18:Door Die

「……当たった。よし、当たった……!! 戦える。ちゃんと私も、戦える!!」


 遠く離れた一本の木の上で、今しがた弓から矢を放ったばかりの少女が自身の出した成果に高揚し、弓を握る手にわずかに力を込める。

 『自分は戦わないくせ』というロイドの言葉に触発され、気づけばランレイは自身の弓を掴み装備を纏い、隠していたありったけの矢を背負って森へと飛び込んでいた。

 幸いにして、勝一郎を探し出すのにさして時間はかからなかった。

 彼が使う『扉の力』はとにかく強い気の感覚を周囲にまき散らす。ただでさえ強いそんな気配が連続して発生すれば位置を探知するのはそう難しいことではないし、それが連続しているとなれば彼が尋常ならざる状態にいるのは察しが付いた。

 そして見つけた。木に登り、気功術によって強化した視力で見たその先で、今まさに咬顎竜によって追われ、仕留められそうになっている勝一郎の姿を。


「それにしても、なんであいつ一人になってんのよ!! ロイドやほかの戦士たちから逸れた訳!?」


 弓に新たな矢をつがえながら、視線の先に広がる肝の冷える光景に対してランレイは思わず罵声を上げる。何しろいくら弱っているとはいえ咬顎竜のような中型の魔獣は通常、最低でも三人以上で、それも綿密な連携と共に仕掛けるべき相手なのだ。そんな生き物とよりにもよってたった一人で向き合う羽目になるなど、よっぽどの手練れでも命の危険を意識せするような状況である。

 ましてや、勝一郎のような男のくせに碌に鍛えてもいない人間ではなおさらだ。


(仕留めないと……!! 何としてでも、ここで、私が!!)


 背にかかる形のない重圧を感じながら、ランレイは一気に自身の腕に力と気を注ぎ始める。

 自身の筋力を強化する『筋』の気功術。戦いにおける本職である男の戦士たちには及ばないながらも、それでも男たちのそれを観察して密かに磨き続けてきたそれを全力で行使して、ランレイは己の初めての獲物の左半身、恐らくは心臓があるであろう胸のあたりに狙いをつける。


(――行け!!)


 瞬間、腕に込めていた『気』を一気に己が握る弓へと流し込み、ほぼ同時にランレイはつがえた矢を戒めから一気に開放していた。

 握りしめた弓は生物の骨や皮、筋から作られた、ランレイの筋力では気功術を使わなければ引くことすら難しい合成弓、それにさらに気功術を行使することで弓が獲得する爆発的な張力が、つがえていた矢を常識では有り得ない速度と威力で前方へと飛び立たせる。

 再び、遠方で轟く激突音。ランレイの放った矢は寸分たがわず巨竜の左胸へと直撃し、よろめきながらも立ち上がろうとしていた巨竜を再びよろめかせた。

 だがそれだけだった。骨にぶつかったのか威力が足りずに深く刺さらなかったのか、巨竜はよろめきながらも体勢を立て直し、矢が飛んできた方角へと憎しみのこもった視線を向ける。


(駄目、威力が足りない……!! せめてもっと近くから狙わないと……!!)


 そう思いつつも、しかしランレイには今ここを移動するような余裕はない。今少しでも足止めできなければ、今も逃げている勝一郎が再び狙われることになるのだ。


「もうっ!! あいつなんでさっさと扉作って逃げ込まないのよ!!」


 勝一郎が見つけてしまった扉の厄介な性質のことなど想像できるはずもなく、ランレイは逃げる勝一郎を援護すべく第三射を解き放つ。

 だが今度の矢は、標的の巨竜をとらえることはできなかった。

 驚くべきことに、咬顎竜は足を狙う一矢を横っ飛びに跳んで躱すと、そのまま踵を返して離れた場所で蹲る勝一郎のもとへと走り出したのだ。


「――なっ!? まずい!!」


 急いで背中の第四矢を引き抜きながら、しかし現状の絶望的な状況に悲鳴が漏れる。


「逃げなさい、ショウイチロウ!!」


 強化した視力が見つめるのは、唖然とした表情で、ひどく緩慢に立ち上がる男の姿。ここ数日隠れて共に過ごしてきた情けない男に対して、決して届かぬと知りながら、少女はそれでも届けとばかりに必死に声を上げる。


「早く逃げて――!! ショウイチロウ!!」






 自身に迫る、圧倒的な死と絶望を眺めながら、勝一郎はただただ信じられないものを見るような眼で、目の前の巨竜を眺めていた。

 思えばこうしてこの巨竜をしっかりと視界に収めるのはこれが初めてかもしれない。恐れからか、それともそれ以外の何かからなのか勝一郎は、これまでただ一度として、この巨竜を正面から見据えてこなかった。見ようともしてこなかった。

 だがたとえ偶然でも、もしも一度でもしっかりと見据えてしまったならば、見逃せないような事実がそこにある。


「……右目が、潰れてる……!!」


 なぜ今まで気付かなかったのかが、疑問になるような大きな傷跡だった。

右目の上から真っ直ぐ下に、一直線に走る惨たらしい傷跡。その存在に、勝一郎は先ほどからこの巨竜が、勝一郎をやたらと“喰い損ねていた”理由をようやく理解する。

こんなものが有れば距離感がつかめないのも道理だろう。思えばこの巨竜は、走るときもやたらと周囲のものにぶつかり、それを蹴散らしながらこちらを追ってきていた。いったい何時つけられたのか、そもそも相手が誰だったのかもわからない。村の戦士たちに最近つけられたのかとも思ったが、傷自体はそう新しいものではないように見える。

 いや、顔面だけでなくよくその全身を見渡せば、この巨竜を襲った苦難はそれだけではなかった。


「なん、でだよ……」


 よく見れば巨竜は、全身傷だらけだった。

 先ほど打ち込まれた矢傷を別としても、全身に生える羽毛があちこちで剥げて、その下に痛々しい傷が覗いている。よく見れば前足の指の数が右と左で一本分違っていた。体を支える後ろ足にも傷がある。もしかすると本来の走行速度はもっと早かったのかもしれない。食料をまともに取れていないせいなのか、その体はあちこち骨が浮いていてやせ細っているようにも見える。

 満身創痍の体だった。この先厳しい自然界で生きていくのも難しいほどに。冬を迎えるこの時期には、もう絶望的と言ってもいいほどに。


「なんで……、なんでなんだよ……!! 意味ねぇだろもう、俺一人喰ったところでなんにもっ!!」


 村の者達も口をそろえて言っていた。群れからはぐれ、越冬のための移動も行えなかったこの咬顎竜は放っておいても死に至る。

 野生の世界で奇跡は起こらない。どんなにこの巨竜があがいても、もう状況がここまで至ってしまった時点で生き延びる術などありはしないのだ。


「もうお前死ねよ!! 諦めちまえよ、もう!! いい加減わかんだろう!! お前にこの冬は越せないんだよ!! たとえここで俺を喰ったとしても、どのみちお前の命は長くない!!」


 だったら勝一郎一人見逃してくれてもいいではないか。そんな自分本位な、しかし生物としてはまっとうな怒りを抱えながら、勝一郎はやけくそ気味にそう叫ぶ。

 実際問題、この巨竜の現状はもはや諦めるべき状況なのだ。だったらもう無駄にあがかず苦しみを増やさず、楽に死ぬことだけを考えて最後の時を待てばいい。


「グ、ル、ォオオオオオオ―――!!」


 だが、そんな状況でも諦観を振り払うように、目の前の巨竜は走りながら咆哮する。

 まるで悲鳴のような声だった。死にたくない、生きたいと、そんな悲鳴のような声を上げながら、巨竜は片方だけの眼で勝一郎を探し出し、大口を開けて獲物を仕留めようと喰らいつく。

 生きるために。殺して喰らって生き抜くために。


「ク、ソォオオオオッ!!」


 あがく巨竜の顎から逃れるべく、苦し紛れに地面へと気を叩き込み、勝一郎は開く扉でふたたび我が身を撥ね飛ばす。

 先のことを考えず、とにかくその場を生き延びるだけの苦し紛れの逃走。勝一郎の命をギリギリ牙から逃がすことには成功したそれは、しかし後先を考えていなかったゆえに無傷では済まない。


「グ……!! ガッ、ア……!!」


 強く地面へと叩き付けられ、勢い余って近くにあった斜面を転げ落ち、勝一郎は襲い来る痛みに苦悶の声を漏らす。

 転げ落ちる過程で木の枝や石が服ごと身体を引き裂き、決して浅いとは言えない傷があちこちに生まれる。額を切ったのか頭を打ったのか、流れ出た血が目に染みる。全身を強く打ち付けたせいであちこちが軋みを上げている。地面を転がり落ちて泥だらけというありさまだ。落ちた高さを考えれば骨が折れていないだけ上等だとは思うが、それでもこの苦痛と迫る恐怖は如何ともしがたい。


(ハ……、ハハ……。他人のこと、いや他竜のこと言えねぇ……)


 痛む体を無理やり引きずり上げるようにして立たせながら、勝一郎は斜面の上でこちらを再度発見したらしい巨竜を見つめてそう自嘲する。


こちらも体は満身創痍。あの巨竜に比べればまだましだろうが、しかしそもそもの地力ではこちらの方が圧倒的に劣る。

自分の世界に帰るための手段も失った。同じ境遇の仲間も崖下に消えた。この世界で見つけた唯一の人里からも追い出されかねない状況だ。そして何より、決して勝てるとは思えない巨大な生物が、今勝一郎を狙っている。

 絶体絶命と言っていい状況だ。実際、何度も終わりを覚悟した。

 だがそれでも、それでもなお、今勝一郎は生きている。


「……ああ、そうだよなぁ。愚問だったよなぁ、本当によぉ」


 ずっと何物でもない自分にうんざりしていた。この世界に来てからなど、自分の不甲斐なさに絶望したことなど何回もあった。一度は勇気を振り絞る機会もあったがそんなもの恐竜と言う格上の相手を見たとたんに吹き飛んだ。

 怪我が痛む。息が切れる。怖い、苦しい、楽になりたい。

 そう思っているはずなのに。

 自分という人間が大嫌いなはずなのに、諦めてしまえば楽になると思っているはずなのに、それでも勝一郎は死んでもいいとは思えなかった。


「……そうだよなぁ。生きていたいよ、死にたくなんかねぇよ。俺だってそうだ。あんなこと言ったがお前の気持ちは、いやって言うほどよく分かる」


 今度こそ勝一郎を胃袋に収めるべく、咬顎竜が勝一郎を追って急な斜面を駆け下りる。今度こそは生き延びるために殺そうと、巨大な顎が開かれる。


「だがなぁ、分かるからこそ、おとなしく食われてなんかやらねぇぞ」


 痛む体に鞭を打って立ち上がる。迫る巨体を真っ向から見つめて身構える。


 ここは弱肉強食、生存競争、喰うか喰われるかの別世界。

 そんな世界で、それでも死中に活を拾おうと思うなら、その戦いは彼らの流儀で行うべきなのだ。

 己が持つ全ての武器を駆使して、知恵も力も何もかもを振り絞って。


「……そうだ、決めたぞ。名前を決めた。この烙印に名前を付ける」


 右手の甲に、獅子の印が輝き灯る。勝一郎の決意にこたえるように、挑むべく野性を教え示すように、扉開く力がひときわ強い光を宿す。


「――【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】だ。俺は、この獅子の印と、お前たちの野性に恥じない男になる……!!」


「グルゥゥァァアアアアア――――!!」


 喰らいつく。勝一郎だけではない。その周りの空間ごと、その口で届く範囲を丸ごと喰らって獲物を仕留めようと、巨竜の顎が命を貪る、その直前、


「開け、【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】!!」


 右手を地面へと叩き付け、勝一郎は巨竜を真っ向から迎え撃つ。

 扉の開閉運動で、戸板をそのまま叩き付けた“訳ではない”。

 そんなことをしても扉自体の重量が足りずに、巨竜の体にはじき返されてしまうことは、先ほど実際に試して十分すぎるほどわかっている。

 勝一郎がやったのは叩き付ける動作ではない。開いた扉の正面ではなく側面を、巨竜の進路上に“突きつける”という、ただそれだけの行為だった。

 しかし、ただそれだけの行為が、巨竜にとっては致命的な攻撃となる。


「グルァ―――!?」


 百二十度開いた扉と言う障害物の突然の出現に、しかし勢いのついた巨竜の体は絶対に止まれない。有り余るスピードにブレーキすらも間に合わず、巨竜は自ら、己の胸部を突きつけられた扉へと激突させた。


「ゴェエァアッ――――!!」


 胸骨がひしゃげるような巨大な衝撃に巨竜が絶叫し、受け止めた扉がその下の地面ごと破裂するように吹っ飛んだ。剥がれ飛んだような岩盤の、その表面にできた戸枠に扉がはまり、扉が閉じたことで元の土の塊に戻った土の『面』が、少し遅れて空中で粉々にはじけ飛ぶ。

 だが、砕けた土が飛び散る先に勝一郎はもういない。


(どこだ、さっきの“あれ”は……!?)


 扉を開くと同時に巨竜の左手側に回り込みながら、勝一郎は必死の集中で巨竜の体の横にあるはずの“それ”の姿を探し求める。

 探し求めるのは、先ほど打ち込まれた一本の矢。先ほど勝一郎を救うべく打ち込まれた、巨竜の“左胸に横から突き立つその一矢”


「開けぇっ、【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】!!」


 気合い一発、地面を踏み鳴らして気を流し、開く扉を思い切り巨竜の側面から叩き込む。

 ただし狙いは咬顎竜自身ではない。この巨竜にそんな軽い打撃が通じないことは、先ほど実際にやって分かっている。

 狙い叩くはその身に突き立つ一本の矢。その一番後ろを、まるでハンマーで釘を叩き込むように打撃して、その先の鏃を肉体の奥の内臓深くまで抉り込む。


「グルゥゥゥェエエエエッ――――!!」


 上がった悲鳴は、それまでで一番大きなものだった。傷口から血を噴出させ、のたうち回るように暴れながら、しかしそれでもなお目の前の巨竜は倒れない。


「これでもまだ死なないっていうのかよ……!!」


 打ち込んだ矢が短すぎて内臓まで届かなかったのか、それとも急所を外してしまっているのか、突き立つ矢を内蔵のある肉体の奥深くへと叩き込んでなおこの巨竜は倒れない。

 血反吐を吐き、よろめきながらも、すぐさま足を踏ん張って持ち直し、叩き付けられた扉を弾き返す巨竜の姿に、その足元に立つ勝一郎は嫌でも戦慄させられる。


(――ヤバい!! 逃げる暇がねぇ。立ち直りが早すぎる!!)


 回心と言える、考えうる限り最も威力の高い二撃でも巨竜を倒しきれなかったとなれば、次に勝一郎を待つのは一転して危機的と言える状況だ。

 何しろ今勝一郎がいる場所は、咬顎竜との距離が近すぎる。咬顎竜のすぐに足元、一歩を踏み出せば足が届き、首を伸ばせば牙が届く距離なのだ。もしも咬顎竜が攻撃に打って出たならば、次の瞬間には勝一郎の命は巨竜の胃の中へと消えていく。

 だがそうなる直前、再び背後から空気を貫く音が勝一郎の上を通過し、こちらを見ようとする巨竜の顔面へと突き立った。

 飛来したのは、先ほど勝一郎を救ったのと同じ一本の矢。それに潰れた眼球をさらに貫かれ、巨竜が激痛に脳を焼かれて絶叫を上げる。


「ショウイチロウッ、早くこっちに!!」


「ランレイ!?」


 走りながら見れば、矢が飛んできた元の方角、先ほど勝一郎が転げ落ちた斜面の先のわずかに崖のようになったその上に、弓を携えたランレイが息を切らして立っている。

 こんな危険な森の中にただ一人、恐らくは村の者達の意向に逆らって。


「――っ、今はそれどころじゃねぇ……!!」


 危機的状況下で武装した知り合いに遭えたことによってわずかに安堵を覚えそうになりながら、しかしそれでも決して自身が危機を脱したわけではないと思い直し、すぐさま勝一郎はランレイのもとへと走り出す。

 と、同時にランレイの方も、構えていた弓をいったん片手に持ち変えると、すぐそばに差していた槍を抜いて横向きに勝一郎めがけて投擲した。


「受け取りなさい!! ショウイチロウ!!」


 見ればそれは、先ほど巨竜にマント捉えられて吊り上げられたとき、大量の矢と共に勝一郎を救ったその槍だった。

 彼女と初めて会ったあの小屋から持ち出して、ずっと部屋の中に置きっぱなしにしていたその一振り。扉の弱点が露呈した際幾本もの矢と共に置き去りにしてきたそれを、ランレイは来る途中で拾ってもってきていたらしい。

 そんな槍を危うく取り落しそうになりながらも、しかしそれでも勝一郎はなんとか両手に受け止める。


(そうだ……。“あれ”はこいつでやった方が効果はあるはずだ。なんとか隙を見つけてこいつの仕込みを――!!)


 思いかけたその瞬間、背後から巨大な地響きが勝一郎を襲い、勝一郎は反射的に右手側に全力で跳躍する。

 すると先ほどまで勝一郎がいたその場所を怒れる巨竜が猛烈な速度で通過して、その向こうのランレイがいる崖の岩壁へと猛烈な勢いで激突した。


「きゃあっ!!」


「なっ!?」


 最悪勝一郎を踏みつぶすことになろうとも、後で食えればそれでいいと勝一郎を半ば無視する形で行われたその突撃。

 勝一郎よりもその背後にいるランレイの方を先に喰らわんと狙い行われたその攻撃は、いる位置の高さゆえに崖上のランレイを牙にかけることこそ叶わなかったものの、それでも体をそのまま岩壁にぶち込む体当たりによってランレイをよろめかせることには成功していた。

 そして、揺れによろめくランレイが崖から足を踏み外し、なすすべもなくその身を空中へ、巨竜の牙が届く高さまで、己の身を投げ出されて行く。


「ランレェェェエイッッッ!!」


 空中の少女の細い肉体を狙い、巨竜が今度こそ獲物を仕留めんと牙を鳴らす。

 ランレイの肉を引き裂き、骨を砕き、その命を我がものとするために、咬顎竜が彼女に喰い付かんとする、その寸前、


「させるかァッ!! 『開けェェェッッッ』!!」


 ――ッダァン!! と言う激しい踏切音を踏み鳴らし、地面から開かれた扉の開閉運動に射出される形で、勝一郎がランレイのもとへと飛び出した。


 槍を掴んだままの勝一郎の体がそのままの速度でランレイの体へと激突し、勢いに任せて二人の体を、まとめて巨竜の牙の攻撃範囲から叩き出す。


 前方で体当たりに弾き飛ばされたランレイが、衝撃と痛みに呻きながら落ちていく。

 後方の、直前まで二人がいたその位置で、二人を食い殺すはずだった必殺の牙が鳴る。


 とっさに行った扉による自身の射出がもたらした二つの結果を認識し、すぐさま勝一郎は空中で身をひねり、背後の咬顎竜へと向き直る。

 そして見た。今こちらを喰らわんと牙を閉じたばかりの筈のその巨竜が、あろうことかもう首を縮めてこちらを視界に収め、次の攻撃への態勢を整えているのを。


(――なっ!? 早い――!?)


 身動きの取れない空中で、勝一郎は予想外の巨竜の態勢の立て直しの速さに戦慄しながら、同時に勝一郎はより最悪の確信を自身の胸に抱いていた。

 恐らく次の攻撃は外れない。

 その確信自体は、ただの直感から来る無根拠なものであったが、しかし今の勝一郎には不思議とその直感が的中しているという確信があった。

恐らく、この巨竜は獲物を捕らえるために身に着けたのだ。たとえ満足に見えずとも、それでも相手を喰らうための感覚を。何としてでも相手を喰らい、生き延びるための|生き方≪たたかいかた≫を。


 そして今、巨竜の渾身の喰らい付きが、空中で逃げ場のない勝一郎めがけて殺到する。


「――ッ、ォオッ!!  【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫ァッ】!!」


 槍を突き出す。気を流す。

 考えるより先にあがいたその直後、勝一郎の体に猛烈な衝撃が世界を揺るがす勢いで激突する。

 何が起きたのかわからなかった。

 後ろに吹っ飛ぶような衝撃が襲い、空中を滅茶苦茶に振り回された挙句、背中に強烈な衝撃を喰らって我に返る。


「――カ、ハッ――!!」


 地面に押し付けられて、閉じれば噛み砕かれる巨大な牙の間のわずかな隙間で、それでも勝一郎は生きていた。

 食いつかれる直前、槍の柄の部分の両側から二枚の極細扉を百二十度開いて作ったYの字の変則的なつっかい棒。Yの字の先端の二股の部分で、喰らい付き閉じようとするあごの動きをかろうじて阻害するというギリギリのやり方で、勝一郎は辛くも一命をとりとめていた。


「ガロルルルル……、グルァッ!! ガルァッ!! ガァアッ!!」


 怒りに満ちた声すら上げて、槍から開いた扉に牙を阻まれた巨竜が口を閉じようと、文字通り死に物狂いで自身の顎に力を込める。

 だがそれでも、槍の両側に開いた扉はその角度以上に開くことなく、軋みすら上げず、牙の間の勝一郎を守り続ける。

 もとより構造上の最大まで開いてしまっている扉に、絶大な顎の力とは言えさらに開く方向に力をかけてしまっているのだ。普通の扉ならば蝶番の部分から破壊されていたであろうこんな状況でも、しかし勝一郎の作る扉の壊れない性質と相まって、かろうじて現状の均衡を保っている。

 とは言え、それでも槍の柄より細い扉によって、かろうじて命をつなぎとめている勝一郎にとっては、やはりかかるストレスは尋常ではない。


「フゥゥーー!!  フゥゥーー!!  フゥゥーー……!!」


 荒い息を繰り返しながら、なんとか勝一郎は自分の中で生きているという実感を取り戻す。

 見れば、自分の脇腹のすぐ横に、槍の柄尻が地面に食い込むようにして刺さっていた。恐らく巨竜の体重をもろに受け止める形でそうなったのだろう。

槍の両側から扉が開いたことで、その際に生まれた壊れない戸枠によって補強された柄は、そのおかげでこの巨大な生き物がかける体重にも折れずにその形をとどめていたのだ。

だがだからこそ、もしもこの柄尻が勝一郎の脇腹に接触していたら、その時点で勝一郎はなすすべもなく胴体を貫かれていた。

 そういう意味でも奇跡的な生存だった。そしてそれ以上に奇跡的な状況だった。

 何しろこの状況は、絶体絶命でこそあるものの、同時にかなり“悪くない”。


「ショウイチロウ!! 返事をしなさい!! ショウイチロウ!!」


 牙の向うから聞こえる必死の声に、何かを言い返そうとして、しかし勝一郎は頬にかかる抵抗に気付いてそちらに意識を向ける。

 見れば、そばに並ぶ牙の一本が勝一郎の頬に突き刺さっていた。口の中まで貫通してはいないようだが、しかしその傷は決してかすり傷と言えるような浅いものでもない。脳内麻薬の影響なのか痛みはほとんど感じなかったが、それでも後の一つも残りそうな刺さり方だった。


「生きてるぞ、ランレイ。それに悪くない状況だ。……ああ、この状況は悪くない!!」


 頬に突き刺さる牙を首の動きだけで引き抜きながら、勝一郎は無理やり笑みを作ってランレイに向かってそう返す。

 死んでいないだけでももうけものだというのに、何よりこの状況は素晴らしい。牙を閉じようともがく咬顎竜の怒号がひっきりなしに叩き付けられるし、血なまぐさい吐息が顔にかかって不快ではあるが、それでも、今目の前にはまるで仕組まれたように“次の一手”が用意されている。


「思い付きでやっといたさっきの仕込みが、こんなところで……、こんな牙の真ん中で役に立つとは思わなかったぜ」


 身を起こし、己の右手を竜の口内に突きつける。右手の烙印に光を灯し、その力で生み出した仕込みを起動させる。

 意識するのは、突きつけた手の平に作った小さな扉。細長い、それこそ細長い“矢のようなもの”を一本入れるのがやっとというその小さな部屋こそが、今の勝一郎が持つ最大の切り札だった。


「悪ぃがこの生存競争は俺の勝ちだ!! 消えろォッ!! ――【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】!!」


 瞬間、勝一郎の魔力と意思を受けて、右掌に作った扉が跡形もなく消滅する。

 扉の消滅による、中にあったものの強制排出。

 その性質によって部屋から追い出された後、勝一郎は一つだけ、この性質の有効活用法を思い付いていた。

 すなわち、部屋の中に矢を仕込み、その部屋を扉ごと消すことで、強制排出によって矢を相手に直接叩き込むというその方法を。


「ゴルァァアアアアッッッ!!」


 口の中を突然襲う激痛に堪らず悲鳴を上げ、咬顎竜が口の間にY字になった槍を挟んだまま力任せに首を振り回す。

 首の動きと連動して振り回された槍の柄が、突き刺さっていた地面を弾けさせるように引き裂き、同時に勝一郎の脇腹を殴り飛ばしてその身を大地に放り出す。

 脇腹を襲う激痛に歯をくいしばって耐えながら、しかしそれでも勝一郎は目の前の咬顎竜から目を離さなかった。

 視線の先では痛みに叫ぶ巨竜が、激痛と閉じない咢への怒りを示すように天に向かって吠えている。


(そうだ。口を閉じたきゃ上を向け!! 悲鳴で大口開けて噛む力を弱めろ。そうすりゃ扉が閉じてお前は口を閉じられんぞ)


 槍の両側に開いた扉を閉じるのは、実は簡単だ。噛む力を弱めて扉を押し戻し、扉の開閉角度を九十度以下に戻せば、後は少し力を込めるだけで簡単に扉は閉まって口を閉じる邪魔をするものはなくなる。実際、先ほどだって巨竜が少しかみつく力を緩め、押し込むように勝一郎たちにかみついてきていれば、勝一郎はそのまま噛み砕かれて巨竜の腹に収まっていたはずなのだ。それができずにやみくもに噛み砕こうとしてしまったのは、この驚異的な獣のどうしようもない性質といえる。

 そして今、目の前の巨竜は、まさにその方法を実践し、扉を閉じてあごの力を取り戻そうとしている。数日前に勝一郎のカバンをかみ砕き、飲み込もうとした時と同じ動作で、小さな獲物と捉えた時、ずっと繰り返してきたのだろうその動作で。


「……けどよぉ、わかってんのかデカ物。お前がその状態で、扉の端がてめぇの口ん中に引っかかって固定されたそんな状態で、その扉自体が閉まるっていうことが!! それがいったい何を意味してるのかちゃんと分かってんのかよ」


 上を向き、あごの力を緩めて扉を閉じれば、確かに扉は閉じるだろう。

 だがそれは同時に、あごに引っかかった扉によって、槍の穂先が無理やり“扉の長さの分だけ前へと押し出される”ことを意味しているのだ。それも何百キロもあろうという巨竜の顎の力で、鋭くとがった槍の穂先が。

 それが何を意味するのかは、それこそ火を見るよりも明らかだ。


「てめぇの顎の力でてめぇの喉首ぶち抜きやがれ。――閉じろ、【|開扉の獅子≪ドアノッカー≫】!!」


 そうして、言葉とともに扉が閉ざされる。

 無慈悲に獲物の身をかみ砕くはずの巨竜の顎は、その力をそのまま槍を突き出す力へと変換され、やはり無慈悲に口内とその向こうの延髄を貫いた。

 怒号も悲鳴も上げる暇のない、一瞬にして致命的な、命を閉じる一撃だった。

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