15:At a Persons Door
顔面蒼白。
およそロイドのその顔は、勝一郎がこれまでの人生で見てきた顔色の中でも、ダントツでその表現が似合う状態になっていた。
もっとも勝一郎自身もあまり人のことは言えないだろう。何しろ今二人は、何の因果かそろって同じ危険に直面しているのだから。
「いい? ブホウさんはああ言ってたけど、あんた達はとにかく生きて帰ってくることを最優先に考えなさい。いいわね?」
勝一郎に鎧のようなものを着せながら、切迫した声でランレイがそう二人に指示を告げる。
脛や膝、肘や掌、頭と胴体部と言った、必要最低限の場所の身を守る、思っていたよりも軽い防具の数々。鉄などの金属ではない、“表面にうろこ状の模様がある”、まるでそんな生物の皮から作ったと言わんばかりのそんな防具を纏った勝一郎は、同じように鎧を着せられ、青い顔で立ち尽くすロイドの方へと視線を戻した。さっきと変わらない。いや、それよりも悪くなった青い顔がそこにある。
(……無理もないか。こいつにしてみればこの試験は死刑宣告と変わらない)
森に潜む咬顎竜の討伐に参加する。その際の働きを見て今後の処遇を決める。
それこそがこの村の住人たちが、勝一郎とロイドの二人に言い渡した処分の内容だった。
これから勝一郎たちは、自分たちよりはるかに大きく、巨大な恐竜と言う名の猛獣と一戦交えることになる。
「……クソ……、冗談にもならねぇ。よりによってなんで……!! このままじゃ命がいくつあっても……」
せっかくまともに会話できるようになったというのに、村の方針を聞いて予備の装備を借りに今いる小屋に入るころには、ロイドは元の青い顔で何事かをぶつぶつと呟く以前の状態に戻ってしまっていた。
ロイドの心中について、勝一郎は推し量ることしかできない。
図鑑でしか見たことがないような、一瞬でこちらの命を喰い尽くす巨大な化け物に狙われたという共通の経験を持つ二人だが、しかしロイドと勝一郎では追われた時間もその恐怖の密度も大きく違う。部屋を作って逃げ込み、ある程度短い時間で諦めてもらえた勝一郎たちと違って、ロイドは一晩中、ろくに明りもないの中を追い回されていたのだという。
そんな恐怖体験は、さすがの勝一郎にも想像しかできない。
この場にいる者達の間には、世界の隔たり程にも大きい価値観の溝がある。
「そっちのあんたも、男ならいい加減腹をくくりなさい。そんな状態じゃ本当に――」
「――ぇんだよ……」
だからこそ互いの感情がかみ合わず、遂にロイドの感情が限界を迎える。たとえそれが気遣いから来る忠告であったとしても、ランレイのその言葉はロイドには伝わらない。
「うるっせぇんだよッ!! 何もわかってねぇ女が偉そうにッ!! 俺ごときがあんな化け物のいる場所に行って、生きて帰って来れるわけがねぇんだ!!」
絶叫し、ロイドはすぐさまランレイ目がけて右手と魔方陣を突きつける。その様子に危険を感じてとっさに勝一郎も止めに入ろうとするが、しかし続くロイドの言葉が勝一郎のその判断を遮った。
「見ろよ。俺のこのつぎはぎの術式を!! 魔術を知らないお前らにとっちゃ、俺の使う術式はさぞかし上等な力に見えただろうが、俺が使える魔術なんて大半がただの生活魔術だ!! 軍用魔術じゃねぇんだよ!!
テメェらをブッ飛ばした放水も【高圧洗浄水流≪ハイドロウォッシャー≫】って洗浄用魔術の改造術式だし、そいつに使った【偽・水賊監≪ディス・アクアリム≫】だって元は【回転洗浄泡沫≪サイクロンウォッシュバブル≫】って魔術を親父譲りの継承知識で改造しただけのもんだ!! あのバケモンに嫌がらせ以上の効果がある魔術なんて、俺は一つも持ってねぇッ!!」
確かに冷静に考えてみれば、ロイドが使った二つの魔術は相手が人間ならともかく、どちらもあの巨大生物にまともな効果を発揮できるものではない。
人をなぎ倒せる水圧もあの巨体が相手では効果が薄いし、人を飲み込む水球も相手があの大きさでは水量不足だ。ランレイを行動不能に陥れたあのしびれ薬のような魔術ならばあるいはとも思うが、人間と恐竜では薬物が効果を発揮するための必要量が大きく違うし、ロイドがランレイに使うに際して直接口から流し込んでいたことを考えれば、あの相手に同じことをするのはあまりにもリスクが高すぎる。
「テメェにとってはいいだろうさ。自分を襲った男が、ヤバい森の中で勝手にくたばってくれるっていうんだから。内心じゃいい気味だってそう思ってるんだろう!?」
「――なっ!! 私は――!!」
「大体テメェはなんなんだ!? 自分は戦わないくせに偉そうに!! 俺だって知ってるんだよこの世界の女が戦わねぇってことくらい!! 自分は安全なところで待ってられるくせに、上から偉そうなことを次々――」
「――ロイド!!」
言葉に詰まるランレイに代わり、今度は勝一郎が声を上げる。
命の危機の苛立ちに我を忘れていたロイドはそれでようやく理性を取り戻したのか、ハッとしたように黙り込み、二人から視線を逸らした。
「……いざとなったら、俺の部屋に逃げ込めばいい。あの部屋は壊れないから、前の時もそれでやり過ごせた」
「……そうかよ。じゃあその時は、ホント、頼むぜ」
さすがに居辛いと感じたのか、ロイドはそれだけ言うと意を決したように歩きだし、部屋の入り口に立てかけられていた槍を持ってそのまま外へと出ていった。
後の小屋の中には、ランレイと勝一郎の二人が残される。
「ああ……、じゃあ俺も行くわ。鎧とか、手伝ってくれてありがとな」
「……ねぇ、ショウイチロウ」
何と言っていいかわからず結局撤退を計ろうとしていた勝一郎の背中にランレイがそうかすかな声で呼びかける。
その声に立ち止り、恐る恐る振り返った勝一郎の視界に飛び込んできたのは、しかし予想に反して折りたたまれた一枚のマントだった。
「外、寒いから羽織って行きなさい。こっちはあのロイドって奴の分」
「あ、ああ」
言いながら、一度もこちらを見ないランレイにそう返しながら、勝一郎は渡されたマントのうちの一枚を自分で羽織る。
少し、と言うかかなり気になったのは、このマントが二つとも勝一郎の扉付きのマント、つまりは両方とも以前ランレイが羽織っていたマントだったということだが、しかしそれを本気で気にできるだけの余裕は今の勝一郎にはありはしなかった。
もう一枚を持ったまま、今度こそ何の言葉も交わせずに、勝一郎は戦士たちの待つ外へ出る。
「自分は戦わないくせに、か……」
背中に届いたような気がしたそんな言葉が、本当に気がしただけだったのか、その真相をも確かめることもできずに。
「なんだというのだ。そんな縁起の悪い面をしおって」
鎧を着込み、蒼い顔で並び立つ勝一郎とロイドの二人を眺め、戦士長だというブホウは本気で分からないという様子で首をかしげる。
生まれた時から戦うことを宿命づけられ、実際に戦ってきただろう彼らには、それこそ命を懸けなれていない人間の感覚など分からないのだろう。彼はすぐに『まあよい』などと言って並ぶ戦士たちに向き直ると、恐らくは普段通りなのだろう演説を開始した。
「戦士諸君!! まずは朝早くよりご苦労!! 諸君には今日も引き続き森に住み着いた魔獣の狩り出しに勤しんでもらう。捜索体制は昨日と同じく四・五人の班に分かれて森の中を捜索、手がかりなど見つかれば笛にて他の班を呼び寄せ通達するものとする」
言われて居並ぶ戦士たちを見れば、確かに纏い携えられた鎧や武器に交じって、首から笛のようなものをかけている人間が何人か見受けられる。当然のように無線や携帯電話など存在しないこの世界では、どうやら音による通信が一般的な代物となっているらしい。
「繰り返しになるが標的は咬顎竜一体。恐らくこの時期ならもう相当弱っているとは思うがくれぐれも油断するな。放っておいてもくたばるだろうがこの時期だ。できるならばこれ以上痩せる前に肉にして冬の食糧の足しにしたい。必ず仕留めるぞ。
では解散だ。準備を整え次第各々森へと出立してくれ。それと、あー、そこの『イセカイジン』? 二人はこっちだ」
一通り戦士たちに檄を飛ばすと、周囲の戦士たちが歩き出す中、ようやくブホウは勝一郎たちに向き直る。
やはりこの世界の人間には『異世界人』と言う概念は馴染みがないらしく、若干言いにくそうにブホウは二人のことを呼び、そのまますぐに歩き出した。
勝一郎がロイドと二人、おっかなびっくりその背中についていくと、手に武器を持ち、それほど歩かずに装備を確かめる三人の戦士のもとへと案内される。
「お前たちにはこの三人と組んでもらう。右からハクレン、ソウカク、エンロンだ」
ブホウがそう三人を紹介するなか、軽く自身の武器を掲げる形で三人が順番に会釈をしてくる三人に勝一郎も会釈を返す。
紹介されたのは年齢的にも全くバラバラな三人だった。最初に紹介されたハクレンは年齢的には四十台前後とみられる細身の男性で、今の勝一郎たちと同じくその手には槍を持っている。これはソウカクと呼ばれた二番目の戦士も同様で、彼の年の頃は恐らく勝一郎たちと同じくらい。こちらも細見は細身だが背が高く、全体的にひょろ長い印象を受ける少年だ。そして最後の、エンロンと呼ばれていた青年は、ちょうどほかの二人の間くらい、三十代か、それよりわずかにしたくらいの印象で、こちらは大ぶりな剣を背中に背負っていた。こちらは体格も屈強で、持っている武器も相まって随分とパワフルな印象を受ける。
「うむ。そちらの準備はできているようだな。それでは行くとしよう」
一番年長である故か、ハクレンがそう言って残る二人も彼に付き従う形で歩き始める。
それについていきながら、勝一郎はいましがたの声がどこかで聞いたものであることに気が付いた。
何のことはない。記憶をたどれば思い出すのはたやすかった。
勝一郎たちの侵入が発覚したあの時、勝一郎に後ろから槍を突きつけていたあの声だった。
状況に流されに流されて村を出発し、なぜかこの世界の人間の恐竜狩りに参加する羽目になった勝一郎とロイドだったが、しかし実際に村の者達と森に入り、恐竜の捜索などというものに入れたのは相当に時間がたった後だった。
と言うのも、勝一郎が出発したレキハ村には一つ立地に大きな問題があり、村のある場所が断崖絶壁のその途中にある岩棚なのである。
理由としては巨大な魔獣――要するに恐竜――が侵入できない場所として、一定の安全が保障されているからなのだそうだが、しかし下にある森に入るとなれば当然その絶壁を降りる必要が出てくるわけで、
(俺はこの先、何度死を覚悟することになるんだろう……?)
永劫とも思える長い道のりを下り切って、広い大地にようやく両足を付けながら、勝一郎は半ばやけくそ気味にそう思った。
何しろここに降りてくるための道ときたら、高い、細い、脆いの死の三拍子がそろった恐ろしいところだったのだ。当然のように人が一人通るのがギリギリと言うありさまで、何十人もいる戦士たちが列をなして降りていくのだからなおさら時間がかかる。もしも勝一郎が絶壁の壁に小さな部屋を作り、そのドア枠に捕まる形で降りるという手段を思いつかなければ、勝一郎とロイドが地面に降り立つのはもっと後になっていたはずだ。
(考えていても仕方がない。あの恐竜がいる森にまたはいるってのはゾッとしねぇが、場合によってはロイドがこっちの世界に来るときに焼き付いたっていう魔方陣が見つかる可能性もある)
ロイドと勝一郎がおびえながらもこの咬顎竜討伐作戦に参加したのも、実のところそれが一番の理由だった。いや、現実には断るという選択肢すら二人は考えることさえできず、気づけばブホウからの指示に従う形で今回の参加が決定してしまっていたのだが。
状況に流されるだけ流されて、気づけば死と隣り合わせのこんな場所まで流されてきてしまった形になる訳だが、しかし彼らからの指示、いや、もっと直接的な言い方をしてしまえば命令を断っていたところで、勝一郎たちの置かれる状況は今より良くなることはなかっただろう。
何しろこの村の戦士たちは今回の咬顎竜討伐作戦におけるロイドと勝一郎の働きぶりを見て二人の価値を測ると言っているのだ。それはつまり今回の働きによって村に二人を迎え入れるかどうかを決めると言っているわけであり、断ろうものなら当然村を追い出されることにもなりかねない。
当然こんな装備品など与えられず、着の身着のままたったの二人でだ。
(っと、そういえば地面に降りたんだから出しておかねぇと)
思い出し、自分が着るマントの内側に作った小さな扉を開いて、勝一郎はそこにしまっておいた槍を引き抜いた。崖を降りる際持っているだけの心の余裕がなく、ロイドのもの共々預かってしまっておいたのだ。
マントの外側にも部屋はあるのでそこにしまうことも考えたのだが、このマントが部屋を作ったどちらのマントだったにしろ中の部屋は広すぎて使いにくく、また狭い崖の道ではそんな大きな扉を開く余裕はなかったため、やむなくマントの内側に新たに細長い部屋を作って中に槍をしまった形である。
崖上で突如巨大な気の感覚と共に勝一郎が扉を作った時にはさすがの村の戦士たちも驚いたものだが、しかしそれを気にできるだけの心の余裕は勝一郎にもロイドにもありはしなかった。それに関してはその後壁に手すり代わりの小型の部屋を作っていたときも同様である。
(……ああ、そういえば)
二本目の槍を取り出し、そのまま片手でマントの扉を閉めようとした勝一郎は、ふと以前抱いた一つの疑問を思い出した。マントを掴む右掌に、確かに作ったはずの息継ぎ用の扉。しかしそれは部屋の中でロイドと会話したときには、跡形もなく消えてなくなってしまっていた。
この扉にも消えてしまう条件があるのか、あるいは勝一郎自身の手で消すことができるのかと言うのは、できれば早いうちに確かめておきたい事象ではあったのだ。
(とは言っても、どうすりゃいいんだろ?)
周囲の戦士たちはまだ動き出す気配はないが、それは単に各班を取りまとめる班長達が捜索範囲を相談しているゆえのわずかな時間であって、あまり試行錯誤できる時間は取れそうにない。
とりあえず扉を作るときと同じように気を掌に集めて扉に触れて、適当に『消えろ』などと念じてみる。すると、
「……マジかよ」
驚いたことに、それだけのことであっさりと、そして跡形もなく槍を仕舞っていた部屋が消滅した。
まさかここまでスムーズに消えるなどとは思いもよらず、勝一郎は自身の力の都合のよさにしばし唖然とする。
いや、これから死の危険すらある場所に飛び込もうとしている現在、自身の能力の自由度が高いというのは心強くもなる話ではあるのだが、しかしあまり都合がよすぎるというのも逆に不安になって来る。幸運が続いたりするとどこかで何か落とし穴があるのではないかと警戒してしまうのが、留守勝一郎と言う少年なのだ。
「おい、ショウイチロウ。呼んでんぞ。出発だそうだ」
と、そうして考え事にふける勝一郎に、青い顔をしてどこか投げやりな口調のロイドが声をかける。
勝一郎が手にした二本の槍のうちの一本を手渡しながら見てみると、同じ班に回された残る三人が少し離れたところでこちらに注意を向けていた。向けているのは注意だけで、三人のうち二人はこちらに視線を向けていないのは解釈に迷うところである。
(それでも、逃げる場所なんてどこにもない、か)
一度だけ深呼吸して、勝一郎はロイドと共に森へと向けて歩き出す。
異世界での居場所を勝ち取るための、命がけの狩猟が、幕を、否、扉を開けた。
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