じわりじわり【短編】

河野 る宇

◆じわりじわり

「理恵~、ごはんよ~」

「はあっ!?」

 なに!? 今の……怖かった。

 夏休みは色々と疲れるもので、私はつい昼寝をしてしまっていた。高校最後の夏休みだというのに、エアコンのきいた涼しい部屋でおでこに汗びっしょりなんておかしいじゃない。

 どうやら夕飯の時間らしい。お母さんの声で起きたけど、どうにも寝覚めの悪い夢だった。

 思い出した途端、背筋がぶるっとして私は慌てて下に降りた。

「大丈夫?」

「あー、うん」

 お母さんの心配する言葉に生返事を返した。それくらい精神的に疲れていた。

 夕飯を食べ終わり、テレビを見ずに階段を上る私にお母さんは少し変な顔をした。でもテレビを見る気にもなれなかったんだ。

 あれはなんだったんだろう。私はベッドに寝ころびながら考えた。寝ている私のつま先からゆっくり、ゆっくりと男の人の手が──

「いやっ!?」

 思い出すと鳥肌が立つ。きっと昨日、みんなで近くの廃屋に行って肝試しをしたせいだ。

 近くに何年も前から誰も住んでいなくて放置されてるアパートがあって、勉強会に集まったクラスメイト数人が肝試ししようと言い出した。

 私はお化けなんか怖くないけど、夜中にうちを抜け出したり、こんな真っ暗な所に何があるか解らないから少しだけ嫌がった。

「どうせ怖いんだろ」

 そんな男子の言葉にカッときたのがいけなかった。

「怖くなんかなんいわよ」

 ああ~言っちゃったって思った。五人くらいでボロボロのアパートに入ったけど、特にこれといったことはなかった。

 スプレーの落書きや散らばった紙切れや割れたガラス、壊れた家具が懐中電灯に照らされて湿度で変な音がしたりもしたけどそれで終わり。

 きっとそのせいで変な夢を見たんだ。会ったら文句言ってやる。

「あ、もうこんな時間? 寝よ」

 気がつけばすでに十時を回っていた。私は昼寝をしたのに疲れが取れていないらしく、歯を磨いてすぐにベッドに潜り込んだ。


 ──そうして、もうすぐ午前二時になろうとしたとき、私は全身が硬直して目を開いた。

「なにこれ」

 もしかして金縛り? うそ、金縛りなのこれ? 指の一本も動かせない。声も出ない。どうしよう!?

 私はそこで気がついた。足元に何かいる。物とかそういうのじゃない、何かの息づかいが感じられる。

「ひっ!?」

 それは紛れもなく夢に見た手だ。ごつごつした男の手、少し肉付きが良くて右手の薬指には夢で見た手と同じ黒いアザがある。

 夢ではふくらはぎまでだったけど、その手はじっくりと私の足をなで回し膝に上がってくる。その手つきがなんともイヤらしくてさらに怖さが増した。

「やだ……やだ!」

 どうにか動けるようになって跳ね起きた。

「なによいったい」

 体の震えが止まらない。そのあとも怖くて眠れず、部屋の電灯をつけてベッドの上でうずくまっていたらいつの間にか寝てしまったみたいで小鳥の声で目が覚めた。

「……気持ち悪い」

 触られた場所を思い出し、何度もさすった。

 嫌なことは嫌なことで忘れてしまおうと私は宿題を始めて、夕方には友達と盆踊りに出かけた。

 お父さんからお小遣いを貰い、お母さんが着せてくれた浴衣で友達と公園に向かう。リンゴ飴や金魚すくい、くじ引きをしてとても楽しく過ごし、夢のことなんかもうすっかり忘れていた。

 ──折角、楽しかったのに。いい思い出だったのに、そいつはお構いなしに現れた。

「なんで? なんでよ」

 泣きたくなる私の足をあの手が這い上がってくる。ゆっくりと、なで回しながらじわり、じわりと気持ちが悪い。

「やあっ」

 声は相変わらず出ない代わりに心で必死に抵抗した。手はイヤらしく私の膝を越え太ももにまで到達する。

 だ、だめよ。これ以上はだめ。そんな心の声なんか無視して手は太ももをなで回し始めた。

 表面を触れるか触れないかくらいでやんわりと撫でたり、私の肌の弾力を楽しむように力強く撫でたり。

 パジャマを着ているのに、その手は潜り込んで触ってくる。人が一人分入っているくらいのふくらみがタオルケットを押し上げてる。

 なんとか動く目でそこを見ても、真っ黒い影があって肘から下の手だけがはっきりと見えていた。

「いい加減にしてよ」

 もうだめ泣くと思ったとき、太ももの内側にするりと手が入ってきた。手は今まで以上にイヤらしく内ももをなで回し、その恐怖で私は涙も出せなくなった。

 昔、お父さんが隠し持っていたエロビデオをこっそり見たときに出ていた男優みたいな気持ちの悪い動きだ。

 これが好きな人がしていたなら、きっと私も興奮するんだろう。次第に大事なところの直ぐ近くまで指が来て──

「助けてお母さん!」

 叫びは声になり、飛び起きた私はお母さんのいる寝室に走ってその夜はお母さんと一緒に寝た。

 朝、図書館が開く時間を確認して私は直ぐに家を出た。あの夢がなんなのかを調べるためだ。

 まず夢占いで調べてみた。だけどこれといったものが出てこない。手を見つめるとか拳とかじゃないのよ。

 これはだめだなと私はふと心霊関係の本を手にした。暇つぶし程度にパラパラとめくってみる。

「ん? これは?」

 色んな幽霊の種類が書かれているなかに私は一つの名前を見つけた。

「淫霊?」

 人間にエロいことをする幽霊らしい。痴漢じみた事の他に性行為までやらかそうとするそうだ。あいつは淫霊だったのかと私は身震いした。

 どうすれば防げるのかまでは解らずに、私はとりあえず近くの神社でお守りとおふだを買った。大して多くもないお小遣いをこんなことに使うはめになるなんて思わなかった。

 私はお守りを枕の下に置いてお札をナイトテーブルに立てかけた。

「これで大丈夫、よね」

 エアコンをおやすみモードにして私は眠りについた。

 安心していたのも束の間──そいつはやっぱり同じ時間に現れた。

 まずつま先を一本一本なぞり、次にくるぶし周りを撫でていく。足首をやんわり掴んだりしてふくらはぎを優しく揉む。

 蹴り飛ばしてやりたいけど動けないし声も出ない。恐怖で震えているのに金縛りはそれもさせてはくれない。

 坊主頭をこねくり回すように膝を撫でたあと、手は太ももに向かってくる。お守りが利かないじゃない!

 太ももの外と内をじっくりとなで回して、その手はとうとう私の大事な領域にまで入り込もうとした。

 パンツにじわりと指がかかる。それは脱がすでもなく、ゴムをなぞるように少しずつ股間に近づいてくる。

 幽霊も興奮しているのか手が汗ばんでいるようにも感じられた。指は私の恐怖を楽しむように、ゆっくりと迫ってくる。

 もうだめ耐えられない──

「嫌だって言ってるじゃん!?」

 拳に肌の感触がして私は動けたと喜んだ。そして、目の前に怯える中年の男がうずくまっていた。

「何よあんた」

 男はガタガタと震えて、へたり込みながら壁際までずりずりと下がっていった。こちらに向けている手でそいつがあの幽霊だと解ったときには私の怒りは頂点に達していた。

「どういうつもり!? は? 事故で死んだ?」

 幽霊はこくこくと必死で頷いた。

「それでどうしてこんなことするのよ。風俗に行く途中で事故? なによそれ」

 幽霊はこんこんと説明を始めた。

 三十五歳で今まで彼女の一人も出来ず、エロビデオばかりを見ていたが風俗に行くことを決意して向かった矢先に信号無視の車にひき逃げをされた。

 反省するようにぺこぺこ頭を下げる幽霊に私はどうにも腹立たしくなった。事故で死んだことには同情するけどね?

「あんたね、童貞捨てたくて犯罪まがいのことしてんじゃないわよ童貞が!」

 童貞と言われたことがかなりのショックだったのか、幽霊は年甲斐もなく泣き出した。泣かそうとしてた奴が泣くなんてあり得ない。

 泣きたいのはこっちだったのよ。

「あんたいい大人でしょ。なに? 幽霊だって? ふざけるとまた殴り飛ばすよ」

 相当な怯えように私は鼻で笑って呆れた。こんな情けない奴を今まで怖がっていた自分が馬鹿みたいに思えたからだ。

 しかしこれで解ったことは、気合いで幽霊だって殴れるということだ。

「意外と簡単じゃん」

 だめ押しに殴り倒した。



 完

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じわりじわり【短編】 河野 る宇 @ruukouno

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