エピローグ:Next Door

 咬顎竜の巨体が倒れ伏した後、どれほどの時間で戦士たちがこの場に駆け付けたのかを気にする余裕は、さすがにもう勝一郎にも残ってはいなかった。

 壮絶な絶命を果たした巨竜の前で勝一郎自身も虚脱状態に陥り、気づけば駆け付けた戦士たちによって村へと連れ帰られる途中だったというのが勝一郎の認識だ。

 後から聞いた話では、駆け付けた戦士たちはあの状況に相当に驚いたらしい。

 まあわからないでもない。本来は村にいるべき、どころか戦う力すら持つはずのないランレイが参戦していたこともそうだし、そのうえそんなランレイとたった二人だけで、あの巨竜を仕留めてしまったとなればそれで驚かない方がどうかしている。

 いくら弱っていたと言ってもあの巨体、本来なら最低でも編成した班員全員で、できることならば複数の班で連携して仕留めるつもりだったところを、戦士ですらない女のランレイとの二人組が打倒したのだ。勝一郎としては村の戦士たちがランレイを半ば足手まといと判断している部分に異論を覚えないでもなかったが、しかし咬顎竜の恐ろしさを身をもって知った勝一郎には彼らの驚きは妥当であって欲しいというのも一つの思いとしてあった。

 あれほど必死に勝一郎へと襲い掛かり、最後まで壮絶に生きていたあの巨大な生き物が、まさか戦士一人で屠れる雑魚だったなどとは思いたくはない。

 命のやり取りをした相手へ感じた野生への敬意が、勝一郎にそんな感慨を抱かせる。


 さて、そうした周囲への衝撃的なニュースと共に、ひとまず先に村へと帰還を果たした勝一郎だったが、しかし村人たちとはまた別に、勝一郎自身にもいくつか驚くべき事項が待っていた。


 村に帰るとそこには、絶壁から落ちて死亡したと思われていたロイドが五体満足で待っていた。


「おまっ――!? なんで生きてる!?」


「うるせぇ。生きてて悪いか!!」


 思わず放ったセリフにやけくそ気味の叫びが返る。間違いなくロイド・サトクリフその人だった。どうやら本当に、あの状況で生き延び、一足先に保護されていたらしい。

 聞けば、崖から落ちた彼は勝一郎とやり合った際に使用したあの水球の魔術で体を包み、それをクッションにして生き延びていたらしい。

 言うほど簡単な話ではないだろうし、たぶんに運の要素が絡んだ結果だったのだろうが、しかし結果的にロイドのけがは打ち身程度で済み、こうして生きてここにいる。

 どうやら彼の悪運と生き汚さは勝一郎にも負けないものであるらしい。


 そしてもう一つ、驚かされたことがある。


「戦えぬなら戦えぬと、なぜ村を出る前に言わなかった!!」


 戦士たちが絶命した咬顎竜の肉を持ち帰れる分だけ解体して戻り、その中から現れたブホウが勝一郎たちのもとを訪れて、最初に放った言葉がそれだった。

 彼らによって戦えないにもかかわらず戦うことを要求されていたと、そう“思い込んでいた”勝一郎たち二人は当然その言葉に面食らう。


 勝一郎たちの『男としての価値』を測り、その結果を見て『処遇』を決める。


 そんなブホウの言葉を、勝一郎たちはおろかランレイですら『戦えるかどうかを見て戦えるなら受け入れだめなら追い出す』と解釈していたわけだが、しかし実のところ彼らにとっては戦えるというのは男として当然の話で、あの時の言葉はもっと踏み込んだ部分を判断するという意味であったらしい。

 つまりは『どんな戦い方をするかを見て、それをもとに割り振る役割を決める』というもの。

 結局のところこの世界の男たちにとって『男が戦える』というのはほとんど前提で、たとえ異世界人でも戦場に放り込めばそれ相応の働きをすると思われていたらしいのだ。

 そういった価値観は確かにランレイも持っていたが、しかし実際に戦いを生業とする村の男たちの価値基準は女であるランレイよりもはるかに強固で、それゆえランレイの理解すらも越えていたらしい。


「まったく、立ち居振る舞いから槍の扱いまで、どうも隙が多くて不慣れな様子だったからまさかとは思ったが……」


 ハクレンがブホウともども、そう驚きの表情を浮かべながらそう語る。

 だが、驚きに関していうなら勝一郎たちとて負けていない。

 何より驚かされたのは、やはりこの、彼らの勝一郎たちに対する態度だった。


(要するにここの人たちは、最初っから“俺たち二人を村に受け入れるつもりだった”ってことだしな……)


 結局のところこの村は、外部の人間が勝手に住み着いて食料を食い漁っていたとしても、神を騙ってペテンを働こうとしていても、それらの罪をなあなあにしてしまえるような社会だったのだ。

 もちろん、まったくお咎めなしで済んだわけではない。勝一郎とロイド、そしてランレイには、それぞれに言われただけではよくわからない罰則がいくつも課せられたし、唯一その罰則の内容がわかるランレイなどはそれはそれは落胆の表情を浮かべてはいたものだ。

しかし結局のところその程度。化された内容はランレイに軽く質問しても罰当番に近い印象で、勝一郎が当初予想していたような命に関わるような過酷さや熾烈さとは無縁のものだった。

 罰則と言うよりも、むしろ罰当番と言ってしまった方がニュアンスとしては近い。

 甘すぎる、と、ほかならぬ勝一郎自身がそう思ってしまうほどに。

 とは言えその甘さについても、しかし一難去って冷静になり、村の中を見回してみたことで何となく理由は理解できるような気がした。

 村の総人口百数十名。断崖絶壁の岩棚に作られた小さな村。

 聞けば数日歩けば他の村に行くこともできるというが、しかし言ってしまえばこの世界に置ける人間社会はその程度。数日歩いた先にあるという村ともほとんど交流がなく、この世界の社会はほぼこの百数十名だけで完結していると言ってもいい。

 いうなれば社会を構成する人員全てが顔見知り。

 世界が百人の村だったらというフレーズが一昔前にはやったが、実際に百名少々の村で世界が完結していた場合、社会の在り方や人間に対する価値基準は根本的に別のものになる。

 人間すべてが顔見知りで当事者ならば起きる悪事もたかが知れているし、事情など瞬く間に社会全体に通じるから温情も掛けやすい。

 加えて言うならたった百数十名しかいない人間をむやみに死に追いやるわけにもいかず、かといってそんな規模の村に人を閉じ込めるような設備などもっとあるはずもないから、罰則は必然的に社会全体への奉仕と言う形に限定されることとなる。

 だから、夏に姿をくらまし、そのまま烙印持ちとして追放されたという男の方が、本来であれば例外だったのだろう。勝一郎はこの世界に置ける追放を死刑と同義と解釈していたが、しかし村人にしてみれば、もしかするとそれは『絶縁』と言う意味合いの方が強かったのかもしれない。

 犯罪者を追い出したと言うよりも、家族だったものと縁を切ったというそんな意味合いの方が。


 まあ、何はともあれ、結局想定していたよりもはるかに軽い罰だけで村へ受け入れられることが決まってしまった勝一郎ではあるが、しかし当の勝一郎自身が、そのことを良しとしなかった。


「坊主にします」


 全身の、特に咬顎竜の牙によってつけられて頬のけがの治療を受けて、その直後に勝一郎がしたのがそんな宣言だった。

 坊主、もしくは丸刈り。昨今では時代遅れになりつつある、この世界にはあるかどうかもわからない風習だが、しかし勝一郎にとって最も分かりやすい形がそれだった。

 処罰が軽いならば謝罪で補う。そして森の中で決めた覚悟が崩れないように、分かりやすいようにその覚悟を形に残す。

 そんな意図を込めて、勝一郎は村人が注目する中、すべての髪を差し出した。

 なぜかロイドも一緒に。


「テメェがやるのに俺がやらねぇわけには行かねぇだろうが」


 投げ槍に、そして同時にどこか潔くそう言って、ロイドは勝一郎とともに頭を丸める。

 もしかしたら彼は彼でこの状況に腹をくくったのかもしれない。何しろ、現在の勝一郎たちは帰る手立てを本格的に失ってしまった身だ。今後どこかに来たときと同じ魔方陣が出現する可能性はないわけではないが、しかしそれがいつどこに現れるのか、そしてそれを見つけられるかはだれにも予想がつかない状態なのだ。当然それを見つけられるその日までは、二人そろってこの村で暮らしていかなければならない。


「エックションッ!!」「イックシッ!!」


 二人同時に、そろわない声でくしゃみを放つ。

 真冬に剃った頭は、想像していたよりも少しだけ寒かった。








「こんなところにいたの。探したわ」


「ああ、ランレイ」


 と、寒くなった頭をなでながら、村の様子を遠巻きに眺めていた勝一郎のもとに、ロイドを引き連れたランレイが現れる。

 時刻は夕暮れ。そろそろ日も傾き、村の中央では数か所で火がたかれ、夕食が始まる時間帯だ。

 やってきた二人の手にも何やら木でできた皿のようなものが有り、ロイドが持っていたそのうちの一枚を勝一郎へと手渡した。手伝おうとして女集に邪魔者扱いされてしまった勝一郎と違い、どうやらこの男はどこかで準備の手伝いに貢献できていたらしい。見ればその上に、串に刺されて焼かれた肉と、何やらは野菜のようなもの、そしてクッキー状に固められた何かが乗っている。ラインナップだけを見ればバランスのとれた食事に見えるが、しかしバランスが取れていると評するには異常なほどに肉の量が多い。


「食事よ。それはあんたの分。大きな獲物が丸ごと手に入ったから、今日はお祝いだって」


「あ、ああ。……あれ、それじゃもしかしてこれって……」


「お前が仕留めたあのでかいトカゲだとよ」


 串に刺さった肉を複雑な表情で見つめながら、ロイドが相変わらず投げやりな様子でそう告げる。

 一方勝一郎の方も、出された肉にはやはり複雑な感情を抱いていた。


「どうしたのよ。……ああ、そういえばあんた頬に怪我してたっけ」


「ああいや、こっちはもうほとんど治ってるんだ。あのハクレンって人の気功術でさ。まあ、少し傷は残っちまうかもって言われたけど」


 仕上げとばかりに妙にべたつく軟膏を塗られ、絆創膏かガーゼのように何かの布を張り付けられた頬をさすりながら、勝一郎は少しだけ心配そうにするランレイにそう苦笑いを返す。

 頬についた傷は残る。それも恐らくは一生。気功術による治療を受けた後、勝一郎はハクレンからきっぱりとそんな事実を告げられた。

 もちろん、実際にどうなるかは治ってみるまではわからないが、しかし勝一郎は、たとえ傷が残ってしまったとしても、それはそれで仕方がないし、むしろそれくらいは残してやってもいいのではないかと言うように思えていた。


(結局、こっちがおまえを喰う側になったな)


 群れからはぐれ、ボロボロになりながらもそれでも必死に生きようとあがいて、最後には勝一郎たちとの殺し合いに果てた咬顎竜。

 だが一方で、勝一郎にはもう一つ、あの巨竜から逃がれて戦いを避けるという選択肢も実はあったのだ。少なくともあの時、勝一郎が戦うと決めたあの瞬間には、勝一郎はその手段の存在に気が付いていた。

 扉を作った面を破壊されると、中にあるものは強制的に外へと放り出される。

 その性質を知った直後こそ、勝一郎【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】と名付けた自身の力が、立てこもるのには使えない能力と判断してしまったわけだが、しかし本当に立てこもれない能力であったなら、勝一郎はそもそもこの村にたどり着けていない。

 面を破壊することで無力化できる部屋の絶対性も、しかしそもそも破壊する面が開かれた状態の扉であれば、“扉が開きっぱなしになっていれば”話は別だ。開かれた扉は扉自体もその周囲の戸枠も破壊不可能な無敵の物質だ。ならば扉の大きさをあの巨竜が通れないサイズに留め、扉を開きっぱなしの状態にしてしまえばそれだけで難攻不落の密室が完成してしまう。

 だが結局、勝一郎はその手段を取らなかった。

 もちろん、立てこもってしまうとよりあの巨竜を打倒するのが難しくなってしまうため、余計に村に帰れなくなると思い込んでいたというのも理由の一つではある。

 だがもう一つ、勝一郎は思ってしまったのだ。戦うべきだと、理性ではなく他の何かで。もしもそれに名前を付けるならば意思とでも呼ぶべき、頭の悪く強いそれで。

 そして、己の意思で決定し、あの巨竜に手を下したというのなら、勝一郎はその命も頬の傷も己の糧として、背負って生きていくべきなのだろう。

 本人ならぬ本竜にそんなつもりはなかっただろうが、しかしあの竜が生きた証くらい、勝一郎は自分の頬に残しておきたかった。

 勝一郎が最初に殺した、自分の生き方を根本から変えたあの敵への礼儀として。


「いただきます」


 恐らくは生まれて初めて、その言葉の意味をかみしめながら、勝一郎は手にした肉にかぶりつく。

 まだ熱の残る肉を己の歯で食いちぎり、あふれる肉汁を存分に味わって、そして咀嚼した肉を己の内へと受け入れる。


「……うまい」


 誰にともなくそう告げる。

 星空のもとで食べたその肉は、奪い勝ち取った命の味がした。







 そうして、世界は違えど夜はふける。

 結局勝一郎とロイドは、二人そろってハクレンの自宅に居候することになった。

 二人が村に滞在するにあたり戦士長であるブホウから出された条件として、今後二人は戦うすべを身に着けなければいけないことになっている。幸い季節は冬の初めで、今は竜狩りもシーズンオフにあたるため、本格的な狩りに参加しなければならなくなるまでは数か月の猶予がある。どうやらブホウはその数か月で二人に最低限戦うすべを身に着けさせ、できれば夏前からの遠征に二人を、特に【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】を持つ勝一郎を連れていきたいらしかった。 どうやら崖を降りる際に勝一郎がちょくちょく【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】を使っていたのを見て、村の戦士たちの中でもその有用性に気付くものが多く出たらしい。


「君のその扉の力は狩った獲物をはじめとした荷物の輸送にはもってこいだからね、大量の荷物を運ばねばならない遠征にはぜひとも欲しい力だ」


 その後にハクレンが続けた『何より、男は戦えてこそだ』と言う言葉にはこの世界特有の固定観念を感じなくはなかったが、しかし今後もこの世界で生きていかなければならない以上、彼らの方針に逆らってもいいことなどありえない。郷に入れば郷に従えという言葉があるし、今後どこかに現れるかもしれない帰還のための転移魔方陣を探すうえでも、やはり森の中で生き延びるだけの実力は必須である。

 ならば、成るべきなのだろう。生きて、そして帰るために必要だというのならば、彼らが望む一人前の戦士に。


「ショウイチロウ、起きてる?」


 と、眠りに着こうとした勝一郎の耳に、閉じられた窓からかすかな声が届く。

 木でできたそれを開いて外を覗くと、そこには見慣れた少女が周囲を警戒しながら立っていた。


「弓の練習をしたいのよ。場所、作って」


 女の身でありながら弓を担いで咬顎竜に挑んだことで、勝一郎たちとは別にこってりとしぼられたと聞いているのに、ランレイは性懲りもなく弓と矢立を背負い、そんなことを言ってきた。

 弓も矢も、装備一式すべて没収されたはずなのに、いったいどうやったのかしっかりと代わりまで用意している。相変わらず健在らしい反骨精神を宿したその瞳をまっすぐ見つめて、勝一郎は傷の残る己の頬が緩むのを感じる。


「……なによ」


「いや、へこたれなくて何よりだと思ってさ」


「なによ? 手負いの竜一匹仕留めたくらいでもう上から目線? ちょっと気が早すぎると思うけど」


「ちげぇよ。むしろ、そう、尊敬してる」


 勝一郎が素直にそういうと、対するランレイは一瞬面食らったような顔をしてすぐさま顔を背けた。その様子に勝一郎がさらに頬を緩ませていると流石に気に障ったらしくランレイににらまれた。


「なにニヤついてるのよ。そんなことより早く部屋を作って。夜中の見張り当番に見つかったらことなのよ」


「わかったわかった。ただあれ使うと気の感覚で村中が飛び起きるから、前に作ったそのマントの部屋を使おう」


 ランレイの纏うマントを指さしてそう言いながら、勝一郎は開けた窓枠に足をかけ、身を乗り出す。

 以前のように躊躇を覚えることもなく軽々と、勝一郎は与えられたその部屋から外へと飛び出した。

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開扉の獅子 ~扉が切り開く異界冒険譚~ 数札霜月 @kazuhudasimotuki

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