Ⅱ.房総半島南 承平年間 夏

 高く組まれた櫓から鐘が鳴り響いていた。

 鐘はゆっくり二回、二回、一回、それが間を置いて繰り返される。

「まさかこんなに早く来るとは思わなかったな」

 腕組みをしたまま、男が呟いた。

 昼近い強い日差しが男の剥き出しの肩や背を焼くように照らしつけている。

「この季節の風に乗れば、陸路の数倍の速さでここに到達します。驚くことではありません」

 松の木陰から一歩、少女が陽射しの中に進み出る。

 手首に飾られた金銀の輪が鋭く輝く。

「予想していたとでもいうのか?」

「予想などという曖昧なものではありません。算術です」

 大柄な男の苛立ったような声音に対し、隣に立つ少女は静かに呟いただけだった。

「算術ね、本当かい」

 小さな頷き。

 動じる気配はもちろん、自慢も気負いもなさそうな様子に、男は思わず笑みをもらす。

 ほどなくして白い帆を張った小船が二艘、浜に舳先を向けて止まった。沖合には同じような小舟がさらに数十、そして、巨木のような帆柱を幾本も並べた大型の船が数隻見える。

「で、早春のお嬢さんや。俺たちゃ何すりゃいいんで?」

「手筈通りに」

 少女の視線が傍らに積まれた木箱に一度向けられ、すぐに男に戻される。

「はいよ、手筈通りに、ね」

 男は鼻を鳴らし、片手を鋭く振りあげた。

「よぅし、積み方始め!」

 陽射しを避けて木陰に座っていた兵たちが弾かれたように立ちあがる。

 四隅を金具で補強した箱は大小合わせておよそ百に及ぶ。中身は金の地金、絹、麻、染物、その他の財貨だ。それらは全て、この半年の間に国司や郡司、貴族や豪族たちの蔵から運び出したものだ。

「おら、お前ら! ぼさっとしてねえでとっとと運びやがれ」

獣の咆哮に似た怒声であったが、兵士たちは怯える様子もなく、一つの木箱を数人がかりで抱えて浜へと進み始めた。

先着の船から船乗りたちが次々と浜に飛び降り、呼応するように陸地から船へと、荷受けのために控えていた別の兵たちが焼けた砂地を蹴りあげる。

「ちょいとばかり惜しい気もするな」

船から荷が砂地に運び出され、陸から船へ、木箱が積み込まれる。男は次々と搬出されてゆく木箱を見ながら呟いた。隣の少女は何も言わず、首を傾げるだけだ。

 二人は並んだまま、荷役の兵の後を追うように続く。

「で、船の連中だがよ、信用できるんだろうな?」

 強い語気を伴って、男は少女を睨みつける。

「こっちから積み荷を奪って、はい、サヨナラなんてことにならねえだろうな?」

「ありえません」

 断定的な声。

「まあ、向こうもきちんとこっちに荷を下ろしてやがるから間違いはねえだろうがよ、なあ、早春のお嬢さん、一番大事な積み荷が、まだ見えねえんだが」

 陽射しに目を細め、男は浜から船、沖合へと指さしを動かした。

「奴らが裏切っていたらどうする。ぶち殺していいのか」

「ありえません」

 断定的な声。

「そのようなことは今までもなくこれからも起り得ません。あなたももう、良くお分かりのはずですが? 違いましたか」

 小首を傾げながら逆に問いかけられ、大男はわざとらしく顔を崩した。

「おっしゃる通りで。万事、あなた様の言うとおり、ってね」

 男の名は小次郎、少女の名は早春といった。

「鬼には逆らわねえ」

さらに一言を付け加え、顔に笑みを浮かべて男は浜の半ばで立ち止まった。

二人はともに、都から複数の手配状を発せられた身である。罪状は最大のものでは国司への叛逆、罪人隠匿、海賊行為、略奪などに及び、中には「伏すべき妖怪鬼神」と名指されているものまである。

たしかに、遠目に見ると二人の組み合わせは鬼と妖怪の類に見えたかもしれない。巨木を思わせる圧倒的な体躯に無数の刀傷。かつての合戦では鎧を纏わず、それにもかかわらず雑兵の振るった刀をその肌をもって弾いたと言われている。

 一方、その巨漢に臆することなく言葉を交わす早春は、都でも鄙でも、国のどこを見回しても見かけない姿をしていた。

 細い顔立ちに、切れ長の双眸と鋭い弧を描く眉。瞳の色は灰とも銀ともつかぬ色合いで常に輝きを変える。身の丈は男たちと並んでもさらに高く、手足は蜘蛛のように細い。常に纏っているのは幾重にも重ねた長い薄布であり、染め抜かれた紋様も国のどこにも見られないものだった。兵を含む多くの人々は、彼女をその名ではなく、鬼、蜘蛛、と呼びならわしている。

「さてよ、どうかね」

 兵たちを監督するように、小次郎が浜を歩き回る。早春はその真横を、几帳面に距離を保ちながら続いていた。

「こちらで依頼した品は、正確に届いているようです」

 武具、馬具、様々な形状に加工された木材や、皮革。早春は下ろされた荷をひとわたり眺めて小次郎に告げる。

「あとは……」

 細い腕が沖合の船を指し、そのまますっと左に動く。

「あの船団とその兵そのもの……」

「上手い具合に働いてくれればいいけどよ!」

「ご心配なく」

 荷を積み込んだ小舟が、一度浜から沖へと出てゆく。

 浜にはまだ大量の木箱が置かれている。全てを運び終えるにはまだ何往復もが必要だろう。

 鐘の音が遠くから、打ち方を変えて聞こえてきた。一回、二回、一回。

海岸から本営、村、訓練地、社、山の隠し里に至るまで、鐘櫓の網は完全に張り巡らされていた。取り決めに従った鐘の打ち方でいかなる足も及ばぬ速さで知らせは行き届く。

 小舟が六度目に浜についた時、波打ち際に一人の小柄な青年が飛び降りた。

「最後の最後においでなすったな」

 船頭や船乗りたちとなにやら言葉を交わしたあと、そのままゆったりとした足取りで砂を歩いてくる。

 灰色の狩衣に、腰に太刀。長い髪を首の後ろで乱雑に束ねている姿は地侍か、良くても都仕えの下人にしかみえない。小次郎と早春の姿に気付いたのか、歩きながら片手を挙げる。

「遅えんだよ! もったいぶってねえでとっとと来やがれ、この馬鹿!」

「仕方ないだろ、荷の受け渡しに立ち会わないといけないんだから」

 小次郎の怒鳴り声に、青年は笑いながら声を返した。

 小波に足を取られながその姿が近づいてくる。海に出ていたとは思えないほど、肌が白い。

「それで、向こうの首尾はどうだって? ん?」

 乱暴に肩を抱くように青年を迎え入れ、小次郎が尋ねた。

「向こうと言われても、どこの何だかわからない。順を追って説明するよ」

「け、呑気な野郎だ。だ・か・ら、てめえは舐められるんだ」

 ばしばしと音を立て、丸木のような腕が青年の細い背を叩く。

「弱気に見せておくのも手のうちさ」

「良く言うぜ」

 二人のやり取りを耳に、早春は黙って後ろに続いている。

 灰色がかった瞳が、青年の背を、見つめている。

「どうしたい? こいつの背中に怨霊でも憑いてるか?」

 小次郎が早春の視線を察し、ぎょろりとした目を向けながら青年の背を叩いた。

「それとも、懐かしくてつい、見とれたか?」

 からかうような大笑いに、早春は小さな笑みを返す。

「そのようなことは、ありません。ただ、心なしか気力の衰えを感じます。都で、何かございましたか? ……いえ、何がございましたか、と、お尋ねすべきでしょうね。小次郎……鬼(き)王(おう)……それとも親王とお呼びしましょうか?」

「君たちは少し落ち着いてくれないか? 二人して一気にいくつも質問されたらどう答えたら良いか分らないじゃないか」

「はっ」

 わざとらしくあきれた声を出す小次郎と、

「失礼しました」

 微笑混じりに一礼する早春。

 早春は軽く片手を上向けて木陰の一角を指し示す。

「食事の用意をいたしました。焦っているわけではございませんが、その席で、ぜひ、お話しを纏めて伺いましょう」


 昼を過ぎると僅かに風が強まり、松の葉が波音を隠すほどに大きく聞こえ始めた。

 浜での仕事を終えた兵たちは草むらに身を横たえ、僅かな午睡を取っている。小次郎と早春、そして鬼王の三人だけが、兵たちの一団とは離れた位置に座していた。

「しっかし、鬼王とは、畏れいったな、お前、本当にそう名乗ったのか?」

 小次郎が笑いながら樽から木椀に水を汲む。

「驚いてはいたよ。だけれど、今さらどうしようもない。都の方では、我々はどうやら鬼と妖怪の軍勢だと思ってるふしがあるからね」

「それで乗ってやったのか? 馬鹿かお前は」

「まともに名乗れば、それこそ本当の逆賊にされかねない。向こうは全部承知でも、表沙汰にはしない方が良い事もある」

 親王としての地位、東国征伐の長。かつて与えられては取り上げられ、また時に名を変えて与えられてきた様々な肩書き。小次郎は眉間に皺を寄せ、口を尖らせ、やがて頷いた。

「ま、逆賊にされちまったら、さすがに俺たちもお手上げだからなぁ……」

「そういうことさ。それに、なによりお互い同じ名前なんだ。片方が名を変えた方が分りやすくて良いだろう?」

「違ぇねえ」

 二人のやり取りに早春は静かに耳を傾けていた。

 筵の上で長い両脚を横に流して座っている。

「それで、都の様子はどうなんだ? まっさか、我こそは東国随一の鬼の王でござい、っと、ただ名乗りを上げに行っただけじゃあるめえ」

「当たり前だろう。だが、何から話そうか……」

 二人の目が自然と早春に向けられる。

 話の取りまとめを無言のうちに、しかしはっきりと、それは求めていた。

 早春は一度髪を掻きあげ、頷いた。

「追討令についてはいかがでしたか? 討伐の軍は……?」

 前置きもなく、早春が問いかける。透き通った声だった。穏やかではあるが、どこか鋭利な硬質な響き。

「追討令は出されない。我々は逆賊ではなく、あくまでも国司の横暴に対して抗っただけの、そこそこ大規模な乱暴者……といった扱いになりそうだ」

「上手く丸めこんだじゃねえか。お手柄ってところか?」

 ひっきりなしに樽から水を汲み、その木椀を掲げながら小次郎が笑う。早春はじっと鬼王を見つめたまま何も言わなかった。

「いや違う。半年ばかり向こうにいたが、都も西国も、ひどい有様で」

「追討の軍を送るだけの余裕が無い、そういうことですね?」

 問いかけるというよりも確認をとるように早春が言う。

「そうだ。都の周辺でも盛んに乱が起きている。西国や瀬戸内でも同じようだ。……飢饉も、疫病も、大火事もあった。都では辻風で羅城門も、もう姿を留めていない。都の半分は冥府の巷だ。酷いよ、死者だけでも、数えきれないだろうな……」

 早春と小次郎の表情が僅かに曇る。青年は言葉を続けた。

「道真公の祟りだ、処刑された罪人の呪いだ……そんな話ばかりが出回ってる。我々が鬼だと言われても、おそらく事情を知らない者は十人が十人、そのまま信じるだろう」

 小次郎の大声がたちまち静けさを破った。

「怨霊の仕業ってことにすりゃ、連中も楽だろうよ。馬鹿馬鹿しい」

 が、と、小次郎は笑みを浮かべる。

「公卿どもも泡食ってることだろうな、都がぶっこわれて、乱騒ぎに、疫病に飢饉に大火事かよ。それじゃあ、俺たちの騒ぎにかかわってる暇はねえわけだ」

「公卿同士の争いも激しさを増している。裏切りも頻繁だし、だいいち、役人がほとんどまともに働いていない。税吏がそのまま財貨を持ち逃げすることも頻繁にあるし、国司や郡司はそれでもやりたい放題で、それを止める者もだれもいない。状況はここより酷いよ」

「馬鹿! もっと酷くなりそうだったから、お前ぇだってやべぇのは承知でこうやってんだろうが!」

 小次郎の荒げた声に、早春が頷いて賛同を示した。

「とにかく、追討令は出されないことに決まってる。ずっと先のことは分らないが、当面はその心配はいらない。もっとも」

 周囲で寝そべる兵たちを一度見回し、鬼王が続ける。

「こっちの訴えだって取り上げてはくれない。国司や、その手の下にいる連中との戦いは、今まで通り、続くことになるだろうな。留守中も、戦いはあったんだろう?」

「さっきの荷を見たろ? あの通りよ、国司の軍を二度ほどやり合ったが、まあこっちの圧勝だ。連中の蔵もさすがにもう空っぽってところだろうよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おとぎ話はまた後で 高尾登 @mondphase27

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ