16:Revolving Door
道中の行軍は非常に気まずいものだった。
先頭にソウカクと呼ばれた細長い少年、その次をハクレンと言うらしき年長の戦士が続き、その後にロイドと勝一郎が並んでその背後をエンロンと紹介された屈強な青年が歩く。
その陣形自体はいつの間にか、それこそ勝一郎が気付いた時には本当にいつの間にか組まれていたものだったが、しかし真ん中を歩く勝一郎にしてみれば、ほとんど監視付きで連行されているような気分だった。
しかも三人とも、露骨に、と言えば少々聞こえが悪いが、気にしていないようなそぶりで明らかにこちらの動向に注視している。この傾向は彼ら三人の年齢と明らかに反比例していて、一番若いソウカクの反応が一番わかりやすく、逆に最年長のハクレンの態度は他の二人の様子を気にしていなければ気付けないほど自然なものだった。このあたりに何とも、彼らの人生経験の差が表れているようにも見受けられる。
(気まずい……)
内に秘めた感情を表に出す訳にもいかず、勝一郎は嫌な汗をかきながら心の中で精いっぱいの嘆息を零す。
厄介なことにこの場にいる五人はほとんどしゃべらない。ロイドは当然のように青い顔で黙りこくったままだし、他の三人にしても、事務的に必要な言葉を交わしあうだけで気安い会話のようなものはほとんど交わされていないのだ。それが勝一郎とロイドと言う二人の異物を抱えてしまったが故の反応なのか、それとも彼らの間に横たわる世代差がそうさせているのかは判断に迷うところだが、どちらであるにせよ話しかけるタイミングなど欠片もないものだからいつまでたっても重苦しい雰囲気が緩和されない。
「つかぬ事なのだが、聞いてもいいかね?」
「えっ!? ああ、はいっ!!」
と、そんな空気に勝一郎が辟易していたころ、あまりにも唐突に前を歩くハクレンが声をかけてきた。勝一郎があわてて返事をすると、ハクレンは『うむ』などと頷きながらこちらに向き直り、後ろ向きに歩きながら二人に対して問うてくる。
「先ほどから気になっていたのだが、君たちの得物は本当に槍でよかったのかね?」
「え? ええ。まあ、確かに他にもいろいろありましたけど、俺たちが使う分にはどれでも大差ないですし、だったら少しでもリーチが長い物の方がいいかと……」
「リーチ……? それは間合いのことかね? ……まあ、君がそういうなら私がとやかく言うことでもないのかもしれないが……」
首をひねりながら、何か理解しがたいものを理解しようとしているような様子のハクレンに、なんとか会話を続けようと勝一郎は必死に頭を回転させる。
ただし、どんなに頭を酷使して出した答えであっても、それがいい答えであるとは限らない。
「あ、あの、そういえばこの捜索、見つけられなかったらどうするんです?」
「それは咬顎竜の話かね? ふむ。まあ、その場合は諦めるよりほかないだろうな」
「あ、諦める、ですか?」
「それはそうだろう。実際それほどありえない可能性でもないよ。咬顎竜がいつまでもこの森にとどまっているという保証もないし、そもそも我々が狩るまでもなくすでに死んでいる可能性もある。その場合でも、できれば採取できる部位は採取しておきたいところだが、あまり遠くで死んでいた場合我々がそれを発見できるとも限らんしな」
語られる内容に、勝一郎は咬顎竜に生きていてもらった方がいいのかどうか微妙な気分になってくる。勝一郎たちの身の安全を考えるならば死んでいてもらった方がいい気がするのだが、しかし勝一郎たちの狩りでの働きを見て受け入れるかどうかを決めると言っている村の戦士たちが、咬顎竜亡き後に新たに受け入れ条件を勘案してくれるかどうかは全くの不明だ。先ほどハクレンがそっけなく放った『諦める』という言葉が、いったい何を諦めるということなのか、勘ぐりだしたらそれこそいくらでも勘ぐれる。
聞かなければよかったと、そんな後悔が心をよぎる。
「待ってください」
そんなことを考えて、勝一郎が聞かなければよかったと後悔していると、背後のエンロンから四人に向けて突然静止がかかる。
「どうしたのかね、エンロン君?」
「合図の笛っす。この音だと、どうやら足跡か何か見つけたようっすね」
「え? ウソ?」
言われても何も聞き取れない勝一郎が思わずそう口にしてしまったが、しかし村の戦士二人は特にエンロンを疑うこともなく、彼に笛の音の方向を問うている。
どうやらエンロンは他の二人と比べても格別耳がいいらしく、勝一郎には聴き取れもしない笛の音について細かく二人に説明していた。
「どうも一度集合を呼び掛けてるみたいです。方角は向こうの……、そこまで離れてはいないですね」
「では我々もう向かうとしよう。エンロン君先導してくれ。ソウカク君、返事の笛を」
「は、了解であります!!」
返事の後、ソウカクが甲高い笛の音を鳴らすのをしり目にハクレンが二人に『では行くぞ』と一声かけてくる。
当然歩いて向かうものだと思っていた勝一郎が反射的に頷くと、ハクレンは他の二人共々すぐに勝一郎たちに背を向け、猛烈な勢いで走り出した。
「はっ!?」
森の中の悪路をものともせずに、みるみる遠ざかっていく三人の姿を見ながら、勝一郎はあまりの速さに一瞬呆気にとられる。
だがすぐに自分たちが置いて行かれかけているのだと悟り、慌てて走り出そうとしたその腕を、しかしその直前に背後から伸びてきたロイドの腕が引き留めた。
「待てよ、ショウイチロウ!!」
驚き、振り向いた勝一郎に対して、ロイドが青ざめた、しかし鬼気迫る表情で勝一郎を見つめていた。否見ているのは勝一郎ではない。その向こうですでに姿すら見えなくなりかけている、村の戦士たち三人の後ろ姿だ。
「な、なんだよロイド。早くしないとおいて行かれ――」
「――さっきの景色、見覚えがある!!」
「え?」
「さっき見覚えのある景色が見えた!! この近くなんだよ、俺が最初に出たのは!! 多分探せば、俺が最初にこの世界に出た時の転移魔方陣があるはずなんだ。俺たち元の世界に帰れるかも知れねぇんだよ!!」
正直ここまで近いとは思っても見なかった。それこそが、ロイドの証言に対して、勝一郎が最初に抱いた感想だった。
恐らく、村から歩いても一時間とかかっていない。いや、歩いて一時間と考えれば、それはそれなりの距離ということになるかもしれないが、しかしロイドが一晩森の中をさまよっていたという情報から、勝一郎は勝手にロイドのこの世界への出現位置を、相当に遠い場所なのだろうと思い込んでいた。
(まあ、よく考えれば、土地勘も方角もない、人里があると一目でわかるような目印もないこんな場所じゃ、たとえどんなに近くても村まではたどり着けないかもしれないな)
そう考えれば、つくづく勝一郎は運がいいと言えるだろう。何しろさして迷うこともなくランレイと出会うことができているのだから、その運の良さはもはや桁が違う。
もしかしたらこうして監視の戦士たちの眼を労せずして盗めたことも、その運の良さに含めてもいいのかもしれない。
(……でも妙だな。いくらなんでもこんな簡単に逃げられるもんなのか……? いや、っていうか状況だけ見れば俺たちってただおいて行かれただけなんじゃ……)
監視しなければいけない人間を置いていくなど、いくらなんでも有り得ない。
そんな考えがその疑問を少しばかりせき止めるが、しかしこうして後になって振り返ってみると彼らの態度には妙な点が目立っているような気もしてくるのだ。
いったいどんな部分にそれを感じてしまうのかは、勝一郎にはすぐには分からなかったが。
「そうだ、思い出したッ!! 確か最初に出た時こんな崖の近くでビビったんだ!! ハハッ!! いいぞ。どんどん見覚えのあるところが出てきやがる!!」
と、そんな勝一郎の考察をよそに、自身をこの世界に送り付けた魔方陣を探すロイドは少々興奮気味にそう声を上げる。
見れば確かにロイドの言う通り、先を歩く彼のすぐそばには勝一郎の地元ではそうはお目にかかれない切り立った崖が存在していた。
少し下を覗いてみると、これもやはりお目にかかれないくらいには高い。とりあえず落ちたら間違いなく助からないのではないかと、そう考えさせられてしまうような危険な高さだった。
「って言うか危険っていうなら、今俺たちってとっくに危険な状態なんじゃ……」
ロイドの剣幕に気圧されてホイホイ付いて来てしまったがこの状況、危険な恐竜のいる森の中で素人が戦士たちから逃亡同然に逸れてしまっているのだ。いくら冬でほとんどの生き物が冬眠に入っていると言っても、件の咬顎竜に見つかれば高確率で命を落としかねないし、戦士たちがこちらの二人を逃亡したとみなしていたらそれとて二人に未来はない。
「……やべぇ。今からでも合流することを考えるべきなんじゃ……。って言うか俺たちの行動って、思いっきり死亡フラグじゃねぇか……!!」
事の重大さに今更のように気が付いて、勝一郎は先ほどのロイドに負けない勢いで青ざめる。
よくある、いわゆる『死亡フラグ』など、どうしてこいつらこんなに馬鹿なんだろうと小馬鹿にすらしていた勝一郎だが、いざこういう局面になってみるとこうもあっさり立ってしまうとは思いもしなかった。流石にこんな現実で『フラグ』などと言い出すこと自体にバカバカしさは感じないでもないが、しかし教訓やゲン担ぎの類として考えるとあながち馬鹿にもできない。
だが、どんなに勝一郎が青ざめていても、その危機感は先ほどまで青ざめていた、そして現在転移魔方陣という希望に近づいて死亡フラグを立てまくっているロイドには伝わらない。
「おいショウイチロウ!! 早く来い!! もうすぐだ!! すぐそこにあるはずなんだ!! もうすぐきっと帰れる!! あの日からは雨も降ってねぇしまだ大丈夫なはずなんだ!! これで帰れるぞ!! これでこの訳わかんねぇ異世界ともおさらばだ!!」
重ねられる言葉の数々に、しかし勝一郎の不安は加速する。
(|はず≪・・≫や|きっと≪・・・≫ばっかりじゃねぇか!!)
言っている本人は気づいていないらしい、不安にある言葉の数々に、勝一郎は猛烈な不安にさいなまれながらもそれを必死に自身のうちへと押し込める。
いや、冷静に考えればこの状況は、決して悪いばかりではないはずなのだ。何しろ見失っていた、何時潰えるともわからなかった元の世界への帰還の可能性に、それこそ文字通り間近にまで迫っているのだから。
もちろん、いきなり帰るとなれば村の者達やランレイに対してとびきりの不義理をはたらくことにはなってしまうが、しかし命がかかっているこの現状、そうとばかりも言っていられないのが現実である。もしも帰る手段が確保できるのならば、その機会は今を置いて他になく、故にこの機を逃すという選択は有り得ない。
だがそれでも、いやな感覚が付きまとう。いや、欲を言うならば、勝一郎はこの時気付いておくべきだったのだ。漠然とした感覚などというものではなく、もっとキッチリと聴覚で、興奮に我を忘れたロイドが、“大声によって周囲に位置を教え続けてしまっている”という致命的な失態を侵していることの危険性に”。
「……あ、あああ、あああああああああったぞォッ、ショウイチロウ!!」
だがそれに勝一郎が気付く前に、遂にその場所を見つけたロイドが歓喜の声を上げる。
視線を戻せば、崖に面した坂の上で、ロイドが両の拳を天へと振り上げて、その喜びを全身に表わしている。
どうやら彼は、本当に転移魔方陣を見つけることに成功したらしい。
指し示すその場所が、ちょうど勝一郎から見て坂を隔てた向こう側になるためはっきりとは見えないが、しかしロイドのその様子を見るに、少なくとも距離を置いてみる分には、魔方陣が無事に残っていることは推測できた。
だが同時に、視線を上げたことで気が付いた。こちらを振り向いたロイドのちょうど背中側の少し離れた森の中で、何か見逃しがたい大きなものが揺らめいたことに。
(――!?)
視線が動く。勝一郎の左へ、まるで引き寄せられるように。
何がそうさせたのかはわからない。ただ警戒していたところに目が動くものを捉えて反射的に動いただけなのか、それとも勝一郎の中の何かしらの直感がそうさせたのかは全く持って不明だ。
だがそんな視線の動きが功を奏した。否、功を奏しはしなかったが、それでも気付くのがこれ以上に遅れるという致命的な事態だけは避けられた。
いや、気づいたその時点で、もはや手遅れと言ってもいい事態だったのかもしれないが、しかしそれでも勝一郎が少しだけ、ロイドよりもほんのわずかに早くそれに気付くこととなる。
視線を向けた次の瞬間、その先の茂みが向こう側から突き破られて、そこから恐れていた巨体が現れる。
「こ――、」
地面を爆破するように蹴りつけて、聞き逃すには大きすぎる地響きを上げて、その巨体がこちらに向けて走り出す。
体高だけでおよそ八メートル。全長に至ってはさらにその上。全身にびっしりと羽毛を生やし、発達した後ろ足で走るティラノサウルスにも似たその恐竜が、牙を鳴らしながら猛烈な速度でロイドめがけて突進してきていた。
「――咬顎竜!!」
「――へ?」
巨大な足音と勝一郎の声に、一歩遅れながらも気づいたロイドが背後を振り返る。
だが気付くのが遅すぎた。いや、遅かったというならば勝一郎とて遅かった。遅すぎたほどなのだ。彼我の距離はまだそれなりにあるが速度と歩幅の差は圧倒的だ。事ここまでこの猛獣に近づかれてしまっては、人間の足では数分と待たずに追いつかれることになる。
「――う、うわぁぁぁぁああああッ!! いやだぁああああああッッ!!」
振り返り、迫る巨体を認識したロイドが一瞬で顔面を恐怖に染めて絶叫する。
元からほとんど失われていたロイドの冷静さは、このとき一欠けらも残さず吹き飛んだ。唯一彼の賢明だったと言える行動は恐怖し、我を忘れながらも走り出すことができた点だが、しかし彼は走る方向として、勝一郎のいる方向ではなくその逆を選んでしまった。
すなわち、先ほど見つけたばかりの転移魔方陣があるその場所を。
「まずい!! ロイドッ!! そっちは――」
言いかけたその言葉を巨竜の足音がかき消した。巨竜は途中で進路を逃げるロイドのいく方へと向けると、叫ぶ勝一郎には目もくれずに獲物めがけてまっしぐらに進路を変える。
もしもロイドが勝一郎の方へと走り、勝一郎と合流できていたならば、まだ二人で部屋に逃げ込むこともできただろう。
だがこのとき、ロイドは勝一郎ではなく、もう一つの希望へとすがってしまった。
それがどんなに、この世界では儚い希望であったかも考えずに。
「帰るゥぅぅぅぅぅうううううッ!! 俺は帰るんだ、元のォォッ、世界にィィィイイイイ!!」
ほとんど倒れ掛かるように見つけた魔方陣へとたどり着き、ロイドは背後に迫る音を聞きながら必死にその場所へと縋りつく。転移魔方陣が上に人が乗ることで発動するのだろうことはすでに推測ができている。魔力をためる時間が必要であることとてわかってはいる。そのことがすぐにロイドが元に戻れなかった原因ではあるのだが、それでもここを離れてすでに何日もたっているのだ。これだけ時間を置けばどんな魔術でも必要な魔力量は確保できているはずとの確信も持っていた。その確信への信頼は、むしろこの魔方陣が無事であった可能性よりもはるかに高かった。
だというのに、倒れ込むように魔方陣の上に乗っても、何時まで経ってもロイドは元の世界には帰れない。
「なんでだよォッ!! 発動しろよッ!! どうしたってんだよ、おい――!!」
八つ当たり気味に叫びかけて、しかし魔方陣を見て直後に気が付いた。
魔方陣の上に、見知った足跡が残っている。足跡が魔方陣を構成する文字の一部を踏み荒して、そこにあったはずの文字のいくつかを掻き消している。
そこにいったいどんな文字が使われていたのかは、もはや誰にもわからない。
それは恐竜のもののような巨大なものではない、もっと小さく見慣れた、誰かの“靴後”。まるで数日前に誰かが踏んでつけたようなその後が、誰のもので、いつ付いたのなのか、想像するのはそう難しくなかった。
「……あ、ああ……、なんだよ、それ……、いつだよぉ……、俺だって注意してはずなのに、そんなのぉ……」
絶望の声を漏らしながら、それでもロイドはフラフラと立ち上がる。目から滂沱の涙を流しながら、しかし背後から迫る足音から離れなければならないという一心で闇雲に足を動かし、普通ならとうにできなくなっているような無駄なあがきをこの期に及んでまだ続けていく。
だが、それとていつまでも続けていられたわけではない。
「――ロイドォッ!! 駄目だそっちは!! 方向を変えろ!! 聞こえないのかロイド!!」
勝一郎の声が認識できた時にはもう遅かった。踏み出した足が感覚を失い、体がゆっくりと傾き始める。
涙で視界を阻害し、周りの様子も気にせず闇雲に走ってしまったのが致命的だった。
「――あ」
大地が見える。遥か向こうに、否、遥か真下に。闇雲に逃げようとしたことで、崖から足を踏み外したロイドの体が、まるで今更重力加速度を思い出したかのように落下をはじめ、見える景色の向うへ吸い込まれる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!」
断末魔。そう呼べる、擦り切れるような悲鳴を上げて、間一髪巨竜の牙から逃れたロイドが、代わりに奈落の底へと落ちていく。
「ロイドォォォォッッッ!!」
どちらがどれだけ叫んでも、もはや落下は止まらない。
勝一郎の目の前で、駆け寄る巨竜の鼻先で、最後まで生き汚くあがいた男は絶壁の底へと消えて去った。
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