういうことかというと、現状では
魔精霊が人間の精神を取り込んで人間族の敵になっているといっても、元々はその力はヘリオスと同じく根源精霊の力を変化の神が悪意で変質させたものだ。
つまり、その精霊の力を操る魂が大審問によって隔離されてしまえば、そこに残るのは純粋なる精霊の力だけになるはずだ。
「フィオナ、それってつまり……」
「そうよ。リアム貴方がここで『勇者の宣誓』をするのよ!」
ヘリオスの正体を知った今なら断言できる。精霊の力をリアムの意思で抑えつける。それ以外にこの場を切る抜ける方法は無い。
「そうか。でもそのためには、これを止めなければならないんだよな」
話している間にも、暴走を始めた攻撃は繰り出される。
紋章の力で毒は消せる。何とか攻撃をかわすこともできる。
それでもリアムを傷つけずに精霊体だけを倒すには至難の業に思えた。
「それが問題ね。ヘリオス、焼き払わずに何とかできそう?」
「一瞬でも動きを止めることができれば。だが、できればもう一人欲しい」
光を操るにも詠唱がいる。先ほどのようにリアムごと魔精霊を斬るのは容易いが、それでリアムの寿命がどれだけ減るかはわからない。そんな危険な賭けはヘリオスもしたくない。
その時である。
ヒュンっと背後から飛来した鉄の塊が魔精霊を貫いた。
魔精霊の身体が揺らぎ背後で地面が炸裂する。風の彼方から聞こえてくるのは蹄の音、更に飛来した投げ槍を精霊体がはねのける。
「待たせたでござるな!」
そこに立っている者はみんながよく知る男だ。
鎧も着けず、上半身に包帯を巻き付けた痛々しい姿ながら、そこには確かにデメトリオスが立っていた!。
「師匠!」
「デメトリオス殿!」
フィオナとメディアは呆気にとられ、リアムとヘリオスは叫ぶ。
そこにいたのは
その傍らにはもう一人の人馬族がいた。
「デメトリオス殿はあまり無理をなさらず~。ここはそれがしに任せるでござる」
もう一人の騎士はコリントスへの伝令を頼んだアンティオコスであった。
その手には巨大な弩、ガストラフェテスが握られている。
精霊体を貫いたのはこの兵器から発射された矢であった。
攻撃に反応し、精霊体は風の弓を産み出してアンティオコスを撃つ。
だが、そこはケンタウロスの足である。
易々とかわしながら正確な狙撃を繰り返していた。
「デメトリオス殿。前に出ずフィオナを助け出して石の壁を頼む。メディは俺に光を!」
「応とも!」
「わかりました!」
『【生ぜよ】光。
宵闇照らす【輝き】よ来たれ
真昼の如く世界を【照らせ】
命ずる。我が意に従い【収束】せよ!』
ヘリオスの身体に光の魔法を撃つことで一時的に能力を賦活し、命の消耗を抑える。背にした文様を光が走り抜け、ヘリオスの身体が一瞬全て光に変換される。
アンティオコスとデメトリオスに気を取られていた精霊体がヘリオスの動きに気がついたときには、既に手遅れだった。
ドンッ!と、雷光と同じ速さで精霊の身体に風穴をぶち開ける。
メディアは、そのまま駆け寄って、フィオナに世界辞典を手渡す。
「先生、世界辞典をお返しします。今こそ、魔精霊を倒しましょう!」
「ええ!! リアム。私と手を繋いで。一緒に勇者の宣誓を読み上げるわ!」
世界辞典のページがめくれて、目的のページが現れる。
リアムは手を伸ばしフィオナの手をしっかりと握る。
すると、フィオナの得た知識が彼の頭の中にも流れ込んでくる。
「「我は願う。永遠なる世界の守護者にならんことを
我は願う。安寧を運ぶ導き手にならんことを
我は願う。世界の敵に神罰を下すものにならんことを
我は願う。神の手となり目となって正しき道を照らすことを
万物の風をこの身に宿し、世界を繋ぐ楔とならん
秩序の神よ。我が誓約を聞き届けたまえ!」」
フィオナとリアム、二人が唱える誓約の言葉。
リアムの背中の文様が形を変え、翼のようにその背に刻みなおされる。
【誓約はなされました。新たな勇者よ。貴方が正しき道を歩むことを願います】
ほんのわずかな一瞬、フィオナに良く似た女性の姿が見えた気がした。
宣誓が終わり周囲の風が止まる。大地に満ちた魔風は穏やかな風となりリアムの体の中に流れ込んでいく。そしてそのまま倒れそうになる彼をフィオナが支える。
それでも非力なフィオナでは彼を支えきれず、そこにデメトリオスが手をさしのべた。
「良くやったな。我が弟子よ」
「ありがとうございます。師匠こそ死にそうな顔してるじゃないですか」
本来は動けるような怪我ではない。デメトリオスも死ぬ気でここに来たのだ。
その気持ちが嬉しかった。
「今度こそ、お帰りなさい。リアム」
「ただいま。フィオナ」
魔精霊が消えたことで、急速に世界は浄化されていく。
その場に座り込むメディアに人間の姿に戻ったヘリオスが抱きかかえる。
「へ、ヘリオス様!!!」
「メディもよく頑張ってくれた。俺も勇者の使命を果たせたよ。ありがとう」
「当然のことをしたまでです。わたしはこれからだってヘリオス様のいくところならどこへだってついて行きます」
真っ赤になって訴えるメディアをヘリオスはそのまま抱きかかえる。
「アンティオコス殿、本隊には魔精霊の討伐に成功したと伝えてくれ」
「かしこまりた。殿下!」
推薦状を書いたからには彼も一時的にコリントスの騎士になっているだろう。だからおそらくデメトリオスを背に乗せてここまで先行してきたのだ。
間もなくコリントス軍の本体が到着するはずだ。
「帰りましょう。我が家に」
「ああ……帰ろう」
こうしてフィオナ・グレンが婚約者であるリアム・ライアンを取り戻す旅は終わりを告げたのだった。
雪割り谷。
誓約の勇者と旅に出たフィオナが行方不明であったリアムを連れ戻し、さらにその二人は魔精霊を倒した功績により、共に本来の雪割り谷領主の姓であるエイドスを名乗る権利を得た。
500年前の大戦で本家であるエイドス家とその分家のライアン家の当主が死に、ライアン家の分家であった当時のグレン家の当主が、ライアンの名を次いで以降、久しく名乗られていなかった家名だが、グレンとライアン双方の家名を残すために元の名を復活させることとなった。
雪割り谷の村人は元をただせば全員が、初代温泉代官であり皇帝ヘルメスの側近であったエイドスの末裔であり、村人の間では、若い二人が帝国成立以来続くこの村の誇りを取り戻した話題で持ちきりだった。
二人の婚礼には共に死地へと赴いたヘリオスとその紋章官であるメディアも来ている。もっともメディアはというと、儀礼のある時以外は内弟子としてフィオナの家で学んでいるので、もう既にこの村の村人のようなものなのだが……。
そして、儀礼服を着て現れたデメトリオスは驚きを持って迎えられていた。
無頼の放浪騎士だと思われていた彼は、テッサリアにおいては一番槍を任される騎士隊長。
公女ディアネイラの守り役であることが判明していたのだ。
皇帝戦車を牽くというのは比喩でも何でも無く、帝都勤めになった公女に仕えるために国許から五年間の遊学許可を得て武者修行に励んでいたのだという。
他にも翼人のアンジェロや、仲間の翼人。
ハンナの故郷であるミケーネの隊商や、ミダス商会の者達も招かれていた。
これまでは表に出られなかったゾエだが、腕の良い
『男爵様になられるのでしたら、わたくしがリアム様の側室でもよろしいのではないですか?』
と、本気とも冗談ともつかぬ話をして、そのたびにリアムの背には冷や汗が伝うのだった。
「ハニエルも婚礼まで残っておれば良いものを。ここは奴の家でもあるんだぞ!」
「まぁまぁ、あなた。あのものぐさな人がわざわざ勅使を引き受けてまで祝いに来てくれたんですから、それはいいっこ無しですよ」
フィオナの叔父であり彼の弟弟子でもあるハニエル・グレンは皇帝からの祝いの品を届けると、養父の墓参りだけすませて帰ってしまったのだ。
「あの子達が無事に帰ってきてくれたんだから、それでいいじゃないですか。私達の自慢の子供達ですよ」
「ああ。殿下より魔精霊の話を聞いたときは、どうなるかと思ったが……二人とも元気で帰ってきてくれただけでも嬉しいものだ」
あの日の朝、今生の別れかもしれぬとフィオナの旅立ちを見送った二人は見事に凱旋を果たした子供達に最大限の祝福を与えようと決意していた。
翌日、二人の婚礼は盛大に執り行われた。
昼の間から延々と大騒ぎが村の中央の広場で繰り広げられ、身分の上下の区別無く祝いの言葉が述べられる。肩を組み歌を歌い思い思いに踊る。
そして日が暮れる頃、手に手に松明を持った参列者達が沿道に列を作る。
昼のうちは挨拶や儀式を済ませていた新郎新婦が登場するのである。
リアムはトーガでは無く短い上着にぴったりとした革のズボン。長手袋とブーツという狩人のような服でフィオナをエスコートする。
この村にハンナが嫁に来た時に持ってきた浅葱色のドレスを仕立て直した花嫁衣装に身を包み、ヴェールを被ったフィオナが前に進むと人々からは感嘆の息が漏れる。
普段と違い、婚礼用の化粧を施されたフィオナの美しさに皆が呆気にとられていたのだ。それでも、その小脇にはいつものように世界辞典を抱えているのは相変わらずだった。
「見てください。ヘリオス様! 先生ってすっごいお綺麗ですよ!」
「ああ。ちょっと驚いた」
珍しく驚いた様子のヘリオス。
「もしかしてやっぱり無理にでも結婚したかったとか思ってます?」
やや心配そうなメディア。
「いや……俺はリアムほど几帳面ではないからな。きっとあの外見に騙されて恐ろしい苦労をしていたにちがいない」
いつになく神妙そうな顔のヘリオスにメディアがクスリと笑う。
「大丈夫です。ヘリオス・ジェイソンは誰がなんと言おうと世界一の騎士です。それはわたしが保証します」
「そうか……それではメディには世界一の紋章官になってもらわないとな」
「それとこれとは話が別です!」
意外な切り返しにメディアが慌てて言い返す。ヘリオスはただ嬉しそうに、メディアとフィオナ達を交互に見つめていた。
彼が守った平和がここにあるのだ。それだけで十分だった。
そして夜は更けていく。
痛飲して大いに酔った二人のケンタウロスが早駆け勝負を始めたり、うっかり仮面を落とした翼人の美しさに村中の女性が凍り付く事案もあったが、宴は深夜遅くまで続いていた。
翌朝、丘の上にある墓地。全ての始まりの場所にフィオナはやってきた。
墓石は綺麗に磨かれていて、おそらく叔父が置いていった花が手向けられていた。
「お爺ちゃん。無事にリアムも帰ってきてくれたわ。これからも私達のことを見守ってください」
世界辞典に記された多くの知識があったからこそ、フィオナも目的を果たすことができた。紋章を継いだ以上は制約はあるとはいえ、元の村娘に戻れるはずである。
「フィオナ! やっぱりここにいたのか!」
「リアム。来ると思っていたわ」
隣で寝ているフィオナの姿が見えなければ、すぐにでも来てくれると思っていた。
「そうか。長い旅だったもんな」
リアムにとっては三年ぶりの故郷。
ここに至るまではとてもとても長い旅路だった。
「何言ってるの。私達二人の人生はここからはじまるのよ」
全てを取り戻し、もう一度ここから始まる。
「旅の終わり。人生の始まりか……」
「そうよ。私と貴方の人生の始まり」
「長い道のりになりそうだ。フィオナ、これからも僕と一緒に旅をしてくれるかい?」
そういうと、やや強引にフィオナを抱き寄せる。
フィオナは何も答えず、きつくリアムを抱きしめる。
二人の間にはもはや返事など不要だった。
二人が見つめる雪割り谷の空は、どこまでも澄み切っていて、二人の門出を祝福しているようだった。
村娘が世界を変えてもいいじゃない! 紀伊国屋虎辰 @Sutelow
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。村娘が世界を変えてもいいじゃない!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます