エピローグでござるの巻

第40話

凡そ象徴という行為は例えられる事象からかけ離れた表現者の空疎な期待に他ならない。本来のそれとは平行世界の別人である。

西大寺千秋こと西大寺千秋は保護され、季節は一月十三日になった。

長期の療養を余儀なくされたが、橘家が"所有する"病院で、三ヶ月でみるみる回復した。


機械の呪縛から脱すれば、殆どは生身の体だった。一ヶ月で立てるようになり、首に取り付けられた装置も取り除かれた。

それから二週間後には言語も明瞭になった。

さらに六週間後、歩けるようになると千秋は退院した。病院を出た後は自宅療養だ。

そして、今。ドイツ料理店『セクターV』にいた。


虚ろな眼をしたドイツ人シェフが延々と鯖味噌付けを作り続ける中、千秋はジャージ姿で片隅の席に座っていた。その正面には探偵が座っていた。

「随分とお久しぶりです。初めましてというべきですか。」

変装か、探偵は丸眼鏡にロン毛のカツラを被った出で立ちはジョンレノンのようである。


「あっええ。初めまして。前回の事件ではお世話になりました。」

「別に恩を売った訳ではありません。探偵ですから。さて、早速本題に入りましょう。今日ここに私を呼び出した件について。」

探偵は店内を見渡した。

「…と、その前に質問です。この店はあなたの親御さんの店と伺っていますが?」


「いえ、正確には父がピアノを弾きに来るお店です。今はここで給仕のバイトをさせて頂いてます。」

「そう堅苦しい口調で話さないでください。それともそれが、あなたの素ですかね。ていうかどうしてあなたはジャージで給仕をしているのですか。」

「シュタインメッツさんは優しいですから。」


この店のシェフ、シュタインメッツは過去に辛い経験があってから鯖味噌付けを作り続けるだけの存在となってしまい、それ以外には極めて無頓着だ。時折悲しそうな叫び声を上げて痙攣して暴れ出す以外は良い人だ。

「そうですか。学校には通っていないんですか。」

「あんな事件がありましたから。」


探偵は千秋を見た。

「そうなんですね。まあ、私の事務所で働きたいというのは大歓迎ですが。」

「ええ。それに、学校には妹が代わりに通ってます。偶に交代してます。」

「それは有りがちですね。」

「期せずして社会をドロップアウトしてしまいましたから。これくらいはしたいですね。」


今現在、とにかく暇で仕方ない。暇で暇で、思わず日々自宅で勉強までする始末だ。

結局千秋に残されたのは、当初の目標。学校の勉強に追いつくという目標だけだった。

「だから探偵さんの事務所で働かせて下さい。」

「まあ、探偵としての技能にはきたいしないので、給仕として厚遇しますよ。」


「ありがとうございます。」

「ところであなたの妹さんは、この件についてどうおっしゃってますか。」

探偵はいきなり尋ねた。

「あいつの所は止めとけって言われてます。でも私と妹は平行世界の別人ですから。やるだけやりますよ。」

「妹さんは、恵まれてましたからね。」

探偵は頷いた。


「しかしどうして私の事務所で働きたいなんて思ったんですか?」

「助けてもらって、探偵業に憧れたからじゃダメですか?」

「ではそんなあなたには肌のお手入れの秘訣を教えてあげましょう。」

すると探偵は建物の周囲も再び見渡した。

「ところで、私の探偵事務所については知ってますか?」


「母には、この店が探偵事務所という事になっていると聞いてます。」

「ええ。あなたの税務署には私と母親は兄弟という事で話を通しているらしいですね。実際、私は事務所なんて建物は所有していないんですよ。ふらりと現れては、事件を解決することの繰り返しです。」

「そんな胡乱な。」


「まあ主な活動拠点は神兵衛市なのですが。

あなたは基本的に、引き続きこの店で働いてもらう事になりますよ。時が来ればふらりと現れて、手伝いをしてもらうでしょう。」

なんてフラフラした探偵事務所なんだと千秋は思ったが、そういうのも悪くないと思う年頃だった。


五月に身柄を保護されてから、千秋があの妹に対して感じた感情は本人にとっても意外な事に劣等感なのだった。

一方で、妹にとっては大変な目に合わなかった姉を羨ましく思ったそうだ。

いずれにしても、妹と姉では別の人間だ。

「ちなみに、私の他に働いている人はいるんですか。」


「一人だけいますよ。五月の事件の後、あなたと同じように探偵の仕事に憧れたという人間が私のところに飛び込んで来ましてね。トイプードラー黒滝という奴なのですが。」

「マジでッ!?」

「いやあこれが中々ちゃらんぽらんとした男でしてねえ。最近やっとブラジル旅行から帰ったんですよ。」


先程から全く笑っていない探偵は、やおら立ち上がると名刺をテーブルに置いた。

「これが私の事務所の名刺です。これを持っている限り、あなたは私の事務所の給仕さんですよ。ではそろそろ帰らせていただきます。」

「最後に。一つ聞いて良いですか?」

「ええ、どうぞ。」


「八右衛門はどうなりました?」

「彼は出家しました。そしてこれが関係のあるかは貴女が判断するのですが、総理官邸で見つかったのは、真っ二つになった即身仏だったそうです。」

なんてことはない。死体が出家したところで。

イロハニホヘト、そして千。あるとすれば千までで、七つしかない。


五月から切っていない髪はもう肩まで届きつつある。妹には「長柄さんに似てきた」と言われたところで。

こうして、西大寺千秋から虚無の二ヶ月間は奪われて。

後に残ったのは数字のゼロだけだった。

おわり

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忍者館殺人事件 東山ききん☆ @higashi_yama_kikin

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