最終話 力士は立ち上がらなかった

 再び少年を動揺させるような情報が耳に飛び込んで来るのは、ちょうど彼が中学2年のことである。もっとも今度は以前のような不祥事ではなかった。とある総合格闘技の大会に、そこそこ実績のある元力士が出場するとの知らせである。


 おりしも、格闘技ブーム全盛である。当然彼の通う中学でも、この世紀の一戦は大きな話題になっていた。もっともこの機をとらえ、彼が久々に相撲最強説を振りかざしたのかと言えば、そういうことはない。精神に深刻なダメージを受けていた彼には、もうそのような力は残されていなかった。相撲をバカにするような言葉を聞いても、一言いちごん反駁はんばくすら発さなかった。いや、それどころか彼は恐怖に震えていた。


――いやぁ確かにね、見たかったっちゃ見たかったんだけどさぁ。でも見たくないって言うの? あるじゃん、そういうことって。好きな娘がうんこするところとかさぁ、見たいような気持ちもあるけど、やっぱり見たくない的な。もうそんな感じなのよ、今の俺は。仮に勝ってもさ、相手なんてモロ色物だし、そいつに勝ったところで何って話じゃん。得るもんがないんだよね。最強の証明になんて絶対ならないし。むしろ失うものしかないって言うね。これ嫌な予感すんだよねぇ。ハメられてる感って言うの? やばいと思うよ、マジで。そういうの考えなかったのかね。俺ですらこんくらいには想定してんのに。ほんと相撲協会からしたらたまんないだろうね、今の状況。ま、それは俺には関係ないことだけどね・・・


 彼は弱気になっていた。しかし、出場する以上は是非とも勝利して欲しいと願ってもいた。それは相撲のためと言うより、相撲最強説の再起のためにと言うべきだろう。決して勝てば全てが解消されるなどと楽観してはいなかった。が、その勝利がキッカケになって、事態が好転するかもしれないとの淡い期待は抱いていた。


 試合当日、少年はどこにも遊びに行かず、自らの部屋にももらず、何時間も前からリビングのテレビの前に陣取っていた。これは夜からの放送を前に、家で一番大きい画面で見るための場所取り行為であった。が、同時に、部屋に独りでいることが彼には耐えられなかったのである。


 もっともそうした心中は悟られまいと、彼は何食わぬ顔でソファーにふんぞり返り、じゃがりこをポリポリ言わせるなどしていた。元力士の試合はメインカードで、放送時間も遅かった。が、彼はトイレに行く以外、ほとんどテレビの前から離れることをしなかった。


 強がって平静をつくろっていた少年も、いざ目当ての試合が近づくにつれ、気もそぞろになっていった。情緒も不安定になっており、テレビ放送特有のらせる演出に本気で激怒するなどしていた。


「マジむかつくわー。クソテレビ」

「そこに立たれると見えないから。よけて」


 そうこうするうちに試合が始まった。元力士は開始ゴングと同時に、猛烈な勢いで相手をロープ際に追いやった。彼は「bhoaう゛ぉあ」と頓狂とんきょうな声を上げ、興奮でソファーの上に立ち上がった。もっとも、最初の勢いとは裏腹に、元力士はその後何らの技も繰り出さなかった。相手におおいかぶさったまま、時間だけが淡々と経過していった。何の面白みもない展開である。が、彼は固唾かたずを呑んで見守っていた。


「何これ」

「・・・」

「イチャついとるだけで1ラウンド終わったわ」

「・・・」

「もうバテてるでしょ。あれ」

「・・・」

「まあ相撲はこんなもんだわなぁ」

「・・・」

「2ラウンドたないんじゃない、これ」

「・・・」


 かたわらで一緒に試合を見ていた父親の感想に、少年はひと言も返さなかった。耳に入っていなかったわけではない。あまりに自分が考えていることと同じ過ぎて、何か心を透視でもされたかのように感じ、怖かったのである。


 彼は期待、いや祈りを胸に2ラウンドの開始を待った。しかし現実とは残酷なものである。ゴングが鳴って間もなく、先ほど同様突進していった元力士のあごを、対戦相手はきれいに打ち抜いた。元力士は立ち上がらなかった。


 週明け学校に行くと、少年が相撲最強説論者であることを知っている友人は、あいつは往年こそ番付も上の方であったとは言えもとである、現役の横綱クラスならいい試合をするであろう、1ラウンド保っただけで十分であるなどと、慰めるような、或いはからかうような言葉を彼に投げ掛けた。彼は反論しなかった。それどころか以後二度と、少年は相撲最強を口にすることはなかった。


 くして、少年は相撲最強説を封印したのである。いや、見方を変えれば、今までの彼が相撲最強説にふうをされていたとも言えるのかもしれない。と言うのも、これ以後、彼は呪縛じゅばくを解かれたかのように活き活きと、より柔軟に、そして大胆に最強を追い求め始めるのである。


 モンゴル人最強説、現代MMA最強説、セネガル相撲最強説、プロレス最強説、コマンドサンボ最強説、古流武術最強説、ポリネシア人最強説、クラヴマガ最強説、アマレス最強説、アメフトのプレーヤー最強説、軍隊格闘術最強説など、彼が興味を示したものを挙げればキリがない。いずれにせよ、今では日夜、古今東西の最強を追い求めているとのことである。もっともこうした行動も、見様みようによっては、相撲最強説への反発が生み出した当てつけみた現象と解釈できるのかもしれない。その見解に照らせば、彼は成仏じょうぶつし切れず、亡霊化していたと言わねばならないが。


おわり

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相撲最強説の誕生 アブライモヴィッチ @kawazakana

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