17:Be at Death Door

「ハァッ――、ハァッ――、ハァッ――、ハァッ――!!」


 荒い呼吸で森の中をかけながら、目だけは必死で自分が逃げ込める『面』を探し続ける。

 背後から追ってくる足音が、どんどん近くなってくるのを感じながら、今の現状に巨大な後悔を抱きながらも、それでも勝一郎は逃げ続ける。


(くそ……、どうして、どうしてこんなことになっちまったんだ!!)


 ロイドが逃げ損ね、絶壁から落下した後、彼を狙っていた咬顎竜の矛先はすぐさま勝一郎へと移っていた。

 巨竜がこちらを振り向こうとしているのに気付いた瞬間、ロイドの安否の確認も忘れて慌てて森の中へと飛び込んだ勝一郎ではあったが、どうやら逃げるタイミングとしてはすでに遅きに失していたらしい。

 結果としてロイドを喰い損ねた咬顎竜はしぶとく、しつこく、そして猛烈な速さで、彼我の距離を埋めつつ勝一郎の背中へと迫っている。

 全速力で走っているにもかかわらず、追いつかれるまでは恐らく一分もかからない。恐らくは先ほどのロイドと大差のない状況だ。

 だがそれでも、こちらの勝負ではわずかに、勝一郎が逃げ込むべき場所を見つける方が早かった。


「あった!!」


 立ち並ぶ木が細くなり、それによって地面の凹凸が少ない地帯へと立ち入ったことで、勝一郎はすぐさま自分が逃げ込めるほど広さの平面を探し当てる。

 手前にある段差を一気に飛び下り、着地のために足を折り曲げて地面に手をつきながら、同時に勝一郎はつい立てから地面に『気』を流し込んでいた。


「『開け!!』」


 勝一郎の命令に応じるように、ほとんどタイムラグなく着地した足元が二つに割れて、着地しかけた勝一郎の体を中の部屋へと落っことす。

 飛び込んだのは日本にある勝一郎の自室と同程度の広さを持つ、例のごとく家具も何もない真っ白な部屋。

 飛び込むと同時に天井部にしつらえられた扉が閉じるのを感じながら、勝一郎は着地に失敗して尻餅をつく。


「ハァ……、ハァ……、あっぶねぇ。あんなのと一対一でご対面なんて冗談でも笑えねぇぞ」


 とっさに逃げ込んだ部屋の中で起き上がって膝をつきながら、勝一郎はどうにか荒れた呼吸を整え、自分の中に冷静な思考を取り戻していく。

 急いで作ったため上にある扉にのぞき穴やガラス部分はなく、おかげで外の様子をうかがうことはできないが、それでもあの巨大生物が勝一郎の元まで迫ってきていたことはほぼ確実だ。もしもあのままあの場所にとどまっていれば、それこそ勝一郎はあの恐竜の餌になっていた。


(……とりあえずしばらくこの場に隠れて、あいつがどっかにいくまでやり過ごす)


 天井にできた観音開きの扉を見つめながら、勝一郎はもしもの時のためにと考えていたこの部屋での方針をもう一度頭の中で反芻する。

 そう、勝一郎とてこうなる事態は考えてはいたのだ。少なくとも想像の中では、この部屋へはロイドと二人で、もっとスマートに逃げ込むはずだった。

 だが現実には、ここにロイドの姿はなく、勝一郎は息を乱し、恐怖に体を震わせながらここにいる。


(……クソッ、どうしてこう何でもかんでもうまくいかないんだよ。ロイド……、畜生ッ!! ロイド……!!)


 ロイドと勝一郎それほど仲が良かったわけではない。二人は出身世界も違うし、出会った当初はそのふるまいの違いから衝突までした仲だ。二人をつなげていたものは同じように異世界から突然この世界に投げ出されたという境遇だけで、二人の間に絆のようなものが芽生えていたかと問われれば、流石に即答しかねるのが勝一郎の中での認識だ。

 だがそれでも、目の前であんな死なれ方をしてしまって何も感じないほど、勝一郎という少年は冷血漢にもなり切れない。


(あの馬鹿野郎……!! 魔法陣じゃなくて俺の方に来いよ!! そうすりゃちゃんとこうして部屋の中へ逃げ込めてたはずなのに……!!)


 あるいは勝一郎が何かをしていれば、ロイドは魔方陣ではなくこちらに来たのだろうか。

 浮かんだその考えは、しかし勝一郎の中にあった客観的な視点が否定する。

 あの魔方陣は彼の世界の『文明』なのだ。得体のしれない勝一郎のおかしな『能力』よりも、よっぽど信頼できる存在だったのだろう。たとえそれが、結果としてこれ以上なく、ロイドの命取りになるものだったとしても。


(転移魔方陣、使えなくなってたんだな……)


 ロイドの喪失。その事実に重くなる心にさらに追撃をかけるように、もう一つの現実が顔を出す。

 その現実が意味するものは、今のところたったの一つだけだ。


(帰る手段が、無くなった……)


 その事実が、もしかすると一生帰れなくなったかもしれないという最悪の可能性が、どうしても勝一郎の精神に重くのしかかる。

 もちろん、次に誰か異世界人が現れて、その人物が現れた場所から帰るすべを得られる可能性もまだ残ってはいる。だがそもそもの話、もしも他に異世界息の魔方陣が出現したとしても、勝一郎たちがそれを見つけられる確率はかなり低いのだ。そうなるとやはり、目の前にあった帰還の手立てが己の手から零れ落ちたのだという現実は、どうしても落胆を禁じ得ないものだった。

 その上さらに、今の勝一郎は村の戦士たちの意向にも逆らってしまった身だ。今からのこのこ彼らの元に戻っても村に受け入れてもらえるかどうかはわからない。

 そしてもしも受け入れてもらえなければ後はない。他の転移魔方陣がこの世界にいつ現れるかなど分かるはずもないが、恐らく高確率でそれより先に、勝一郎自身が息絶えることだろう。


(もしも今から村に戻る方法があるとすりゃ、それこそあの人たちが望むような、納得するような結果を出すことくらいだが……)


 その条件を満たしそうな方法など、今の勝一郎には一つしか思いつかない。

 咬顎竜を倒すこと。それも彼らに認められるほどの実力を示すとなれば、かなりの割合で勝一郎の力がその打倒に関与していなければならないことになる。それはもはや一対一であの恐竜を殺しきらなければいけないという条件と大差がないわけだが、しかしたとえ誰かの助けがあったとしてもそれができる気は勝一郎にはしなかった。


(八方塞がりだ……、どうすりゃいいんだよ……)


 沈む気分を何とかしようと、勝一郎はいつの間にか落ちていた視線を自身の真上、部屋の天井とその中にぽつりとあるこの部屋の扉へ目を向ける。天井に作る形になってしまった扉から、そういえばどうやって脱出しようかと新たな問題に気付いてしまったちょうどその瞬間、


「え?」


 突如として真っ白な天井の色が変わり、さらに巨大な影が勝一郎の真上に現れた。

 咬顎竜。先ほど勝一郎に目をつけていたかの巨大生物が、自身の横っ腹を見せる形で膝をつく勝一郎のすぐ前に立っている。


(……え? あれ?)


 自身はさっきまで、確かに部屋の中にいたはずだ。

 その認識が目の前にある現実と対立し、勝一郎の判断を大きく強く妨げる。

 訳が分からない状況だった。何しろ絶対安全と思っていた部屋の中から、突如として最も危険な生き物の足元へと放り出されてしまったのだから。


(いや、まて、だって、そんな……!!)


 現実を認識できない圧倒的な混乱。だがそれすらも、小さな唸り声とともに異変に気付き、首ごとこちらへ向けられた咬顎竜と目が合った瞬間、脳裏に響く巨大な危険信号によって払拭される。


「――っぁ!!」


 相手も驚いていたのだろう。咬顎竜の動きが一瞬止まったその瞬間に、勝一郎はどうにか地面を蹴って、その場を飛び出すことができていた。

 だがしかし、たとえ反応が一瞬遅れても、勝一郎と咬顎竜の間にある絶対的な体格差は覆らない。

 勝一郎が走り出したその瞬間、咬顎竜もそれに反応する形で牙を鳴らし、その巨大な顎を開いてすぐさま勝一郎に食い掛かる。

 この生き物にとって唯一にして無二、しかし圧倒的な破壊力を持つ牙による攻撃はしかし、


「――ひ、ああっ!!」


 勝一郎にはわずかに届かず、彼の背後でたなびいていた彼のマントへと喰らい付いた。


「ぎゃあああああッ!!」


 だがたとえ自身の体に食いつかれたとしても、たとえマントだけであったとしても、喰らい付かれた勝一郎の方はたまったものではない。

 逃げようとしていたからだが突如自身のマントによって引き止められ、さらには咬顎竜が食いついたマントを持ち上げたことで、それを着ていた勝一郎の体もまた、空中へと無理やり引き上げられる。


「うぁあああああああああッッッ!!」


脳裏に以前喰われた自分のカバンの末路がよみがえり、勝一郎は恐怖によって腹の底から悲鳴を上げる。

 獲物を口にくわえ、それを真上に放り投げるようにしてから口の中へと落とし込む、以前一度見ただけのその一連の動きが、自分の運命に正に適応されようとしているのを勝一郎は直感で感じ取る。


(――ヤバい!! 喰われる!! 早くこのマント脱がないと、今度こそ本当に――!!)


 押しつぶされそうな焦燥に駆り立てられながら、しかしマントを外そうと胸の前で結び目を掴んだ手は、乱れた感情の影響をもろに受けて勝一郎の指をもたつかせる。

 だがそんな勝一郎の精神状態に等、それを喰らおうとする咬顎竜は全く気を払わない。

 むしろ好都合とばかりに引き寄せるような動きと共にマントをさらに深くくわえ込み、そして次の瞬間には自身の胃袋へと勝一郎を放り込もうとして、


「グルァァァアアアアアアッッッ!!」


 しかし肉を貫くような鋭い音と骨まで響くような悲鳴が勝一郎の耳へと届き、宙に浮いていた勝一郎の体が思い切り地面に叩き付けられた。


「――ぐ、うぁ……。なんだ、なんで急に、いったい――?」


 急な解放に安堵よりも強い疑問を覚え、反射的に顔を上にあげると、同時に勝一郎の上からばらばらと何かが降って来る。


「――うわ!?」


 慌ててその場を転がって離れたことが功を奏した。

 その直前まで勝一郎が転がっていたまさにその場所に、いったいどこから現れたのか一本の槍が降り注ぎ、軽く鋭い音を立てて地面に突き刺さったからだ。

 否、降ってきたのは何もその槍だけではない。


「なんだ……? この矢、いったいどこから……?」


 バラバラと落ちてきた数本の矢のうちの一本を手に取り、勝一郎は思わず降ってきた方向、頭上の咬顎竜の方へと視線を向ける。

 すると頭上の咬顎竜の、口の中の上あごに突き立つ形でも一本、降ってきたのと同じような矢が突き刺さっていた。

 どこからか狙い打ったのでは有り得ない。まるで口の中から突き刺したようなそんな場所に。


「――いや、そんなことより――!!」


 矢傷の痛みから逃れようと、首をがむしゃらに振り回す咬顎竜に背を向けて、勝一郎は全速力で走って近くの木の陰へと走り込む。

 とりあえず身を隠して呼吸を整えながら、勝一郎は握りしめたまま持ってきてしまった矢に再び視線を戻す。


「いったいどうなってるっていうんだ……? この矢や槍はいったいどこから……? いや、それ以前に何でおれは部屋の中から追い出されてるんだ?」


 答えのでない問の答えを求めて、勝一郎はそれらの不可解な現象が起きたその場所へ木の陰からわずかに顔をのぞかせる。

 先ほど勝一郎が隠れたはずの地面には、いつ付いたのか地面を抉るほど強くつけられた巨竜の爪跡。扉の存在は感じられず、さらにその少しむこうには先ほど降ってきた槍がそのまま突き立っている。

 その槍に、勝一郎は見覚えがあった。


「……あの槍、もしかしてランレイのマントに入れっぱなしにしてたやつじゃ……?」


 思いだし、同時に勝一郎は思いつく。先ほど降ってきた幾本もの矢の方にしても、ランレイが部屋の中で練習に使い、的替わりにした部屋の中に打ち込んでそのまま取り出せなくなっていたものではなかったかと。


「……まさか」


 頭をよぎるその可能性の是非を確かめるべく、勝一郎の視線は先ほど巨竜に喰らい付かれたマントを探す。

 比較的すぐに見つかったそれは、しかし予想通り巨竜の牙によって貫かれ、引き裂かれて完全に使い物にならなくなっていた。

 そしてもう一つ。マントの表面にあったはずの扉も感じない。


(地面に作った部屋も消えて、今は爪痕が残ってる。槍や矢が入っていたはずの部屋も今は消えて、マントはズタズタに破れてる……。じゃあ“消えた部屋の中にあったもの”は……?)


 それは、部屋が消えるという事実に気付いた時点で考えておくべきだった可能性。部屋が消えた時に、“その中にあったものがどうなってしまうのか”と言う、頭を働かせていれば抱けていたはずの当然の疑問。

 今勝一郎が直面することになっていたのは、まさにその答えを端的に表すものだった。


(――まさかこの扉、“作られた面が破壊される”と、“部屋自体が消滅して中のものが強制排出される”のか……!?)


 そう考えれば、今立て続けに起きた現象にも説明がついてしまう。

 何のことはない。勝一郎は巨竜の爪によって、マントの中の槍や矢は牙によって、それぞれ隠れ潜む面を破壊されたことで部屋そのものが消滅し、外の世界へと強制排出されてしまったのだ。


「――いや、待てよ? もしこの扉にそんな性質があるっていうなら……」


 一つの考えが頭をよぎったその瞬間、巨竜の口から吐き出された矢が地面へと落下し、同時に巨竜が恐ろしい唸り声をあげながら鼻をヒクつかせ始める。


「――っ、ヤバい……!!」


 その可能性に思い至り、慌てて勝一郎は隠れる茂みを飛び出し、巨竜に背を向けて走り出す。

 思いつくままに適当に作った部屋の中に手にしていた矢をしまいながら、勝一郎が抱くのは己の考えの浅さへの後悔。


(クソ、馬鹿か俺は……!! 相手は獣だぞ、匂いくらい探って来るに決まってんだろうが……!!)


 隠れてやり過ごせるなどとは考えず、先ほどの隙に一目散に逃げておけば今頃かなりの距離を稼げただろうとそう考え、しかし直後に勝一郎は少しだけ自身の考えを改める。


(いや、さっきの時点で逃げてたとしてもあいつが相手じゃすぐに追いつかれる。むしろこの扉の思わぬ弱点が分かっただけ僥倖と考えるべきか……。だが、だがこんな情報、どうすりゃいい……!?)


 適当なところで再び扉を作り、そこに隠れてやり過ごすというプランはとりあえず却下する。

 先ほど発覚した扉の性質を考えた場合、たとえ地面などに扉を作り隠れても、そこを掘り返されでもしたら一発でアウトだ。特に相手は嗅覚でこちらを探していたような獣だ。まさかこの扉の、こんな複雑な法則を看破されるとは思えないが、それでも臭いをたどって勝一郎を追ってきて、その匂いが途切れた場所を掘り返されでもされたら瞬く間に部屋から引きずり出されてしまう。


「――ヌォッ!?」


 そんな勝一郎の考えがまとまるのを待つはずもなく、逃げる勝一郎を追うように巨大な地響きが連続して、そしてどんどん大きくなりながら耳へと届く。背後に猛烈な勢いで迫る巨大な圧迫感に振り向いて、そして今度こそ勝一郎の思考は、相手の放つ圧倒的な迫力に凍り付いた。

 背後に着地する巨体と爆音。

 恐らくはつい先ほど勝一郎がそばを通り過ぎた少し太めの樹木を迂回するためだったのだろう。横っ飛びに勝一郎の背後へと飛び込んできた巨竜が足元の土砂を盛大にふっとばし、直後には視線の先にいる勝一郎めがけて猛烈な速度で走り出す。


「――む、無茶苦茶だ!! なんなんだよあいつ!!」


 獲物を追うその走りには、もはや周囲への配慮も何もあったものではなかった。

 途中で体にぶつかる枝葉を体重と勢いに任せて圧し折り、突き破り、足元の細い樹木や茂みを踏みつぶし、蹴散らして、進行方向上にあるあらゆるものを力技で切り開きながら、餓えた咬顎竜が猛烈な速さで勝一郎の背後に迫って来る。


「ぬ、ぅオオオオオオッ!!」


 迫る巨体の圧倒的な迫力に気圧され、同時にもはや逃げ切ることも困難と判断して、勝一郎は大地を蹴るべく振り下ろしたその足に、扉を開く力を込める。


「『開けェッ!!』」


 背後で落ち葉を巻き上げて起き上がる巨大な扉、地面から勢いよく跳ね上がったそれを、開く勢いをそのままに巨竜の鼻先へと思い切り叩き込む。

 だが、


「グルァッ!!」


 あろうことか、咬顎竜は迫る扉を歯牙にもかけず、首の動き一つでぶつかる扉をそのまま跳ね返して、一気に勝一郎に喰いつける間合いまで踏み込んできた。


「――なっ!?」


 扉が跳ね返されて閉じる勢いと巨竜の踏み鳴らしによる振動によろめきながら、勝一郎はようやく自身の失策を自覚する。

 扉が軽すぎるのだ。

 ロイド曰く、【高圧洗浄水流≪ハイドロウォッシャー≫】なる人をなぎ倒せるような魔術が、しかしこの相手には大した効果をあらわさなかったように、人と巨竜との体重差を考えれば人間一人をノックアウトできるような扉による一撃も、巨竜にとっては軽く跳ね返せるあまりにも軽い、まるで赤子に殴られたような些細な一撃でしかない。

 威力が足りない。重さが足りない。こんな相手を打倒するには、勝一郎では圧倒的に力不足だ。


(駄目だ――!! 死ぬ――)


 迫る巨竜の顔面、開くギロチンのような巨大な咢。どんなに走っても逃げきれない圧倒的な死に追いつかれ、勝一郎が今まさにその口内に消えようとしていたその瞬間、

『ズドン』と言う重い音と共に巨竜の横面に一本の矢が突き立ち、勝一郎に倒れ込むようにして迫ってきていた巨竜の体がわずかによろめいた。


(――なんだ!?)


 驚きつつ、勝一郎の中にあるなけなしの生存本能はその隙を逃さなかった。

 巨竜がよろめいた隙にぎりぎり間に合わせて大地に気を叩き込み、足元で扉が開いてその勢いに乗る形で己の体を高々と真横に吹っ飛ばす。

 着地のことなどまるで考えていない出鱈目な緊急脱出法。それによって大地を転がり、跳ねまわることになりつつも、勝一郎はすぐさま身を起こし今しがた矢が飛んできた方向へと視線を向けた。

 勢いよく獲物に喰らい付こうとして、その横面に強い衝撃を受けた咬顎竜は流石にそこから体勢を立て直すことはできなかったらしい。勝一郎と言う得物を見失ったこの巨竜は勢いを殺しきれずにそのまま付近の茂みへと頭から突っ込み、脳を揺さぶられたせいなのか苦しげなうめき声を漏らしながら再び立ち上がろうともがいている。

 そしてその顔面、目と口の間にしっかりと突き刺さって見えるのが、先ほど打ち込まれた一本の矢。


「……ハァッ、……ハァッ。村の戦士が助けてくれたのか……? いや、でも……」


 村を出発する際、村の戦士たちの装備は一応確認している。その扱う武器は人によってまちまちだったが、しかしよく思い出してみればそのほとんどが槍や斧、大ぶりな剣などがその大半を占めており、遠距離からある程度距離をとって戦える弓を持っている人間は一人もいなかった。その理由について考察して、おそらくあの巨体では、小さな矢では殺しにくいのだろうと結論付けていたので、恐らくこの記憶は確かなはずである。

 では、今こうして勝一郎の危機に際して、弓で助けてくれた相手は誰なのか。


「……まさか、来てるのか、ランレイ?」


 問いかけるような口調になりつつも、その心中に抱くのは確かな確信。もとより今森に出ている戦士たち以外でこの狩りに参加するものがいるとしたら、その戦士たちを森に送った村の総意に対して、真っ向からとまでは言わずともある程度逆らう形で参加した人間以外にはありえない。


 視認できない視線の先で、見えない誰かが弓を弾く。第二射の矢は森の中を一直線に飛行すると、そのまま起き上がる咬顎竜の左半身に強烈な打撃音とともに突き立った。

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